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3.彼は常時スタンバイ
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「ちょっと真鍋君。この店で前屈みとか必要ないから。堂々としてな」
「すんません姐さん。トイレ行ってきていいっすか」
「ダ・メ! ほれ、前見ろッ。モジモジすんな!!」
「…………」
上司の横暴だ。これは歴としたパワハラ、およびセクハラだ。
溜息をつきながらステージで繰り広げられるパフォーマンスを視界に映す。
ステージ上で自分の身体やら立ち振る舞いやらを魅せているその男が、カフェの常連でもあり俺の憧れでもある男だと確信してからどれほど経ったか。
朝はスーツ着てたよな。会社員じゃなかったのか。金曜だけしかステージに立たないという事はまさかバイト感覚か。いやでも、いかにも常識人みたいな顔をした大人の男がまさかあんな。
思考をグルグル巡らせながらも、うっかりガン見していたステージ。時間が経つにつれて彼は徐々に肌蹴ていったが、ポールダンスくらいまでは俺もなんとか平常心を保っていられた。
たとえポールに凭れた体がどれだけなだらかに曲線を描こうとも。見事な柔軟性をもって頭上で右足をポールに絡ませようとも。コートのジッパーもその時には既に役目を終えていて、ポールに添えて開脚した足の間、かなり際どい紐パンだと判明したインナー越しに彼の股間が晒されようとも。晒されたそこが完璧にスタンバイ状態を誇っていようとも。
いや、分かっている。彼はプロなのだから。プロ根性で常時あの状態を保ったままでいるんだと頭では理解している。理解しているが、どうしても目は行く。
同じ男の同じブツなのに。そう自分に教え込もうとしても、ドキドキとうるさい心臓は一向に鎮まらなかった。
だがまあ、それでもそこまではなんとかなった。平和に馴染んだ俺の脳が、衝撃映像に付いて行けなかっただけだと自分自身に言い聞かせていられた。
問題なのはステージ上にもう一人のストリッパーが出てきてから。男の数よりも女性客が目立つこの店が、どうしてゲイバーと言うスタンスを崩さずに営業をしているのかをようやく理解した。
「……これって風営法とか引っ掛かんないんですか」
「引っ掛かる訳ないでしょ。あれは芸術だよ。店の入り口に営業許可証貼ってあったの気づかなかった? 健全なパフォーマンス!」
「……そっすか」
もうこの人には何も言うまい。
心の中で肩を落とす俺の目の前、フライデークイーンはステージ上で男に抱かれていた。
「健全なお店だよ。だから女の子もリピーターになっちゃうの。ストリッパー達のパンツは聖域だからね。脱ぐのも脱がすのも絶対的タブー、それがこの店の掟」
「なんか逆にエロいです……」
「それがいいんじゃない。最後に客席回るからお捻り用意しとけば? 客とダンサーはお互いお触り禁止だけど、アクシデントで触っちゃうなら仕方ないじゃない?」
「…………」
何も言うまい。
抱かれている、と言っても、彼らはそれっぽい演技をしているだけだ。女王様はどうやらネコ役らしい。
相手の男の情欲的な手によって、コートの袖から腕を引き抜かれ、手袋を外して床に落とされ。ライトの下に照らし出された彼の体を見た時には呼吸を忘れるしかなかった。
もちろん、女の体じゃない。豊満な胸がある訳でも、柔らかな線を持っている訳でもない。なのにどうしたって見事としか言いようがなかった。
洗練された、一切の無駄がないその肉体。無駄なく筋肉の付いた体はしなやかな柔軟性があり、惚れ惚れするような肉体美にあちこちの客席からはうっとりと溜息が漏れた。
そんな彼の体をまさぐり、手袋が外されたその手を口元へと持ち上げる相手の男。ベロリと客席に見せつけるように、その指先を舐め上げた。首元へ移した唇は性急に肌の上を伝い、晒された彼の乳首に口づける。
目を離したいのに離せない。ギリギリと拳を握りしめた。
