貢がせて、ハニー!

わこ

文字の大きさ
77 / 303

77.黄色くてふわふわのアレ

しおりを挟む
 溶けたバターのいい匂いがした。室内が明るいのも分かった。目覚ましは鳴っていないが朝が来たのは自然と分かる。
 半分未満ほど覚醒していてもベッドからはまだ出たくない。ポケポケした状態の中でも鼻は匂いをかぎ分けている。
 いい香り。お腹減った。けれどもうちょっと寝ていたいから、スッカラカンの胃をなだめながら体をゴロンと横に倒した。手を伸ばす。シーツの感触。瀬名さんがいない。バターの匂い。
 真っ盛りの夏だが空調は効いているから心地よく穏やかな室内のベッドで、目を閉じたまま若干伸びをし、枕に頬を埋めて落ち着く。隣が空いているので代わりのタオルケットを緩くつかんで握りしめた。清潔なシーツの香りと、食欲を誘うバターの匂いと、いつもは落ち着いて穏やかなはずの、その人の声が。響いた。やかましく。

「遥希、おい起きろ遥希すげえぞようやくだ。ついにやった。起きてくれ。なあ。起きろ。起きろって。おい。聞いてんのか、起きろ」

 キッチンから呼びかけてきたその声が徐々に近づき、肩をゆさゆさゆさゆさと。いまだ布団の下にある体を激しく揺らされて眉間が寄った。

「起きろって。そんな呑気に寝てる場合じゃねえ。すげえことが起きた。なあ遥希。なあって。おい。……はるきっ!」
「……んんん……」

 うるせえなもう。さすがに目を開けた。瀬名さんの顔面のドアップがそこに。
 いくらイケメンでも朝っぱらからやめろ。その顔ならなんでも許されると思うなよ。半分覚醒し残り半分は少々ご機嫌斜めにされつつ、それでもなおユサユサ揺すられ、クワッととりあえず大あくびを一つ。

「おいおいおい寝ぼけてる場合でもねえぞ。起きろ。今すぐ。早く。起きろ」
「……んだよもう、るっせえな」
「朝イチで恋人に言うセリフがそれか」
「朝イチで恋人を揺さぶり起こさねえでください」

 眠い。心地よい目覚めになるはずだった朝が瀬名さんのせいで台無しだ。
 ユサユサ肩を揺すっていた手が次第にバシバシに変わってきたから、これ以上放っておくと本気でぶっ叩かれそうな勢いに迫力負けしてムクリと起きた。

「なんなんすかもう……」
「できた。来い」
「はぁ?」
「オムレツができた」
「…………はあ?」

 人の睡眠を盛大に邪魔しても悪びれるふうもなく、急かされるまま腕を引かれていい匂いのするキッチンへ。
 さっきから香っていたのはやはりバターだ。そして卵が焼ける匂いだ。まろやかな香ばしさの発信源たる調理台の前までドシドシ押され、皿の上に乗っけられた綺麗でふっくらしている黄色を上からちょこんと見下ろした。

「……マジだ。できてる。オムレツの形してる」
「どうだ」
「うん……はい。すごいね」
「だろう?」
「とてもいい出来だと思います」
「俺もそう思う」
「色も綺麗だしいい匂いだし」
「だよな」
「すごくふわふわしてそう」
「実際してる。皿に盛った時なんか特に感動した」

 ようやく炒り卵から進化したオムレツを見せびらかしたいというだけの理由でこの人は俺を叩き起こしたのか。本人は褒められる気満々の顔でズイッとフォークを差し出してくる。

「さあ食え。冷めないうちに食うといい」
「味の想像はつくんですよ。あなたの炒り卵死ぬほど食わされたから」
「オムレツだと一味違う」
「いや味は一緒なんですってば」
「そしてあったかい方が美味い」
「聞いて」
「ふわっふわだぞ。一瞬で溶けるタイプのやつだと思う」
「うん……まあ、はい、じゃあ。いただきます」

