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岩窟 Ⅰ
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頑強な洞窟__岩窟は、広くないが、狭くもない。
この岩窟へ踏み入って、まず丸いテーブルと2客の椅子が出迎えた。その向こうの壁には、壁に向かうように設置された長い板があり、そこにも椅子が1客。長い板の上には、丁寧に本が並んでおかれている。
部屋の岩壁の腰くらいの高さに、人工的に掘られた空間がある。空間の天井はなだらかな円形で、そこの床には、ふわりとした柔らかそうな布団が敷かれている。
そのことを、寝台、と子響は言った。
出迎えたテーブルをはさんで左右対称に、2つ寝台としての空間がある。それぞれの寝台の空間と、中央の部屋とを幕で仕切っている構造だった。
部屋には、窓はない。灯りは、長い板の上に置かれた蝋燭のみである。
「サミジーナ殿が灯りを入れてくれていたか。__さ、どうぞ」
言いながら、子響は中へと誘う。
ロンフォールは周囲を観察するように視線をめぐらしながら入室し、シーザーは鼻をひくつかせて続いた。
「狭いでしょう」
「ここが……俺の部屋?」
「私と共に使うことになりますが」
子響は苦笑を浮かべ、少し言いにくそうに視線をめぐらしながらテーブルへ進む。
「__貴方の護衛と監視も兼ねているので」
テーブルの木目をなぞるように触れ、そこに視線を落としたまま、ぽつり、と告げた。
「うん、わかってる。なんとなく、さっき言ってたのでわかったから」
洞窟を抜け、里へ踏み入った。この部屋と同じように岩をくりぬいて作ったような大きな部屋__リュングの部屋で彼らの会話からそうと悟ったのだ。
リュングの部屋には寝台は1つしかなく、もっと物に溢れた印象だった。
寝台の向かいの壁には、棚が設置されており様々な器具が目を引く。長い机の上には、乱雑に本が置かれ、様々な道具が使ったままの状態で置かれていた。
物が多いその部屋には、乾いた草の香りが満ちていた。その源は、長い机の上から種類ごとの束で吊るされた草。いろいろな種類があり、匂いが混ざり合っているのだが、不思議と不快になる香りにはなっていなかった。
そこへ来た女性__彼女もまたケルビム__が会釈をすると濡れたままのワグナスを連れて去り、その後、リュングの指示で身を清めるために分かれた。
龍帝従騎士団の制服は、滝の飛沫をたくさん浴びてしまっていたので洗濯に回してしまい、借り物の服__リュングと似たような服を借りた。
__やはりケルビムですね。違和感がない。
着付けがよくわからず、子響が手を貸してくれながら最後にそういったのが、何故か嬉しかった。似合うということよりも、子響にそう言われたことが、記憶のない自分を肯定してもらえたような心地になれたのだ。
明るく答えたロンフォールに対し、子響は複雑な表情を浮かべ、槍を右手の寝台の脇に立てかけると奥の灯りへと歩み寄った。その蝋燭を手にとって、テーブルの上や壁にある他の蝋燭へと灯りを移して増やしていく。
「お寒くは?」
「いや、大丈夫」
ロンフォールが答えた直後に、部屋の扉がノックされる。
「お夕食をお持ちしました」
さっきの女の声だ、とロンフォールが内心思っていると、子響が扉に歩み寄って開ける。
「ありがたい。手数をかけた」
いえ、と答える女性は、手に持っていた盆を子響に渡した。
「さきほどは紹介をしそびれましたね。ロンフォール殿、彼女はサミジーナ。__サミジーナ、こちらはロンフォール・レーヴェンベルガー卿」
恭しく礼をとるサミジーナに、ロンフォールもつられて会釈する。__これまでにそういうものなのだ、となんとなく察していたが故の行為である。
ロンフォールにとってケルビムの女性は彼女が初めてだ。柔らかく笑んだその表情と雰囲気がとても印象深い。
「ああ、よくお似合いですね。大きさも丁度良いようで」
くつり、と無邪気に、だが上品に笑むので、ロンフォールはこそばゆくなり、後ろ頭をかいた。
「ワグナスは如何で?」
「大丈夫です。お風呂に入って温まったあと、すぐ寝てしまいました」
そこまで言って、彼女は白い大犬へ視線を向けた。
いくらか乾いたとはいえ、長く白い毛は重たく垂れている。
「助かったわ、シーザー。すごいのね。ワグナスが、うんとお礼をしたいそうよ」
話しかけられたシーザーは、大きく1度尾を振るだけで、じっとサミジーナの様子を見ている。
