×××の正しい使い方

わこ

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10.幸せだと、胸を張って言いたい。

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「遅えなアイツら。どこまで酒買いに行ってんだよ」
「どうせ寄り道してるって。陸なんかは、あーこれユキちゃんが喜びそー、とか言って余計なもん買い漁ってな」
「すげえ浮かぶんだけど……」

顔を合わせたのもいつ振りだろうか。俺の隣にいる幹也と、陸と買い出しに行っている圭吾。
安い居酒屋で過ごした後、もう一度飲み直そうと陸の部屋に集まったまでは良かった。しかし自分で提案しておきながら、あのバカ所有の冷蔵庫には缶ビールが数本だけ。

俺達三人から反感を買った末、即行買い出しに行ってきますとホザいてあいつは部屋を出て行った。陸だけでは何時間掛かって帰ってくるか知れたものではないから、見張り役として一緒に付いて行ったのは圭吾だ。
残された俺達は、冷蔵庫に辛うじて存在していた缶ビールを片手に世間話。というよりかは、陸の悪口。

陸が普段、どれだけクソバカでどれだけ迷惑でどれだけ鬱陶しいのか。それを延々と語る俺の横で、乾いた笑いを零しながらも幹也はうんうん頷いて聞いてくれた。
幾分か同情的な眼差しが気にはなるけど。
 
「苦労してんだな、ユキトも……」
「人災だよ。アレは存在そのものが」
「溜まってんなあ」

些か困ったように笑いながら幹也に言われ、俺は缶をテーブルに手放して肩を落とした。
あいつと違って幹也は要らない事ばかりベラベラと喋らない。俺達二人だけだとお互い無言になることもしばしばだけど、緊張感なんてものは一切感じないから居心地はいい。
初めて会ったのは団体で出たコンテストの時だったか。ウマい奴がいると思っていたら、そのウマい奴に声を掛けられた。

ただ競合チームの人間だということも知っていたから、声を掛けられた直後の俺はおそらく、相当に態度が素っ気なかったと思う。
だけどその時もこいつは、今と同じ穏やかな雰囲気。俺に向かってスゲエなあんたと、そんな事を突然言ってくるものだから驚いた。

それ以来の仲だ。顔を合わせる機会はそうないものの、こうして気楽に過ごせる相手に変わりはない。

「なに……?」

ポン、と頭に手を置かれた。顔を向けてみると、なんだか知らないけど小さく笑われる。
子供でもあやすかのように、ポンポン撫でつけてくるこいつの目的は何。

「……どしたよ。やめろソレ、陸っぽい」
「やっぱ? 俺もそう思う」
「やめとけ。ウツるから」

半眼になって言った俺に、幹也は声を出して笑った。
さっきまでは普通だったくせにいきなり酔ったか。いつも酔わないだろ。

「……んだっての」

幹也と言えどこれには耐えきれなくてその手を退かすと、今度は反対に腕を掴まれた。穏やかな雰囲気はそのままに、少しだけ真剣な表情になって直視されるから何も言えなくなる。

「なあ……」
「お前、ヘンだぞなんか」
「俺らとやる? 一緒に」
「……え?」

なんだ、急に。
こいつにしては珍しい行動の末、予想もしていなかった事を言われて聞き返した。掴まれている腕をスッと引かれて、もう片方の手を床に付いて体勢を支える。
そんな俺から、幹也は目を逸らそうとしない。

「俺らも今が踏ん張り所だと思ってる。実力勝負な世界だから、ちょっとでもヘタ打ったらいつどこで潰されてもおかしくない。調子付こうがビビってこっちから引こうがそれは同じことだ。けどもしユキトとリクが入ってくれたら、それは絶対心強い」
「…………」

真っ直ぐ見つめられて、それでも俺は何も言い返せない。まさかこんな誘いを掛けてくるとは思わなかった。
隣に座っていたはずなのに、気づけばいつの間にか向かい合っている。掴まれた腕はどんどん引っ張られていくばかりだ。

これ以上距離が縮まない位置に来たところでそれからは解放された。しかし直後にはしっかりと両肩に手を置かれ、お互い見合ったままの状態の中、冗談でもふざけている訳でもない真剣な眼差しが俺を捕らえた。

