アルシェルという男

朱夏

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アルシェルという男

アルシェル・トリスタン

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女という生き物はやめよう、と思った。

自分の手を眺めるのが怖くなるという不可思議な病に侵された私は、爪紅を塗るのがほんとうに、ほんとうに嫌だった。

一番の望みは母と同じように樽に入ることだったのだけれど、処女すら散らしていない私はそこらの河原に捨て置かれることになることは安易に想像がついた。

そこで目に止まったのが軍だった。

徴兵が無くなった我が国では兵が万年不足していて、人間であればいい、なんて嘯く者もいたくらいだった。

先輩遊女に言いつけられた文を届けた帰り、掲示板をぼんやり眺めていた私はまさにどうかしていたのだろう。

それは、文に染み込ませた媚の匂いと甘ったるい香水のせいなのかもしれなかったし、掲示板にびっしりと貼られた、高級そうな軍服を着た精悍な青年の微笑のせいなのかもしれない。

あまり長く留まっていたら怪しまれる。足を遊郭に向けた。

今夜伺う、と書かれている常連客の文の宛名を目で辿りながら、私は決意した。

軍人になろう、と。





アルシェル・トリスタンはなんと、面接に合格してしまった。

「万年人不足は伊達じゃないな」

国の未来に一抹の不安を覚えつつ、適当に詐称した履歴書の行方が分からないことに冷や汗をかきつつ、私は廊下をかつかつと歩いていた。

一般的な歩兵の軍服は私からしたら高級品で、支給であることに気分は良くなっていく。

上機嫌のままノックした私は、重厚な扉を開け、固まった。

目の前には書類をうざったそうに眺めながら煙管を吸う男がいた。
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