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第三章 チタニア教帝領~教帝聖下救出編~

色素の壁

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  海に入りスラリーは、ひたすら下へと潜って行った。底までたどり着くと、今度は縫うように進む。イメージに反し、滑るように進むので、めちゃくちゃ早かった。

  俺達は快適な海の旅を楽しんでいた。教帝聖下の居場所を覚えているらしく、淀みなく進んでいく。もしかしたら、色素ピグメントを記憶しているのかもしれない。

  綺麗な魚や可愛い魚を鑑賞している内に、開けた場所へとたどり着いた。辺り一面を濃い青が飲みんでいる。

  スラリーの歩みが、少しゆっくりになった。青の中に、白い輝きがぼんやりと浮かび上がる。次第にシルエットがはっきりと見えてきた。どうやら、教帝聖下の色素ピグメントのようだ。辺りが暗いせいで、一際輝いて見えるのだ。

  教帝聖下は彫りの深い顔立ちのイケメンだった。総主教らと同じ形の白装束に身を包んでいたが、彼らのソレとは異なり、金糸や銀糸で鮮やかな刺繍が施されていた。

  スラリー達に気づき、笑顔で手を振っている。短時間でかなり打ち解けたようだ。
  中に居る俺達の存在に気付くと、驚いた表情になった。ハクまでやってきたことを知り、顔が険しく曇る。
  
  2人が見つめ合い動きをとめた。何がしか、会話を交わしているのだろう。チタニア種間では、思念通話が当たり前の手段のようだ。
  再び2人が動き出すと、教帝聖下の表情は和らいだ。ハクは白スラリーから飛び出し、教帝聖下に抱きついた。互いに満面の笑を浮べている。

  俺はここで、はたと思い悩んだ。如何にして教帝聖下と意思疎通を図ろうかと。
 
  突如として、眼前につぶらな瞳が出現する。じーーーーっと覗き込んできた。俺の考えを汲み取ろうとしているようだ。数秒見つめ合った後、その瞳は白スラリーの方へ視線を移した。

  白スラリーがゆっくりと動き出し、教帝聖下を包み込んだ。スラリーは俺達ごと、そちらへ歩み寄り手を伸ばす。スラリー同士が繋がった。
  
  この状態で話せということなのだろうか。とりあえず、いつもの要領で思念通話を試みる。

(はじめまして、ピロルといいます。ピロロピロール姫の守護魔獣です。この度、教帝聖下をご救出すべくやって参りました)

(おおっ! 思念通話できるのかっ! 私はチタニア教帝サンカチタン5世だ。 ソナタが第一皇女の守護魔獣であるか。噂は聞いておる。此度は、ご尽力頂き感謝する)

  若干のタイムラグがあり、教帝聖下の声が頭の中で響いた。スラリーが会話を、色素ピグメントを介して変換してくれているようだ。元々一体のスライムであるからこそ、なせる技なのかもしれない。

  軽い挨拶を交わした後、状況を伺った。喜ばしいことに、チタニア民は1000名弱が生存しているらしい。スラリーが運んだサピグメントは、無事、皆に分け与えられたようだ。さらに、漁師の発案で海藻を採取し、食料にあてているという。

  お互い聞きたいことは沢山あったが、まずは地上への生還を優先することにした。早速、俺の作戦案を伝える。

(その名も、バルーン大作戦です!   )

(バルーン大作戦!?   )

教帝聖下が、素っ頓狂な声をあげた。

(はい、教帝聖下に巨大な色素ピグメントのバルーンを作っていただき、その浮力を利用して地上を目指します)
  
(私は色素ピグメントのバルーンなど、作ったことはないぞ)

(大丈夫です。エロー学術都市のご協力の元、こちらで用意しました。教帝聖下には、それに色素ピグメントを注ぎこみ、大きく膨らませて頂きたのです)

(なるほど)

  白スラリーが絶妙のタイミングで、白い粉を差し出した。教帝聖下は頷きながら、それを受け取る。

(早速、やってみよう)

(チタニア種のバルーンは合成が難しく、そちらはシリカ種のバルーンになります。同じ白の色素ピグメントですので、上手くいくといいのですが)

  俺はサンプル情報を付け足した。

  シリカ種のバルーンは、丸いコア物質をシリカの膜で覆い、内部のコアを溶かすことで比較的容易に作れる。一方で、チタニア種では、もっと高度な技術を使用せねばならなかった。

  なぜ、俺がここまで詳しいかというと、大学時代の親友ユースケが、正に、その研究をしていたからだ。
  もちろん、彼の研究は人体の浮遊ではなかった。白色インクの沈降問題の解決に取り組んでいたのだ。あの時、ユースケが教えてくれたことが、こんな所で生かされようとは。

ユースケ、ありがとう。俺、頑張ってるよ!

  教帝聖下が少量の白い粉を掌に広げた。途端に、白く輝きだした……が、粉には変化が無い。何度か繰り返した。しかしながら、一向に成長しない。やはり、チタニア種以外では厳しいのか。結局、それから1時間ほど格闘したが、何の成果も得られなかった。

(教帝聖下、1度休憩しましょう。時間は沢山有りますから)

  落胆と焦りから、目に見えて疲労している教帝聖下の気分を変えるべく、俺は申し出た。

(すまないが、1人で練習させてくれないか)

  教帝聖下が、苦悶の表情を浮かべながら言った。

(分かりました。俺達は向こうにいるので、何かあったら何時でもおっしゃってください)

  確かに、見られながらやるのも辛いだろう。俺達は、領民達と待っていることにした。

  俺達の元に1人の若者が近付いてきた。ニコニコしながら、海藻を手渡してくる。先程話に出てきた漁師なのだろう。
  スラリーが取り込み俺に渡した。齧ってみると、旨味がすごい。歯応えがあり満腹中枢が刺激される。非常食として優秀だった。  
  
  会話が交わせないため、満面の笑みで謝意を伝える。彼も、笑顔で応えてくれた。不覚にも、その表情に癒される。彼の屈託のない笑みは、人を落ち着かせる力があるのかもしれない。 
  
  彼が教帝聖下の方へ視線を移した。途端に表情が曇る。再び俺たちの方に向き直ると、笑顔で手を振り、教帝聖下の方へ向かっていった。その手には海藻が、しっかりと握られていた。

  


  暫くして教帝聖下の元を訪ねた。辺りには無数のシリカ片が散らばっている。それはまるで、教帝聖下のお心状態を表しているかのようだった。
  
  時間を追うごとに、教帝聖下は荒んでいき、見ている此方が居た堪れない気持ちになった程だ。ここまで、ほぼお独りで領民のために闘われてきたのだ。そしてまだ、その闘いから解放されない。何も力になれない自分が、もどかしかった。

  結局、その日1日かけてできたシリカバルーンは、大きさ1センチ大の物が2、3個のみだった。

  ピロロが思念で夜を告げてきた。教帝聖下に休息を申し出る。彼は続けると言い張った。無理やり止めさせることもできるが、余計に荒れるだろう。
  彼の重責を軽くする手立てはないだろうか。そう考えながら、俺は微睡むのだった。
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