甘味、時々錆びた愛を

しろみ

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或ル純愛

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兄は首を上げ、ビルの上階を見ているようだった。俺もそちらに目線を移すと、真っ黒のコートを着た銀髪の男が、10階ほどの高さにある窓枠に座って拡声器で何か言っているようだった。おそらく人々のざわめきの原因はこれだ。

「あーあー、聴こえるゥ?龍ちゃーん、アンタアタシに嘘つくなんてねェいい度胸してんじゃなァい?早くひじりんと真理亜を出しなさいよォ、見つけたんデショ?」
「チッ……イリヤ!とりあえず近所迷惑だから降りて来い!」
「あぁん?研究所の方針で検体探しに来たのよアタシはァ、アンタがずっとこの街に来るなって言ってたから来てみたらイイのが揃ってんじゃなァい、真理亜も見つけたし」
「ッ、!」
「ねーぇ?龍ちゃん真理亜は何処?あの子をバラバラにしないと気が済まないのよォ」
「ッふざけんな!!」
「兄貴ッ、あいつ何なんだよ?」
「……同僚だ…………」
「は?というかあいつ真理亜さんをバラバラとか言ってた気が……」
「だから危ないんだ……虎太郎、真理亜を探して」

兄が全てを言い切る前に謎の男はビルから飛び降りる。あまりにも身軽にひょいと飛び降りたので、びっくりして思わず目を丸くした。彼は恐ろしいほど軽やかに地面に着地し、兄に近寄ってくる。もはや人の成せる業ではない。

「ん?龍ちゃん真理亜の居場所知ってるのォ?アタシに教えなさいよ、ねぇ」
「ッ……兄貴!?」
「いいから行け!」
「お、おうッ」
「早く教えないとグッチャグチャにしちゃうわよぉ?」
「フン……別にお前に抱かれたって人生の汚点が増えるだけだがな」
「弟クンもろとも」
「は?」
「アンタと違って可愛い顔してるじゃない、奴隷にしたいわァ」
「ざけんな!!いいから離れろ気持ち悪い!!」

兄の怒号と銀髪の謎の男の発する気味の悪い低音ボイスが聴こえる。俺は映画館へと駆け込み、真理亜さんを必死に探した。丁度映画が終わっていたらしく、たくさんの人間が映画館の奥から出てくる。俺はその中から彼女を目を皿のようにして探す。ようやっと真理亜さんを見つけたが一緒にいた男に何か言われていた。まさか、でも今はそれどころじゃない。丁度男がいなくなったところで彼女に声を掛けた。

「あー、あの、真理亜さん」
「あら虎太郎さん、こんなところで会うなんて偶然ですわね……ってどうかなさいました?」
「……な、泣いてませんか」
「あぁ、これは先程観た映画がとても感動的でして……」

そう言って目に涙を浮かべ、ふふと微笑む真理亜さんの表情はやはりぎこちなく、何か強がっているようだ。そんな彼女を慰めたい気持ちもあるが、まずは兄に言われた通り安全を確保しなければならない。

「……、真理亜さん……絶対に外に出ないでください」
「えっ?」
「外に出ないでください、お願いします」
「何故ですか?」
「、それは……」

どう言えばいいのか分からずどもっていると、後ろから兄の声が聴こえた。謎の男の声も聴こえた。嫌な予感がして振り向くと、首輪で謎の男に引っ張られながらよろよろと歩く兄がいた。しかも亀甲縛り。しかも真顔。どうツッコめばいいのだろうか。

「ッ……」
「……イリヤこの結び方は趣味悪すぎるぞ」
「しょうがないじゃない首輪と麻縄しか持ってないのよ、そんなに不満なら首から『肉便器』って書いた看板ぶら下げればいいじゃない、段ボールでなら作るわよ」
「余計酷くするな」
「ッ、兄貴どうしてそうなったんだよ!?」
「何も聞くな……」
「意外に似合うわねェ、龍ちゃんも奴隷にしたいわァ」
「……、本題は何ですか」

謎の男の姿を見た途端、真理亜さんの顔つきが豹変した。態度は毅然としているが、瞳は襲いかかると言わんばかりに彼を射抜いていた。一体この男と真理亜さんには何の因果関係があるのか。

