No morals

わこ

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第二部

69.望むべきもの、ほしいもの ~日常と旅立ち~Ⅱ

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「でも良かったです。別れたなんて聞いた時にはどうなる事かと」
「なんだかんだでお前らこの店の名物みてえなもんだからな。一人で酒飲んでる恭介の顔っつったら辛気臭くて仕方ねえ」
「この野郎はともかく俺は見せモンじゃねえぞ」

 数日振りに会ったと言うのにカウンターの向こうの二人は口々に好き勝手言い連ねている。そしてさらに隣の野郎がさっきからずっとバカ丸出しの笑顔でニコニコしているのが気に障る。イラ立つ俺とにこやかな竜崎を名物と称した店主も笑った。

「にしても裕也にあんな後輩がいたとはなぁ。若ぇってのは羨ましいよ。青春って感じで」
「青春とか言える年ではねえけどな」

 十代に戻ってやり直せるならこんなクソモードの人生にはしない。
 根本がここを訪れていたことは今しがた昭仁さんに聞かされた。一体どうやって突き止めたのだか。話の流れでこの店の名前をチラッと出しただけだったと思うが。こんな法外のエセ酒場だからもちろんスマホじゃ調べはつかない。

 自分事のように駆けつけてくれた。高校の時もあいつの存在は寛げる時間を俺にくれたが、またしても助けられてしまった。今回の借りは返すのにも相当に苦労しそうだ。
 ここで根本が何をしたのか。詳細は何も聞いていない。しかしこの店のヤル気のない主はなぜかあいつを気に入ったようだ。

「恭介黙らせる奴なんてそうそういねえ。大した男だよ。金も払うしな」

 なるほど。金か。そうだよな。納得。
 俺は思わず鼻で笑ったが、竜崎はピクリと反応していた。

「それは何。俺にイヤミ?」
「分かってんじゃねえか。今お前のツケはとんでもねえ事になってんぞ」
「マジか。どんくらい?」
「聞きてえか?」
「うーん……やめとく」

 賢明だろう。俺も隣で度肝を抜かれるような金額なんて聞かされたくない。

「またあいつ連れてこいよ。釣りも取らずに帰る客は大歓迎だ」
「最低だよ昭仁さん。あいつまだ学生だぞ。つーか当分は会うこともねえし」
「お? 負け認めたのか?」
「負け……?」

 首を傾げたら昭仁さんはククッと笑った。意味が分からず加賀に目を向けると反対に俺を凝視してくる。隣のこの男に至ってはあからさまに機嫌を悪くさせていた。

「……なんだよ」

 三人揃ってどうしたこいつら。気味が悪くて聞き返した俺に、昭仁さんはうんうんと頷きラ安物イターにボッと火をともした。

「潔いヤツだな。自分は大人しく身を引こうって訳か」
「あ……?」
「まあそのうち落ち着いたら呼んでやれよ」

 なんなんだ。

「さっきから何言ってんだよ。呼ぶも何もしばらくはムリだろうし。あいつ来週には日本にいねえもん」
「は?」
「あ?」
「え?」

 昭仁さん、竜崎、加賀の声が見事に揃った。気味が悪いのを通り越してちょっと怖い。
 三人は意味不明って顔だし、俺はそれ以上に状況が分からない。すると煙を吐き出しながら昭仁さんが遅れて言った。

「…………なんだそりゃ?」

 俺が聞きてえよ。

「留学するんだよハンガリーに。えっと……なんちゃらプログラムとか言ってたな。もう結構前から決まってたらしくて」
「……ハンガリー?」
「うん。あいつ実家が診療所らしいんだけど父親はまだまだ現役だって言うし、無事に医者になれた後もまたしばらくは海外で勉強したいんだとよ。だから今回の留学も外国語で学べるのはちょうどいいとかって」
「……ほう。そうか」
「すげえよなぁ、びっくりする。俺らの高校クソ底辺だったからあんな卒業生いた事ないと思う」
「…………」

 呆けたように頷いていた昭仁さんからも最後には相槌さえ返さなくなった。そしてその隣では加賀がなぜか絶句している。本当になんなんださっきから。
 二人のその反応にはますます不信感が募る。しかし最も不可解なのは俺の横にいるこの男だ。竜崎がギリギリと拳を握りしめていた。

