いつか、かえるところ

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1章

3

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夢を見ている。

 高層ビル、町の雑踏、次々とすれ違う足早に過ぎていく人々。青、黄、赤と、止まらずに色を変える信号機。

 何処からか、泣き声が聞こえる。泣き声のする方へ向かうと、女の子がいた。

 その子は俯いていて、顔は見えない。何故か、手には一本の折れた短い木の枝を持っている。

 

 どうしたんだ?


 声をかけようとした時、気付けば、その女の子に木の枝で腹を刺されていた。


 その瞬間、世界が変わった。空も、ビルも、人も、信号機も、全てが灰色へと変わっていく。

 色を失わないのは俺と女の子と木の枝だけ。痛みはない。なんと無く、その女の子の頭を撫でてやる。

 すると、アスファルトが崩れた。足場を無くした全てのものがゆっくりと落ちていく。

 暗く、底の見えない闇の中へと飲み込まれていく。不思議と不安はない。闇の先に、暖かい何かを感じる。俺はもうそれが何か知っている気がする。

 ただ、女の子の事が気掛かりだ。彼女とは逸れてしまった。もう姿は見えない。それでも、きっと彼女も一緒に落ちている事は分る。

 

 いつまでも、泣き声がやまない。





 ――目が覚める。 やけに寝覚めが悪い。身体がだるい。いやに重く感じる手を額まで持っていきため息。

 覚えてはいないが、変な夢を見ていた気がする。


 意識が覚醒していく中、気を失った事とその直前の出来事を思い出す。はっとして体を起こすと、かけてあったブランケットがずり落ちた。

 柔らかい明かり。テーブルの上にはランプ。そして椅子に脚を組んで腰掛け、読みかけの本を膝の上に置きながら此方を見ている人物。


「やぁ。目が覚めたようで何よりだ。調子はどう?」

 

 まず目に入ったのは優しく光るような笑顔だった。中性的な顔には澄んだ碧い瞳と綺麗な金の長髪。

 そして長く尖った耳、おそらく革製の鎧らしき物を身に着け、その上には外套といったファンタジー然とした格好。

 そんな格好の人物がいたらコスプレだと思いそうだが、目の前の男の顔はそんな格好など気にさせないほど美しく、そして恐ろしい程に似合っていた。


 寝起きで目の前に突然、知らない綺麗な男がいた衝撃で忘れていたが、折れたはずの腕が痛くない。

 折れていなかったのか? 連続して起こる事態についていけないと、思考を放棄する。

「……あぁ。少しだるいが大丈夫だ」答えながら気づいた。普通に会話できているが、何故言葉が通じる?


「それはよかった。君も時編みに言われて来たのかい? 君の連れはどうしてる? こんな所に一人で住んでるなんて言わないよな?」

「……わからない」

「逸れたのか?」

 迷う。正直に記憶喪失だと伝えていいのだろうか。黙り、考え込んでいる俺を見てもこの男は何も言わずに柔らかい表情で見ているだけだ。

 この奇妙な状況で、初対面の人間を信用していいのだろうか? でも何故だがわからないが、こいつを見ていると信用してもいいという気がしてくる。

 何より、何も分からない俺では隠したくても嘘のつきようがない。


「実は……」


 それから俺は、記憶がない事を正直に話した。目が覚めたら一人でこの場所にいた事。ここが何処なのかわからない事。周囲を探索していたらあの化物に遭遇し、戦っていた事を。

「そうか、君は"ナガレ"か。大変だったろう、よくがんばったね」

「すまない。その"ナガレ"って何だ?」

  彼は驚いた様子を見せ、少し考えると

「……外れていたらごめん。君は遠い所から来たんじゃないか?こことは違う。何処か、とても遠い場所から」


 想定外の質問をされ、衝撃に固まる。その様子を見て彼は「やっぱりそうか」と微笑んだ。


「いや、わからない。答えが無いんだ、俺の中には」

 目が覚めたら記憶喪失。自分の身体を見ても、自分とは思えないような違和感。外を見ると、見た事も聞いたこともないような不思議な場所と奇妙な生物。混乱や恐怖だけではなかった。未知への冒険は確かにあった。それでも、孤独だった。