「決まってるじゃない、検体探しよ」
「ッ、まだ懲りずにそんなことを……」
「アンタも含まれてるわよ、早く持ち帰ってバラバラにしたいわね……」

男は兄を突き放し、真理亜さんの前に立つ。その男はするりと手を伸ばし、彼女の頬に触れようとした。

「真理亜に触るな!!」
「うるさいわね黙ってなさい」
「……、こっちがその気なら」

真理亜さんはそう小さく呟き、男を強く睨みつけた。彼女は自らの太腿に手を伸ばし、スカートの中から大量のメスを取り出した。
一瞬何が起こったのか分からなかったが、彼女は確かにスカートの下から何本ものメスを取り出したのだ。そして彼に掴み掛かろうとするが、首根っこを掴まれ阻止される。

「兵器って言っても所詮女よね」
「ッ、離せ……っ」
「やめろっつってんだろ!!」

何が起こっているか全く分からず、ただ呆然と彼らの様子を眺めていた。それではいけないのは分かっている、それなのに身体がまったくもって動かない。状況が理解できなさ過ぎるのだ。兄は必死に拘束を解こうとしている。そして真理亜さんは謎の男に殺されかけていた。

「虎太郎!!」
「ッ!」

いや、この状況を理解する必要はない。おそらく俺がやることは一つだ。俺はある場所へと走った。

「……アンタ弟に何言ったのよ」
「別に何も言っていない、あいつは頭がいいから言わなくても分かるだろう」
「相変わらずブラコンなのね……、まぁいいわアタシはひじりんと真理亜を生きたまま持って帰るのが目的だから」
「ッ……」
「というかアンタそんなにアタシに殺されるのが不満なの?周りを巻き込んで死ぬ気なんでしょ?」
「……ッ、アンタに……殺されるよりは……いいわよ……」
「ッ駄目だ真理亜!!」
「……、龍一さん……」

映画館のカウンターで"ある物"を探してもらい、今やっと見つかった。俺は兄に駆け寄り、すべきことをした。後は、俺の入るところではない。捨て台詞のように彼にこう言って俺はその場を離れる。

「後でこの状況を説明しろよ」
「あぁ……」

兄はそう呟き小さく頷く。ふと顔を上げると、真理亜さんは手に持ったメスを自らの首に掛けていた。それで男の片手を斬りつける。

「……ッ、」
「……真理亜、」

兄はほっと胸を撫で下ろしたようだが、男の拘束から逃れた彼女は、舌舐めずりをして、まず目に入った人間に襲い掛かろうとしたのだ。その瞳には兄はおろか、恐らく人間は映っていないのだろう。彼女が見る人間はおそらくただの無防備な“獲物”でしかないのだ。普段の柔和な彼女の様子から感じ取ったことのない狂気と殺気が、あまり関わったことのない俺でも感じ取れる程なのだ。
俺は更にどうしたらいいのか分からず、ただ、女にとことん弱いうちの兄がどうするのかをただ眺めるしかなかった。

「ッ、真理亜!」
「……、さよなら……」

真理亜さんは兄を一瞥してそう言った。兄はギリと歯を軋ませ、彼女に駆け寄ろうとしたが、真理亜さんは既に兄には目もくれず、目をつけていた“獲物”に刃を向ける。

「ッ、ーーー!」






「……!?」

兄の腕には彼女の持つメスが殆ど突き刺さっていたのだ。あまりにも一瞬の出来事で何が起こったのか分からない。ただ、兄が人を庇い怪我をしたことだけが、自分が目から受け取れる最大の情報だった。

「……、逃げてろ」

真理亜さんが狙っていた人間に向かって兄はそう小さく呟く。彼の腕からはボタボタと血が零れ落ち、袖を赤く染め上げる。はぁ、とため息を零した彼は真理亜さんをじっと見つめる。

「……馬鹿、」
「……今日は馬鹿だの阿呆だのよく言われるな」
「、何で放っといてくれないのですか」
「……好きだからだ」
「、……馬鹿なこと言わないで……、私なんか……生きてなければ良かったの、こんな……人殺しにしか役に立たない私なんて」
「そんな悲しいこと言うな……!」

兄は眉間に皺を寄せ、苦しそうに言葉を絞り出し、腕に刺さるメスを一本一本引き抜いた。真理亜さんは全身から力が抜けたようで、その場にへたり込む。

「……俺は真理亜のことを一回も死んで欲しいなんて思ったことはない、それどころかお前のような美しい女性に逢えたことは本当に運命の巡り合わせだと思っている」
「……、」
「だからお前が死ぬことで俺が不幸になる」
「……ッ」
「お前が俺のことを好きじゃなくてもいい、だが……死のうとするな、生きる意味が見つからないなら……」
「…………」
「俺の為に生きてくれ、真理亜」