「…………んの野郎」

 低くジトッと呟かれた。ガチなときの声に近くて昭仁さんを見上げてみるも、肩をすくめて返されただけ。
 根本は何を言ったんだ。竜崎は酒をグイッと飲み干し、手元のグラスはカウンターにゴンッと叩きつけられた。

「っ何が遠慮しねえだシレッとかましやがってあのクソガキ……ッ!!」
「は……?」

 突如激高。カウンター越しに二人に目を向けても説明はしてくれそうになかった。
 頭をかかえだした竜崎はカウンターに肘をつき、「あ゛ー」とか「う゛ー」とか唸っている。気味が悪い。

「何があった……?」

 二人は曖昧に笑うだけ。飲み込めていないのは俺だけだ。

「まあ……うん。大したもんだよホントに。腹据わってんだなお前の後輩は」
「……あ?」
「役者ですね」
「役者……?」

 結局何がなんだかわからず、アホみたいに落ち込んだ竜崎を適当に隣から眺めた。

 どのみちこれが一番落ち着く。変わりばえのない毎日の風景が、今は一番しっくりきている。
 昭仁さんは煙草をふかして加賀は真面目に働いて、竜崎はとりあえずバカの極みで、そこに俺が交じってる。あり得ないような事だった。だけど意外と、悪くない。

 最終的にはいつも通りのバカ騒ぎに転じながら、少しずつ酒を飲んでいるとそれなりに長居することになる。そろそろ帰るか。そう言い始めた時、店のドアがギイッと外から開いた。ここに来るのはしょうもない飲んだくれや荒っぽい野郎やあれやそれだが、なんとはなしにふと顔を上げ、そこで目に入った。女だ。派手な女。

 化粧と巻き髪とピカピカのネイルに命を懸けていそうなバカっぽい女。竜崎もそいつに気づいたようだ。それは向こうも全く同じで、この男の顔を見るなりニコッと笑って真っすぐこちらへ歩いてくる。
 カツカツとうるさく音を立て、近付いてくる。香水の匂い。記憶に新しいそれに顔をしかめたその時、女は竜崎の真横で足を止めた。

「探しちゃった。何も教えてくれないんだもん」

 ああ、そうか。こいつか。この女だ。あの晩の、竜崎の相手。

 根本と言いこの女と言い、そう言えば加賀もそうだった。竜崎は自分の位置情報の一般公開でもしてんのか。
 こうもあちこちから居所を突き止められて、こいつ自身もまさか追って来られるとは思っていなかったのだろう。無言のまま女に顔を向けていた。

「黙って帰るなんて酷くない?」
「…………」
「でもいいよ、そんなの。私あなたのこと知ってるの。あなたって、りゅう…」

 そこで女は言葉を止めた。俺から竜崎の表情は見えないが、うるさい口を閉じさせるのに十分な顔をしているのだろう。竜崎というその名前は、最後まで言わせなかった。

「……そう。冷たいね。この前は一緒に来てくれたのに」

 どこの商売女を引っかけたのだか知らないけれどもまたずいぶんと気に入られたようだ。よっぽどのメンヘラか、はたまた権力とブランドに弱いか。こいつの身元を知りながらわざわざ追いかけてきたということは後者、もしくは両方だろう。

 腹立たしいというか呆れというか、無意識に溜め息をついている。寸劇にもならないくだらない光景をいつまでも見せられてやるつもりはない。
 その場で俺一人腰を上げると、竜崎がはっとしたように振り返った。馴れ馴れしい女の腕をバッと振り払い、必死な様子で俺の手を掴んでくる。

「裕也っ」

 力の加減もわきまえない。だから手首は少し痛い。
 このバカがこうやって必死になる相手は俺だ。こんな女じゃない。お前じゃねえんだよ。またもやしつこく竜崎の腕を、後ろから引いているようだが。

「っゆう…」
「いちいち情けねえんだよテメエは」

 ふっと、漏れた。笑える。おかしい。女には勝てない。それがなんだ。
 今も昔もしつこい女は嫌いだ。竜崎の胸倉を片手で掴み上げ、女の手からガッと引き剥がした。奪い取る。違う。取り返しただけだ。ここがどことか、誰が見ているとか、そんなことは全部どうでもいい。
 竜崎の背をカウンターに押し付けた。分からないなら分からせてやればいい。この男が誰のものか。