「オモテは嫌か?」
「…………」

語尾とか微妙なイントネーションとか、所々に現れる西訛り。幹也が育った土地の言葉だ。
会う度に少しずつ薄れて行くのが分かるけど、それでもまだ随所に残っているのだろう。俺も出身は紀州だから、どことなく親近感が湧く。

随分前に怪我をして、何ヶ月間かダンスから離れた。取り戻してやろうと意気込んでいざ復帰してみれば、頭の中で想像する動きに体が付いてきてくれなかった。
ガムシャラに体を慣らして、どうにか少しずつ戻して、それでも完全に思う通りに行く事はなくて。だけど俺にはこれしかないから、ヤメルことだけは出来なかった。

自分に納得なんてできもしないのに、訳も分からず無様に縋り付いていたあの時。この手をひっぱり上げてくれたのは、俺の隣を選んでくれたあいつだった。

「……ユキト」
「俺、今な……」

幹也が言いかけたのを遮り、やんわりとその手からも逃れた。けれど正面は向いたまま、幹也を眺める俺は不思議と穏やかな気分。

「割と楽しくてさ。あのスタジオで教えてんのも。あいつバカだけどやっぱすげえし、今のまま二人でやってくのも悪くない」
「そんなん……なにも俺だって引き離すようなマネなんかしない。お前と陸、二人揃って来てほしいと思ってる」
「うん……。ごめん。そうじゃねえんだ」

食い下がってきた幹也に再び腕を取られ、その力強さにあいつの手を思い出した。一生懸命で、どこか必死な様子。
陸も幹也も本当を言えば、俺にとってはライバルなんてものからは全く遠い目標だった。その二人が同じような誘いを寄越してくれるのだから、俺のしてきた事も無駄ではなかったのかもしれない。
少しでも近くに、陸のいる場所に行きたい。昔はただそれだけを思っていた。

だけど今は違う。今はもう、そんな事じゃない。

「……陸が前にニューヨーク行くって話になった時、あいつはもう戻って来ねえんだろうなって思ってた」

何の脈絡もなく始めた昔話。幹也はいささか困惑した様子を見せた。

「……え?」
「そりゃ、帰って来る事くらいあるだろうけどさ。でもあいつは育ったのもニューヨークだったし、あの性格だから一度行けばすぐに馴染むのも目に見えてるし。ずっとあの場所でやってるよりも、楽しくなんのは当然だろ。だから日本出たらそのまま、活動は向こうで始めるだろうなって……」
「…………」

もしも俺がいなくて、陸に余計な事を考えさせなかったら、寸前で止めにする事なんて絶対に起こらなかった。
目立つのが好きで、華やかな場所に身を置きたがる。そんな奴が長い間本場に居つけば、今までいた場所を窮屈に感じてもおかしくはない。

目指すものがあればあるだけ、陸はどこまでも高みに登っていく。一度送り出せば二度と同じ場所には立てないと、それも分かっていた。
分かっていて、行ってこいと言った。待っていると、願望でしかない言葉を投げつけた。

だけど陸は行かなかった。行かずに戻ってきた。
アホみたいなツラを晒して、俺のところに。

「……陸には……悪いことしたと思ってる。あいつの将来ブチ壊したのは俺だ。でもそんな風に思ってんのは、たぶん陸を裏切ってることになるから……」
「…………」

俺の腕はまだ幹也の手の中。しかしすでに力は籠っていない。
黙って見据えてくる目を、俺もまっすぐ見返した。

「俺は陸と二人でやっていきたい」

あの場所にいれば、誰よりも近くであいつを見ていられるから。

静かな部屋の中でしっかりと告げると、最初の数秒だけは厳しい顔をしていた幹也がフッと表情を緩くして、声は出さずに小さく笑った。
同時に腕も放される。自由になった手でテーブルの上のビールを取って、飲むついでに付け足した。

「まあ、俺がこう言っててもあいつ次第だけどな。今の話、陸にも持ってってやって。お前らと組みたいって言うんなら俺は止めねえから。どこでだろうと陸なら上手くやれるし、バカは全面に出てるけど戦力にはなるぞ」
「それはどういうつもりで言ってんの? 答えなんか分かり切ってんだろ。陸に話持ちかけたってお前と同じ反応返ってくる」

