貢がせて、ハニー!

わこ

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118.見慣れた風景Ⅰ

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 遠くを眺めても高いビルは見当たらない。今日の空はとても穏やかだ。空気は冷たいが風はほぼなく、高い位置にある明るい太陽が暖かい日差しを地上に届けている。
 大岩と言った方がしっくりくるような庭石はミカンの木の近く。子供の頃はあれによじ登って飛んだり跳ねたりを繰り返していた。ついでに掴み取った不格好なミカンは大体すっぱくて食えたもんじゃなかった。
 あの頃は背丈よりも少しばかり低いくらいだった大きな庭石も、今は俺の腰の位置くらい。灰色の中に白い線や黄土色が交じった岩の前を、ケツを振りながらペタペタ気ままに歩いていくのはデカい鳥。

「ガーくん。こっちおいで」

 縁側に座りながら膝をパンパン叩いて呼んだ。グワグワ言いながら寄ってきたものの、他に気になる物を見つけたようで俺の前を通過していったガーくん。
 かわいい。何人にも行く手を阻まれることなく自由に過ごすこの気性。何かが気になるらしいその場所で地面をチョンチョンつついた後は、またもやケツをフリフリしながら俺の目の前をペタペタ通過して今度は反対方向へ歩いて行った。

 犬猫なら自力で追っ払えるガーくんは今日も自分のお庭で平和だ。ここらにはイタチ科やタカ科のようなハンター系アニマルもやって来ない。
 もう少し北の方にはちょっとした山があり、そこが自然と境界になって昔からそれなりの棲み分けができている。ノラ犬やノラ猫と戦えるくらいだからイタチやタカとも十分に渡り合えそうな気もするが。


 こっちに着いたのは二時間ほど前。まだ暗いうちから家を出てきた。一人ではなくショウくんと一緒に。ショウくんには事情も粗方話した。
 おかしな手紙がずっと届いている。後をつけられたこともしばしば。エスカレートしそうな気配もあるから、早めに自宅を離れたいと。

 一緒に帰ろうと言っていたのを謝るつもりで話したものの、それを聞かせたショウくんは自分の予定も前倒してくれた。そのため二人で出発したのが昨日。年末の三十日。ショウくんの勤め先では毎年二十九日が仕事納めと決まっているそうだ。
 本来の帰省の予定は年明けの二日三日だった。一泊だけしてすぐに帰ってくる。とんぼ返りよりは多少マシなくらいでゆっくりしていくつもりはなかったが、俺はしばらくここにいる。

 向こうは今どうなっているだろう。手紙はきっとまたポストに届いた。今夜も犯人はあのマンションの付近をうろつくのだろうか。
 瀬名さんの今年の仕事は今日までで、帰りは今夜も遅いだろう。自分が逆恨みの対象になりかねないことをあの人もよく分かっている。それでも瀬名さんが気にするのは自分のことじゃない。ガーくんによろしくなと優しく笑って、俺をあの部屋から送り出してくれた。

 こっちに着いてからすぐ瀬名さんにメッセージだけは送った。
 ゆっくりしてこい。そう返ってきた。自分がどれだけ忙しくとも瀬名さんは俺にそんなことを言う。

 視線はどんどん下がっていく。縁側の前の踏み石は昔のまま何も変わらない。そこの上に置いてある古いサンダルに突っ込んだ両足を、半ばぼんやりしながら眺めた。
 広い空でもなく茶色い土でもなくただじっと近くの足元を見下ろす。するとこの視界の端っこにペタペタと映り込んできた。グワグワ言ってケツを振りながら歩いてきたガーくんは、俺に向けてグワッと大きく鳴き上げるとまたもやペタペタ通過していく。

「…………」

 ここはいつでも平和だ。異常なしだ。ここが実家だ。あの子がガーくんだ。
 ガーくんは俺を忘れていなかった。俺を見るなり侵入者だと思ってガアガア威嚇してくるなんて悲しい現実は待っていなかった。ひよこだった時代と同じようにペタペタ後ろをついてきてくれる。なんて賢いアヒルだろうか。

 さっきはここの最寄り駅ではなくてもっと大きい方の駅で降り、その近くで車をレンタルしたショウくんが俺を乗っけてここまで来てくれた。
 二年振りに見る息子よりもかなり久し振りに会うショウくんの方に母さんは興味津々だった。ずいぶん立派になっちゃてもう。二年振りに見る息子よりもかなり久し振りに会うショウくんとの挨拶で母さんはテンションを上げていた。

 ガーくんはガーくんで今でもショウくんにびっくりするくらいベタ馴れだ。ショウくんと最後に会ったのは俺と同様だいぶ昔なのだが、どうやらウチの白いアヒルは俺よりも断然記憶力がいい。

「ガーくん」

 グワッと鳴きながら今度こそ俺のそばに寄ってきた。足元でガーくんがバサバサッと羽ばたく。
 俺はこれを飛ぶ練習と昔から呼んでいるけど飛ぶ気があるのかは分からない。最後にしっぽをプルプルさせるのがうちのガーくんはたまらなく可愛い。

「散歩楽しい?」

 グワッ。

「今年もどんぐりいっぱい落ちたんだな」

 グワッ。

「あとでかくれんぼしよっか」

 グワッ。

「小松菜も食べような」

 グワッグワッ。
 俺のそばをペタペタ歩きながら呼びかけに応じてガーくんが鳴く。俺が喋ればガァガァ言ってくれるが会話になっているかは微妙なところだ。本当を言うと全然なっていない。小松菜を持っておびき寄せればもう少し会話らしい感じになる。