「さぁ、温かいうちに召し上がって。食器は明日の朝、食堂にお持ちいただければいいですから」
サミジーナが一礼して踵を返すので、子響が扉を閉めようとしたとき、あっ、と短く思い出したような声を彼女が上げて扉の動きを止めさせた。
「如何した?」
「すみません。子響殿は、今夜のお夜食は?」
「ああ。今日はロンフォール殿もおられますから、大人しく寝ようと思います。__いつもすみません」
いえ、と笑顔で答えて、彼女は今度こそ去っていった。
扉を閉め、盆を手に子響は部屋の中央のテーブルに向かい、ロンフォールを椅子へ腰掛けるように促す。
湯気の昇る器を5つ並べ、肉叉(にくさ)と匙はロンフォールの座った席の前に、長細い棒を2つは子響が座る席の前にそれぞれ並べる。
「左手、もう大丈夫なのか?」
「ええ。ほら」
指を一本一本曲げていき、すべて曲げきった後に今度は開いていく。何度か手を結んでは開いて見せてくれたので、ロンフォールは表情に出てしまうほど、ほっとした。
そのロンフォールの様子に、子響は微かに笑った。
「そうそう。シーザーの食事、分からなかったので適当にしてしまいましたが……我々が食べてからでしょうかね? 食べさせるのは」
盆にあるもう一つの食事と水の器を手にとって、子響はシーザーへと視線を落とす。
「そういうものなのか?」
「主従関係を維持するためには、普通、主人の後に。おそらく、そのように龍帝従騎士団でも、躾けていたはずです。__そうしましょうか?」
「……見られているのは、ちょっと……。記憶がないうちはいいんじゃないかな」
わかりました、と子響は頷いて、その2つの器をシーザーの前に置いた。
そして、湯のみにお茶を注いで、ロンフォールに手渡して自分も席に腰を下ろす。
湯上りで喉に渇きを覚えていたロンフォールは、そのお茶に口をつけた。しっとりとしたほどよい苦味が喉を通っていくのが分かる。
「……やはり、信用ならないようだ」
湯飲みをおろして子響を見れば、彼は湯飲みを手にしたまま、シーザーに視線を向けていた。
シーザーは、器から顔を遠のけるようにして床に伏せていて、ロンフォールの視線に気がつくと、目を開け顔をむけてくる。
「お前、お腹が減ってないのか?」
問えばシーザーは目を伏せて、ため息を零す様にひとつ大きく息を吐き出した。
「ああ、そうだ。ロンフォール殿が、よし、と号令すればあるいは」
「……よし」
だが、耳をぴくり、と動かして目を開けるだけで、シーザーは動こうとしない。
「食事が御気に召さないのか……あるいは、訓練の賜物なのか。先ほどの救助のことを思うと、後者なのだろうが」
ロンフォールはすっ、と席を立ってシーザーの前に座ると、その器を手にとって食事を眺めた。
シーザーは首を傾げ、主の行動を見守る。
視線を感じながら、ロンフォールは食事の香りを嗅いでみると、とても食欲をさそう良い匂いだ。
見つめてくるシーザーを見てから、ロンフォールはその食事を指でつまんで一口ほおばってみる。
途端に、驚いたように、シーザーは飛び起きてまじまじと主人を見つめた。そして、彼は鼻を鳴らして、ロンフォールの口元や体中のあちこちを吟味するように嗅いでまわる。
「そうか。__毒が盛られているとでも、思ったのかもしれませんね」
え、と子響に振り返ると、彼は苦笑した。
「__毒って……」
「無味無臭の毒もありますから。それを警戒したのでしょう。とても利口な犬だ。貴方を守れるのは、彼しかいませんし、おそらく彼もそれを自覚しているのだと。__大丈夫だ、毒など盛るわけがないだろう」
シーザーに言って子響は席を立ち、本が積まれた長い板の机の下から、踏み台をもってシーザーの前におく。
彼は、ロンフォールから器を受け取り、水入れも手にとってその踏み台の上に並べた。
「それは?」
「脚が長い犬なので、こうしたほうが食べ易いかと。シーザーの卓です」
シーザーは子響を見、次いでロンフォールへと視線を向けた。
「おいしいから、シーザー、食べよう」
促して頭を撫でると、シーザーは再び香りを嗅いで、少しずつ静かに食べ始めた。
手を使って食べられない犬だから、食べやすいように、とロンフォールは器の縁に偏って固まってしまうご飯を、器に指を入れて均してやる。
ほう、とそれを見ていた子響が感嘆した声を漏らす。
「どうかしたのか?」
「大抵の犬は、手を器に近づけただけで、とられる思って威嚇し、酷いときは噛みつくのです」
「そうなのか?」
頷きながら子響は笑った。
「__よく躾けられていますね。信頼もあるのでしょう。それにしても、とても利口だ」
