浮き世にて

わこ

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3.古物店Ⅱ

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「…………」

 来てしまった。そう思うほかない。

 チェーン展開している大型のリサイクルショップにでも持って行く手段はあった。しかしながら握りしめているのは小さな漆の鏡一つ。これだけを店頭に出すというのもなんだか。
 それにいくら怪しい店でも、今の時代にネット外の口コミで噂になる程の個人店ならば商売としても成功しているのだろう。それなら人の足元を見ずに正当な価格評価をしてくれそう。そんな偏見じみた考えもあった。
 そしてもう一つ付け足すのであれば、せっかくだし美人を生で見てみたい。そういう邪な心もいささか。

 そういう訳でこの路地に来た。意を決し、トボトボと情けなく歩きだし、ゆっくり一歩ずつ突き当りへと進む
 しばらく行くと周りに比べてやや古びたように見える木造の建物が現れた。看板も何も出てはいない。どことなく浮いていてちょっと異質。おそらくあれが、例の古物店だろう。

 浮世離れ。とまではいかないものの、周りの雰囲気とは一線を隔している。古めかしいからか、それとも静寂に包まれているからなのか。この空気感の正体は分からないがとにかく進む足も緊張で重くなる。
 それでもどうにか辿り着いた先。正面入り口の戸にそっと手を掛けた。するとそこで不意に気づいた。看板はないかと思っていたら、戸口横にひっそりと掛札が吊るされている。

『一来堂』。それが店の名なのだろう。

 やる気があるのかそれともないのか。謎しかない店ではあるが、美人店主がこの中にいる。それだけを心の支えに、数秒ほどためらった後にようやくガラッと引き戸を開けた。

「ごめんくださ、い……」

 呼びかけた。しかし返事はない。シンと静まり返った店の中。良く晴れた外に比べると薄暗いように一瞬感じたが、ぐるりと店内を見回してみれば日の光を目一杯に溜め込んで明るい。

「すみません……」

 もう一度呼びかけ、しかしそれでも誰かがやってくる気配はない。どうしたものか。再度口を開きかけたところで、シャン、と高い鈴の音。それと一緒に小さな足音が近づいてきて、奥の障子戸が開かれた。
 シャラン。同じ鈴の音をまた耳が拾う。発信源はきっと俺が見ているそれ。中から出てきた和装の男が、手にしている変な鈴だ。
 キーホルダーとか猫の首とかにくっついている安っぽいあれじゃない。普段目にするちっちゃい鈴とは様相が大分違った。
 大振りの鈴が付けられたそれ。神社とかで見るやつ。いわゆる、神楽鈴。年末年始のテレビ中継で巫女さんが持っていたりするあれだ。

「あの……」

 キョトンとする俺の前で、男は持っていた鈴をスッと静かにカウンターの上に置いた。
 老舗旅館か時代劇でしか見ない和服。和装とは言え堅くはなり過ぎず、着物に帯を結んだ着流し。すらっとした体を濃紺の生地で纏い、男にしては異様に整った顔立ちはむしろ、どこか恐い。

 真っ直ぐな黒髪は艶やかだ。超イケメン。ていうか、大層な美男。そう言った方がしっくりきそうだ。
 不躾にもその顔を食い入るように見つめる俺の、すぐ近くまで歩いてきた色っぽい男前。表情を一切変えることもなく丁寧にそっと頭を下げてきた。

「大変お待たせいたしました。お探し物でしょうか」
「あ……いえ……」
「では、何かお売りになりますか」

 淡々と問われて少々たじろぐ。物静かな口調はどこにも隙がなく、丁寧なのになぜか圧倒される。
 しっかりと交わる視線を外すに外せず、美人による無言の圧力に負けて慌ててポケットの中に手を突っ込んだ。

「あの……これ、お願いしたくて。たいした物ではないと思うんですけど、いくらになるかだけでも……見ていただけると……」
「かしこまりました。お預かりいたします」

 ぎこちなく述べる俺の手から男は鏡を受け取った。
 しばらく眺め、物の状態を確かめることほんの数秒。いったん顔を上げると俺へと目を戻し、すっと手を差出してカウンターの傍にある腰掛へと促した。

