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214.忘却の彼方のその先Ⅲ
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ショウくんに見送られながらマンションを後にしたのはそこから三時間後。
長かった。俺にとっては苦行でしかなかった。俺が三時間も苦しんでいた横で、瀬名さんには友達ができた。こんなことなら会わせるんじゃなかった。
ぼっちの心の隙間が一人分埋まったのがよっぽど嬉しいのかもしれない。心なしかルンルンして見える。
そんな瀬名さんが不審物を所持していると俺が気づいたのは家に帰ってからだった。
机の上に恭しく広げられたのは大量の写真。それを横から覗き見て、顔面がビキッてなった。
「……なんですかこれ」
「ショウくんにもらった」
「捨ててください」
「断る。家宝だ」
「なんでもかんでも家宝にすんな」
身長に見合わない釣竿を誇らしげに持っているのはたぶん三歳くらいの俺。一体どこで何があってこんな写真を撮ったのだったか、フレミッシュジャイアント並みのデカい白ウサギを抱えている俺は四歳くらいだと思う。小さなヒヨコをちょこんと手に乗せた五歳になる前の俺もいる。
このヒヨコはピヨちゃん。これをショウくんが持っていたという事は、そうか。この頃からショウくんはピヨちゃん時代のガーくんに会っていた。
ガーくんが威嚇しないのもうなずける。ガーくんにとってもショウくんは兄貴だ。
つまんねえ写真を広げて何をするのかと思いきや、瀬名さんが起動させたのはパソコンとプリンター。そのプリンターにはスキャナー機能も搭載されている。普段は書類やなんかのスキャンで大活躍している瀬名さんの相棒が、こんなところで役立ってしまった。
大事なものはアナログとデジタルの二重で保存しておきたい男だ。俺が立ち尽くす横でもお構いなしに、写真のデジタル化作業に勤しみ出している。
「ショウくん思ってたよりいい奴だな」
「写真くれたからでしょ」
「泥まみれになってるお前もそそる」
「幼児の俺見てそれ言うとかなりまずい事になりますよ」
瀬名さんに変な嗜好が芽生える前に写真は隙を見て奪還する。そして燃やす。
データは全部削除したいけどサインインの難題もあるから、瀬名さんがパソコン使っている時にそれとなく席を立たせるための作戦をなんとしても編み出さなければ。彼氏をこれ以上の変態にさせてはならない。
データ化作業に忙しい瀬名さんをジリジリした気分で見下ろした。最後の一枚が終わるまでやめないだろう。ピヨちゃんを手のひらに乗っけている俺の写真を、しみじみと眺めてから丁寧な手つきで機器にセットしていた。
絶対燃やそう。ショウくんはこれのフィルムも持っているかもしれないから、できればそこから根絶やしにしよう。
無言のまま軽蔑の眼差しで攻撃してもスキャン作業が中断されない事は分かった。ならば今はもう諦めるしかない。ダイニングに移動し、貢がれたフィナンシェを豪快に三つ皿に盛った。
せっかくちゃんとした焼き菓子なのでついでにミルクティーもちゃんと淹れた。用意したカップは二つ。フィナンシェもまとめて寝室のローテーブルに持ってく。
「お茶淹れたんですが」
「おう。ありがとう」
「飲むんならそれやめてこっち来て」
「ん」
「…………」
やめる気はないそうだ。作業内容さえ知らなければ男前が仕事してるように見えるのに。
ちゃぶ台返ししたいのを堪えつつ、フィナンシェ片手にボスッと後ろに寄り掛かろうとしてフワッと倒れかけた。反射で手をつき、振り返った背後。そうだった、ここにはもうないんだよ。
一昨日までだったらローテーブルとベッドの間の狭いスペースで落ち着きを取り戻せたが、新居に置く瀬名さんの部屋のベッドはとうとうダブルに買い替える。男二人でシングルサイズは正直死ぬほど狭かった。窮屈にモゾモゾ寝返りを打った弾みで瀬名さんをベッドから蹴り落した過去がないのは奇跡だろう。夢の中の俺が知らなかっただけで一度や二度はやっていたかもしれないが。
とにもかくにもそういう事で今の俺の背後には何もない。片隅に置いたふかふかクッションの上でクマ雄とウソ子がちょこんとしているだけだ。
隣の三〇一号室にあるシングルベッドは健在で、あれは新居で俺の部屋に置く。だってほぼ半年しか使っていないから。
ここ二日はクマ雄とウソ子も連れてヤモリの巣で瀬名さんと寝ているけれど、みんな一緒なら怖くないの法則で割かしグースカ爆睡できる。
ベッドがあったはずの空間を見ていよいよ実感が湧いてくる。本当に引っ越すんだな。瀬名さんと一緒に暮らすのか。
寄り掛かる物が後ろにないのでちゃんとお座りしておやつに噛みついた。買ってもらったフィナンシェは外側の角のところがサックリしている。
バターが香ばしい。中はしっとり触感。美味い。やっぱあの店いいとこだったんだ。あんな怯えた心境でふかふかのパンケーキ食いたくなかった。