さあ、と子響は、ロンフォールを促して席に戻った。
この岩窟へ踏み入って、まず丸いテーブルと2客の椅子が出迎えた。その向こうの壁には、壁に向かうように設置された長い板があり、そこにも椅子が1客。長い板の上には、丁寧に本が並んでおかれている。
部屋の岩壁の腰くらいの高さに、人工的に掘られた空間がある。空間の天井はなだらかな円形で、そこの床には、ふわりとした柔らかそうな布団が敷かれている。
そのことを、寝台、と子響は言った。
出迎えたテーブルをはさんで左右対称に、2つ寝台としての空間がある。それぞれの寝台の空間と、中央の部屋とを幕で仕切っている構造だった。
部屋には、窓はない。灯りは、長い板の上に置かれた蝋燭のみである。
「サミジーナ殿が灯りを入れてくれていたか。__さ、どうぞ」
言いながら、子響は中へと誘う。
ロンフォールは周囲を観察するように視線をめぐらしながら入室し、シーザーは鼻をひくつかせて続いた。
「狭いでしょう」
「ここが……俺の部屋?」
「私と共に使うことになりますが」
子響は苦笑を浮かべ、少し言いにくそうに視線をめぐらしながらテーブルへ進む。
「__貴方の護衛と監視も兼ねているので」
テーブルの木目をなぞるように触れ、そこに視線を落としたまま、ぽつり、と告げた。
「うん、わかってる。なんとなく、さっき言ってたのでわかったから」
洞窟を抜け、里へ踏み入った。この部屋と同じように岩をくりぬいて作ったような大きな部屋__リュングの部屋で彼らの会話からそうと悟ったのだ。
リュングの部屋には寝台は1つしかなく、もっと物に溢れた印象だった。
寝台の向かいの壁には、棚が設置されており様々な器具が目を引く。長い机の上には、乱雑に本が置かれ、様々な道具が使ったままの状態で置かれていた。
物が多いその部屋には、乾いた草の香りが満ちていた。その源は、長い机の上から種類ごとの束で吊るされた草。いろいろな種類があり、匂いが混ざり合っているのだが、不思議と不快になる香りにはなっていなかった。
そこへ来た女性__彼女もまたケルビム__が会釈をすると濡れたままのワグナスを連れて去り、その後、リュングの指示で身を清めるために分かれた。
龍帝従騎士団の制服は、滝の飛沫をたくさん浴びてしまっていたので洗濯に回してしまい、借り物の服__リュングと似たような服を借りた。
__やはりケルビムですね。違和感がない。
着付けがよくわからず、子響が手を貸してくれながら最後にそういったのが、何故か嬉しかった。似合うということよりも、子響にそう言われたことが、記憶のない自分を肯定してもらえたような心地になれたのだ。
明るく答えたロンフォールに対し、子響は複雑な表情を浮かべ、槍を右手の寝台の脇に立てかけると奥の灯りへと歩み寄った。その蝋燭を手にとって、テーブルの上や壁にある他の蝋燭へと灯りを移して増やしていく。
「お寒くは?」
「いや、大丈夫」
ロンフォールが答えた直後に、部屋の扉がノックされる。
「お夕食をお持ちしました」
さっきの女の声だ、とロンフォールが内心思っていると、子響が扉に歩み寄って開ける。
「ありがたい。手数をかけた」
いえ、と答える女性は、手に持っていた盆を子響に渡した。
「さきほどは紹介をしそびれましたね。ロンフォール殿、彼女はサミジーナ。__サミジーナ、こちらはロンフォール・レーヴェンベルガー卿」
恭しく礼をとるサミジーナに、ロンフォールもつられて会釈する。__これまでにそういうものなのだ、となんとなく察していたが故の行為である。
ロンフォールにとってケルビムの女性は彼女が初めてだ。柔らかく笑んだその表情と雰囲気がとても印象深い。
「ああ、よくお似合いですね。大きさも丁度良いようで」
くつり、と無邪気に、だが上品に笑むので、ロンフォールはこそばゆくなり、後ろ頭をかいた。
「ワグナスは如何で?」
「大丈夫です。お風呂に入って温まったあと、すぐ寝てしまいました」
そこまで言って、彼女は白い大犬へ視線を向けた。
いくらか乾いたとはいえ、長く白い毛は重たく垂れている。
「助かったわ、シーザー。すごいのね。ワグナスが、うんとお礼をしたいそうよ」
話しかけられたシーザーは、大きく1度尾を振るだけで、じっとサミジーナの様子を見ている。
「さぁ、温かいうちに召し上がって。食器は明日の朝、食堂にお持ちいただければいいですから」
サミジーナが一礼して踵を返すので、子響が扉を閉めようとしたとき、あっ、と短く思い出したような声を彼女が上げて扉の動きを止めさせた。