「…………」

 直後、店内はシンと静まり返った。浴びた注目。女の視線だけじゃない。カウンター内に立っている二人も、テーブル席にいる酔っ払いどもも。

 重なった。竜崎と。唇を合わせ、一度だけチラリと女に視線を投げつけ、見せつけるように深く口づける。合わせた唇をねっとりと貪った。
 女は咄嗟に何も言えないようで驚愕の表情で俺達を見ている。それでいい。よく見ておけ。この男の唇に卑猥にゆっくり食いついた。
 こいつが感じるのは俺だ。お前じゃない。分かれ。今ここで。

「ん……」

 水っぽく音を立たせて離した。竜崎はカウンターにへばりついたままポカンとしている。
 情けない男をスルリと腕の中に抱き、言葉を失くしている女を見下すようにして薄く笑った。

「引っ込めブス。お前みてえな女が相手じゃヌけるもんもヌけねえだろうが」
「な、んなの……あんた……っ!」
「うるせえ」

 よほどショックだったのだろう。女は女で口をパクパクと。こんなバカみたいな女にこの男をくれてやるはずがない。
 横取りなんて誰が許すか。竜崎の腰にスルッと腕を回し、こっちに引き寄せて抱いて見せた。

「これは俺のだ。分かったら今すぐ失せろ」

 瞬間、カッと、女の顔面が真っ赤に染まった。

「ッ信じらんない……最低っ!!」

 キンキンとヒステリックに叫び上げ、肩を怒らせながらバッと大きく背を向けた。カツカツとヒールの音が立つ。去り際までうるせえアバズレだ。
 バンッと大きくドアが閉まると店の中は再び静寂に包まれた。やかましい女は追っ払ったが集まる視線がチクチクと痛む。

 目的は果たした。犠牲は大きかった。いまだに硬直状態の竜崎を雑にグワッと引き剥がし、八つ当たり百パーセントで右腕を振り上げた。ぶん殴る。頭を、ガツッと。

「イッテ……」
「いつまでもボサッとしてんじゃねえグズがッ」
「ええっ、何それ!?」

 殴りつけた自分の手をさすったが、こいつが言い返してきやがったから仕方なくもう一発殴った。
 その一発ではとても収まらない。恥ずかしいし外野がヒューヒューうるせえし色んなものを一瞬で失った気がする。なので立て続けにボコスカ殴った。しかしさすがに参ったのだろう。途中でこの手を止めてきたこいつ。

「痛ぇよっ!」
「うるせえッ! いつまでもアホ面ひっさげてるお前が悪い!!」

 やってしまった。恥ずかしい。死にたい。
 テーブル席からは意味不明な拍手が湧き起こっているし、昭仁さんはニヤニヤとした表情で底意地の悪さを見せつけてくるし。今の俺に八つ当たり以外の何かができるというのであればぜひとも即刻教えてほしい。

「下品な女引っ掛けやがってッ、どんだけ頭ワリイんだよてめえは!?」
「なんか俺って超愛されて…」
「ぶち殺すぞクソがっ!!」

 調子づいたこの野郎の横っ面をひっぱたいた。結構強く入ったと思ったがなぜなのか全くのノーダメージ。突如としてガバッと抱きしめられた。

「裕也……ッ」
「ぅおっ、バカ放せッ!」
「今のはほんっと効いた。すぐにでも抱きたい」
「っ……!」

 咄嗟に出た足が竜崎のつま先をガツッと思いきり踏みつけている。すかさずそのミゾオチに向けてボスっとのめり込ませたこの拳。

「ぅ゛っ……」
「場所をわきまえろ変態」
「お前も恭介のこと言えねえぞ裕也」

 昭仁さんの指摘で俺も別の意味で詰まる。

「っっっ……ッほっとけよ!」
「ヨリ戻したと思った途端に見せつけやがって。あの女も美人な男に凄まれて可哀想なもんだな」
「もういいから黙れっ」
「おーおーはいはい。とりあえずここでおっぱじめんのはカンベンな。さすがに店潰れる」

 くくっと笑ってからかわれる屈辱。この闇医者が。最悪だ。
 浮かれている竜崎と楽しんでいる昭仁さんに挟まれて救いがない。テーブル席も煩い。今この場で静かにしているのはさっきから一言も発しない加賀だけだ。
 昭仁さんは煙草を手に持ち替えて隣の加賀に顔を向けた。

