煙草を忘れた話

木野 月湖

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煙草を忘れた話

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「あぁぁ…」
月に二度とある病院に通院する香苗という、少女と呼ぶには多少遅い年齢の女性が、コーヒーショップの喫煙席で大きなため息をついていた。
節約という言葉ばかりが目に付くこのご時世に、病院に行く前にコーヒーを飲み、文庫本を読み、時たま煙草をふかす時間が香苗の小さな楽しみだった。


(そういえば家のパソコンの横に置いてあった気がする…。)
脳裏に、前につき合っていた人に貰った上質の煙草ケースと、先日オイルを入れたばかりのジッポが思い浮かんだ。

「はぁ…」
まだ熱いカフェオレを一口飲んで、その火傷しそうな熱さを確かめながら喫煙席をくるりと見渡すと、当たり前なのだが皆灰皿がテーブルの上にある。
それを見ると、漂う副流煙が肺に入るのも相まってもっと煙草が恋しくなる。

(折角喫煙席に座ったのにな…)
周囲に喫煙者がおらず、友人らといる時は気を使っていつも禁煙席に座り、自宅でも気管の弱い家族がいたりで吸わないように心がけているからこそ、この
「どうぞ吸ってくださいな」
と言わんばかりのこの席でひとりいるというのに煙草を吸えないのは辛かった。
煙草がないと生きていけない!という程のヘビースモーカーではなく、むしろ二週間に一箱吸うかどうかの軽い喫煙者なので、どうしても吸いたいという訳ではないのだ。
その筈なのに今この瞬間、体はものすごく煙草を欲している。


その時ふと後ろからカチンという小気味良い音が聞こえた。
聞き慣れたジッポの音だ。
音の方を見れば、自分の父親と同じくらいか、妙齢の男性が二人でコーヒーを飲みながら会話をしている姿があった。

「増税がね…」
「…煙草がー……」
来月からはじまる煙草増税について話している。丁度自分も、さっき自動販売機の前に立って同じ事を思っていた所だった。

(…もしかすると)
少し、迷ったがこういう時は肩身が狭い者同士助け合いが出来るのではないか。私だったらそうするだろう、と思い

ー思い切って声をかけてみた。


「すみません。煙草を一本だけ、いただけないでしょうか」


使い込まれたジッポでつけられたマイルドセブンは、いつも自分が吸ってるものより美味しく感じられた。




2010/09/09 
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