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伯爵side
しおりを挟む「帰ったか」
窓からイフェイオンが帰っていくのを確認すると、伯爵は椅子に倒れるように座り込んだ。
エニシダが消えたことが気づかれずに済んだ安堵感とさっきまでのイフェイオンとのやり取りのせいで疲れて、今日は何もせずに今すぐ休みたかった。
だが、その前にやらなければならないことがあった。
栄光の冠の件を妻に確認しなければならない。
万が一、エニシダの手に渡っていなければ、それをイフェイオンが知ればどうなるかは簡単に想像がつく。
よくて伯爵家が潰され、最悪公爵家の物を盗んだ犯罪者として牢屋に入れられる。
伯爵は力が抜けた足でなんとか歩き、妻の元へと向かった。
だが、そこには誰もいなかった。
使用人に確認するとアドリアナの部屋にいると言われた。
女どもは呑気にお茶でもしているのか、こっちはさっきまで大変だったのに、と二人に近づいていくたびに怒りが湧き上がってくる。
いつもなら扉をノックしてから娘の部屋に入っていたが、今日は何もせず勢いよく扉を開けて伯爵は中に入った。
予想通り二人は呑気にお茶をしていた。
テーブルの上には豪華はお菓子が並べられていた。
「お、お父様?」
険しい顔でいきなり入ってきた父にアドリアナは驚いてしまう。
「あなた、レディの部屋にノックもせずに入るのはマナー違反ですよ」
優雅に紅茶を飲みながら夫人は優しく指摘するが、それに伯爵はイラッとして鋭い目で彼女を睨みつける。
「聞きたいことがある」
伯爵は優しさなど感じられない冷たい声で吐き捨てるように言う。
「なんでしょうか?」
夫人は大して驚かずに返事をする。
伯爵が自分に冷たい態度をとるのはこれが初めてではない。
愛人だった頃にはよくあった。
伯爵夫人の座を手に入れるために、ここまで我慢してきたのだ。
どうすれば機嫌が良くなるかは熟知している。
そんな余裕から夫人は焦ることはなかった。
「栄光の冠はいまどこにある?」
エニシダの部屋にある、そう言えと祈るように伯爵は夫人の返事を待った。
時間にすると五秒にも満たない短い時間だったが、伯爵にはこの五秒がとてつもなく長い時間に感じられた。
「それは……」
夫人が答えようとする前に、アドリアナが「それなら、ここにあるわよ」と椅子から立ち上がり棚に飾ってある栄光の冠を手に取ってみせた。
「なぜ、お前がもっている?」
伯爵は自分の声が情けない声で震えているのにも気づかないくらい慌てていた。
このことがバレたら自分は終わってしまう、と。
「どうしてって、お姉様より私の方が似合うからですよ。お父様」
そう言って、アドリアナは満面の笑みを浮かべながら栄光の冠を頭に乗せた。
「その通りよ。あんな小娘よりアドリアナが持っている方がいいに決まっているわ」
夫人もアドリアナに賛同する。
自分たちがしたことがどれだけ最悪な事態を引き起こすのか想像もできない二人は、伯爵が今どんな表情をしているのが目に入らないほど楽しそうにしていた。
何もわかっていない二人に伯爵は「卑しい血はどこまでいっても卑しいのだな」と思わずにはいられなかった。
前の妻、エニシダの母親ならこんなことにはならなかったのにな、と思ってしまった。
彼女は侯爵家の娘だった。
出会いは社交界。
令嬢たちは自分を華やかに着飾るため、ドレスは派手、宝石をたくさん付ける子が多いなか、彼女は地味だった。
いや、正確にいえば洗練されていたというべきだろうか。
他の令息も同じことを思っていたのか、彼女に好意を寄せているものは多くいた。
伯爵もその一人だった。
婚約できた時は嬉しかった。
自分が選ばれたことが嬉しかった。
最初は幸せでこの幸せがずっと続くと信じて疑わなかった。
だが、時が経つうちに彼女をウザがるようになってしまった。
自分より優秀で領民に愛されている。
生まれてきてからずっと領民のために働いてきた自分よりも何故よそ者の彼女が、と一度でも思ったら止められなくなった。
だんだんと自分たち夫婦の間に溝ができているのがわかった。
一緒にいたくなくて外で楽しむ日々が続いた。
気づけば愛人ができて一年経っていた。
彼女と最後に夜を共にしたのはいつだったか、後継者は作らねばと思い、義務で夜を共にするようになったが、愛情はお互いにとっくに消えていた。
彼女が妊娠しても喜べなかった。
彼女の目が冷たく、一緒いるのが嫌で愛人の方ばかりいた。
そのせいか、愛人にも子供ができてしまった。
貴族の男が外に愛人を作るのはよくある話だ。
愛人の子供どうするべきか、悩んでいると彼女が子供を産んで少しして亡くなった。
最後に見たときは間違いなく元気だった。
病気にもかかっていなかった。
どうして急に?
そう思わずにはいられなかった。
彼女の死体は綺麗だった。
幸せそうに微笑んでいた。
ああ、俺はこの顔が好きだった。
彼女を好きだった時の感情が蘇ってきた。
もう二度と彼女に会えない。
そう思うと胸が苦しくなった。
と、同時に彼女を死に追いやった娘が憎くてたまらなかった。
愛する気にはなれなかったが、彼女が命をかけて産んだ子を捨てることはできなかった。
使用人に育てるよう命じた。
彼女が死んでから抜け殻のように過ごしていると愛人が屋敷に訪ねてきた。
なんの話をしたかは覚えていないが、気づけば愛人が妻として伯爵家に住むことになっていた。
使用人たちの何人かは反発したが、全員クビにして黙らした。
新たな使用人は愛人が選んだ。
何もしたくなかったし、考えたくなかった。
ただ、彼女にもう一度だけ会いたかった。
そう思っていたのに、数年も経てば彼女のことなどどうでも良くなっていた。
権力やお金の方が何倍も心を満たし幸せにしてくれた。
仕事の才能はないと馬鹿にしていた連中も見返せるほどの力を手に入れられた。
エニシダがイフェイオンと結婚したら、更に力を手に入れられる。
順調すぎるほど伯爵は上に登り詰めていたというのに、愛人とその子供のせいで全てを奪われる危機に陥っていた。
もし、彼女なら他人のものに手を出すことはなかっただろう。
例え、愛人の憎い子供だったとしても。
伯爵は今この場にいる妻が愛人ではなく彼女だったら良かったのに、と思わずにはいられなかった。
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