微熱でさよなら

文字の大きさ
1 / 24

プロローグ

しおりを挟む
部屋には甘く、重い芳香が漂っている。
それを感じるのは自分だけかもしれない。それは香りのようでいて、香りではない。アルファの色香を表すこの感覚を形容するのは難しい。けれど、それを感じているだけで体は火照り、下腹がどうしようもなく疼いてしまう。
相対する男の表情は暗くて窺い知ることはできない。暖炉の熾火のみが照らすにしては、部屋があまりにも広すぎるせいだ。ただ二人の人間がともに夜を過ごすためだけの空間に、きっとここまでの広さは必要ないのに。

「怖いか」
「いいえ」

覚悟はできていた。きっと痛い思いをするが、相手が彼であれば耐えられる気がした。
紐に通して腕に巻きつけていた鍵を使って、首輪の錠を開ける。
革でできているように見えて、うなじに当たる部分と喉の錠が金属で作られた、アルファの歯からオメガを守るための首輪。目の前で静かに自分を見下ろす男から贈られたものだった。
情けなく震えそうになる指を丸め、首輪をぎゅっと握る。恐れと、微かに期待のような好奇心が胸の裡でせめぎ合っている。
黒い輪郭が動き、腰を抱き寄せられた。男の息遣いが間近に迫り、緊張で肩が強張る。見上げると、ゆらめく火をかすかに反射した瞳が確かに見えた。
腰を撫で上げた手がうなじに触れて、誰にも噛まれていないことを確かめるように、まだ滑らかな素肌をなぞる。言い知れぬ衝動が込み上げ、体の力が抜けた。手から滑り落ちた首輪が、床に当たってきんと高い音を立てる。

「……っ、……」
「まだ触っただけだ」

経験のない感覚に理解が追いつかぬまま、男の手によって寝台へと引き込まれる。
天蓋から薄い紗幕が垂れた寝台の中に入ってしまえば、目の前のアルファだけが世界の全てになった。噛まれたい、触れたい、この男を自らの中に迎え入れたい。本能的な欲求が頭を埋め尽くしてゆく。
アルファの、とりわけこの男の色香は、深く濃密で芳しく、嗅いでいるだけで頭がくらくらした。

「ぁ……っ、う、」

微熱のような気だるさに支配されて崩れ落ちる体を、服越しですらしなやかな筋肉を感じさせる男の腕が受け止めた。
体が密に近づき、実感する。
今から自分は、この男に体を開かれ、うなじを噛まれてつがいとなる。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【完結】愛されたかった僕の人生

Kanade
BL
✯オメガバース 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。 今日も《夫》は帰らない。 《夫》には僕以外の『番』がいる。 ねぇ、どうしてなの? 一目惚れだって言ったじゃない。 愛してるって言ってくれたじゃないか。 ねぇ、僕はもう要らないの…? 独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。

番解除した僕等の末路【完結済・短編】

藍生らぱん
BL
都市伝説だと思っていた「運命の番」に出逢った。 番になって数日後、「番解除」された事を悟った。 「番解除」されたΩは、二度と他のαと番になることができない。 けれど余命宣告を受けていた僕にとっては都合が良かった。

〈完結〉【書籍化・取り下げ予定】「他に愛するひとがいる」と言った旦那様が溺愛してくるのですが、そういうのは不要です

ごろごろみかん。
恋愛
「私には、他に愛するひとがいます」 「では、契約結婚といたしましょう」 そうして今の夫と結婚したシドローネ。 夫は、シドローネより四つも年下の若き騎士だ。 彼には愛するひとがいる。 それを理解した上で政略結婚を結んだはずだったのだが、だんだん夫の様子が変わり始めて……?

やっと退場できるはずだったβの悪役令息。ワンナイトしたらΩになりました。

毒島醜女
BL
目が覚めると、妻であるヒロインを虐げた挙句に彼女の運命の番である皇帝に断罪される最低最低なモラハラDV常習犯の悪役夫、イライ・ロザリンドに転生した。 そんな最期は絶対に避けたいイライはヒーローとヒロインの仲を結ばせつつ、ヒロインと円満に別れる為に策を練った。 彼の努力は実り、主人公たちは結ばれ、イライはお役御免となった。 「これでやっと安心して退場できる」 これまでの自分の努力を労うように酒場で飲んでいたイライは、いい薫りを漂わせる男と意気投合し、彼と一夜を共にしてしまう。 目が覚めると罪悪感に襲われ、すぐさま宿を去っていく。 「これじゃあ原作のイライと変わらないじゃん!」 その後体調不良を訴え、医師に診てもらうととんでもない事を言われたのだった。 「あなた……Ωになっていますよ」 「へ?」 そしてワンナイトをした男がまさかの国の英雄で、まさかまさか求愛し公開プロポーズまでして来て―― オメガバースの世界で運命に導かれる、強引な俺様α×頑張り屋な元悪役令息の元βのΩのラブストーリー。

執着

紅林
BL
聖緋帝国の華族、瀬川凛は引っ込み思案で特に目立つこともない平凡な伯爵家の三男坊。だが、彼の婚約者は違った。帝室の血を引く高貴な公爵家の生まれであり帝国陸軍の将校として目覚しい活躍をしている男だった。

愛してやまなかった婚約者は俺に興味がない

了承
BL
卒業パーティー。 皇子は婚約者に破棄を告げ、左腕には新しい恋人を抱いていた。 青年はただ微笑み、一枚の紙を手渡す。 皇子が目を向けた、その瞬間——。 「この瞬間だと思った。」 すべてを愛で終わらせた、沈黙の恋の物語。   IFストーリーあり 誤字あれば報告お願いします!

希少なΩだと隠して生きてきた薬師は、視察に来た冷徹なα騎士団長に一瞬で見抜かれ「お前は俺の番だ」と帝都に連れ去られてしまう

水凪しおん
BL
「君は、今日から俺のものだ」 辺境の村で薬師として静かに暮らす青年カイリ。彼には誰にも言えない秘密があった。それは希少なΩ(オメガ)でありながら、その性を偽りβ(ベータ)として生きていること。 ある日、村を訪れたのは『帝国の氷盾』と畏れられる冷徹な騎士団総長、リアム。彼は最上級のα(アルファ)であり、カイリが必死に隠してきたΩの資質をいとも簡単に見抜いてしまう。 「お前のその特異な力を、帝国のために使え」 強引に帝都へ連れ去られ、リアムの屋敷で“偽りの主従関係”を結ぶことになったカイリ。冷たい命令とは裏腹に、リアムが時折見せる不器用な優しさと孤独を秘めた瞳に、カイリの心は次第に揺らいでいく。 しかし、カイリの持つ特別なフェロモンは帝国の覇権を揺るがす甘美な毒。やがて二人は、宮廷を渦巻く巨大な陰謀に巻き込まれていく――。 運命の番(つがい)に抗う不遇のΩと、愛を知らない最強α騎士。 偽りの関係から始まる、甘く切ない身分差ファンタジー・ラブ!

鎖に繋がれた騎士は、敵国で皇帝の愛に囚われる

結衣可
BL
戦場で捕らえられた若き騎士エリアスは、牢に繋がれながらも誇りを折らず、帝国の皇帝オルフェンの瞳を惹きつける。 冷酷と畏怖で人を遠ざけてきた皇帝は、彼を望み、夜ごと逢瀬を重ねていく。 憎しみと抗いのはずが、いつしか芽生える心の揺らぎ。 誇り高き騎士が囚われたのは、冷徹な皇帝の愛。 鎖に繋がれた誇りと、独占欲に満ちた溺愛の行方は――。

処理中です...