歯形をくっつけたお菓子は皿に置く。黙々とパソコンに向かう瀬名さんを眺めた。
これから一緒に暮らしていく人。変な人だけど俺は瀬名さんがいい。幼馴染には全てを打ち明けられた。二人を対面させるところまでいった。
それができたのはショウくんだからだ。俺を否定する人じゃないと、知っているから。
「瀬名さん……」
家族だって俺を否定しない。否定されない事と受け入れてもらえる事とが、同じになるとも限らない。
「……ごめん」
「うん?」
「嘘つかせて」
「あ?」
「……この前、母さんに」
ずっと言えなかった。言うべきだったのに。謝るのもかえって、悪い気がした。
それを今になってここから言った。瀬名さんの目が俺に向いていない時に。語尾はとても小さくなったが、瀬名さんはたぶん全部を拾った。
作業はあっさり中断されている。その時にはもう俺を振り返っていて、その目にはっきり捉えられている。
わざわざ席を立ってこっちまできてくれた。最初からこの人はそうだった。いてほしい時、隣にいてくれる。どっちに行ったらいいのか分からなくて迷子になっている俺を、すぐ隣で待っていてくれる。
「これで俺とお前は共犯だ」
「…………」
「そう思うと悪いもんでもねえだろ?」
隠して付き合うくらい簡単だ。何せ実家は遠方で、報告しなければ近況は伝わらない。ここでは人同士の距離も地方のように近くはなくて、夫婦喧嘩でもおっぱじめたお宅があったら一帯に知れ渡るド田舎とも違う。
だから隠せる。隠し通せる。けれど瀬名さんは話したいと言った。俺の家族に、会いたいと。
「ちゃんと分かってもらいたいと思ってる」
「……うん」
「話したいと遥希が思えた時に」
「…………うん」
こうも誠実な人にあんな事を言わせ、今はこんな事を言ってもらっている。瀬名さんは俺の嘘に付き合った。その人の手に肩を引き寄せられたから、おとなしく隣に寄り掛かった。
寄り掛かってもいいと言ってくれる。俺が迷った時にはいつだって、そばで待っていてくれる。
「……あのな、遥希」
「はい……」
「一つだけ相談がある」
「……はい」
追いつきたいのに追いつけない。だけどちゃんとそこにいてくれるから、安心してそっちを目指せる。
はやく辿り着きたいと思う、そんな人がとても優しい声をして、ちょっとだけ神妙な顔を見せてきた。
「スマホのロック画面の設定をスッポンポンでぞうさんのジョウロ持ってるお前とブリーフ一丁でガーくん抱っこしてるお前とで迷ってるんだがどう思う」
「捕まっちまえこのクズって思います」
本当にやりやがったらスマホはその場でミキサーにかける。
長かった。俺にとっては苦行でしかなかった。俺が三時間も苦しんでいた横で、瀬名さんには友達ができた。こんなことなら会わせるんじゃなかった。
ぼっちの心の隙間が一人分埋まったのがよっぽど嬉しいのかもしれない。心なしかルンルンして見える。
そんな瀬名さんが不審物を所持していると俺が気づいたのは家に帰ってからだった。
机の上に恭しく広げられたのは大量の写真。それを横から覗き見て、顔面がビキッてなった。
「……なんですかこれ」
「ショウくんにもらった」
「捨ててください」
「断る。家宝だ」
「なんでもかんでも家宝にすんな」
身長に見合わない釣竿を誇らしげに持っているのはたぶん三歳くらいの俺。一体どこで何があってこんな写真を撮ったのだったか、フレミッシュジャイアント並みのデカい白ウサギを抱えている俺は四歳くらいだと思う。小さなヒヨコをちょこんと手に乗せた五歳になる前の俺もいる。
このヒヨコはピヨちゃん。これをショウくんが持っていたという事は、そうか。この頃からショウくんはピヨちゃん時代のガーくんに会っていた。
ガーくんが威嚇しないのもうなずける。ガーくんにとってもショウくんは兄貴だ。
つまんねえ写真を広げて何をするのかと思いきや、瀬名さんが起動させたのはパソコンとプリンター。そのプリンターにはスキャナー機能も搭載されている。普段は書類やなんかのスキャンで大活躍している瀬名さんの相棒が、こんなところで役立ってしまった。
大事なものはアナログとデジタルの二重で保存しておきたい男だ。俺が立ち尽くす横でもお構いなしに、写真のデジタル化作業に勤しみ出している。
「ショウくん思ってたよりいい奴だな」
「写真くれたからでしょ」
「泥まみれになってるお前もそそる」
「幼児の俺見てそれ言うとかなりまずい事になりますよ」
瀬名さんに変な嗜好が芽生える前に写真は隙を見て奪還する。そして燃やす。
データは全部削除したいけどサインインの難題もあるから、瀬名さんがパソコン使っている時にそれとなく席を立たせるための作戦をなんとしても編み出さなければ。彼氏をこれ以上の変態にさせてはならない。
データ化作業に忙しい瀬名さんをジリジリした気分で見下ろした。最後の一枚が終わるまでやめないだろう。ピヨちゃんを手のひらに乗っけている俺の写真を、しみじみと眺めてから丁寧な手つきで機器にセットしていた。
