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兄と妹
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手折った花の茎を指先で転がして、花弁を回す。
濃い青の花弁は矢羽根の形で、それが馬車の車輪のように並んでいる花。故に、その花を矢車菊という。これは、エーデルドラクセニア帝国の国花である。
巨木の周りを中心に、里の至る所に花開いている。この花は麦の刈り入れの時期に、もっとも色艶の綺麗な花弁をみせてくれる。まさに今がその時期__ロンフォールは感慨深くなった。
特にこの濃く深い青が好きなロンフォールは、これが見納めだと思うと感慨深さも一塩であるが、どこか凪いだ気持ちでもあった。
「兄者……」
ぼんやりと手元の花を見入っていたロンフォールの耳に聞こえた声は微かで、明らかに独り言だった。
壁に背を預けながら、ロンフォールは顔を上げる。
「本当に貴女の実兄なんだな」
未だ目覚めぬままの導師を、椅子に腰掛けて見入る小さな少女の背にそう声をかけるが、彼女は振り返らなかった。
代わりに、導師のバンシーのフルルカスがロンフォールを見つめてきた。
バンシーはみな一様に同じ顔だ。しかし片翼族の者であれば、本能的に自分のバンシーか否かを見分けられる。
じぃっ、と見つめてくるフルルカス。責める風でもなく、咎める風でもない視線に、ロンフォールは肩をすくめてフィガロへと視線を戻した。
「……俺が憎いか?」
その問いは、憎まれ口だと認識しながらも、つい口をついて出てしまったものだった。
少女の代わりに、同席しているイェノンツィアが伏せたままの目でこちらに顔を向けた。
片翼族の少女は、昨夜もう一度、秘宝と接触を試みたらしい。立ち会いは、イェノンツィアのみ。導師の状態の詳細の確認らしい。巨木の虚から出てきた少女は、無言で難しい顔をしていたから、相変わらず回答は同じで、収穫はなかったのだろうということは察しがついた。
「……話せないのが悔やまれるな」
「あなたと違って、あたしはこのまま長生きだから」
ロンフォールはイェノンツィアを見た。
涼しい表情でいるが、この男の本性は魔性の異形。それも人に化けられる高位の異形だ。この魔物は神子と取引をし、永遠に等しい命を神子は得ている。
こうした取引のことを誓約といい、誓約をした内容は個々違う。誓約には代償が伴うもの。彼女の場合、時間__老いを失った。
誓約というものがあると話には聞いていたロンフォールも、彼女たちが始めて間近にした誓約者たちだった。
神子が魔性の異形と取引したというのは外聞が悪い。だが、これも均衡の神子に許されたからこその契約なのだそう。
__不可知の物差しは、よくわからん。
「……そうだな、確かに2人とも長生きなのだから、いくらでも会えば話せるだろうな」
ぼんやり、と視線を移した先の導師を、改めて不思議だと思う。
これほど長く昏睡しているのに、衰える気配が導師にはないのだ。本当にただ眠っているだけの印象しか与えない。
「双翼か……」
呟きながら、自分の右腕をさすった。
これが双翼と片翼の違いなのだろう。
「悔しいのなら、あなたも双翼か誓約者になればいいじゃない」
「悔しいのではないな」
「なら、羨ましいのね」
「違うな。たとえそうだったとしても、双翼にも誓約にも興味はない」
無条件の服従と力を得る代わりに、誓約は何かを差し出すのだという。その何か、はその時々によって異なり、しかもそれは、魔物を魅了するものでなければならないのだという。
双翼になる術もある。
自分は自分のことが大事だし、まるっと全て好きとはいえないまでも嫌いではない。だからと言って、己が身可愛さのため、誰かを自分の生贄を差し出すなど、想像するだにに恐ろしい。
その生贄がたとえどれほど卑しい者でも、自分の矜持が許さない。そこまでして生きて、何の価値があるのかわかならいし、そもそも長生きをする動機がないのだ。__故に昔から選択肢になかった。
「俺は、潔く自分の宿命を受け入れるよ。貴女と違って」
神子ということで地位こそ彼女は上だ。だが、いつのころからか、彼女とはこういう皮肉の掛け合いになっていた。
黄昏の神子守になる前は、彼女の神子守だった。それからの付き合い。
同じケルビムだから気兼ねしないですむのか、憎まれ口ばかり叩く彼女は、よく自分をこき使ってくれる。今回もそうだ。
「黄昏の神子、どうしようもできないわね」
ケルビムである、というのは驚きだった。同じ気配がしないのだ。特徴的なものが何一つない彼女は、ただの人間だと思っていた。
__均衡の神子は、知っていたようだが。
ふむ、とため息をもらしつつ、手にしていた矢車菊を花器にこだわりなく活け、ロンフォールは腕を組んだ。
「今回のことで昇進確定ね。おめでとう、大隊長殿」
ロンフォールは、足元に控えるシーザーの頭を撫でて、肩をすくめた。
「どうだろうな」
順調に昇進を重ねても、大隊長が限界なのは分かっていた。だが、その大隊長もなれる可能性はない。
すべての席が埋まっていて、上がる余地がないのだ。
自分は限りある生の中で、どこまで至れるか__それをずっと念頭に行動してきただけだ。
空とは__空を飛ぶとはどんなものなのだろう、という動機から龍騎士を目指し、そこで一隅を照らすが如く動いてきただけで、肩書きは後からついてきたもの。上がろうが上がるまいが、どうでもいい。