真理亜さんは目を丸くして兄を見つめ、暫くそのままの状態だった。一方の彼は、俺に向かって足を進める。傷の痛みは相当なものらしく、額に脂汗を浮かべ、歯軋りをして耐えていた。

「……病院行ってくる」
「あ、あぁ……」
「とりあえずイリヤ殴っとけ」
「イリヤ……ってあいつか」
「あいつだ……、本当は俺が殴りたいんだが」
「いいよ、俺がやっとく」
「……頼んだ」

兄を目線で送り、イリヤと呼ばれた男に目を移す。彼は真理亜さんに切られた手首を腕にグリグリと押し付けていた。よく見ると、彼の腕からは血がまったく出ていない。真理亜さんはメスでかなり深くまで手首を切っていたのだ。切断という程ではないが、普通ならば大量に出血しているはず。
彼は、何者なのか。

「あーんもう……腕治すのめんどくさいのに……」
「……お前何なんだよ」
「ん?アンタ龍ちゃんの弟じゃない……兄に似ず綺麗な顔してるわねェ、アタシの奴隷にならない?」
「ならねーよ、それより俺兄に頼まれててさァ」
「何よ」

俺は首を回してバキバキと鳴らし、彼の方を向いてにたりと口角を上げた。

「十発くらい殴らせろ」
「…………お断りよ」
「だろうな、俺みてーに顔大事にしてそうだもんな」
「何よアンタ、ナルシシズムでも掲げてんの」
「ちげーよ俺モデルだからよ」
「へぇ、確かに立ち姿も綺麗だものね」
「ありがとよ、雑誌で見たらよろしく」

イリヤは一通り腕を固定したようで、黒いコートのような上着のポケットに手を突っ込んだ。彼も不敵な笑みを零し、俺を睨みつけた。

「まぁアタシはアンタには何の目的もないからどうでもいいんだけど」
「……、」
「長話する気もないし勿論アンタに殴られるだなんてごめんよ、用があるから帰るわ……また修復箇所が増えたら困るのよ」
「ッてめ……」
「そんなに逢いたいならまた来てあげるわよ、首輪を持って」
「……いらねーよ」

イリヤはやたら脳裏に響く低い声でくっくっと笑い、俺の目の前から姿を消した。辺りを見回すと人影は全くなく、ただ床に手をついて涙を零す真理亜さんがぽつんと居るだけだった。彼女に駆け寄り、そして優しく背中をさすってやる。

「……、真理亜さん……」
「…………私……何てことを……」
「別に大丈夫っすよ、兄貴あれでも体力あるんで」
「……ごめんなさい……、」
「…………」
「私は、本当に……生きていていいのでしょうか……」
「……、それは兄貴に訊くべきです、答えは決まってるでしょうけどね」

俺は真理亜さんに手を差し伸べ、彼女を連れて兄の行った病院まで向かった。







病院の受付に行き、二人で兄を待つことにした。暫くそのままでいると、腕に包帯を巻き、首から腕を吊り下げた彼が現れた。

「兄貴大丈夫?」
「何か骨折した人みたいな感じになったのだが」

包帯でぐるぐる巻きにされた腕を一瞥して苦笑する兄に、真理亜さんは小さく声を掛ける。

「……龍一さん……、」
「真理亜……大丈夫か?」
「……私のせいでこんなことになってしまって、本当にごめんなさい……」
「別に気にするな、お前が元気ならそれでいい」
「……でも……、」
「あー真理亜さん、映画館の次は隠れ家的カフェでお茶するんでしたっけ?」

如何にもわざとらしく真理亜さんに声を掛け、國弘のメモを広げる。一通り目を通してから霧夜先生が書いた部分だけを千切り、兄に渡した。

「行ってこいよ、真理亜さんと」

俺は兄に頑張ってこいと言い、彼女に微笑みかけてから、病院から外へと出た。俺ってつくづくいい奴、なんて心の中で思いながら帰路につく。グシャグシャになった霧夜先生の文字が書かれたメモを開くと、汚い文字の端に意外な言葉が書かれていたのだ。


“真理亜を泣かせたら殺す”


「……兄貴殺されるな……、まぁ、でもこれでいいんだよな、國弘」






-END-
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