絶対燃やそう。ショウくんはこれのフィルムも持っているかもしれないから、できればそこから根絶やしにしよう。
無言のまま軽蔑の眼差しで攻撃してもスキャン作業が中断されない事は分かった。ならば今はもう諦めるしかない。ダイニングに移動し、貢がれたフィナンシェを豪快に三つ皿に盛った。
せっかくちゃんとした焼き菓子なのでついでにミルクティーもちゃんと淹れた。用意したカップは二つ。フィナンシェもまとめて寝室のローテーブルに持ってく。
「お茶淹れたんですが」
「おう。ありがとう」
「飲むんならそれやめてこっち来て」
「ん」
「…………」
やめる気はないそうだ。作業内容さえ知らなければ男前が仕事してるように見えるのに。
ちゃぶ台返ししたいのを堪えつつ、フィナンシェ片手にボスッと後ろに寄り掛かろうとしてフワッと倒れかけた。反射で手をつき、振り返った背後。そうだった、ここにはもうないんだよ。
一昨日までだったらローテーブルとベッドの間の狭いスペースで落ち着きを取り戻せたが、新居に置く瀬名さんの部屋のベッドはとうとうダブルに買い替える。男二人でシングルサイズは正直死ぬほど狭かった。窮屈にモゾモゾ寝返りを打った弾みで瀬名さんをベッドから蹴り落した過去がないのは奇跡だろう。夢の中の俺が知らなかっただけで一度や二度はやっていたかもしれないが。
とにもかくにもそういう事で今の俺の背後には何もない。片隅に置いたふかふかクッションの上でクマ雄とウソ子がちょこんとしているだけだ。
隣の三〇一号室にあるシングルベッドは健在で、あれは新居で俺の部屋に置く。だってほぼ半年しか使っていないから。
ここ二日はクマ雄とウソ子も連れてヤモリの巣で瀬名さんと寝ているけれど、みんな一緒なら怖くないの法則で割かしグースカ爆睡できる。
ベッドがあったはずの空間を見ていよいよ実感が湧いてくる。本当に引っ越すんだな。瀬名さんと一緒に暮らすのか。
寄り掛かる物が後ろにないのでちゃんとお座りしておやつに噛みついた。買ってもらったフィナンシェは外側の角のところがサックリしている。
バターが香ばしい。中はしっとり触感。美味い。やっぱあの店いいとこだったんだ。あんな怯えた心境でふかふかのパンケーキ食いたくなかった。
歯形をくっつけたお菓子は皿に置く。黙々とパソコンに向かう瀬名さんを眺めた。
これから一緒に暮らしていく人。変な人だけど俺は瀬名さんがいい。幼馴染には全てを打ち明けられた。二人を対面させるところまでいった。
それができたのはショウくんだからだ。俺を否定する人じゃないと、知っているから。
「瀬名さん……」
家族だって俺を否定しない。否定されない事と受け入れてもらえる事とが、同じになるとも限らない。
「……ごめん」
「うん?」
「嘘つかせて」
「あ?」
「……この前、母さんに」
ずっと言えなかった。言うべきだったのに。謝るのもかえって、悪い気がした。
それを今になってここから言った。瀬名さんの目が俺に向いていない時に。語尾はとても小さくなったが、瀬名さんはたぶん全部を拾った。
作業はあっさり中断されている。その時にはもう俺を振り返っていて、その目にはっきり捉えられている。
わざわざ席を立ってこっちまできてくれた。最初からこの人はそうだった。いてほしい時、隣にいてくれる。どっちに行ったらいいのか分からなくて迷子になっている俺を、すぐ隣で待っていてくれる。
「これで俺とお前は共犯だ」
「…………」
「そう思うと悪いもんでもねえだろ?」
隠して付き合うくらい簡単だ。何せ実家は遠方で、報告しなければ近況は伝わらない。ここでは人同士の距離も地方のように近くはなくて、夫婦喧嘩でもおっぱじめたお宅があったら一帯に知れ渡るド田舎とも違う。
だから隠せる。隠し通せる。けれど瀬名さんは話したいと言った。俺の家族に、会いたいと。
「ちゃんと分かってもらいたいと思ってる」
「……うん」
「話したいと遥希が思えた時に」
「…………うん」
こうも誠実な人にあんな事を言わせ、今はこんな事を言ってもらっている。瀬名さんは俺の嘘に付き合った。その人の手に肩を引き寄せられたから、おとなしく隣に寄り掛かった。
寄り掛かってもいいと言ってくれる。俺が迷った時にはいつだって、そばで待っていてくれる。
「……あのな、遥希」
「はい……」
「一つだけ相談がある」
「……はい」
追いつきたいのに追いつけない。だけどちゃんとそこにいてくれるから、安心してそっちを目指せる。
はやく辿り着きたいと思う、そんな人がとても優しい声をして、ちょっとだけ神妙な顔を見せてきた。
「スマホのロック画面の設定をスッポンポンでぞうさんのジョウロ持ってるお前とブリーフ一丁でガーくん抱っこしてるお前とで迷ってるんだがどう思う」
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