 どちらにしても腹は減っている。起き抜けの牛丼でも余裕でいける程度の健康体ではあるから、オムレツ自体は普通に美味そうだしフォーク持ったら一層腹減ってきた。
 わくわくした目に見守られながら調理台の前でオムレツを立ち食い。パクっと口の中に大きく運んだ。
 ふわっとした食感。程よく香ばしい。濃厚な味わいがいっぱいに広がる。目覚めた直後の空っぽの胃にエサを与えるべくゴクリと飲み込む。クリーミー。後味もしっとりまろやか。

「……んまい」
「だよなっ!」

 なんでこのおじさんオムレツできたくらいでこんなに興奮できるんだろう。この人でもデカい声出すことあるんだ。もしかすると初めて聞いたかも。

 女子高生みたいにキャッキャとはしゃいだ顔つきのリーマンに見守られるなか黙々とオムレツを食べる。
 思えば確かにここまで長かった。それはそれは長い道のりだった。材料も分量も焼き上げるタイミングも全てきっちり完璧なはずなのに、一体どうしてああなってしまうのか最後の最後でスクランブルになり、それでも練習は欠かさないので暇そうに見ている隣の俺が炒り卵回収機にならざるを得ず。
 もういっそスクランブルエッグをきわめた方がよろしいのでは。そんな助言でもそろそろしてやろうかと思っていたところの今だ。土曜の朝からせっせとキッチンに立ち、寝ている恋人を叩き起こして、ものっすごく褒められたそうな顔をしている。フリスビー咥えて走って戻って来た大型のワンコがぼんやり浮かんだ。

「……ふわふわしててすげえ美味いです」
「だと思った」
「…………」

 ワンコを褒めたら鼻高々になったが、お世辞ではなく本当に美味しい。見栄えも完璧で文句なしだ。あれだけ何度も練習していたからドヤ顔になりたくなる気持ちもわかる。
 ふわふわで見事なこのオムレツは頑張った男の努力の成果だ。それは認める。でも腑に落ちない。あと五分、ほんの五分だけ、静かに寝かせてくれてさえいれば。夕べ遅くまで挑んだジジ抜きでたったの一度も勝利を譲ってくれなかったのだって水に流せたのに。

「明日の朝もまた作ってやる」
「…………どうも」

 今夜は早く寝て明日は早起きしよう。
 一日も早くオムレツ作りに飽きてくれることをパジャマ着たまま祈った。
しおりを挟む
感想 50

あなたにおすすめの小説

捨てられた生贄オメガ、魔王城で極上の『巣作り』始めます!~不眠症の魔王様、私のクッションで爆睡して溺愛モードに突入~

水凪しおん
BL
「役立たずのオメガ」として冷遇され、血も涙もない魔王への生贄として捨てられたリノ。 死を覚悟して連れてこられた魔王城は、寒くて硬くて、居住性最悪のブラック環境だった!? 「こんなところで寝られるか!」 極限状態で発動したオメガ特有の『巣作り本能』と、神業レベルの裁縫スキルが火を噴く! ゴミ同然の布切れをフカフカのクッションに、冷たい石床を極上のラグマットにリフォーム。 すると、不眠症で常にイライラしていた魔王ザルドリスが、リノの作った「巣」のあまりの快適さに陥落してしまい……? 「……貴様、私を堕落させる気か」 (※いいえ、ただ快適に寝たいだけです) 殺されるどころか、魔王様に気に入られ、気付けば城中がリノの虜に。 捨てられた生贄オメガが、裁縫一つで魔王城を「世界一のマイホーム」に変える、ほのぼの逆転溺愛ファンタジー!