「どうした樹。生チューなんか見せられてショックだったか」
「昭仁さん!!」

 言い方。
 だが加賀はやはり加賀だった。俯きがちだった顔をばっと上げ、なんだかやたらと一直線な、よどみのない眼差しを俺に。

「裕也さんッ……超カッコイイっす、俺マジ感動しました。そこまで恭介さんのことを……っ!」
「…………」

 こいつはこいつでどうしちゃったんだ。ここまでおかしな子じゃなかっただろ。なんだそのキラッキラした目は。

「やっぱ裕也さんってスゲエ……ッ!」
「……加賀。お前最近様子がおかしい。これ以上こいつに毒されるな」

 加賀が大変なことになっている。俺は可哀相なことになっている。
 それもこれも全てこの野郎のせいだが、竜崎は何に納得しているのか満足そうにうなずいていた。

「なにコクコクしてんだ首もぐぞテメエッ! お前のせいで加賀に変な影響出てんだろっ」
「そんな蹴るなって、愛が深いな」
「ぁあ゛ッ!?」

 気味が悪い。

「樹は見たまんまを言っただけだろ。裕也がどれだけ俺を愛してるか」
「自惚れんじゃねえッ」

 突き出した拳はひょいッとかわされ、いつも通りの戦争が始まった。
 それをニコニコ見守る加賀と、呆れた顔で煙草を吹かす昭仁さん。

「んっとに騒がしい奴らだな。また追い出すぞ」
「まあまあ。せっかく仲直りできたんですし」
「大丈夫だ心配すんな。追い出されたら追い出されたでどーせ家帰ってイチャイチャイチャイチャ一晩中してるに違いねえ」
「そうなんですか?」
「そういうもんなんだよ」

 そういうもんじゃねえよ勝手なこと言うな。
 横での会話も物凄く気になるがそれよりも再び抱きつかれた。ガシッと。顔を突っぱねて全面拒否。なのにこいつは嬉しそう。怖い。

「やめろっ。あんなのにハメた野郎は近付くな!」
「なら近づけるよ、ハメてねえもん」
「今さらしょうもねえ嘘つくんじゃねえよアホがっ」
「いやいや本当に。ホテルまでは確かに行ったけど……ごめん。でもあの女がシャワー行ってる間に部屋出てきたからほんとにヤッてない」
「…………あ?」

 ふっと、防御の手が緩んだ。しっかり抱かれる。その腕の中でこいつの顔を凝視した。

「お前、自分で……裏切ったって……」
「いやだって、ついてっちゃったから」
「…………」
「後悔してる。悪かった。あんなことはもうないって約束する」
「……やってはいねえのか」
「うん」
「…………どこまでした」
「歩いてる時ずっと腕組まれてた。本当にごめん」
「…………」
「ごめんな」
「…………」

 なんだこいつ。なんなんだ。
 やってきた雰囲気だったろうがよ。口振りもそんな感じだったじゃねえか。

「……なあ昭仁さん」
「ここで俺に振るのか。なんだよ」
「こいつの頭ってどうなってんの」
「俺に分かる訳がねえだろ。そいつの飼い主はお前だろうが」
「…………」

 ホテル行っただけでほぼ潔白なくせして裏切ったとかこいつが言うから。
 腕を組まれた。そうか。じゃあ匂いは。その程度の接触であっても匂いがつくこともない訳じゃない。甘ったるい香りならばなおさらだ。そんなニオイをつけて帰ってきたものだから俺はまたてっきり。どこの女抱いてきやがったんだって。

「…………なんなんだお前は」
「裕也だけだよ。お前以外にはもう触らない」
「…………」
「俺じゃないヤツ抱くなって裕也が言ってくれたの本気で嬉しか、ッぐぁ、っ……」

 みぞおちに入れて横っツラぶん殴って足を払って床に張り倒して真上から腹を踏んづけたところで一歩下がった。クソ野郎を見下す。

「……帰る」

 テーブル席からは謎の拍手と歓声と指笛まで起こった。さっきから誰がピューピュー吹いていやがる殺すぞ。
 店でキスして店で抱き合い店でブン殴って店を出てきた。その店の中から慌ただしく追いかけてきやがったこのクソバカと、今夜も俺は、一緒に帰る。
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