タチ役ストリッパーのもう片方の腕は彼の引き締まった腰を抱き寄せ、強引な雰囲気のまま乳首にしゃぶりついていた。腰を抱いていた手は徐々に徐々に下半身へと下り、太ももの内側を揉みしだくように弄っている。
そんな相手のいささか乱雑な動作にさえ、しかし彼は眉一つ動かさず。衣装を隔てて触れ合うお互いのそそり立った性器を擦り合わされたその時、それまでされるがままになっていた彼がようやくゆっくりと動きだした。
ズガッと。
彼をの体を抱いていた男が、十センチ以上はありそうなヒールの先で思いっきり蹴られた。目を見張る。
彼の反撃に合わせて盛り上がる店内。女王の名はダテではないらしく、床に放置された鞭を手に取ると再度男を蹴り倒した。仰向けに床へと寝そべる男のすぐ真横、鞭が勢いよく叩き付けられる。
ピシャリッ。勢いよく響いた鞭の音。男の体を躊躇なく踏みつけ、囃し立てる店内と一緒になってもう一度鞭を鳴らした。
「……あれは……」
「パフォーマンスの一環! やっべえカッケー!! クイーンすてきー!!」
ほぼ全裸に近い状態でピンヒールを履き、股間を勃起させながら鞭を振るう男を見て中里さんはそう叫んだ。世も末だ。思う俺も、まあ未だに前屈みだが。
衣装も絡みもだいぶ際どいが、女王の暴力性もなかなかに激しいものだった。相手の男が触れてこようとしては鞭を打ち、細いヒールで顔すれすれの位置を思いっきり蹴りつけるその凶行。
パフォーマンスとは言え一センチずれたら大惨事だ。元より演出にあったのかなかったのか、床に転がったまま踏みつけられている相手の男は、慌てたように彼の脚を鷲掴みにした。負けじとブーツのジッパーを下ろしていく。
脱がせる手つきは始めこそ演技も何もあったものではないように急いていたが、そこはやはりプロ根性らしく少しずつ落ち着きを取り戻していく。艶めかしくいやらしい手つきでもって彼のヒールを片方脱がせ、現れたすらりとした長い脚へと舌を這わせた。
瞬間、蹴られる。ガゴッと。
上がる歓声の中、そこには顎を押さえる憐れなタチ役の姿が。
痛めつけられた男の体の上には、問答無用でドカリと腰を下ろした女王が座り込んだ。開脚した彼は片足だけブーツが脱をされているせいで、変に扇情的な雰囲気を醸していた。
散々焦らしてきた相手の男を冷え冷えと見下す。その喉に喰らいついた動作は、蛇が獲物を追い詰める様子を連想させた。
ガプリと男を捕食する。冷徹な眼差しに息を呑んだ。体のあちこちに噛みついて、腰を揺れ動かして男の性器を刺激する。
さっきは同じ事をした男を蹴り倒したくせに。妖艶な腰の動作を続けながら、勃起同士を擦り合わせていた。
「……中里さん、やっぱ俺トイレに……」
「だーめ。もうちょっとで終わっちゃうんだから最後まで見てろ」
「……あれアウトなんじゃ……」
「セーフよセーフ。全員フルチンでオナニーショーさせてる店よりよっぽど健全」
「…………」
ホントもう淑女って何。
内股気味にモジモジしながら遠い目をしたら、しっかり見やがれと怒られた。
***
「ゼロ三つだとかショボイ真似すんじゃねえぞ。万札捻っとけ万札」
「……中里さん、酔ってます?」
普段から頭が上がらない女上司は、ショーが終わる頃には完全にヤンキーと化していた。カツアゲでもされてるみたいな心地になって、客席をパンツ一枚で練り歩くストリッパーへと目線を飛ばす。
手持ちの中に万札なんて大してなかった。それでもなけなしの一枚を手にする。男の歩みがこちらへ向かうのを待ち、中里さんの脅しに耐えながらぼんやりと彼の姿を眺めた。
カルチャーショックとでも言えばいいのか。未知の世界へうっかり足を踏み入れてしまったせいで放心状態も甚だしい。ここはもう大人しくしているしかない。
けれど正直、俺のこの内心は。
淫猥で、暴力的で、なのにあまりにも綺麗な彼の姿にいまだ興奮は冷めやらず。密かにドクドクと高鳴り続ける心臓が、彼が近づいてくるとともに軋んだ悲鳴を上げていた。