笑いながら幹也は言い、俺と同じように缶を手にした。さっきとは少し雰囲気の違う様子は探っているかのようにも見える。

「相思相愛ってヤツ? 陸が纏わりついてるだけだと思ってたけど、案外そうでもないんだな」
「何言ってんだよ」
「アカデミー賞受賞間違いなしだとよ。お前らの……何? 馴れ初め物語り?」

馴れ初め……。
そうか、ようやく分かった。あの馬鹿はまたどうでもいいことを口外したらしい。
幹也が妙に俺を憐れんで見ていたのもこのせいか。

「俺が聞いたの、驚かないな。つーか否定しないんだ?」
「……とんだ恥知らずだからな、あいつ。そのうち幹也には言いそうな気もしてた。ヒク?」
「別に?」
「へー」

幹也の言葉にきっとウソはない。でも俺は、敢えて気のない返事。
幹也は今度こそ声に出して笑い、持っていた缶ビールを飲み干した。

「なんで俺には言いそうな気ぃしてた?」
「なんでって……」
「お前、ホントは知ってたろ。俺がどう思ってんのか」
「何が」
「シラ切んなや」
「幹也、今日やっぱヘン」

笑顔だけど、迫ってくる表情は割と本気。適当に受け流すことは許してくれなかった。

「そりゃ変にもなる。さっき店でお前らが来るまで延々ノロケ話聞かされてたんだぞ」
「どこら辺でノロケられんのか俺には分かんねんだけど」
「そいトコだろ。陸にはお前が小悪魔に見えてる」
「こ……」

あいつ、病院連れて行こう……。

「陸が言ってることも分らんでもないけど」
「サラッと何抜かしてんだ。お前までヤメロ」
「無自覚ってのが一番罪深いな」

幹也がおかしい。何をどう聞かされたか知らないけど、相当に洗脳されている。

残り二本となった缶に手を伸ばし、幹也は惜しげもなく爪をかけた。こいつが酒に強いことは知っているから、見ている俺も別段何も言いはしない。
一方俺が持っている缶の中身はと言えば、あと一口程度のつまらない加減。液体をカラカラと振って揺らしていると、最後の一本となった缶を幹也が差し出してきた。

どうせあいつらが帰ってくれば、このテーブルも酒で埋まる。遠慮なんてさらさらする気もない。
ところが何も考えずに差し出された缶を受け取った瞬間、グイッと体ごと引っ張られ、その先で幹也と目が合った。

「コンテストで初めてユキトと話した時な。あのあと実は、会場の便所籠って即行ヌいた」
「…………」
「めっちゃヨかった」
「……お前、あのバカ上回ってるよ」

それを聞かせて俺にどうしろと言いたい。

半眼になって身を引くと、何が楽しいのか幹也はくすくすと笑いだした。手にしたビールを俺が開けるや否や、自分が持っている缶をスッと掲げてくる。

「カンパイ」

幹也のその言葉と共に、グラスとは違うパッとしない音を立てた二本の缶。
微妙だ。

「何に。てか、今更?」
「いいんだよ、いつでも。告白記念日に乾杯」
「俺してねえよ?」
「してたろ。陸のこと好きだって」
「……いつ?」

言った覚えがない。だがその疑問さえ幹也は聞いていない。

「あーあ、切ねえよなあ。長年あっためてきた俺の恋」
「お前、地元に女いるっつってたろ。幹也ってもっとまともな奴だと思ってた」
「ユキトが固すぎんだよ」

失礼な。
そう思った内心は眉間に現れたらしい。それを面白がるように顔を覗きこまれ、余計に眉が寄った。

久しぶりに会ったと思ったら、幹也はなぜか陸化していた。これ以上迷惑な話もない。

「なあ」
「なんだよ。酔ったんなら寝ちまえ」

陸っぽい奴には、陸にするっぽい扱いを。素っ気なく突き放してみて幹也がどんな態度に出るのかと思ったけど、そこは陸のようにふざけた反応を返してくる訳ではなかった。
ビールを仰いで、幹也の喉が鳴る。目の前で俺が黙って見ていると、床に缶を置くと同時にガバッと体を倒してきた。