 此方を見透かしてしまうような彼の言葉や表情は、その孤独を溶かすものだった。

「大丈夫。話ができてるだろ? 記憶は無くても君は正常で、きっと君の思ってる事は間違っていないよ」

  そう言いながら彼は俺の近くまで来て床に座った。


「ナガレを知らないから、もしかしたらと思ったんだ」


  彼はナガレについて教えてくれた。


 ナガレとは主に、記憶喪失の者を指す。記憶を失った事を記憶、名が流れたという。

 名流れ。そして名枯れから来ているという説があり、そんなナガレの事をよく思わない者が、多くはないがいるらしい。

 彼らはナガレになった原因を、悪事を働いたり神に背いた結果、天罰が下ったと考えている。穢れが転じてナガレになると。

 それを彼は「馬鹿馬鹿しい」と言った。


 そして「ナガレには他にも、"何処か遠くから流れて来た者"を指す言葉でもあるんだ」

 彼が言うには、俺のように"何処か遠い別の場所"からの流れ者が希にいるらしい。ちなみにこの流れ者がナガレという言葉の起源だという説もあるそうだ。

「流れ者は皆、記憶喪失になるけど記憶を取り戻す人もいるらしい」

「少しは希望が見えたな。……ナガレは皆、何処から来るんだ?同じ場所なのか?」

「それはわからない」

 記憶を取り戻した二人のナガレが出会い、故郷について話した時、同郷に巡り会えたと思ったら似ているけれど違う場所だった。

「という話なら聞いたことがある」

「そうか。それならナガレは皆、どうなるんだ? 元の場所には帰れるのか?」

「それも分からない。ここで生涯を終えた者もいれば、行方がわからなくなった者もいる。」


 それは、俺にとって希望の無い話に聞こえた。それなのに、そう告げる彼の顔は変わらずに微笑んだままだ。

 彼からしたら理不尽だろうが、その笑顔に少しの苛立ちと不満を覚えた。だが。

「だから、消えたナガレの中には、帰っていった者もいるんじゃないかと思う。きっと君も、望めば帰れるはずだ」

 その言葉にはっとする。


「"いつか、かえるところ"に。」


 そう言った彼はやはり、優しく微笑んでいた。 「そういえば名乗ってなかったね。僕はルドだ。宜しく」右手を差し出してきたのでそれに応じながら答える。

「此方こそ宜しく。俺は……とりあえずナガレとでも呼んでくれ」 俺がそう言うと、彼は少し困った様な顔をした。

「それはやめた方がいい」

「あぁ、ナガレを嫌ってる人達がいるからか?」

「それもある」

「それも?」

「名は大切なものだ。一時的でも、君の魂に結び付きかねない」

  信仰か、それとも他の何かだろうか?真剣な表情をしていた。

「それでも、名前が無いまま過ごすのは無理があるだろ」

「……それもそうだな」

  ルドはどうしたらいいか考え始めた。その姿を見ていると、何故か穏やかな気持ちになってくる。

  気がついたら「じゃあ、ルドが付けてくれ」と言っていた。

 そう言うと彼は苦笑いをした。「……やっぱそうなるよな」

「あぁ。俺にはここの常識が無い。だから、ルドが俺に名前を付けてくれ」

「……本当に僕でいいのか?」ルドはそう言いながら、頬をかいた。

 だから俺は笑いながら「あぁ。かっこいいやつを頼む」とおどけてみせた。

 

 ルドは俺がここで最初に会った人で、命の恩人だ。どうせなら、こいつに付けてもらいたい。ルドは困った顔をしていたが「仕方ないな」と言い、照れ笑いを浮かべた。

「ありがとう。ところで、名前を考える上で俺に協力できる事はあるか?」そう聞くとルドは楽しそうに「大丈夫さ。子供に名前を付ける親とその子は、大体初対面だ。何だったら、出会う前から考えてすらいるだろ?」と言った。

「確かにな」

「大切なのは今じゃなくて、未来を想うことだ。とびっきりのを考えてやるよ」

 そう言って彼は俺の事をまじまじと見つめ、ああでもないこうでもないと呟き、うんうんと唸ったりしながら俺の名前を考え始めた。おそらく5分ほど経っただろうか?――よし!っとルドは意気込んだ。

「候補を2つ上げるからそこから選んでくれ。自分で運命を決めるんだ」

「わかった」

 ルドはまた真剣な顔になった。

「いいかい? ――まず一つ目はテラ。そしてもう一つはヘイムダル。この二つから選んでくれ」

「それぞれの意味はあるのか?」

「勿論ある。君が決めた後に教えよう。直感で選んでくれ。」


  この選び方にも意味があるのだろうか?名が魂に結び付くとルドは言っていた。運命を決めろとも。

  テラとヘイムダル。聞いた事は無いが何故か懐かしさを感じる。

 その二つの名を比べて俺が選んだのは――「それなら……テラがいい。俺はテラを選ぶ」

 テラという響きに惹かれる。不思議な感覚だが、この名前なら帰れる気がした。


「そうか、君はそっちだったのか」ルドは笑顔だが、何故だか、どこか寂しそうに見えた。

「……あぁ。考えた奴のセンスは最高だな」

  そう茶化して答えると、ルドは一瞬きょとんとした顔をしてから楽しそうに笑った。俺も一緒に笑った。その笑顔に寂しさは見当たらない。きっと気のせいだったのだろう。一頻り笑うと「名前は大切なものだ。だからもし、君がナガレだと知られても名前だけは忘れていなかった事にしたほうがいい。それが君のためになる」と忠告された。

 何故かその忠告に違和感を覚えたが、俺には常識も無ければデメリットも無いと思えるのでとりあえず素直に頷くことにした。

「わかった。名付け親の言うとおりにしよう。それで――」

 俺の名前の意味は?と聞こうとしたところで、扉がノックされる。

 するとルドが「仲間が帰って来た。紹介しよう」と言うので名前の話は中断した。

 彼の仲間ならきっと、いい奴らに違いない。そう思える程、この短時間でルドを信用できた。僅かなやり取りが、気の置けない友人との時間のように感じられた。
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