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 龍は神そのものとも言われていた。その龍の一族と名乗る幼女が目の前にいる。自分も妖の中では恐れられていたが、いくらなんでも神に盾突くつもりはない。『神の使い』として祀られる事もあり、自分を信仰する人間達がいたのも知っている。しかし、自分は神そのものではないのだ。龍にだって直接会った事などなかった。それが今、目の前にいるというのか。

 挨拶をしたほうがいいのか?先程、あちらから名乗っておったし……。

「キュエー!」

 礼儀としてお辞儀をして名乗ったつもりだが、自分の口から出ているのは変な鳴き声。今更だが喋れない事に気づいた瞬間だった。

「あらあら、ご丁寧にありがとう存じますわ」

 それでも通じたのか、あちらもお礼を言っている。話は通じるようなので、このままここがどこで自分がどういった状況にいるのかを聞いてみようと思う。

「き……」
「よくわかりませんが、お辞儀をしていたのでご挨拶でもしてくれたのかしら? そんな礼儀正しい姿も素敵ですわ!」

 通じておらんかったわーー!!

 きょとんとした顔で返された言葉にどうしたものかとため息をつく。

「毛玉様は天空からこの地に舞い降りて来ましたのよ。その姿はとても神聖でしたわ!」

 どうやら自分は空から落ちて来たらしい。無言で続きを催促するようにコクコクと頷けば、顔を赤らめて興奮するように話し出す。

「私、その姿を見ていてもたってもいられませんでしたの。すぐに城へお招きせねばと思っていましたのに……偶然飛んでいた魔鳥にあおられて吹き飛んで行ってしまいましたの」

 今度は悲しそうな顔で両手を胸の前で握りながら語っている。表情がよくもこうコロコロと変わるものだ。頷いてさらに先をうながす。

「落下地点には飛びトカゲの群れがいましたので焦りましたわ。あいつら毛玉様を狙っておりましたから許せませんわ! すかさずフロッシュに頼んで毛玉様を保護いたしました」

 怒ってくれるのはありがたいが、もれ出る気配はしまって欲しい。威圧感に自然と毛玉が膨らんで警戒してしまう。すかさず付き人の女が諫めている。

「うっかりですわ! フロッシュが見事にキャッチしましたので保護できたのですが、ご無事であったとはいえず……その素晴らしい毛並みがベチョベチョになってしまって……はう、申し訳ございませんでした」

 フロッシュとやらに助けてもらったらしいが、なぜそこでベチョベチョになるのだろうか。疑問を浮かべてじっと見てみる。困ったような申し訳なさそうなそんな顔をしているが、見続けてもわからない。「そんなに見つめないで」と小さく呟いている。

「ゲコ!」

 無言の二人の間にぴょこりと現れた蛙。挨拶でもしているのか片手をあげて「ゲコゲコ」と何か伝えようとしているようだ。

「まぁ、フロッシュ! そう、こちらが毛玉様ですわよ。毛玉様、この子がフロッシュですの。魔蛙の子供ですがとても賢い子ですわ。この子が舌を伸ばして毛玉様をナイスキャッチしましたの」
「ゲコ!」

 誇らしげにドヤ顔でこちらを見ているフロッシュとやらの舌で助けられたという事はまさかそのまま……。

「そのまま勢いよくお口に入ってしまいましたので、僭越ながら私が毛玉様を清めさせていただきましたの」

 もじもじとしながら言っているが、そこに照れる要素は一切ないはずだ。先程からこの幼女の情緒がおかしい。

「そして私の部屋でお休みしていただいて……と、殿方を自室にお招きするだなんて私は初めてで、その……」

 だから、何故そこで照れるのか。本来の自分の姿であればそれも頷ける。こう見えて自分はモテていた。そう、本来の自分であるなら理解もできるが今はただの毛玉である。この幼女には自分はどのように映っているのか……。
まぁいい。状況は何となくだが把握できた。助けてもらったようなので何か礼はしたいと思っているが、今の自分に出来る事などあるのだろうか。ちらりと視線を向けて見るが、何やら小さい声で呟いている。

「私ったらはしたないですわ……それにしても、あの飛びトカゲの群れは許せませんわね。まぁ、あれだけ仕置きをしておけば今後は大人しくなるでしょうから問題などありませんわね」
「えぇ、所詮は雑魚種族です。姫様が出るまでもありませんでしたのに……」
「私がしたかったの。私自身の手でこう……ね」
「見事にございました」

 会話が怖い!ずいぶんと物騒な童女ではないか。付き人もそこは止めろ。

 片手で何かを握りつぶすような仕草を笑顔でしている。自分も弱肉強食な世界で生きていたがここもそうなのだろう。この幼女から感じた気配を考えれば、目の前の彼女達は強者になる。そして、今の自分は弱者。幼女のまわりを楽しそうに飛び跳ねている蛙にすら勝てないだろう。

 弱者?この俺が……屈するなどと……くっ!蛙一匹くらいなら何とかなる、はずだ!

「きっ!?」

 ビュンッと音が鳴りそうな勢いでこちらに伸びた舌に悲鳴がもれる。情けないが蛙一匹も倒せそうにない。我、最弱なり。

「フロッシュったら毛玉様と遊びたいの? でも毛玉様は……」

 高速で顔を横に振って拒否を示す。絶対に遊びたくない。捕食されるのが目に見えているではないか。

「嫌って事かしら? うーん、困ったわ。毛玉様と意思の疎通ができませんわ」
「庭にいる樹人に聞いてみるのはどうでしょうか?」
「バオジイの事ね。彼は物知りだし……たしか、前世で千年くらい生きていたのだったかしら」

 千年も生きていれば我らの中でも大妖怪に分類される。いったいどんな世界で千年も生きていたのだろうか。そして、前世という言葉に嫌な予感がしている。
 ずっと考えないようにしていたが、自分の今の状況もそれに関係しているのではないだろうか。これは何かの罠でこんな姿になっているのではなく、自分はすでに――。



 庭で会った樹人によって、俺の淡い希望は打ち砕かれるのだった。

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