「きゃぁあッ、クイーン!!」
隣で中里さんが叫んだ。女王は俺達のいる位置からすぐの所に迫ってきている。
行く先々で客達が手を伸ばしていたせいで、彼の紐パンは捻じ込まれた札ですでにぎっしり。もはや全てを収める事を本人が早々に諦めていた。
よって彼の通った後には見事な万札の道ができている。床へと落ちていく札の一枚さえ、ネコババしてしまおうなんて考える不届き者はこの店にはいないらしい。
よく考えなくともとんでもない格好をしているのに、彼の歩き姿は堂々とした威厳に満ちている。美しく迫力のあるストリッパーに、全ての視線は惚れ惚れと注ぎ集められていた。
歩いてくる。あの人が。カフェの常連であり、金曜の夜はストリッパーになるという衝撃的事実の判明した彼が。
ここまで来てしまえばやむを得ない、認めよう。ドキドキしている。凄くドキドキしてる。彼が来るんだ、ここまで。スーツは着ていない、というより服を着ていない彼が。
「クイィィインっっ!!」
一際激しく中里さんが叫んだ。俺達の目の前には彼がいる。
固まる俺の傍ら、明らかにこれ以上の札なんて挟む余地のない紐パンに向けて中里さんが手を伸ばした。無理矢理捻じ込むのをぼんやり目に映す。すげえ執念だ。
対する俺はと言えば折角用意したなけなしの一万円札を握りしめたまま、彼にそれを差し出す事なんてすっかり頭からふっ飛んでいる。
女王と呼ばれる彼を夢見心地に見つめ、笑顔を見せるでもなくさっさと立ち去って行こうとするのを眺めていた。しかし。
「あ……」
バチッと、目が合った気がした。終始客を挑発し続けていた鋭い眼光が、一瞬だけ俺の視線を捕えたような気がした。
朝のカフェで、時々そうなるように。きっと今のだって俺の勘違いだけど。
強い眼の色をしっかり映してしまった俺の心臓が、さらにうるさく高鳴るのをはっきりと感じた。
「…………」
去っていく彼。すらりと均整の取れた体は後ろ姿だって文句の付けどころがない。
舞台袖へと消えていく姿を見送り、緊張感から解放された事により深く溜息を零した。
握りしめていた万札は、そっとテーブルの上に置いてきた。
「すんません姐さん。トイレ行ってきていいっすか」
「ダ・メ! ほれ、前見ろッ。モジモジすんな!!」
「…………」
上司の横暴だ。これは歴としたパワハラ、およびセクハラだ。
溜息をつきながらステージで繰り広げられるパフォーマンスを視界に映す。
ステージ上で自分の身体やら立ち振る舞いやらを魅せているその男が、カフェの常連でもあり俺の憧れでもある男だと確信してからどれほど経ったか。
朝はスーツ着てたよな。会社員じゃなかったのか。金曜だけしかステージに立たないという事はまさかバイト感覚か。いやでも、いかにも常識人みたいな顔をした大人の男がまさかあんな。
思考をグルグル巡らせながらも、うっかりガン見していたステージ。時間が経つにつれて彼は徐々に肌蹴ていったが、ポールダンスくらいまでは俺もなんとか平常心を保っていられた。
たとえポールに凭れた体がどれだけなだらかに曲線を描こうとも。見事な柔軟性をもって頭上で右足をポールに絡ませようとも。コートのジッパーもその時には既に役目を終えていて、ポールに添えて開脚した足の間、かなり際どい紐パンだと判明したインナー越しに彼の股間が晒されようとも。晒されたそこが完璧にスタンバイ状態を誇っていようとも。
いや、分かっている。彼はプロなのだから。プロ根性で常時あの状態を保ったままでいるんだと頭では理解している。理解しているが、どうしても目は行く。
同じ男の同じブツなのに。そう自分に教え込もうとしても、ドキドキとうるさい心臓は一向に鎮まらなかった。
だがまあ、それでもそこまではなんとかなった。平和に馴染んだ俺の脳が、衝撃映像に付いて行けなかっただけだと自分自身に言い聞かせていられた。
問題なのはステージ上にもう一人のストリッパーが出てきてから。男の数よりも女性客が目立つこの店が、どうしてゲイバーと言うスタンスを崩さずに営業をしているのかをようやく理解した。
