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 かつて、夜を支配していたひとりの男がいた。暗闇に輝く真っ赤な瞳に雪のような白銀の髪、そしてその頭には獣の耳があり九つの尾を持っていた。多くの部下を従え、その地に君臨していた白銀の美丈夫は今――。



「…………」

 ぱちりと目が覚め、何度も瞬きをしながら眠気を飛ばすように勢いよく起き上がれば、なぜか転がっていく自分の身体。柔らかな布の上を跳ねるように進むおかしさに疑問を覚えるも、勢いは止まらない。

 おいおい、どういう状態だ!?

 いまだ夢でも見ているのだろうかと考えたが、不思議な感覚はするものの目はしっかりと覚めている。いい加減に止めようと手を伸ばしても自分の手がその目に映る事もなく、ようやく異変に気づく。
 そしてそのまま跳ね続けて最後にポーンと飛ばされて地面を転がっていった。そこでも跳ねて転がって止まったかと思えば、目の前に変な生物がいるではないか。

 なんじゃ、この毛玉は?弱そうな生き物に見えるがこやつは……。

 最強と言われた自分の目の前にいるその弱そうな毛玉に手を伸ばせば、あちらも短い手を一生懸命にこちらへと伸ばしている。なんだその短い手はとおかしくて笑えば、あちらも笑っているではないか。

 変な奴め……。

 呆れて目を細めれば、あちらも目を細める。この状況に嫌な予感がして奴に勢いよく詰め寄れば、あちらも近づいて硬い物にぶつかり後ろに倒れてしまった。

 待て、そんな馬鹿な事が!!

 声も出ずに再び起き上がって見てみれば、それは大きな姿見で――。

「キョエーーーーッッ!!?」

 そこに映った毛玉が俺自身だった。



 白目をむいて倒れそうになるが、短い足でなんとかふんばり身体を支えて辺りを確認する。見た事のない場所、爽やかさの中に甘さを感じるようなにおい、そして感じた事のない気配が近づいている。
 どうするべきか冷静に考えねばならない。これは敵対勢力の罠か何かか。隙を作って安全を確保できる場所に隠れる事ができればよいのだが、この身体で逃げきる事は出来るのだろうか。

 敵意のようなものは感じられんが、さて話が通じる奴ならば交渉ができるかもしれん。

 まずは相手の動きを見てから考えるのもよいだろうが、万が一に備えて体内の妖力を確認しておく。まったく無いというわけだはないのだが、本来の自分の持つそれとは比べものにならない程に微々たる量しか感じられない。尾も確認したが、ぴこぴこと小さく動いている程度だ。
 引きつりそうになる顔を抑えて真っ直ぐ扉の先を見据える。ゆっくり開いていく先には想像していた者とは違い、幼女が立っていた。



「…………」

 お互いに目が合うが、誰も喋ろうとしない。黒い髪に金の目をした幼女は、じっと自分を見つめている。見た事のない衣を身に纏っているが、どこの者であろうか。幼女の後ろには女が静かに立っているが、こちらも動こうとしない。

 どうする?隙を見て……いや、あの後ろの女には隙が見あたらん。ほう、なかなかやるではないか!

 強者の気配を感じて自分の中にある妖の血が騒ぐが、今のこの毛玉ではどう考えても無理だろう。そろそろ喋ってもよいだろうか。
 お互いに微動だにしないこの状況に痺れを切らせたのか、幼女が幼女とは思えない速さで自分をガシッと掴み天高く掲げている。

「きゃあぁっ! ガイスト見て見て! 白銀の毛玉様だわ! ステキね、美しいわ!」
「キエーッ!?」
「落ち着いてください。姫様の力では毛玉様が潰れてしまいますわ」
「あら、ごめんね」

 後ろにいた女に諭されてゆっくりと目線の高さまで下ろしているが、その手は今も逃げ出さないように掴んでいる。

 なんじゃこの童女わらわめ!?力が強すぎんか?潰れかけたぞ……。

 嬉しそうに笑ってこちらを見つめる目をキッと睨んでやるが、その目を見る事三秒、即刻負けを認めた。この幼女から感じる圧倒的強者の気配、今の自分では絶対に勝てるものではない。
 しおしおと萎んでいく様子に「どうしたの?」と不思議そうに首を傾げて聞いている姿は、どこにでもいそうな幼女の姿にしか見えなかった。

 この童女は何者なのか……どこぞの姫のようではあるが、妖力は感じんが妙な力を感じる。

 毛並みを直すように撫でる手は先程注意を受けたからか、そっと優しい手つきだった。ふわふわに戻った毛並みに満足したのか頷いて、あの柔らかな布へと下ろされる。

「毛玉様にご挨拶を。神竜族、黒竜の長ギルベルト・ドラッヘ・ヴァルドゥングの娘、アーデルハイド・ヴァルドゥングですわ。ようこそ我が国に。歓迎いたしますわ!」

 服の端を掴んで優雅にお辞儀をする姿はさまになっている。しかし、挨拶をされてもそのほとんどが理解できなかった。

 ば、ヴァルなんだって?どこの言葉じゃ舌を噛むぞ!それよりも!

「キョ、キョエーーーーッッ!?(おぬし、龍の一族だったんかーーーーっっ!?)」

 彼の知る龍とは神と同等だった。



 こうしてかつて最強と呼ばれた男は毛玉となって、神に並ぶ龍と出会ったのだった。
 しかし、彼はまだ気づいていない。ここが、かつて自分が過ごしていた世界とは違うという事に。そして、目の前にいるのは龍ではなく竜であるという事に。

 龍と竜の違いとはいったい?

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