誘い受け

わこ

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近くにちょこんと座り、そっと寄りかかる

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時々錯覚しそうになる。不毛でしかないこの関係が、実は本物なんじゃないかと。
 
 
 
 
 
「やっぱ落ち着くなあ。明菜くんの体温って」

簡単にそんな言葉を口に出し、隣から俺の肩に凭れ掛かってくるこの男。ゴロゴロと懐かれていると猫でも飼っている気分になる。
擦り寄ってきたかと思えば左腕を取られ、腕に抱きつきながらやんわりと体重をかけられた。

「うん。落ち着く」
 
満足そうに呟いて、俺の肩に加わる重みが増す。顔をチラッと覗き込むと目を閉じているのが分かった。

「……ねみいの?」

問いかけるとクスッと小さな笑い声で返され、俺の腕を抱きかかえていた手がスッと頬に伸びてきた。
輪郭に沿って指先をゆっくり辿らせながら、誘うような目つきで俺を見上げて追い立ててくる。
 
「そうだね。あったかいと眠いかな。明菜くん、体温高いから」
「…………」

顎を撫でる指先が下へ下へと落ちていく。喉仏を通り鎖骨の間の窪みを辿り、胸の上に届いた手でプチッとシャツのボタンが外された。
上から順に、一つ二つと。露わになった胸元には迷うことなく顔を寄せ、形のいい唇が肌に触れる。

「……柚紀」
「んー?」
「眠いんじゃねえの」
「うん。眠い。けど俺、眠気はあっても寝付きは悪いからさ……」

男をおかしくさせるその目。艶っぽい笑みを薄く浮かべた綺麗なカオが、煽りたてるように俺を見上げていた。

「寝かしつけてよ」
「…………」

これは柚紀にとって仕事の延長にしか過ぎない。








***








会社の同僚に無理矢理誘われて付いて行った風俗だった。マッサージから本番までなんでもアリな店。
そんな誘い文句に一瞬でも心が揺らいだのは認めざるを得ない事実だったが、しかしそこが売り專だなんて話は聞いてはいなかった。

道すがら、同僚にその真実を明かされた俺はもちろん帰ると即決した。男を相手に抜けるはずがない、むしろ生涯のトラウマになる。
そう断固拒否した俺だったが、体育会系の同僚はそれでも尚ノリと勢いで俺を店に押し込んだ。

訳も分からぬままに通された個室は意外にも下品な雰囲気とは遠い。ボーイを待つ数分間は、別室に入った同僚を恨みながらベッドの淵に座って過ごした。


「……どんなシュミだよ」

まさかあの同僚にこんな性的嗜好があったとは。
入店前、渋面に内心の思いを露呈させていた俺に対して自分はゲイではないと主張していたが、だったらどうしてこんな店に連れてくる。金を払って遊ぶならどう考えても女の方がいい。
ベッドに腰掛けたまま項垂れ、両手で頭を押さえて不本意な事態に溜息をついた。これはもう仕方がない。楽しんでいるであろう同僚は置いて自分一人で先に帰ろう。

そんな考えに至ったところで部屋のドアが開き、元よりサービスを受ける気などない事に一言謝罪を添えようと顔を上げた。
すみません、やっぱ帰ります。そんな類の言葉を発するはずだった。しかし目の前に歩いてきた男を見た瞬間、俺は思わず息を呑んだ。

「…………」
「初めまして。アラタです」

女じゃない。当然だ。だけど雰囲気のあるその存在は、たった一瞬で俺の全てを飲みこんだ。

風俗嬢のような派手さはなく、服装は極めてシンプルなスーツ。しかしそうかと言って質素と言う身なりでもない。真っ黒な髪と白い肌が映えるそれは、むしろ上質な匂いを漂わせた。
そこらにいるヘルスともホストともまた違った目の前の存在。欲を吐き捨てるためだけの部屋にあってさえ、この男にはどこか品のようなものがあった。
だがそれとは裏腹にゾクッとしそうな妖艶さが滲み出たこの姿は、一概に水商売と言えど他とは一線を画している。

