World of Fantasia(ワールド・オブ・ファンタジア)

緋色牡丹

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ストーリーテラー

「おい、そこのお前」
 深夜の森の中、僕は死のうとしていた。
 木に垂れた縄へ、そっと首をかける。
「今にも死にそうな、最高の顔をしている男──お前だよ」
 誰にも邪魔されない、最期の時間。
 ──そのはずだった。
「時間があるなら、少し話さないか」
 妙な女の声が、ずっと聞こえている。
 振り向くと──
 
 そこには、がいた。
 

 闇に溶ける黒いドレス。
 つばの広い帽子には、枯れかけた青薔薇。
 純白の髪が肩へと流れ、薄い月明かりを鈍く弾いている。
 片目は髪に隠れ、紫の瞳が妖しく覗いていた。目尻には、奇妙な細い刻印。
 真っ黒な口紅に染まる唇が、薄く弧を描き──
 楽しそうに、笑った。
「見てわからないのか。僕は今、これから死のうとしてるんだ」
「知っているとも。、話しかけているんだ」
 ──不気味だ。
 いつもなら、こんな怪しい女に構うことはない。
 だが。
 今日の僕は、疲れていた。
「……何を話すっていうんだ」
 黒い唇の端が、ゆるりと上がった。
「なに、ただの雑談だ。本座の前の、余興という奴だ」
「それで?」
「──なぜ人は、感情に左右される?」
 意味が、掴めない。
「例えば虫は、そんな事を考えているか?」
 彼女はそう言うと、
 木にぶら下がっていた黒蜘蛛を掴み──
 握り潰した。
「楽しかろうが、悲しかろうが……最後は死ぬんだ」
「……」
「お前のように、生きる権利があるのに、死を選ぶ奴もいる」
「事情が……あるんだよ」
「そうだろうな」
 彼女は、くつくつと笑った。
「人間とは、たまらなく興味深い」
「僕は、失敗したんだ」
 胸にかかった琥珀色のペンダントを、握りしめた。
 彼女は何が楽しいのか、愉快そうに顔を歪めている。
「私は思うんだ──
 幸、不幸、喜怒哀楽……すべてに意味は、無いんじゃないか。とね」
 踊るように、体を揺らしていた。
「死を想え。忘れるな──すべては、地に還る」
 楽しそうに。
 この夜は、彼女の舞踏会だった。
「僕は、後世に名を残すはずだったんだ……」
 話は、まるで噛み合わない。
「名を残す? 百年も経てば、お前はそこにいないじゃないか。何の意味がある?」
 唇を尖らせ、純粋な紫眼を向けてきた。
 その表情は、謎が解けない子供のようだった。
「理を外れた者すら、いつか死ぬ。お前はそんなことを、気にすべきじゃなかった」
 ほんの少し。
 たったほんの少しだが……
 その言葉に、心が軽くなった。
 ふっと、笑いが漏れる。
「君の名前を、教えてくれないか?」
「名前……? 私は、あまり名乗らないのだが」
 迷うように、彼女は口に手を当て──
「そう、そうだな……冥途の土産だ。いいだろう」
 ドレスの裾をつまみ、静かに一礼した。
「私の名は、ヴェルミナ──ヴェルミナ・ヘイヴン。
 どこにでもいる、変哲ない女だ」
「そうか……ヴェルミナ。僕の名前は──」
「いや」
 ヴェルミナは手を出し、遮った。
「お前の名に興味はない。どうせ、今から死ぬんだ」
 低く、抑えた笑い声が零れる。
「そうだ」
 彼女が背に手を回し、戻すと──
 その手には、年季の入った赤い本があった。
「最期に、私の研究結果を聞かせてやろう」
「研究者、なのか?」
死の研究デスレポート第二百三項──“魂”について」
 僕の反応など意に介さず、ヴェルミナは言葉を滑らせていく。
「生物の動きは、電気信号に過ぎない」
 ぱん、と彼女は手の甲を叩いた。
 一瞬の後──
 何もない空間を割るように、赤い棺が現れた。
「ほら、見てくれ……」
 ひとりでに、ゆっくりと蓋が開いた。
 中には──
 金色の巻き髪をした、小さな少女。
 黒のゴスロリドレスに身を包み、飾られた人形のように、横たわっていた。
「私の妹だ。綺麗だろう? この顔で、死んでいるんだ……」
 愛おしそうに、少女の顔を撫でる。
 整いすぎた、美しい死体。
 その柔らかな唇へ、彼女は、そっと顔を近づけ──
 接吻した。
 ふぅっと息を、吹き込んでいく。
 そして──
 
