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死神
しおりを挟む大好き。ずっとずっと大好きだった。いつも優しいおばあちゃん。何度も励ましてもらって、何度も慰めてもらった。だから、今度は私が。私がおばあちゃんの力になりたい。
そう思っていたのに。
桜はほとんど散ってしまっていた。もう四月も終わりだし、仕方のないことなのだが、春と言う暖かな季節の終わりを表しているようで、どうにも物悲しい。高校生活にようやく慣れてきた僕だが、写真部においては一度も役に立った事がない。桐生先輩の右腕とまではいかないまでも、もう少し仕事の出来る後輩になりたい。そうしないと、いつまで経っても桐生先輩に僕という存在を認識してもらえない気がする。先日、僕の名前を訂正する事は出来たが、きちんと覚えてもらっている自信がない。名前を、犬柴雪という名前を桐生先輩に呼んでもらう。それが当面の僕の目標だ。
情けない程小さな目標に鼻息荒くしていると、階段の上の方から声が聞こえてきた。誰かが激しく怒っているようで、何やらただ事ではない。関係ない諍いには極力巻き込まれたくないので、写真部の部室への道を変更しようかと思ったが、よく考えると、この階段しかあの部室に繋がっている通路はない。数秒迷って、結局言い争っている人達に気付かれないように進む事にした。何ともカッコ悪いことこの上ないが、僕はそう言う人間だ。
上から聞こえてくる声から判断するに女の子のようだ。しきりに声を荒げて、誰かに詰問している。踊り場からそっと、階上を見てみると、
「桐生先輩!?」
なんと、階段を登りきったすぐの所で、桐生先輩が知らない女子生徒に胸倉を掴まれていた。桐生先輩は全くこたえた様子はないが、これは流石に見過ごせない。一気に階段を駆け上がって、彼女と女子生徒の間に割って入った。幸い、女の子も僕に気がついて、桐生先輩から手を離してくれた。
「あの、理由は分かりませんが、その、喧嘩はだめですよ! 話し合いましょう!」
膝が震えているのを必死に隠しながら、叫ぶように取りなす。しかし、女子生徒は不機嫌そうな目で僕を睨み付ける。
「はぁ? 誰あんた。いま大事な話してるから出てこられると邪魔なんだけど」
その低い声には確かな迫力があって、目を合わせられない。身長的には僕より小さな小柄な女子生徒だが、気分的には何メートルも上から見下ろされている感じだ。咄嗟に桐生先輩を庇うような動きが出来た事は僕としても評価したいが、これからの事に何も頭が回っていない。いかにしてこの苦境を切り抜けるか思案していると、
「え、あ! ちょっと!」
制服の上に体操着を羽織ったいつもの格好の桐生先輩が、ポケットに両手を突っ込みながら、てくてくと歩いて行ってしまった。まるで、ここで起こっている出来事は自分には関係ないとばかりに。そのあんまりな態度に僕と女子生徒は一瞬きょとんとしてしまう。本当に、桐生先輩はあまりにも浮世離れし過ぎている。その行動は、凡俗な僕などでは理解も予想も不可能だ。
「おい、桐生! 私の話は……」
「部室」
追いすがる女子生徒の声を、退屈そうな声で覆い被せた。
「部室で聞く」
とうとう、一度も振り返ることなく部室に入って行ってしまった。
「それで、二人はどうしてあんな事に?」
部室の机を挟んで正面に座る女子生徒に、おずおずと質問する。
「私が用事あったから、教室で桐生に話しかけたの。そしたら、完全無視でどっか行こうとしたのよ!? 考えられる? 私目の前にいたのよ?」
なるほど。それは百歩譲っても桐生先輩が悪い。しかし彼女は、他人事のように無表情で椅子に座っている。なにやら椅子の具合が悪いらしく、時折ガタガタとそれを動かしては微調整を試みていた。
「あの……桐生先輩。無視は流石に酷いかと」
「ごめん」
感情の一切こもっていない口調で、一言謝った。いや、言葉こそ謝罪を表すものだったが、態度が真逆だ。傲岸不遜の極致に思えた。