「……っと。おい。ホントに酔った? 珍しいな」

自分よりも体格のいい男。とは言え床に薙ぎ倒すこともできないし、止む無く受け止めた俺の肩に幹也は顔を埋めてきた。
こういう事をする奴ではなかったはずだけど。

幹也は陸みたいに真っピンクな男じゃない。でも妙なカミングアウトをしてきたばかりなだけに軽く不審。

「おい、みき…」
「別れた」
「あ?」
「地元の女。ほとんど自然消滅」
「……ごめん」

反射で切り返してみて思いなおす。
違ったな、きっと。ここでのごめんは余計に傷を抉る。

他人を慰めるなんて場面には、なかなか遭遇する事がないから不慣れだ。
幹也がおかしいのはそれが原因だろうか。関西と関東のど真ん中とでは、こいつみたいな結末も珍しくない。むしろここまで持っていた方が凄い。

なんて思っていた俺が甘かった。体重は俺にかけたまま、顔を上げてきた幹也。
その表情には元カノへの未練もほとんど無いように見えた。完全に抱きつかれる格好になって、近い距離で幹也の声が耳に届く。

「ちゃんと終わりにしたのはちょっと前。久々にお前らと会おうかってなった後。ユキトの顔思い出してたら、女なんかどうでも良くなった」
「……そう」
「もう少し興味持て」

と言われても。それより、重い。

「とりあえず退けよ。あいつらももうすぐ帰ってくんだろ」
「まずい? 今のこれ見られんの。陸に誤解されたくない?」
「言ってるイミが分かんねえ。重いんだよお前」
「陸のが重いだろ。タッパあるし」

確かに。俺と頭一つ分は違うから、後ろから急に抱きつかれると結構ツライ。衝撃デカくて。

「やらしい。今、何考えた?」
「…………」
 
どうしよう。幹也が本気で陸に見えてきた。
別に期待されているようなコトは考えていない。

「お前と一緒にすんな。いいから退けって」
「冷ったいなあ。さすが、小悪魔言われるだけはある」
「言われねえよ」

男相手に小悪魔は侮辱語だろう。幹也に何を吹き込んだ、あの馬鹿は。
わざとなのか何なのか、圧し掛かってくる勢いで体重を掛けられる。後ろ手に支えてはいるものの、身長差もあるせいでどんどん押されていった。
もうほとんど床に肘が付きそうだ。

「おい……。重い。倒れる」
「倒れとけ。一回でいいからヤラせて」

……こいつ正気か?

「なあ、陸とはどうやってんの? あいつノロケるだけノロケといて肝心なトコの説明が死ねって思うくらいヘタ。シてる時の話んなると、ヤバいとか可愛いとかザックリしたコトしか言わないから結局よく分かんなかった」
「分かんなくていいし」
「最初、どっちが誘った?」
「聞けよ」

噛み合わない。どうにも一方通行だ。
まさか本気で言っているとも思えないが、ここで屈してしまうのはさすがに気が引ける。
倒れないように片腕でどうにか耐えながら、腰に巻きつく幹也の腕を引き剥がそうと掴んだ。

「放せっての。ふざけんのもいい加減にしろ」
「二人帰ってくるまでに一回くらいならヤレる」
「しつこい」
「動じるってこと知らんの?」

自分から仕掛けておいて真っ当な事を返してくる。溜息が出た。
陸だったら殴ってでも蹴ってでも応戦ができる。でも相手が幹也になると、あの変態を目の前にしたとき程の危機感が芽生えないせいか強く出られない。
多少大人しくなった俺に気づき、幹也は顔を上げて目線を寄越してきた。

「なに? 降参? 俺とも試してみる気になった?」
「なんねえよ。お前、そんな奴じゃねえもん」

腕を引き剥がさせるのを諦め、抵抗の手を完全に止める。すると幹也もそれ以上体重をかけてくるのをやめた。
崩れていた体勢をゆっくり引っ張り起こされて、距離のない状態で向かい合っていると再び体に回された腕。抵抗する必要もないから、俺はただ黙っているだけ。
ほんの数秒そうしただけで、幹也はさっきと同じように俺の肩に顔を埋めた。