 少女は、目を覚ました。
 
「この通り、魔法を込めれば……死骸でも動く」
 少女は、笑った。
 ヴェルミナへと歩み寄り、愛おしそうに、その身を抱き寄せる。
「命令すれば笑いもするし、プログラムを組めば……意志すら作れる」
 少女の頭を撫でながら、ヴェルミナは淡々と言った。
十六夜会ナイトソワレ──十戒の六。死を、冒涜してはならない」

 ──十六夜会。
 
 聞いたことがある。
 魔の頂点に君臨する女たち、“魔女”が名を連ねる集団。
 誰もその内情を知らぬ、影の組織。
「あんた……魔女なのか」
「しかし、私は思うんだ。これは……冒涜ではない」
 彼女は少女を抱き上げると、その身を引き寄せた。
「これは、もはや……愛情ではないか?」
 ──恐ろしい。
 背筋が、いつの間にか震えていた。
「助かるよ……久しぶりに、人と話したい気分だったんだ」
 この女が──
 ヴェルミナ・ヘイヴンという存在が、
 僕は、たまらなく怖かった。
 彼女は、さっと三本の指を立てた。
「三分」
「……?」
「お前が私と話すことで消費した、“生”の時間だ」
 くく、と喉を鳴らす。
「ああ、楽しい。命の時間を削ってやるのは、なんて楽しいんだ」
 ──この女は、狂っている。
 紫の瞳が、愉悦に歪んだ。
「引き止めて悪かったな……さぁ、どうぞ」
 細い手が、木に掛かった縄を示す。
「さっさと首を吊って、死ぬがいい」
 僕は──
 駆け出した。
「は?」
 自分でも、驚いていた。
 先ほどまで死のうとしていたのに、心臓はばくばくと脈打っている。
 生を、求めていた。
「…………だめ。だめだよ」
 駆ける。
 駆ける。
 あの女は、狂気的に歪だが、言っていることは正しい。
 僕が一人死んだところで、世界は何も変わらない。
 だが、生きてさえいれば──
 世界を揺らす、小さな波の一つ。
 その程度には、なれるかもしれない。
 走りながら、胸元、琥珀色のペンダントを開いた。
 そこには、赤髪の少女──
 長らく言葉を交わしていない、一人娘。
 取り返しのつかない過ちを犯した僕を、
 それでも、受け入れてくれるだろうか。
 駆ける。
 駆ける。
 死にたくない。
 生きたい──!
「ッ──」
 不穏な気配。
 どろりとした何かが、肌を撫でた。
 魔法使いですらない僕でも分かるほどの、異様な魔力。
 
『おかしな奴だ。死にたがっていたのに──』
 
 声が、聞こえる。
 
『命の砂時計は、もう落ち切ってるんだ──』
 
 頭の奥に、響いてくる。
 
『首を吊らないなら──
 私が殺す』
 
 自分が、どこへ向かっているのかは分からない。
 だが。
 確かに僕は、足を出していた。
 前へ、前へ。
 生に、縋るように。
 深い森。
 濃霧の中を、ただ突き進む。
 やがて、霧がわずかに薄れてきた。
 ──夜明けが、近づいている。

 ドシュ──ッ!

 何の音か、分からなかった。
 背後から、胸を突き抜ける感触。
 体は、それ以上動かなかった。
 視線を落とす。
 僕の胸に──

 少女の腕が、生えていた。
 
 小さな手の中には、
 どくどくと脈打つ──
 
 
 
「ご……が……ぁ……」
 引き抜かれる。
 身体は前のめりに崩れ、地面に転がるように、仰向けになった。
 視界の先には、金髪の少女。
「おいおい……メアリー。綺麗な髪が、汚れているじゃないか」
 緩やかな足音。
「帰ったら、洗ってあげよう」
 ヴェルミナが現れ、少女の金髪をやさしく撫でた。
「さようなら。そして、また会おう……」
 彼女は、愛おしそうに見下ろす。
 死人のような冷たい指が、瞳の前に触れた。
 目蓋が、ゆっくり閉じられていく。

『ふふ、三十二体目だ……。
 私の可愛い死体。
 今から、君の名は──』
 
 そこで、
 僕の意識は、
 闇へと消えた。
 
 血に塗れた霧の森。
 その女、ヴェルミナは宙空を見据えた。
 何もないはずの空間を、ただ見ている。
 わざとらしく息を吐くと、
「……不愉快。不愉快だ」
 あごに指を添え、首を傾げた。
「私を覗いているのは……誰だ?」
 