ゴクリと、自分の喉が鳴るのが分かった。

「…………」
「こういう所初めてですか? 緊張してます?」
「いや……」

ギシッと、落ち着いた動作で俺の隣に腰を下ろした男。黙りこむ俺を見て口元に笑みを浮かべ、スッと肩に手が乗せられた。

「あ、の……」
「どうします? この店割となんでもオッケーなんでイロイロ遊べますよ?」

肩に置かれた手がスルスルと腕を伝い下りていく。シーツの上で手の甲に指先が触れ、ピクリと僅かな反応を示した所でやんわりと重ねて握られた。
先輩に連れられて風俗を体験した事はあったが、あの時の女よりも一層の緊張感がある。ばくばくと煩い心臓の音が頭にまで響き、真隣りの艶めかしい顔に生唾を呑みこんだ。

男に興味なんてない。そのはずなのに。薄く微笑んだ口元も、涼しげな目元も、目に映る男の姿全てが俺の理性をつついていた。
このままいくと危ない気がする。認めたくはないがそう思った。風俗とは言え男と過ちを犯すなんて真似はしたくないから、引き込まれそうな目からは無理矢理顔を背け、重ねられていた手からもぎこちなく逃れた。

「あの、俺…」

帰るんで。金なら置いて行くからもう帰らせろ。
そんな心づもりで口を開いた。ところがチラッと視界に映した男の顔に、またもや何も言えずに黙りこむことになる。

「どうしました……?」

ゾクリとするような声は同じ男の物なのに、少し耳にしただけで動けなくなる。
客の扱いを心得たプロの仕事と言うものだろう。しかしそこまで分かっていても、再び伸ばされた男の手に呼吸が止まりかけた。

重ねられたのはさっきのように手の上ではなく、その行先は俺の足。太腿の、酷くきわどい微妙な位置にさり気ない所作で手を乗せ、内側にかけてゆっくりとなぞっていく。

「っ……」
「俺、はじめてのお客さんには聞いてるんですけど……」

顔が近い。涼しい表情で、しかしその目と指先はしっかりと俺を煽る。少し低い目線から迫られ、男とは反対側に後ろ手を付いて逃げるように体重をかけた。
すると更に迫ってくる。決して強引な雰囲気は伴わず、誘い込むその目付きでゆっくりと。

「キスは……」
「ちょっ、と……」
「アリですか……?」

スッと、男の顔が傾き唇が掠める。その瞬間、俺の中で何かがキレた。

我ながら情けない忍耐力だと思う。その後はもうなんだかよく覚えていない。
プロの男に誘われて、アッサリ誘いに乗った俺は料金分の時間を精一杯楽しんだ。

後になってあの店に俺を連れて行った同僚に聞かされたことだが、あの晩の俺の相手は店の指名率ナンバーワンだそうだ。
源氏名だろう、アラタというその名前。それをそのままを口に出した途端、同僚は目の色を変えて羨ましがった。

同僚の常連具合が発覚した事はさておき、まあ確かに凄かった。あれがプロの所業なのかと言うものを体験させられた。
だがもう二度と行く事はないだろう。金を払って男を抱くなんて今後一生涯ごめんだ。






そう思った。思ったはずだった。
ところが次の晩には正直なこの体が昨夜の情事を想い出していて、さらにその二日後には結局アラタをネタにするところまで陥った。

駄目だいけない正気に戻れと自分に言い聞かせる事十日、とうとうどうにもならなくなった俺が訪れたのはあの風俗店だ。
店に入るまでは悶々と悩み抜いていたものの、アラタのあの艶めかしい笑みを目にすれば全てが吹っ飛ぶ。耐え抜いた十日間を取り戻すかのように男の身体を貪り尽くした。





「…………すみません」
「はい?」
「いや……その……」

妙な爽快感と共に明らかな疲労も感じながら服を身に付けていく最中、アラタからは顔を背けて呟いた。
理性なんてものは真っ更に消え去っていた。相当メチャクチャやった気もするがやはりよく覚えていない。

一般的な風俗だってほぼ経験のない俺は、おそらく過度な負荷をかけたであろうアラタに対して頭が上がらなくなっていた。
売り專とは言え、たとえ許容範囲の広い店とは言え、自分がああも欲望を剥き出しにできる人間だとは知らなかった。

会社帰りに家に向かうはずだった足が、勝手にここを目指したから着こんだものも朝と同じスーツだ。
ジャケットまで全て羽織り、気まずくベッドの淵から腰を浮かせようとすると斜め後ろから手が伸びてきた。