「当たってる。ユキトはもう、小悪魔決定」
「なんでだよ」
「……チェスト来たら良かったのに。リープじゃなくてチェスト入ってたら、俺はユキトに惚れられる自信あった」

口調だけは、いつもと変わらない穏やかさ。なのに言っている事がらしくない。
だからと言って俺がかけてやれる言葉は無いし、ここで適当に誤魔化してしまう事は筋が通っていない気がした。

こいつが俺に何も望まないというのは、なんとなく雰囲気で伝わってくる。しばらくの間はお互い何も喋らず、幹也は俺を強く抱きしめ、俺はじっと動かずにいた。
ところ、

「おもいー、圭吾ー、俺の腕もげるー」
「うるっせえなッ。お前が余計なもんばっかポンポン買うからだろ!」

少し後だ。玄関が開く音と共に一気に騒がしい声が耳に入ってきた。
お互いの体勢はそのままに、リビングのドアに目を向けて同時に脱力する俺と幹也。
玄関からリビングに続く廊下は、その距離たったの数メートル。

「おっせー……。なあ、ユキト。ちょっとこのままでいて?」
「あ?」

聞き返した瞬間、部屋のドアが開いた。

「だって圭吾がぁ…………っギャー!!」
「待たせたなー……お前ら何してんの?」

先に入ってきたのは陸だった。どう見ても抱き合っているようにしか思えない俺達を目にして、数秒遅れでやかましく叫んだ。
両手に持っていたビニール袋は、床にドサッと落ちて中身の缶が転がり出てきている。

直後に部屋に入った圭吾も冷静に疑問を投げつけてくるけど、当然それ以上のアクションはない。慌ただしく俺達の方に飛び込もうとする陸を見て、呆れた様子で落ちたビニールを拾い上げていた。
ドタドタと、駆け込んでくる馬鹿の勢い。脅威的。

「なんで抱き合ってんだよ!? ミッくん離れろっ、ユキに何してんだ!!」
「抱擁。お前が絶賛してくるからどんなもんかと」
「試すなッ!!」

普段は可愛くもない天然演出をしている奴が、本気モードで突っ込んだ。
俺と幹也の間に割って入り、力任せに引き離すと幹也に背を向ける形で俺を庇った。で、なぜかそのまま抱きついてくる。
鬱陶しい。

「だめだよユキ! 男はみんな狼だから!! 幹也なんかに隙見せたら食べられちゃうから!!」
「どこに目え付いてんだよ、俺だって男だ。頭悪い狼はお前だろ」
「ひどいって! 俺、結構怒ってるからな?! 今のは絶対悪いのユキだよ!!」

うるせえな、ゴチャゴチャと。
母親みたいに口やかましく、偉そうにも説教を垂れてくる。うんざりして無意識に舌打ちすると、はあ?といった感じの顔で憤慨された。
うぜえ。

「なにその態度?! 反省しない奴ってすげえ嫌い!!」
「あっそ」
「あ、じゃあユキト、俺んとこ来いよ。陸はユキトのこと嫌いになったってさ」
「言ってないし! いや、言ったけど……! ミッくん入ってくんな!!」

俺の隣に回り込んできた幹也がここぞとばかりに口を挟んで、早速俺の腕を掴んで引っ張った。対する陸はバシッと幹也の手を追い払い、慌てて自分の腕の中に俺を閉じ込めるという強引さ。
俺はなんだ。猫の子か?
酷いだろう、この扱い。

「放せ。痛い」
「守ってやってんだろ! ミッくんの魔の手からっ」

何が魔の手だ。恩着せがましい。
手を突っぱねて陸の腕から抜け出そうとするも、ギュウギュウに締め付けてきて逃れられない。ところがジトッと睨みつけた時、陸の背後に歩み寄る圭吾の姿に気づいた。
男三人でするには相応しくない会話をしているその横では、買い込んできたものを圭吾が片付けていたようだ。見ればテーブルの上には既に、すぐに要る分だけの酒が並べられている。
幹也がこんな事になってしまっている今、俺が頼れるのは唯一圭吾だけだ。そしてそんな圭吾は俺の期待を裏切ることなく、背後から陸の肩をドガッと蹴り飛ばした。