今回の一件は、自分の生あるうちに、疑問を解いておきたかったのだ。
__何故、俺を殺さなかった……。
濃い青の花弁は矢羽根の形で、それが馬車の車輪のように並んでいる花。故に、その花を矢車菊という。これは、エーデルドラクセニア帝国の国花である。
巨木の周りを中心に、里の至る所に花開いている。この花は麦の刈り入れの時期に、もっとも色艶の綺麗な花弁をみせてくれる。まさに今がその時期__ロンフォールは感慨深くなった。
特にこの濃く深い青が好きなロンフォールは、これが見納めだと思うと感慨深さも一塩であるが、どこか凪いだ気持ちでもあった。
「兄者……」
ぼんやりと手元の花を見入っていたロンフォールの耳に聞こえた声は微かで、明らかに独り言だった。
壁に背を預けながら、ロンフォールは顔を上げる。
「本当に貴女の実兄なんだな」
未だ目覚めぬままの導師を、椅子に腰掛けて見入る小さな少女の背にそう声をかけるが、彼女は振り返らなかった。
代わりに、導師のバンシーのフルルカスがロンフォールを見つめてきた。
バンシーはみな一様に同じ顔だ。しかし片翼族の者であれば、本能的に自分のバンシーか否かを見分けられる。
じぃっ、と見つめてくるフルルカス。責める風でもなく、咎める風でもない視線に、ロンフォールは肩をすくめてフィガロへと視線を戻した。
「……俺が憎いか?」
その問いは、憎まれ口だと認識しながらも、つい口をついて出てしまったものだった。
少女の代わりに、同席しているイェノンツィアが伏せたままの目でこちらに顔を向けた。
片翼族の少女は、昨夜もう一度、秘宝と接触を試みたらしい。立ち会いは、イェノンツィアのみ。導師の状態の詳細の確認らしい。巨木の虚から出てきた少女は、無言で難しい顔をしていたから、相変わらず回答は同じで、収穫はなかったのだろうということは察しがついた。
「……話せないのが悔やまれるな」
「あなたと違って、あたしはこのまま長生きだから」
ロンフォールはイェノンツィアを見た。
涼しい表情でいるが、この男の本性は魔性の異形。それも人に化けられる高位の異形だ。この魔物は神子と取引をし、永遠に等しい命を神子は得ている。
こうした取引のことを誓約といい、誓約をした内容は個々違う。誓約には代償が伴うもの。彼女の場合、時間__老いを失った。
誓約というものがあると話には聞いていたロンフォールも、彼女たちが始めて間近にした誓約者たちだった。
神子が魔性の異形と取引したというのは外聞が悪い。だが、これも均衡の神子に許されたからこその契約なのだそう。
__不可知の物差しは、よくわからん。
「……そうだな、確かに2人とも長生きなのだから、いくらでも会えば話せるだろうな」
ぼんやり、と視線を移した先の導師を、改めて不思議だと思う。
これほど長く昏睡しているのに、衰える気配が導師にはないのだ。本当にただ眠っているだけの印象しか与えない。
「双翼か……」
呟きながら、自分の右腕をさすった。
これが双翼と片翼の違いなのだろう。
「悔しいのなら、あなたも双翼か誓約者になればいいじゃない」
「悔しいのではないな」
「なら、羨ましいのね」
「違うな。たとえそうだったとしても、双翼にも誓約にも興味はない」
無条件の服従と力を得る代わりに、誓約は何かを差し出すのだという。その何か、はその時々によって異なり、しかもそれは、魔物を魅了するものでなければならないのだという。
双翼になる術もある。
自分は自分のことが大事だし、まるっと全て好きとはいえないまでも嫌いではない。だからと言って、己が身可愛さのため、誰かを自分の生贄を差し出すなど、想像するだにに恐ろしい。
その生贄がたとえどれほど卑しい者でも、自分の矜持が許さない。そこまでして生きて、何の価値があるのかわかならいし、そもそも長生きをする動機がないのだ。__故に昔から選択肢になかった。
「俺は、潔く自分の宿命を受け入れるよ。貴女と違って」
神子ということで地位こそ彼女は上だ。だが、いつのころからか、彼女とはこういう皮肉の掛け合いになっていた。
黄昏の神子守になる前は、彼女の神子守だった。それからの付き合い。
同じケルビムだから気兼ねしないですむのか、憎まれ口ばかり叩く彼女は、よく自分をこき使ってくれる。今回もそうだ。
「黄昏の神子、どうしようもできないわね」
ケルビムである、というのは驚きだった。同じ気配がしないのだ。特徴的なものが何一つない彼女は、ただの人間だと思っていた。
__均衡の神子は、知っていたようだが。
ふむ、とため息をもらしつつ、手にしていた矢車菊を花器にこだわりなく活け、ロンフォールは腕を組んだ。
「今回のことで昇進確定ね。おめでとう、大隊長殿」
ロンフォールは、足元に控えるシーザーの頭を撫でて、肩をすくめた。
「どうだろうな」
順調に昇進を重ねても、大隊長が限界なのは分かっていた。だが、その大隊長もなれる可能性はない。
すべての席が埋まっていて、上がる余地がないのだ。
自分は限りある生の中で、どこまで至れるか__それをずっと念頭に行動してきただけだ。
空とは__空を飛ぶとはどんなものなのだろう、という動機から龍騎士を目指し、そこで一隅を照らすが如く動いてきただけで、肩書きは後からついてきたもの。上がろうが上がるまいが、どうでもいい。
今回の一件は、自分の生あるうちに、疑問を解いておきたかったのだ。
__何故、俺を殺さなかった……。
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