 ──失せろ。

 瞬間。
 
 

「──おっと! やれやれ……記録魔法カメラを破壊されたか。
 これだから、粗暴な魔女は嫌いなんだ」
 真っ白な長髪の少女が、独り言ちた。
 簡素な黒のドレスと外套をまとい、
 不思議な空間に佇んでいる。
 床も、壁も、天井もない。
 星空のような虚空に、無数の魔法陣と書架、
 映像が投影された半透明の板が浮遊していた。

「ん? 迷子の魂が三つ……」
 少女が金色の目線を向けた先には──
 青白い光球が、三つ浮遊していた。
「ここは、立ち入り禁止なんだが……何? 気づいたらここに来ていた?」
 少女は言葉を重ねる。
「まぁいい。君たちがたくさん見てくれる方が、世界は安定する。
 観測者は、多い方が良いからね……」
 彼女は近くに浮かぶ映像板へ、指先を伸ばした。
「世界は繋がってるんだ、ファンタジアで。
 言語も、国境も、思想も、種族もこえて、手をとろうじゃないか」
 その声は、どこまでも穏やかだった。
「垣根というのはね……無い方が面白いんだ」
 くるりと、少女は宙で身をひるがえす。
「さて。ここに来た土産に、今まで見ていた世界──
 ファンタジアの話をしてやろう。何度目か分からんがな」
 楽しげに言う。
 彼女は指先で空間をなぞり、多くの映像板を引き寄せた。
「この世界はファンタジア。
 常に人が迷い込んでくる……途方もない昔から」
 無数の世界線が手元で絡み合う。
 映像は重なり、分岐し、めまぐるしく入り乱れた。
「お前だってそうだ。見てるんだろう──“地球”からさ」
 少女は手招くと、ひとつの映像が静かに流れてくる。
 そこには、青い惑星が映し出されていた。
「僕の名前? 何だったか……しばらく呼ばれてないんだ」
 顎に手をやり、視線を伏せる。
「……リュミナール。世界記録者ワールドレコーダー……
 そして、君の世界だと……あぁ、そうだ」
 少女は、満面の笑みで顔を上げた。
「『語り手ストーリーテラー』。そう名乗っている」
 そう言って、指先を丸めると──
 望遠鏡を覗くように、指の中を見た。
「ところで。今日の君は、どうやって僕を見てるんだ?
 文字か、動画か……それとも、音だけか」
 一拍。
「何はともあれ、感謝するよ。観測せねば──誰も存在しえないのだから」
 少女は青白い光球たちに、丁寧に一礼した。
「じゃあ、そろそろ帰りたまえ──物語は、まだ続いてるんだ。
 最後に、君のニックネームをコメントに書いてくれないか。覚える努力はしよう」
 冗談めかした口調だった。
「どうしてここに居るか? さぁ……分からないよ。
 でも、君たちもそうだろう?
 自分が生まれた意味なんて、知らないじゃあないか」
 少女は、宙を仰いだ。
「気づいたらここにいた。そしてこの世界を見るのが僕の仕事。
 物語が破綻しないように、ずっと……ずっと見ているんだ」
 一瞬だけ、声が静まった。
「どうする? この広大な世界は誰かの箱庭で……
 もし、もし僕たちの存在は、“娯楽”に過ぎなかったら……」
 
 ──。
 
「なんと恐ろしい。戯言さ……忘れてくれ」
 少女は、小さく首を振った。
「ああ、登録は忘れずに。僕の記録室は、登録制なんだ。
 君たちの言語で言うと、なんだったか──
 そう、『フォロー』だ!! とにかく、忘れないでくれよ!
 ここまでの演説に胸を打たれたものは、高評価、コメントもお願いしたい。
 良いね?
 レビューも書いてくれるって!? そりゃあ良いな!」
 無邪気に。
 明るく。
 流れるように喋った。
「親愛なる隣人よ。私に会いたくなったら、観測しにくるといい。
 ここに──
 少女は微笑む。
「では、そろそろ行きたまえ。旅は、まだ続いているのだから」
 そして。
 心底おもしろそうに、口角を上げた。
 
「さぁ──冒険を、始めようじゃないか」
 
 少女が指を鳴らすと──
 景色は、静かに暗転していった。
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