「どうぞこちらへ。お掛けになってお待ちください」
「あ……はい……」

 手つきの一つ一つ。声の調子や涼しげな表情も。同じ男であるはずなのに、この色っぽさは一体どこから。
 不思議な男に言われた通り腰掛けにぎくしゃくと座った。カウンターに入って鏡を見つめるその男をここから眺める。

 淡々と鑑定される。その表情が崩れることはない。時折前髪から覗く切れ長の目元に、なんだかこう。変な感覚が。
 ついついじっくり見つめている自分にハッとして慌てて視線を逸らした。

 この店は従業員まで綺麗なのか。しかも和服がユニフォームなのか。和風美人だという女店主はいまここにはいないのだろうか。

 従業員だろうこの男を見ているとなんともおかしな気分になってくるので、あとはもう店内の観察でもするしかない。
 入口からすぐ目に入る場所には「古物商」と思いっきり入っているプレートが掲げてあった。そこだけ風情もへったくれもないが営業許可証みたいなやつだろう。古物商の刻印の下にはこの店の名前、一来堂。上には長い数字の羅列。怪しいけど法に則った店だ。

 グルリと一周、室内を見回す。ちゃんとした店ではあるのだろうが、見れば見るほど意味が分からない。綺麗に整頓された空間ではあるが並んでいる物は理解不能だった。
 茶器や椀などの一般的に言われる骨董品であったり、どう使えばいいのか分からない大型の彫刻だったり、整然とした店内の様子とは裏腹に置いてある物の内容は支離滅裂。なんの店なのかと問われたとしても一言では答えにくい。

 その辺にあるガチャガチャしたリサイクルショップとは質が違う。失敗したかもしれない。ここはあれだ。ガチの店だ。
 本気度の高い古物商でこんな鏡が売れるとは思えない。

「お客様」
「あ、はい!」

 不安が急激にこみあげてきたその時、静かな声に呼びかけられた。良い返事とともに元気よく立ち上がる。やかましい俺とは対照的に、この人はカウンターから丁寧な所作で出てきた。
 再びこの人は俺の目の前。俺の目線は少し上に向く。美人な男を前にして逃げ出したくなってきた。

「まずはこちら、一旦お返しいたします」
「はぁ……あ、え、買い取り不可ですか?」
「いいえ、とんでもない。額面にご納得頂ければお引き取りいたします」

 続けて差し出されたのはクリップボードに挟まれた査定書。ついられてフイッと目を落とした。
 ゼロを数える。二万か三万くらいにでもなればいい。いやそんな贅沢は言わない。万札一枚でもあれば十分だ。前に一度極限節約を実験的に試してみた時に二週間を一万で乗り切ったことがある。今回のこれも次の給料日までをどうにか凌げさえすればいい。
 意外にも高価なものだった。そんな夢みたいな話はそうそうない。だから謙虚に心から願った。どうか頼むから一万円くらいには。そう思いつつ数えたゼロは、三つ。

「……あぁ……」

 だよな。現実とはこういうものだ。全くもって甘くない。
 手元の鑑定書にはゼロが三つ。カンマで区切られたその前の数字は二。ゼロが一個とか二個なんかではなく、千円どころか二千円という値が付いただけでもいい方かもしれない。

 差し出されたボードを返した。俺みたいな客の反応には慣れているのだろう。この人は顔色を変えることなくそっと丁寧に鑑定書を受け取り、いかがなさいますかとの定型文を淡々と口にした。

「こちらは昭和初期に作られた物です。とても状態がいいので保管の仕方が漆にとって好ましかったのでしょう。ただこの鏡は当時大量生産された物でして、今でも古物市場では多く出回っております。そのため物としての価値はさほど高くありません」

 鑑定結果を静かに聞かされる。たかだか二千円。されども二千円だ。今の俺にとって不要な金などない。
 現在の所持金三桁から脱却できるのであれば、もういいかな。換金しちゃおうか。藁にもすがりたい状況で気持ちは揺らぐが、しかしやっぱり二千円。給料日まで残り半月弱という日数を考えてみると、その額ではどうしたって心許ない。これで生きていくのはかなり難しい。