「ぃったあ! ッ……なにすんの?!」
「うるせえよ。ユキから離れろ変態」

横方向に蹴り飛ばしてくれたから、前にいた俺に被害はナシ。陸はと言うと床に手をついて圭吾に抗議しているから、立ち上がったついでに俺も足蹴にした。
その衝撃でさらに床と仲良くなった陸。より一層反発してくるけど全て聞き流す。
圭吾から受け取ろうとして結局飲めなかったビールを手に取り、憂さ晴らしに立ったまま仰いだ。

「ほら陸、お前のせいだぞ。ユキがヤケ酒してんじゃん」

傍目に俺を窺って圭吾が言うと、即座に立ち上がろうとするのは陸だ。

「ユキちゃんごめんっ。嫌いって嘘だから! 今すぐ慰めてあげ…ぐわッ」

圭吾の蹴りが陸の腹に決まった。そこに幹也も加わって、陸はゲシゲシと圧制されていく。
楽しいかも。ビール片手に暴行劇を見物する俺。

「ちょっ……おい、ちょっと! 待った、タンマ、痛いって! ユキちゃん見てないで助けて!!」

いい気味。

「そいつ伸すまでヤレよ。したら三人で飲み直そ」
「りょーかーい」
「任せとけー」

さすが、陸を足蹴にできるとあってはノリがいい。二人は本格的に陸を抑え込み始めた。
普段から体を駆使している男二人が相手だから、陸と言えどもこれにはタジタジ。

「ユキちゃーんっ!!」

陸の悲鳴で俺達三人は吹き出した。










***










散々飲んで、散々騒いで、疲れ果てた男四人はリビングで雑魚寝。このメンツで集まれば、昔から大体こうだった。
変わったことと言えば部屋の広さ位か。極貧レベルだったあの頃が懐かしい。

四、五人も男が揃った日には、部屋の中はパンク寸前にもなった。昔に比べれば、多少なりとも生活力がついた。少しずつでも、毎日成長していると思いたい。
だけど現状には満足するべきじゃないだろう。俺と陸に至っては、スタジオの赤字を出さないだけでも奇跡だ。

あのスタジオで集客を可能にさせているのは、大部分が陸の名前による効果。たとえば純なんかがそうだ。あいつは陸を知っていて、ウチに入ってくれた一人。

電気の点いたリビングでふと目が覚め、一度起きてしまうとすぐに寝付けそうにはなかった。重い上体を起こしてヨロヨロと立ち上がり、ザッパに転がっている男共を避けながらベランダに出た。
カラカラと窓を閉め、一人でぼおっと当たる夜風。酒の入った体には丁度いいかもしれない。

「…………」

三階のベランダで手すりに寄り掛かり、前方を眺めても大したものはない。ここのマンションの真ん前には、ちょっとした公園があるだけ。
俺も陸も、毎日見ているものはそう変わりない。同じようなものを見て、同じように朝から晩まで過ごしている。

いつだったか、お前の考えていることくらい分かると。そんな偉そうなことを陸に向って言ったことがあった。
だけど本当は分からない。何年経っても、陸が何を考えてどう思っているかなんて俺には分からない。

あいつの経歴は、傍から見るとかなり意味不明。
人前に立つのが好きな本場育ち。生活環境の中でそのままダンスにのめり込み、本人はあまり口に出して言いはしないけど、コンテストなんかで残してきた実績は相当のもの。
それなのにスタジオとか、関係企業とかから、いくら声がかかろうと全て蹴る。折角の誘いを断って何をするのかと思えば、そこで言い出したのがダンス渡米だった。しかしそれも直前で取り止めて、選んだ道が今のコレ。
パフォーマンスからは途中でリタイアした、俺との切羽詰まった教室運営だ。

さっき幹也にはああ言ったけど、これでいいのかとずっと思ってきた。こんな考えは早くやめようと思っても、陸を近くで見ているとどうしても頭に過ぎる。
もしもあの時、俺が陸を突き放していたら。振り返ることなく、陸に縋りたい気持ちを抑えていたら。