「如何した?」
「すみません。子響殿は、今夜のお夜食は?」
「ああ。今日はロンフォール殿もおられますから、大人しく寝ようと思います。__いつもすみません」
いえ、と笑顔で答えて、彼女は今度こそ去っていった。
扉を閉め、盆を手に子響は部屋の中央のテーブルに向かい、ロンフォールを椅子へ腰掛けるように促す。
湯気の昇る器を5つ並べ、肉叉(にくさ)と匙はロンフォールの座った席の前に、長細い棒を2つは子響が座る席の前にそれぞれ並べる。
「左手、もう大丈夫なのか?」
「ええ。ほら」
指を一本一本曲げていき、すべて曲げきった後に今度は開いていく。何度か手を結んでは開いて見せてくれたので、ロンフォールは表情に出てしまうほど、ほっとした。
そのロンフォールの様子に、子響は微かに笑った。
「そうそう。シーザーの食事、分からなかったので適当にしてしまいましたが……我々が食べてからでしょうかね? 食べさせるのは」
盆にあるもう一つの食事と水の器を手にとって、子響はシーザーへと視線を落とす。
「そういうものなのか?」
「主従関係を維持するためには、普通、主人の後に。おそらく、そのように龍帝従騎士団でも、躾けていたはずです。__そうしましょうか?」
「……見られているのは、ちょっと……。記憶がないうちはいいんじゃないかな」
わかりました、と子響は頷いて、その2つの器をシーザーの前に置いた。
そして、湯のみにお茶を注いで、ロンフォールに手渡して自分も席に腰を下ろす。
湯上りで喉に渇きを覚えていたロンフォールは、そのお茶に口をつけた。しっとりとしたほどよい苦味が喉を通っていくのが分かる。
「……やはり、信用ならないようだ」
湯飲みをおろして子響を見れば、彼は湯飲みを手にしたまま、シーザーに視線を向けていた。
シーザーは、器から顔を遠のけるようにして床に伏せていて、ロンフォールの視線に気がつくと、目を開け顔をむけてくる。
「お前、お腹が減ってないのか?」
問えばシーザーは目を伏せて、ため息を零す様にひとつ大きく息を吐き出した。
「ああ、そうだ。ロンフォール殿が、よし、と号令すればあるいは」
「……よし」
だが、耳をぴくり、と動かして目を開けるだけで、シーザーは動こうとしない。
「食事が御気に召さないのか……あるいは、訓練の賜物なのか。先ほどの救助のことを思うと、後者なのだろうが」
ロンフォールはすっ、と席を立ってシーザーの前に座ると、その器を手にとって食事を眺めた。
シーザーは首を傾げ、主の行動を見守る。
視線を感じながら、ロンフォールは食事の香りを嗅いでみると、とても食欲をさそう良い匂いだ。
見つめてくるシーザーを見てから、ロンフォールはその食事を指でつまんで一口ほおばってみる。
途端に、驚いたように、シーザーは飛び起きてまじまじと主人を見つめた。そして、彼は鼻を鳴らして、ロンフォールの口元や体中のあちこちを吟味するように嗅いでまわる。
「そうか。__毒が盛られているとでも、思ったのかもしれませんね」
え、と子響に振り返ると、彼は苦笑した。
「__毒って……」
「無味無臭の毒もありますから。それを警戒したのでしょう。とても利口な犬だ。貴方を守れるのは、彼しかいませんし、おそらく彼もそれを自覚しているのだと。__大丈夫だ、毒など盛るわけがないだろう」
シーザーに言って子響は席を立ち、本が積まれた長い板の机の下から、踏み台をもってシーザーの前におく。
彼は、ロンフォールから器を受け取り、水入れも手にとってその踏み台の上に並べた。
「それは?」
「脚が長い犬なので、こうしたほうが食べ易いかと。シーザーの卓です」
シーザーは子響を見、次いでロンフォールへと視線を向けた。
「おいしいから、シーザー、食べよう」
促して頭を撫でると、シーザーは再び香りを嗅いで、少しずつ静かに食べ始めた。
手を使って食べられない犬だから、食べやすいように、とロンフォールは器の縁に偏って固まってしまうご飯を、器に指を入れて均してやる。
ほう、とそれを見ていた子響が感嘆した声を漏らす。
「どうかしたのか?」
「大抵の犬は、手を器に近づけただけで、とられる思って威嚇し、酷いときは噛みつくのです」
「そうなのか?」
頷きながら子響は笑った。
「__よく躾けられていますね。信頼もあるのでしょう。それにしても、とても利口だ」
さあ、と子響は、ロンフォールを促して席に戻った。
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