それでも好きなんです。

わこ

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1.憧れの人

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月曜から金曜の朝。七時半前後。通勤通学で人が行き交うこの時間帯、彼はいつもこの店のドアをくぐる。

全国に展開している名の知れたカフェだ。駅前の店舗に俺が配属されたのは半年ほど前のこと。
大学時代のバイト先でもあったカフェで、当時の店長から就職活動の真っ最中に正社員の話を持ちかけられた。バイト期間がそこそこ長かったためか、試験も面接もあっさり通してもらえた。今はあの時とは別の店舗に配属されて、店長候補として働いている。

あの客が常連なんだと気付いたのは、ここに配属されて間もなくしてからだった。土日に見かけた事はないが、どうやら平日は毎日同じ時間に来ている。いつも必ずきっちりとしたスーツだから、この辺りに勤めている会社員なのかもしれない。

駅前のカフェに常連は多い。顔見知りになる客の中には、言葉を交わせる程度に打ち解ける人も少なくない。けれど彼とは一度も話をした事がなかった。声を聞けるのは注文を取る時の僅かな時間だけ。
接点なんてあるはずのない彼。しかしどうにも目を引いた。注文を取りつつこっそり見上げるその人の、品のある黒髪と涼しげな目元がとても印象深い。
豊富なフードメニューも売りの一つであるこの店で、彼が頼むのは毎回同じ種類のコーヒーのみ。メニューを口にする時の声は綺麗な低音だ。料金を差し出してくる手は男らしく無骨だが、長い指先はどこか繊細なものにも思えた。

そしてたまに目が合う。その視線に鋭く捕えられたように感じる。それはきっと俺の願望が引き起こしている勝手な勘違いだ。なのに毎回目が合ってしばらくは、この心臓は煩く響いて鳴り止まなくなる。

あの人の落ち着いた物腰も、俺には手の届かない大人の雰囲気も。どれもこれも、見ているだけで苦しくなってくる。
店内のテーブルに座ってくれた事はない。テイクアウトのコーヒーが入った紙袋を持ち、背筋を伸ばして出て行く後姿には一切の隙もなく。





「カッケーんだよなあ……」


通勤通学の波が収まり客足も疎らになってきたそんな時、うっとりと漏れ出したのは心の中の本音だった。

あの顔とあの声と、あの眼差しを思い出してぼんやりとした心地に陥る。あの人はかっこいい。とにかくカッコイイ。大人の色気ってやつだ。同じ男でもクラっとくる。
客をにこやかに見送ってからこっちに戻ってきたバイトの瀬崎君は、俺の横でうんざりした顔をしながらあからさまな反応を寄越してきた。

「どうなんすか、真鍋さんのソレ。恋する乙女みたいな顔」

しっかり者の瀬崎君。憐れみと言うかなんと言うか、痛々しい視線を向けてくるがそんな事はどうだっていい。

「だってすげえヤバいもんあの人。目ヂカラとか半端ねえ」
「ああそうですか。もういっそ告っちまえばいいじゃないですか鬱陶しい」
「はあっ? なに言ってんの、あの人男じゃん」
「どの口が……」

怪訝に言い返すと呆れたような声が返ってきた。人の崇高なこの気持ちを俗物と一緒にするな。

「そういうんじゃなくてさあ。なんかあんじゃん。男が惚れる男っつーか」
「俺には分かりませんが……憧れとかそういう感じですか?」
「そうそう」

純粋に、同じ男として憧れる。大人の男の落ち着いた雰囲気とか、涼しげな目元の色気とか。

「俺もああいう感じになりてえんだよなあ」

あと数年経てば、俺でも少しくらいはあの人のようになれるだろうか。スーツを着る予定はないけれど。
憧れに夢を膨らませ、一人ぼんやり妄想に浸った。しかしそれを思いっきりぶち壊してくる酷い奴がここにいる。横からまじまじと俺を眺めた瀬崎君は、上から下まで観察してから鼻で笑い飛ばしてきた。

「……ハハっ」
「なんか乾いた笑い出たね」
「いや、理想を言うだけならタダですよ。いいんじゃないですか」

なんと失礼な。年下の学生から馬鹿にされている。

「あの人、見るからにモテそうで頭良さそうで仕事もできる完璧な人って感じですよね。それに比べて真鍋さんは……はっ」
「ひでえよ瀬崎君……」

こいつは俺のことをなんだと思っているのか。たった三十秒足らずで二回も鼻で笑われた。

瀬崎君の辛辣な評価に落ち込みつつも、新たに客が来れば気分を変えてニコやか爽やか営業スマイル。コーヒーの香り漂うこの店内にあの人がいないからって、雇われている身としては業務を疎かにする事はできない。
大学一年の後半あたりからずっと続けてきたこの仕事。楽ではないが、俺にとっては嫌いなものではなかった。