最強βの俺が偽装Ωになったら、フェロモン無効なのに狂犬王子に求愛されました~前世武道家なので物理で分からせます~

水凪しおん
BL
前世は日本の武道家、今世は平民β(ベータ)のルッツ。 「Ωだって強い」ことを証明するため、性別を偽り「Ω」として騎士団へ入団した彼は、その卓越した身体能力と前世の武術で周囲を圧倒する。 しかし、その強さと堂々とした態度が仇となり、最強のα(アルファ)である第一王子・イグニスの目に止まってしまった! 「お前こそ俺の運命の番だ」 βだからフェロモンなんて効かないのに、なぜかイグニスの熱烈な求愛(物理)攻撃を受ける日々に突入!? 勘違いから始まる、武闘派β×最強王子のドタバタ王宮BLファンタジー!

届かない「ただいま」

AzureHaru
BL
いつも通りの変わらない日常のはずだった。 「行ってきます。」と言って出て行った貴方。1日が終わる頃に「ただいま。」と「おかえり。」を笑顔で交わすはずだった。でも、その言葉はもう貴方には届かない。 これは「優しさが奪った日常」の物語。

幻獣保護センター廃棄処理係の私、ボロ雑巾のような「ゴミ幻獣」をこっそり洗ってモフっていたら、実は世界を喰らう「終焉の獣」だった件について

いぬがみとうま🐾
ファンタジー
「魔力なしの穀潰し」――そう蔑まれ、幻獣保護センターの地下で廃棄幻獣の掃除に明け暮れる少女・ミヤコ。 実のところ、その施設は「価値のない命」を無慈悲に殺処分する地獄だった。 ある日、ミヤコの前に運ばれてきたのは、泥と油にまみれた「ボロ雑巾」のような正体不明の幻獣。 誰の目にもゴミとしか映らないその塊を、ミヤコは放っておけなかった。 「こんなに汚れたままなんて、かわいそう」 彼女が生活魔法を込めたブラシで丹念に汚れを落とした瞬間、世界を縛る最凶の封印が汚れと一緒に「流されてしまう。 現れたのは、月光を纏ったような美しい銀狼。 それは世界を喰らうと恐れられる伝説の災厄級幻獣『フェンリル・ヴォイド』だった……。

一軍男子と兄弟になりました

しょうがやき
BL
親の再婚で一軍男子と兄弟になった、平凡男子の話。

【8話完結】帰ってきた勇者様が褒美に私を所望している件について。

キノア9g
BL
異世界召喚されたのは、 ブラック企業で心身ボロボロになった陰キャ勇者。 国王が用意した褒美は、金、地位、そして姫との結婚―― だが、彼が望んだのは「何の能力もない第三王子」だった。 顔だけ王子と蔑まれ、周囲から期待されなかったリュシアン。 過労で倒れた勇者に、ただ優しく手を伸ばしただけの彼は、 気づかぬうちに勇者の心を奪っていた。 「それでも俺は、あなたがいいんです」 だけど――勇者は彼を「姫」だと誤解していた。 切なさとすれ違い、 それでも惹かれ合う二人の、 優しくて不器用な恋の物語。 全8話。

日本一のイケメン俳優に惚れられてしまったんですが

五右衛門
BL
 月井晴彦は過去のトラウマから自信を失い、人と距離を置きながら高校生活を送っていた。ある日、帰り道で少女が複数の男子からナンパされている場面に遭遇する。普段は関わりを避ける晴彦だが、僅かばかりの勇気を出して、手が震えながらも必死に少女を助けた。  しかし、その少女は実は美男子俳優の白銀玲央だった。彼は日本一有名な高校生俳優で、高い演技力と美しすぎる美貌も相まって多くの賞を受賞している天才である。玲央は何かお礼がしたいと言うも、晴彦は動揺してしまい逃げるように立ち去る。しかし数日後、体育館に集まった全校生徒の前で現れたのは、あの時の青年だった──

『倉津先輩』

すずかけあおい
BL
熱しやすく冷めやすいと有名な倉津先輩を密かに好きな悠莉。 ある日、その倉津先輩に告白されて、一時の夢でもいいと悠莉は頷く。

処理中です...