こんなことは、自意識過剰かもしれない。あれでいて陸は意思の強い奴だ。明るいバカにしか見えないけど、実際の陸は他人に左右されることがない。

「…………」

分からない。俺にはあいつが。
手摺りの上で頬杖をついて、どこをと言う訳でもなく眺め続けた。するとそんな時後ろで窓が開き、チラッと目を向けてみれば外に出てくるのは陸。
何も言わずに再び前を見つめるとその横に立ってきて、セクハラおやじのような手つきで尻を撫でてきたから叩き落とした。

「やめろ」
「夜風以上に冷たいね」
「つまんねえよ」

スペースは十分あるというのに、懲りずにくっついてくる。しかし今度は俺が手を出さないと分かると、当たり前のように肩を抱いてきた。

「さっき、ホントになんもなかった?」
「何が」
「ミッくんと。人がいない間に抱き合ってるから、もーおビックリしたっ」
「抱き合ってねえよ。あいつがふざけてただけだ」

シレっと言ってのけると、陸は小さく笑っただけでそれ以上何も言ってこない。俺の肩に回した腕を自然な動作で引き寄せて、横から恥ずかしげもなく額に口付けた。
髪を隔てて伝わる感触。最初に誘ったのはどっちだったと幹也に聞かれたが、あれは多分、俺からだったと思う。

弱っていて、一番ツラかった時。精神的に参っていた俺は、精一杯明るくしようとしていた陸を利用した。
なんでも良かった。ただもう、どうでも良くなっていて。言葉にはせず、だけど懸命に励まそうとしてくれている陸を目の前に、一番してはいけない事をした。

腕に縋って、名前を呼んだだけ。俺がしたのはそれだけだけど、でも確信はあった。
何も考えたくなかった。あの時は何もかもが面倒で。
どうにでもしてくれる奴がほしかった。

「陸……」
「ん?」

放してやるなら、今しかないと思う。甘やかしてくれるから遠慮も何もなく甘えてきたけど、陸は俺のモノじゃない。

「幹也がな……来ねえかって。あいつらのメンバーとして」
「んー? なに、ソレは? 勧誘ってこと?」
「……お前、表に戻る気ある?」

横を向くことはできなかった。陸とは目を合わせずに、前方を向いて答えを待った。
ところが陸は無言のままで、抱いていた俺の肩からスッと腕を引いた。それによって重みが消えて、残るのは空虚感。

勝手な申し出に怒ったか、失望したかは分からない。でもとにかく顔は見られない。

「陸にその気があるんなら……」
「ユキは?」

遮られ、口を噤んだ。陸の目がじっと俺を見据えているのが分かる。

「ユキは行かないけど、俺には行きたきゃ行けって。そういう事?」
「…………」

静かな声。淡々とした問いかけに、素っ気なくそうだと言い返すことは難しそうだ。

「本気で邪魔になった?」
「……え?」
「もう俺はいらない?」

いらない。その一言にハッとして思わず顔を上げた。
心臓に感じる冷たさ。陸の言葉と、その声で。

その瞬間どっと押し寄せてきた、訳の分からない蟠ったもの。悲しいとか辛いとかではなくて、どちらかと言うと、怖いとか寂しいとか。
とんでもない事を言ったんだと、直後になって気がついた。陸が望めばいつでも解放してやれると思っていたのに、それが思い上がりに過ぎなかったと理解した。

日数の単位とは違う。何年もだ。
陸が俺の前に戻ってきてから今までずっと悩んでいたはずだった。それが今この一瞬で、全部の答えが出た。

「ちが、……っリク」

急に息が詰まるような気分になってきて、咄嗟に陸を呼んだ声は思いの他か細い。
だけど体ごと横に向けて見上げた先、そこにいたのは怒っている陸でも呆れている陸でもなかった。縋るように一歩足を出した俺を見て、クスッと。一度放した手をもう一度伸ばし、俺の頭にポンと手を乗せた。