あの人の存在を知って、平日の朝を楽しみにするようになってからは尚更。名前も知らないあの人は、俺の憧れの人だ。






***






「……は?」
「だーかーらー。行くの? 行かないの?」
「……いやいやいやいや」

一見可愛らしいように見えても、気の強い女なんかに早々関わるもんじゃない。

駅前にあるカフェの現店長にして俺の上司、中里さんは結構な美人だ。年齢不詳だが仕事のできる頼れるリーダー。
スタッフルームにて売り上げの清算を終えると、彼女はパソコンの電源を落として俺に言葉で迫ってきた。

「はっきりしなさいッ。行くのか行かないのかさっさと決めな!」
「……なんでそこに俺を誘うんですか」
「ダメなの?」
「ダメと言いますか……」

中里さんは美人なのに中身が極めて男前だ。
ここの店長候補として正式に雇われ、云わば修行中の身である俺にとっては逆らい難い人物であることは間違いない。しかし時たまとんでもない無茶振りをしてくる人だから、犠牲になってきた野郎どもは結構多い。

俺がいま中里さんにけしかけられたそれは、余りにも想定の範囲を逸脱し過ぎていた。どうしたものかと悩んだ果てに、目線をさ迷わせて控えめに呟いてみる。

「……すみません。そう言うのはできれば女性の友人でも誘ってください」
「だから何度も言ってるでしょー。女の子誘えるか確認しておきたいからまずは真鍋君に頼んでるの。大丈夫だって、怖い所じゃないから!」
「けど、男の俺が行ったらガチですよね……」
「そんな事ないんだってー! 若いくせにアタマ堅いな真鍋君っ。健全なエンターテインメントだよッ」
「エンターテインメント……」

どこが。ほんとソレのどこが。

タンタンと手元でテーブルを叩きつつ俺に押し迫る中里さんは、見た目印象を見事に裏切ってくれる。ここのスタッフからも、男より男らしいとこっそり囁かれている豪快な女性だ。そんな中里さんはどういうつもりか、俺を変な世界に誘おうとしていた。

「……すみません。やっぱムリです」
「えーッ、ちょっと待ってよー。じゃあ何、あたし一人で行けって言うのっ?」
「……行かなきゃいいのでは」
「知らない世界を体験したいと思うのは人間の本能なの! でも一人で行くのはちょっと勇気要りすぎるの!! ねえ、興味あるでしょっ? ねえ!?」
「…………」

鼻息荒く捲し立てられる。そんな彼女が俺を誘うその場所、と言うかその店は。
いわゆる、ゲイバーだ。

「……マジ無理っす」
「ああもう、だらしないな!」
「申し訳ない……」

なんで怒られてんだ俺。中里さんの手元のトントンはいつの間にか激しいダンダンに変わっていた。

中里さんの話によれば、ゲイバーと言っても女性客やノン気の男も多く集まる店らしい。夜の店であることに間違いはないが、どちらかと言うと一般大衆向け。
必要な入店条件は成人済みである事ただ一つ。ある一定の条件を持って節度の保たれた、男性ストリッパー達による魅惑のパフォーマンス……だそうだ。

どこで仕入れた情報なのだか、中里さんはその店に大層興味を持った。しかし女友達を誘うにしても万一危険性のある場所だったらとんでもない。
男に厳しく女の子に優しい中里さんは考えた。まずは実験台の男を一匹連れ立て下調べをするのが得策。そうするべきだと。そしてそれに選ばれてしまった不幸な犠牲者が残念な事に俺だった。

中里さんの話を要約してみればだいたいこんな所になる。ふざけんな。

「真鍋君みたいなヒョロっこい男だからってなにも取って食われやしないよ。健全なちゃんとした店って噂なんだし、無理ならすぐ帰ればいいじゃない」
「ヒョロっこい……」

中里さんは口が悪い。俺のダメージは結構深い。

「とにかく行くよ。今日は絶好のチャンスだから。聞いた話じゃ毎週金曜は人気の踊り子さんが来るらしい」
「だからその情報どこで仕入れて……」
「細かいこと気にしないの」
「……ハイ」


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