 完全に会話としか言えない光景になっていたいつぞやの瀬名さんとキキを思い出すとその度に笑えてくる。あれは見事だった。キキもココも賢いネコさんだ。
 お喋りとも言えないお喋りをガーくんと気ままに続けていると、後ろで開け広げてある障子戸の向こうから呼び掛けてきたのは母さんだ。

「ちょっと。あんたいつまでガーくん見てんの」
「平和だなあと思って」
「それ以上平和な頭になってどうする気よ。花咲かせてる暇があるならゴハン作るの手伝って」
「…………」

 実家だ。母さん相変わらずだ。久々に帰省してきた息子だろうと構わずにコキ使おうとする。
 この二時間ですでに何度のお手伝いを命令されたことか。玄関掃いてきてとか、母屋に置いてある玉ねぎ取って来てとか。ついでに玉ねぎの皮剥いといてとか。布団干してとかお風呂洗ってとかトイレの電球変えてきてとか。
 おかしいな。前はここまでじゃなかった。二年近く会わずにいたうちに人使い荒くなってないか。






 この家のモットーは働かざるもの食うべからずだ。お手伝いをサボってガーくんを構い続けられるほどの拒否権と勇気が俺にはないから、おとなしく命令に従い台所にてまな板と包丁を用意した。
 母さんの隣でトントントントン玉ねぎとニンジンを無心で刻む。三人しかいないのに量多くねえかと思いつつも黙って刻む。
 今日の昼メシはてんぷらとうどんだ。今切っているこれはかき揚げの材料になる。

「ニンジンもうちょっと細く切って」
「んー」
「一人でもちゃんとご飯作ってんの?」
「うん」

 今でこそ手順も何もかも分るが、料理初心者時代だった頃には天ぷら衣の作り方さえ知らなかった。小麦粉と片栗粉の使い分けも全然まともにできないレベル。
 俺がいま自炊できているのも瀬名さんにそれなりの食事を用意できるのも、その全ては母さんとばあちゃんとじいちゃんのおかげだと言える。
 大抵の料理は母さんに習った。草餅みたいな季節物のお菓子の作り方はばあちゃんに教わった。じいちゃんは焼きトウモロコシの絶妙な焼き加減を伝授してくれた。

 行くまでの予定を立てたり準備をしたりが面倒くさくて、大学とバイトを理由にしては今日までなんやかんや帰らずにいたが、やっぱり実家は無条件に落ち着く。見慣れた家の見慣れた台所で見慣れた家庭料理を作り、玉ねぎとニンジンを始末したところで次はサツマイモに取りかかった。固い食材ばっかり担当させられる。
 俺の横では母さんがうどん用のスープを準備していた。長ネギとシイタケと豚肉が入っているだけの安っぽい味だが俺は好き。熱い鍋の中には特売と思しき豚肉がバババッと投入されていく。

「……大丈夫なの?」
「うん?」
「今住んでるとこ。変な人に追い回されてるんでしょう?」
「あぁ……追い回されてるって言うか……」

 俺の話も一応は聞いていたようだ。あまりにも息子の使い方が荒いからストーカーらしき被害に遭っている件はもしや忘れたのかと思っていた。

 まあでも、忘れているわけがない。電話越しに報告した時の母さんは明らかに動揺していた。
 無理もないだろう。娘ならまだしも、実家から出した息子がそんなことに巻き込まれるとは欠片も思っていなかったはず。手紙が来ることと付けられていること以外は言っていないがそれでも心配させてしまった。

 実家にも状況だけは伝えておけ。そう言ったのもまた瀬名さんだった。犯人の行動がエスカレートするようなら引っ越しも視野に入れないとならない。そうなったときに学生の息子が前触れもなく突如転居などすれば両親は不安になるだろうと。
 おそらくこれで正解だっただろう。すでに事情は把握されているから突然の転居があったとしても驚かれることはなくなった。むしろ母さんはおすすめしてくる。

「電話でも言ったけど必要ならさっさと引っ越しなさい。お父さんもおばあちゃんも心配してるんだから」
「ほんとにヤバそうになったら引っ越すよ」
「あんたはもう、そうやって昔からポヤポヤして……」

 そんな言われるほどポヤポヤしてない。けれど顔面から田んぼに突っ込んだ前科などがまあまああるから言い返すに言い返せない。

「本当に気を付けてよ」
「うん。大丈夫。味方になってくれる人もいるし」
「お友達と……お隣さんって言ってた?」
「うん」
「お隣も学生さんなの?」
「ううん。サラリーマン」
「サラリーマン?」
「うん」

 ありのままの事実であって何も嘘は言っていないが母さんは少々怪訝そう。

「……親しいの?」
「食い物とか色々くれる」
「ちょっと……お世話になってる方がいるならなんでもっと早くに言わないの。あんたが実家出てからだいぶ経つのになんのお礼もしてないじゃない」
「そういうのいちいち気にする人じゃないから」
「気にするかどうかの問題じゃないでしょ」

 訝しむ表情はパッと消え去り俺への説教に早変わり。
 これぞ実家だ。ウチだ。二年弱振り。母さんは昔からこの辺に厳しい。お隣さんに食べられないものはあるかと手を動かしつつもやたら聞いてくるからお礼の品でも買いに行くつもりだろう。

 俺が一個言えば二個以上の小言になって返ってくるのを横でうんうんと適当に聞きながら、かといって手を休めているとこれまたちゃんとやれと言われるはずなので極力キビキビ作業は続ける。
 天ぷらの下処理を粗方終えると今度はデカい鍋を押し付けられた。

「こっちは揚げとくから。あんたは次うどん茹でて」
「…………」

 荒い。
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