 それに何より、形見の品。売っ払おうとしたくせしてどの口がって自分でも思うが、たかだか二枚の紙幣欲しさにばあちゃんが持たせてくれたこれを他人に譲ってしまってもいいものかどうか。じいちゃんが生前やらかした証の品でもあるが。

 うんうん唸る俺をこの人は急かしてこない。気長に待っていてくれるけれど、このまま唸り続けるわけにもいかないだろう。
 売るか。売らないか。二週間塩と水だけチャレンジをしてみるか。
 この年で惨めな死に方はしたくないな。二十一世紀の日本にて死因が栄養失調だなんて。焦りとともに選択を迫られ、売ります。そう言いかけたその時。

「ところでひとつお伺いしたいのですが、こちらは元からお客様のお持ち物だったのでしょうか」
「え……」

 問われ、一瞬考えて、そしてハッと。声を上げた。

「ッもちろんです!」

 思わず叫んでいる。その目を真っ直ぐに見返した。
 店を怪しがっている場合じゃない。考えてみれば確かに怪しいのは俺の方だろう。
 鑑定を依頼したのは漆塗りのコンパクト鏡だ。男が持つには不釣り合いだし、古物屋とか質屋の業界には盗品その他やましい物品の転売も少なくないはず。たいした価値にはならなかったとは言え、犯罪の疑いをかけられてはたまったもんじゃない。だから慌てて答えた。
 しかしこの人は至って平然と。軽く首を左右に振って、ゆっくりと言葉を続けた。

「大変失礼いたしました。言葉が足りずご不快な思いをさせてしまい申し訳ありません。年代的に古い鏡ですので、どなたかがお客様にお譲りになったのかと」
「え……あ……あぁ……すみません」
「とんでもない。こちらこそ」
「…………」

 全然違った。疑われていなかった。俺の早とちりと気付いたあとにやって来るのは微妙な空気。
 気まずさの中で苦し紛れに視線を下げた。手の中に収まる鏡を見下ろす。

「……いや……実はこれ、じいちゃんの形見なんです」
「形見?」
「はい……あー、その、情けない話なんですけど俺いま今日食う飯にも困ってる状況でして。金目のものなんて他に持ってねえし、じいちゃんには申し訳ないけど食い繋ぐにはこれしかないかなって」
「そうでしたか」

 ひとつ頷き、この人は自ら記入した査定書に目をやった。その光景を視界に入れつつ、俺の口から零れるのは控えめなため息のみ。売るか、売らぬか。たったそれだけの話ではあるが、されどそれだけの話でもある。
 二千円。大金だ。今の俺には。背に腹は代えられない。
 そこでとうとう顔を上げた。じいちゃんゴメンな。もう一度胸の内で繰り返し、ため息しか出てこない口を重たく開いた。しかし。

「差し出がましいようですが、おじい様の形見の品をこのような形で手放してしまっては後悔なさるかもしれません」

 良く通る澄んだ声を聞いた。俺が売るというよりも早く、この人が淡々とそう言っていた。
 ぐっと詰まる。俺だってそう思う。大した金にはならない上に残念な過去の思い出というしょうもない付属物もあるが、それでも俺のじいちゃんの形見だ。何よりこれを持たせてくれたばあちゃんの顔を思いだすと、さすがにちょっと。心が痛む。
 優柔不断な俺を前にして、この人は再び小さく頷いた。

「もしもよろしければ、私にこの鏡をお譲りいただけませんか」
「……はい?」

 とても丁寧な文章なのだが、何を言われたのか一瞬分からない。この人は鑑定書に目をやり、それをカウンターに置くと再び顔を上げた。
 惹きこまれそうな切れ長の目からは感情が読み取りにくかった。店の中は温かいがその目は静かで、やや温度が低い。口調はそれ以上に淡々としている。

「質入れとでも思っていただければ」
「しち……え?」
「とは言えここで質屋としての商いは致しておりませんので、私が個人的に買い取らせていただきます。その後でお客様のご都合がよろしい頃にお買い戻しください」

 ポカンとしたまま綺麗な顔を見つめた。これは大型のリサイクルショップに行っていたらまず返ってこない答えだろう。そんな返答を受けてしまって、ただただ両目がパチクリする。
 質入れ。質入れって、あれだよな。物を預けて金を借りるやつ。借金する場合の担保。