「……これって風営法とか引っ掛かんないんですか」
「引っ掛かる訳ないでしょ。あれは芸術だよ。店の入り口に営業許可証貼ってあったの気づかなかった? 健全なパフォーマンス!」
「……そっすか」
もうこの人には何も言うまい。
心の中で肩を落とす俺の目の前、フライデークイーンはステージ上で男に抱かれていた。
「健全なお店だよ。だから女の子もリピーターになっちゃうの。ストリッパー達のパンツは聖域だからね。脱ぐのも脱がすのも絶対的タブー、それがこの店の掟」
「なんか逆にエロいです……」
「それがいいんじゃない。最後に客席回るからお捻り用意しとけば? 客とダンサーはお互いお触り禁止だけど、アクシデントで触っちゃうなら仕方ないじゃない?」
「…………」
何も言うまい。
抱かれている、と言っても、彼らはそれっぽい演技をしているだけだ。女王様はどうやらネコ役らしい。
相手の男の情欲的な手によって、コートの袖から腕を引き抜かれ、手袋を外して床に落とされ。ライトの下に照らし出された彼の体を見た時には呼吸を忘れるしかなかった。
もちろん、女の体じゃない。豊満な胸がある訳でも、柔らかな線を持っている訳でもない。なのにどうしたって見事としか言いようがなかった。
洗練された、一切の無駄がないその肉体。無駄なく筋肉の付いた体はしなやかな柔軟性があり、惚れ惚れするような肉体美にあちこちの客席からはうっとりと溜息が漏れた。
そんな彼の体をまさぐり、手袋が外されたその手を口元へと持ち上げる相手の男。ベロリと客席に見せつけるように、その指先を舐め上げた。首元へ移した唇は性急に肌の上を伝い、晒された彼の乳首に口づける。
目を離したいのに離せない。ギリギリと拳を握りしめた。
タチ役ストリッパーのもう片方の腕は彼の引き締まった腰を抱き寄せ、強引な雰囲気のまま乳首にしゃぶりついていた。腰を抱いていた手は徐々に徐々に下半身へと下り、太ももの内側を揉みしだくように弄っている。
そんな相手のいささか乱雑な動作にさえ、しかし彼は眉一つ動かさず。衣装を隔てて触れ合うお互いのそそり立った性器を擦り合わされたその時、それまでされるがままになっていた彼がようやくゆっくりと動きだした。
ズガッと。
彼をの体を抱いていた男が、十センチ以上はありそうなヒールの先で思いっきり蹴られた。目を見張る。
彼の反撃に合わせて盛り上がる店内。女王の名はダテではないらしく、床に放置された鞭を手に取ると再度男を蹴り倒した。仰向けに床へと寝そべる男のすぐ真横、鞭が勢いよく叩き付けられる。
ピシャリッ。勢いよく響いた鞭の音。男の体を躊躇なく踏みつけ、囃し立てる店内と一緒になってもう一度鞭を鳴らした。
「……あれは……」
「パフォーマンスの一環! やっべえカッケー!! クイーンすてきー!!」
ほぼ全裸に近い状態でピンヒールを履き、股間を勃起させながら鞭を振るう男を見て中里さんはそう叫んだ。世も末だ。思う俺も、まあ未だに前屈みだが。
衣装も絡みもだいぶ際どいが、女王の暴力性もなかなかに激しいものだった。相手の男が触れてこようとしては鞭を打ち、細いヒールで顔すれすれの位置を思いっきり蹴りつけるその凶行。
パフォーマンスとは言え一センチずれたら大惨事だ。元より演出にあったのかなかったのか、床に転がったまま踏みつけられている相手の男は、慌てたように彼の脚を鷲掴みにした。負けじとブーツのジッパーを下ろしていく。
脱がせる手つきは始めこそ演技も何もあったものではないように急いていたが、そこはやはりプロ根性らしく少しずつ落ち着きを取り戻していく。艶めかしくいやらしい手つきでもって彼のヒールを片方脱がせ、現れたすらりとした長い脚へと舌を這わせた。
瞬間、蹴られる。ガゴッと。
上がる歓声の中、そこには顎を押さえる憐れなタチ役の姿が。
痛めつけられた男の体の上には、問答無用でドカリと腰を下ろした女王が座り込んだ。開脚した彼は片足だけブーツが脱をされているせいで、変に扇情的な雰囲気を醸していた。