「……まあ、あんたはそう言う奴だったわ。突っかかるだけ損ね。で、私の話をさせてもらうわよ」
桐生先輩のそんな態度も通常営業だと理解しているのだろう。女子生徒もこれ以上の追求はやめて、話を切り替えた。その手が隣の椅子に置かれたカバンから、数枚の写真を出してみせた。
「この写真。こういう写真は、あんたの所に持ってこれば良いそうね。何なのこれは?」
その後、女子生徒は自分を米高あきこと名乗った。どうやら桐生先輩と同じクラスらしい。クラスメイトに話しかけられても完全無視を貫き通したのか、桐生先輩は。どう言う精神構造と思考回路なのか。到底計りかねる。
「この写真の、写っている方は?」
「私のおばあちゃん。場所は病院よ」
それは、ベットの上に腰掛ける、品の良さそうなおばあさんの写真だった。パジャマ姿に一枚ブランケットを膝にかけている。優しい笑顔でシャッターを見つめていた。そう言う写真が五枚、ほとんど同じ構図、状況で撮られている。
「これが、どうかしましたか? 普通の写真に見えますが」
「良く見なさい。てかあんた誰よ」
忘れていた。僕は自己紹介もしていない。唐突にその事に思い至って僕も名乗ろうとしたが、それを片手で止められた。別にあんたに興味ないわ。と、厳しい一言をお見舞いされる。そして、米高さんの指が、写真の奥に写っている窓を指す。
「ここ見て。窓のところ。何か、黒い靄みたいな物が写ってるでしょう?」
「本当だ」
おそらくそこは一階なのだろう。窓から小さく見える景色は、田んぼを横切る畦道だった。その畦道の上に、真っ黒な靄がかかっている。
「で、次の写真」
そして、米高さんがそれの上に別の写真を重ねる。その写真にも、窓の外に靄が写っていた。しかし、
「大きく、なってる?」
その靄が、微かながら大きくなっていた。一枚目と違い、それは写真の中で確かな存在感を放つものとなっている。また、見方を変えてみると、まるでこのおばあさんの病室に近づいてきているようにも見えた。
「あとは、ほら。この通りよ」
そして、米高さんは三枚目から以降の写真を乱暴に机に並べた。それを一枚一枚手にとって確認してみる。日付が後になるごとに、靄は大きくなって行っていた。それどころか、三枚目から先の写真の靄は、まるで人間のような脚が生えていた。靄は、ゆっくりと病室に向かって歩いてきている。
米高さんが言うには、二枚目まではただ偶然同じ構図になっただけだそうだ。しかし、彼女はその写真に靄を見つけた。不審に思って、それからは意図的に写真を撮っていった。写真を撮る度に大きく近づいてくる靄に、とうとう気味が悪くなって、この写真部に持ち込んできたと言うことだ。
「本当に、これは何なの? 悪い物なら私は……」
「大丈夫」
少しずつ不安そうになっていく米高さんの声を、桐生先輩は閉ざすように断言した。それは、今までのような無機質で無感情なものではなく、きちんと力のある言葉だった。
「悪いものじゃないよ」
「ほ、本当?」
「うん。ただ、もう写真は撮らない方が良いね。じゃないと、これ・・、あんたの所にも来るよ」
「これが米高さんの所にくると、何か不味いんですか?」
桐生先輩は、今度は無感情に、平べったい口調で一言、声を発した。
「これ、言っちゃえば死神だから」
その途轍もなく物騒なワードに、僕と米高さんが固まる。ひゅっと息を吸い込んで、吐き出す事が出来ない。自然と僕らの目は、写真の靄へと移った。今も変わらないその黒い点は、何故か冷気を伴って脳に入ってくる。
「し、死神って……」
「うん。これが部屋の中にまで入ってきたら、最後。おばあさんの寿命が終わる」
「ふざけないで!!」
米高さんが、激しく机を叩いて立ち上がった。後ろに引かれた椅子が、壁に当たって倒れる。
「死神? 寿命? つまらない冗談はやめて! そんなの……それに、あんたは悪いものじゃないって……」