「いかほどご入り用でしょうか」
「へ?」
「それ相応の金額でお引き受け致します。店の商品としてではなく、私個人がお預かりいたしますのでご安心ください。誰かの手に渡ることはありません」
「え……でも……」
「申し上げた通りここは質屋ではありません。期限も利子もございませんので、その点もご安心を」
「や、そうではなくて……」

 こんなご時世だ。こんなご時世にこんなうまい話がその辺にゴロゴロ転がっているはずがない。はずがないのに、なんか目の前にある。今ここに転がっている。

 今日初めて知り合った同士。俺にはなんの保証もない。何せ今日食うメシにも困っているようなしょうもねえ野郎だ。そんな男から鏡を預かり、その代わりに金を貸してくれると言う。金を返しに来る保証などない、ただの客にそんなことを言ってくる。
 分からない。なんだこれは。詐欺か。なんなんだ。上手い話であればあるほどとんでもない裏があったりもする。

 誰彼構わず人を信じるとバカを見るような世の中だけれど、この人はどうにも不思議な雰囲気だが、悪い人とは違う気がする。
 普段からこんなことをしているのだろうか。金に困っている奴を助けるのだろうか。困惑が深まるばかりで気づけば眉間も寄っていたが、この人は俺の視線を受けても何食わぬ顔をしているだけだ。この手へとそっと目を落とし、この人は鏡を見ながら再びゆっくりと口を開いた。

「古物はただの物とは異なります。この鏡はおそらくとても丁寧に保管されてきたのでしょう。ここまで綺麗に状態を留めているのですから」

 それをしていたのはばあちゃんだ。生涯を共にすると決めた男があろうことかよその女のために。それを知りながらあの時までずっと、捨てることも壊すこともせず大事に大事に手元に置いていた。

「慈しむべき物に商品としての値打ちを付けるのは人間の身勝手と言うもの。ですのでご了承さえいただければ、私がこの鏡をお引き受けいたします」

 この人の言葉には表も裏もない。ただただこの小さな形見を、人の手により保管されてきた古いだけのこの鏡を、物の価値と市場価値とを切り離して見てくれる。

 大学を出てからずっと続けてきたフリーター生活の中、自らの人生に向ける眼差しなんてものは大分冷めきった。
 だけど今日、この人に出会った。自分の利益にならない提案を、初対面の人間にしてくれる人。

「……いいんですか……? だってそれ、ホントは二千円なんでしょう?」
「無粋な市場価値と物の真価とでは異なります。こんな商売をしている私に言えたものではありませんが」
「でもあなたには、なんの得にもならないんじゃ……。店主さんとかに怒られません……?」
「ああ、それなら……」

 途中まで言いかけ、そして懐に手を差し入れたこの人。何か小さな、ケースを取り出し、その中からさらに何かを一枚。スッと差し出されたそれに視線を落とせば、名刺だと分かる。

「ご心配には及びません。ここは私の店ですので」
「……え?」

 楷書体のシンプルなカード。横書きの字面が目に入る。
 一来堂。下にはここの所在地。そのすぐ上には、フルネーム。

「申し遅れました。平賀と申します。一来堂の店主をしております」

 姓を耳にし、同時に視覚で平賀一弥とその文字を追う。カズヤさん。どう見ても男の名前の隣には、間違いなく店主の肩書が。
 絵に描いたような大和撫子。古物に目のない美人店主。

「……店主、さん?」
「ええ、一応は。私が一人で営んでおりますので他に従業員もおりませんが」
「…………」

 もしかすると件の和風美人は店主ではなく店員なのか。そんなささやかな期待でさえも、問いかけることもないままばっさりと切り捨てられた。

 怪しい古物店には美人がいる。確かにその通りだ。整った所作もゆっくりと丁寧な口調もまさしく美人店主の名に相応しい。
 しかしまことに残念ながら、それらを持つのは女じゃなかった。やたらめったら、綺麗な男だ。

「どうかなさいましたか?」
「あ……いえ……」
「この件にもしご了承いただけるようでしたら契約書を作成いたしますのでどうぞ奥へ。まだお時間は大丈夫ですか?」
「……はい」

 美人な店主は少々押しが強かった。
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