散々焦らしてきた相手の男を冷え冷えと見下す。その喉に喰らいついた動作は、蛇が獲物を追い詰める様子を連想させた。
ガプリと男を捕食する。冷徹な眼差しに息を呑んだ。体のあちこちに噛みついて、腰を揺れ動かして男の性器を刺激する。
さっきは同じ事をした男を蹴り倒したくせに。妖艶な腰の動作を続けながら、勃起同士を擦り合わせていた。
「……中里さん、やっぱ俺トイレに……」
「だーめ。もうちょっとで終わっちゃうんだから最後まで見てろ」
「……あれアウトなんじゃ……」
「セーフよセーフ。全員フルチンでオナニーショーさせてる店よりよっぽど健全」
「…………」
ホントもう淑女って何。
内股気味にモジモジしながら遠い目をしたら、しっかり見やがれと怒られた。
***
「ゼロ三つだとかショボイ真似すんじゃねえぞ。万札捻っとけ万札」
「……中里さん、酔ってます?」
普段から頭が上がらない女上司は、ショーが終わる頃には完全にヤンキーと化していた。カツアゲでもされてるみたいな心地になって、客席をパンツ一枚で練り歩くストリッパーへと目線を飛ばす。
手持ちの中に万札なんて大してなかった。それでもなけなしの一枚を手にする。男の歩みがこちらへ向かうのを待ち、中里さんの脅しに耐えながらぼんやりと彼の姿を眺めた。
カルチャーショックとでも言えばいいのか。未知の世界へうっかり足を踏み入れてしまったせいで放心状態も甚だしい。ここはもう大人しくしているしかない。
けれど正直、俺のこの内心は。
淫猥で、暴力的で、なのにあまりにも綺麗な彼の姿にいまだ興奮は冷めやらず。密かにドクドクと高鳴り続ける心臓が、彼が近づいてくるとともに軋んだ悲鳴を上げていた。
「きゃぁあッ、クイーン!!」
隣で中里さんが叫んだ。女王は俺達のいる位置からすぐの所に迫ってきている。
行く先々で客達が手を伸ばしていたせいで、彼の紐パンは捻じ込まれた札ですでにぎっしり。もはや全てを収める事を本人が早々に諦めていた。
よって彼の通った後には見事な万札の道ができている。床へと落ちていく札の一枚さえ、ネコババしてしまおうなんて考える不届き者はこの店にはいないらしい。
よく考えなくともとんでもない格好をしているのに、彼の歩き姿は堂々とした威厳に満ちている。美しく迫力のあるストリッパーに、全ての視線は惚れ惚れと注ぎ集められていた。
歩いてくる。あの人が。カフェの常連であり、金曜の夜はストリッパーになるという衝撃的事実の判明した彼が。
ここまで来てしまえばやむを得ない、認めよう。ドキドキしている。凄くドキドキしてる。彼が来るんだ、ここまで。スーツは着ていない、というより服を着ていない彼が。
「クイィィインっっ!!」
一際激しく中里さんが叫んだ。俺達の目の前には彼がいる。
固まる俺の傍ら、明らかにこれ以上の札なんて挟む余地のない紐パンに向けて中里さんが手を伸ばした。無理矢理捻じ込むのをぼんやり目に映す。すげえ執念だ。
対する俺はと言えば折角用意したなけなしの一万円札を握りしめたまま、彼にそれを差し出す事なんてすっかり頭からふっ飛んでいる。
女王と呼ばれる彼を夢見心地に見つめ、笑顔を見せるでもなくさっさと立ち去って行こうとするのを眺めていた。しかし。
「あ……」
バチッと、目が合った気がした。終始客を挑発し続けていた鋭い眼光が、一瞬だけ俺の視線を捕えたような気がした。
朝のカフェで、時々そうなるように。きっと今のだって俺の勘違いだけど。
強い眼の色をしっかり映してしまった俺の心臓が、さらにうるさく高鳴るのをはっきりと感じた。
「…………」
去っていく彼。すらりと均整の取れた体は後ろ姿だって文句の付けどころがない。
舞台袖へと消えていく姿を見送り、緊張感から解放された事により深く溜息を零した。
握りしめていた万札は、そっとテーブルの上に置いてきた。
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