「泣きそう、ユキちゃん」

言って、すぐに抱きしめられる。目にした笑顔に加えてこの温かさ。
不覚にも、安堵した。

「ゴメンね。今のはちょっとイジワル。ユキが酷いこと言うから」
「…………」
「……ごめん。そんなカオしてくれるとは思わなかった」

どんな顔だろう。分かるのは陸しかいない。
俺の意思を無視して目元が堪え様もなく熱くなってくるから、頬に手を添えられても俯いていた。
すると陸は俺の頭に手を置いたまま、軽く身を屈めて近い位置から顔を覗き込んでくる。

みっともない。目の前で、情けないトコロを。
そう思って咄嗟に顔の向きを逸らしたけど、効果の程は無いに等しい。

「いつからこんなに弱くなっちゃった?」
「……なってねえよ」

鼻をすする寸前で言い返しても格好がつかない。でも実際は、こいつにそんなものは不要だ。
陸は柔らかく笑って、俺の頭に乗せた手を引き寄せた。その肩に顔を埋めさせられ、もう片方の手がポンポンと背中を撫でてくる。

落ち着く。有り得ないくらい落ち着く。

「……ムカつく。陸のくせに」
「ねー。俺のくせにこんなカッコイイことしちゃうと、ユキちゃんの立場無いもんねえ。足場ガッタガタだよねえ」
「……お前、キライ」
「俺は好き」

恥もせず、惜しみもせず、好きだ何だと。外国育ちはこれだから嫌いだ。

ほとんど陸に体を預け、受け止めてくれるままに腕を伸ばした。強く抱きしめれば倍にして返してくる。
ウザくてどうしようもないこの馬鹿に、こうされている時が一番落ち着くなんてことは。絶対に言えない。


「ユキ……。いつかさ・・・…またやろうよ、俺達も」
「…………」
「二人で一緒に」

陸と。
二人で。

「…………そうだな」

一緒に。










***










翌朝、目が覚めたのはリビングではなくベッドの上だった。あの二人よりも早く起きれば大丈夫という陸の言葉に唆されて、誘いに乗った夕べを激しく悔やむ。
時計を見ればすでに十時過ぎ。今日は水曜でスタジオも休みだから仕事に問題はないけど、恐る恐るリビングに行った時には当然二人の姿はそこにない。
散らかったままの缶やら空の袋やらに紛れ、テーブルの上に残されていたのはメモ帳か何かの紙切れだった。見たくない気持ちを精一杯に堪え、取り上げたそこに記された文字。

程々にな。

「…………」

圭吾の字っぽいんだけど、絶対バレてるよなこれは。

二日酔いも相まって、頭痛に苛まれながらテーブルの上に紙切れを落とした。そんな時に開いたリビングのドアからは、陸がヒョコッと顔を出してきた。

「あ、おはよーユキちゃん。風呂沸かしたトコだけど入る?」
「おい……」
「ん? あれ、もしかして一緒に入りたいとか? やだなー、何いまさら遠慮なんかしてんの」
「違う。これ」

朝っぱらから下らない冗談を楽しむ陸を睨みつけ、再び拾い上げたメモ書きを押し付けた。
一瞬で目に入る文字数だ。しかし陸は一向に顔色を変えない。興味も湧かなかったらしく無造作に放り投げただけで、至って平然としている。

「圭吾かあ。アナログに書置きってのが嫌味っぽくてヤダねー」
「そこじゃねえだろ。バレたんだぞ、あいつにまで。お前は幹也にしょうもねえこと言ったらしいけど圭吾にまで……。たぶん、見られたか聞かれたかしたろ」
「野暮なことするよなあ」
「…………」

まあ、この恥知らずから常識を聞き出そうとしても無駄か。意味のない期待をしたと肩を落としたが、帰ってきた言葉は俺の想像を超えていた。

「でも平気だよ。圭吾だって知ってるもん、俺らのこと」
「……あ?」
「話しちゃった。つい。前回会った時のー……前の前の前の前くらい?」

結構前じゃねえかよ。ついってなんだ、ついって。

「お前な……」
「今度からは堂々とイチャつけるねー。もうちょいミッくん、牽制しないと」
「……俺やっぱ、お前キライ」
「そう? じゃあその分、俺がユキのこと愛しとく!」

…………疲れる。

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