スッと肩に触れ、変わらぬやんわりとした仕草で腕に緩く抱きつかれる。

「……あの」
「はじめてですよ。終わった後に謝るお客さんなんて」

クスクスと小さな笑みと共に俺を見上げているのが分かり、誘われるまま顔を向けると視線が絡んだ。擦り寄られて触れる体が熱を持ち、すぐさま目を逸らそうとすると今度は頬へと触れられた。
指先が肌を撫でていく。緊張感に身を硬くさせれば、宥めるつもりか煽るつもりか、元より無い距離をさらに詰められる。

「実は俺も謝らないとなりません。この前あなたに嘘つきました」
「……え?」

突如そう切り出され、何のことか分からず逸らしかけた目を戻す。読めないアラタの表情に黙ったままでいると頬を辿っていた指先が唇に添えられ、形を確かめるかのようにしてなぞられた。

「この前、キスはアリか確かめるって言いましたけど、あれ嘘です」
「…………」
「自分からキスしたのはあなたが初めてだった」

スルッと首に腕が回され、弱い力で引かれたが抗う理由はなかった。ついさっきもベッドの上で重ねた唇を合わせる。
これ以上堪える事もできなくなって、アラタの体を抱き寄せたのはすぐ後のこと。

「これからは外でも会えませんか?」

控え目に問われた。俺に体を預けるこの男はプロなんだと十分理解している。
だけどこれにノーと言える男がいたなら、是非ともお目にかかってみたいと言うものだ。





そんな事があったのも一年以上前の話しだ。
プライベートで連絡を取り合うようになってから本名は柚紀だと教えられたが、俺は名前と電話番号くらいしか未だにこの男の事を何も知らない。本名だと言うその名も実際の所はどうなのかは分からなかった。

俺が住むこのマンションの一室に初めて柚紀を招いた時、情事の後に色気も何もなく財布を手にしようとしたらすぐさま止められた。
出張サービスなんかじゃないから。そう断言した柚紀に戸惑ったのは、俺はその時柚紀がここに来た理由は仕事だと思いこんでいたためだ。

正直なところ偏見的な考えに気まずさを感じるよりも困惑が先に立った。売り專の男から外でも会いたいと言われ、金が絡む商売だと咄嗟に判断した事は多分おかしいとは言えないだろう。
だってそうでなければ理由が分からない。だけど最初の時から今日まで、柚紀が俺から金を受け取った事は確かになかった。




「横になった方が楽なんじゃねえの?」
「んー。こっちの方が落ち着く」
「なら別にいいけど……」

寝かしつけてと言って俺を誘った割に、柚紀は終わった後も体を休める気配がなかった。ベッドの上で壁に背を預けて一服する俺の隣、そっと肩に寄り掛かってくる柚紀の低い体温は肌に馴染んで心地良い。
職業病なのかなんなのか、常に醸し出される扇情的な雰囲気からは一年経った今でもやはり目を逸らしたくなる。ちょっとでも気を抜けば抱きしめたい衝動に駆られて抑えが利かなくなるだろう。

だけどそういう訳にもいかない。今はこうして俺の隣にいるが、あと数時間もすればこいつは俺ではない別の男を相手にしている。
さっきまでは俺の腕の中で俺だけのものだったはずなのに、柚紀のこの手は躊躇いもなく男の客の体に触れ、金を出す相手ならば最後までさせる事も常だ。

漂う紫煙を無感情に眺め、ナイトテーブルに腕を伸ばした。まだ長さの残るそれを灰皿に擦りつける。
隣に顔を向けて俺に凭れ掛かる柚希に触れて、いつも自分がされているようにその整った輪郭を指先で辿った。

僅かに瞼を伏せ、細めた目で柚紀が俺を目に映す。空いた手は当然のごとく柚紀が握り、預けるだけだった体も摺り寄せてきた。

「……キスして」

同じ男であることが、同じ生き物であることが不思議なくらいのこの色気。言われるままに壁から腰を離し、柚希の唇をそっと塞いだ。
独り占めできるのはこの時間だけだ。柚希が俺のモノでいるのはこの部屋にいる時だけ。ここから一歩外へ出れば、金にもならない俺との情交なんて忘れ去るんだろう。
余りにも不毛な関係だと頭では分かっていても、僅かな時間を手放す事はできそうになかった。


好きだと言った事はない。抱くついで、流れに任せて常套句として囁いた事さえない。
柚紀は言われる事を望んでいないし、俺は言わない事で逃げ道を作っていた。もしもまだこの関係が続いたとしても、俺はその言葉だけは決して言えないだろう。


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