混乱する米高さんを、桐生先輩は平然と見上げる。彼女が何に激昂しているのか分かっていないかのようだ。
「悪いものじゃない。これは、寿命を全うする人の元にだけ現れる。事故や殺人ならこいつはこない」
諭すように、言い聞かせるように話す。淡々と事実だけを突きつける。しかし、米高さんはそれに聞く耳を持とうとしない。いや、あえて振り払う。頭をかきむしって、桐生先輩の方に身を乗り出す。
「嘘だ! お医者さんは大丈夫だって、あと数年は持つからって……言ってたの!!」
「信じないのあんたの自由。でも、写真を撮るのだけはやめて」
桐生先輩は、米高さんに取り合わない。今にも話は終わったから帰ってと言うか、彼女自身が部室から出て行ってしまいそうだ。しか、それではあんまりだ。米高さんが、気の毒過ぎる。
「あの、何か方法はないんですか。この靄を回避する方法が……」
「それは、あんたが医者になって見つけることだね。どの道現状は無理」
僕なりの抵抗も、意味を持たない。僕らの正面で立ち上がったままの米高さんは、俯いていた。肩や拳を震わせている。机が数滴の雫に濡れた。
「信じない。そもそも、何の根拠もないじゃない」
その顔を上げて、きっと、桐生先輩を睨むと、低い声で米高さんは宣言した。そんな姿を、桐生先輩は黙って見つめ返している。そしておもむろに、ぽそりと呟いた。
「根拠は、私の母親。あの人が死ぬ時、あれはその枕元にいた」
「え?」
それは、酷く淡々とし過ぎていて、一瞬何の事を話しているのか理解出来なかった。ゆっくりと薬のように僕の頭を回っていく。額から冷たい汗が噴き出す。桐生先輩の母親? あの靄が、その人の枕元に立って? なら、桐生先輩のお母さんは今……
「そんな……」
混乱から抜け出せない僕を置いて、米高さんはその顔を絶望に染めていた。がくりと膝を折って、糸の切れた人形のように崩れ落ちた。その頭と手を机に乗せる。
「本当なの……?」
「本当」
「もう、私は何も出来ないの……?」
その声は、狭い部室に消えていく。悲しみだけを残して、空気に吸い込まれていく。米高さんは、音もなく涙を流し続けていた。瞬きもせず、虚空を見つめる。
「出来ることは、あるよ」
桐生先輩に縋るように、彼女はその顔を上げた。
「何? 何が出来るの……?」
「一緒にいてあげて」
その声は、米高さんを包み込む優しさに満ちていた。桐生先輩の横顔は、僕が初めて見る表情をしていた。温かな瞳と、優しい口元。しかし、どこか一抹の哀しみも、僕には見て取れた。
「それが、おばあさんの幸せになる。何も出来ないなんて事はない」
「……うん。分かった」
米高さんは、流れる涙を拭うことなく、ゆっくりと立ち上がり、写真をカバンにしまった。だが、その動作は力なく、感情がどこか抜け落ちていて、ふらふらと頼りない。肩を支えようか一瞬迷ったが、僕が結論を出す前に彼女は部室から出て行ってしまった。扉を閉めることなく、振り返ることもなく。
「ふぅ」
その時、桐生先輩が珍しく溜息をついた。瞳は彼女の手に向けられ、口元は難しく引き結ばれている。そして机に肘をつきながら両手で鼻と口を隠した。何かを、思い出しているのだろうか。それとも、忘れようとしているのだろうか。その横顔からは、もう何の感情もうかがえない。僕には、桐生先輩が今何を思っているのか分からない。その事に、一人困惑していると、
「それが、普通だよ」
今日もただ黙って話を聞いていた三角先輩が、僕の肩を叩いた。人の心が理解出来ない。確かに、それは当たり前の事だ。しかし、そんな至極当然の事も忘れてしまうくらい、僕は桐生先輩の心が心配だった。どうにかして、彼女の心を知りたいと思ってしまった。
その後誰一人として口を開くことなく、その日の部活は終了した。桐生先輩のお母さんの事だけが、僕の心に宙ぶらりんになって揺れていた。
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