僕の天使には羽がない

桐乃

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僕の天使には羽がない 3

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「集合ー!」
 月曜日の放課後練習が始まるとともに颯真の声が響きわたり、部員が一斉に走って集まる。
(湊……先輩だ)
 颯真の隣には湊が肩を窄め小さくなって立っていた。
 レギュラー八人と他部員二十人、女子マネージャー二人。
 全員が揃ったのを確認すると颯真は、隣に並ぶ湊を紹介した。
「まずは連絡事項。今日から毎日じゃないけど、俺のクラスメイトの藤堂湊が体育館の隅で絵を描くことになった。ちょっと気になるかも知れないけど……気にせずいつも通り練習してほしい」
「うっす」
 部員全員の揃った声に湊が驚いたのかビクッと肩を震わせていた。
(ビクッとした湊先輩、可愛い)
 クスッと笑ってしまいそうになるのを顔を背けてなんとか堪える。
「ボールが行かないように気をつけてほしい。まぁ、それだけかな。なんかあったらすぐ俺に言うように。よろしくな」
「皆さんのお邪魔にならないように隅っこにいますので……よろしくおねがいします」
 湊は颯真に続いてそう言い、ぺこりと頭を下げた。
「うっす!」
 総勢三十人ほどの男の揃った声にまた湊はビクッとした。
「こう見ると部長ってやっぱでかいんだな」
 ふと隣にいるチームメイトたちのヒソヒソ声が聞こえてきた。
「藤堂先輩が小さく見える」
「女子マネと一緒にいる方が馴染んでるよな」
 彼らの言葉に(確かに)と心の中で頷いた。
(むさ苦しいゴリラの群れの中に入ってしまった子羊みたいだな)
 短髪か坊主しか許されないこの部活の中で、あの柔らかそうな髪や小さな肩はやたらと目を引いた。
 じーっと彼を見ているとふと目が合った。
(俺のこと覚えてる?!)
 パチパチと瞬きをする彼にもしかして、と思って小さく手を振ってみる。
 しかしそんな期待も外れてすぐに視線をと外されてしまった。
(あ、あれ?)
 絶対目が合ったはずなのに、と頭の中は混乱する。
「じゃあ、みんなでランニング。大翔、先頭で」
「う、うっす!」
 颯真の声に従い、全員で体育館内のランニングが始まる。
 チラッと湊を見ると颯太と一緒にパイプ椅子を用意して体育館の隅に向かって行った。
「なぁ大翔。さっきあの藤堂って人に手を振ってただろ」
 ニヤニヤしたクラスメイトでありチームメイトでもある淳太が走りながら声をかけてきた。
「……見てたのかよ」
 こっそり手を振っていたつもりなのに、見られていて恥ずかしくなる。
「へへーん。バッチリ見てました。しかもお前シカトされてたじゃん」
 そこまで見られていたとは。
 バツが悪くなって、逃げるように足を早める。
「ちょっと待って。あの藤堂って人と知り合い?」
 急にスピードアップしたのに、淳太は軽々とついてくる。
(そうだ、こいつスタミナオバケだ)
 諦めて肩を落として横目で見る。
「知り合いじゃないけど、一回だけ会ったことある」
「ふ~ん、それだけ?」
「それだけ」
 なんだ、つまんないと言いたげな顔で淳太はスピードを緩めないまま並走した。



 練習メニューは部員で組み立てる。
 今日は基礎練の後に4対4のミニゲームをすることになった。
 10点先取の試合は通常のゲームと比べると早く終わるが、その代わり一人一人の役割分担も多く体力も使う。
 自分の出番を終え、スポーツドリンクを飲みながらチラッと体育館のすみに視線を移す。
 湊はスケッチブックに向かって一生懸命絵を描いている。
(しばらく俺の番、回ってこないよな)
 マネージャーのスコアブックを覗き込んで自分の出番を確認してから、湊のそばに駆け寄った。
「あのぉ、どんなの描いてるか見てもいいっすか」
「……」
 答えはない。
 あの日の美術室の時のように自分の世界に入っているようだ。
 スケッチブックにかじりついて鉛筆を走らせている。
 後ろからそっと覗くと、軸になるような棒人間を描いてそこに肉付けをして人の形になっていく。レシーブ、アタック、トス、ダッシュ、どんなポーズも画用紙の中にどんどん埋まっていく。
 一瞬の動きを見逃さないように、真剣な瞳でコートを見つめている。
(すごい、気迫……)
 スケッチブックの中が人物の絵で埋まると、ページをめくって真っ白なキャンパスが現れるがあっという間に描き込まれて真っ黒になる。
 その絵は、まるで動いているようにリアル。
 引き込まれるように彼が描く鉛筆の跡を目で追う。
「すご……」
 思わず声が漏れていた。
 出来上がっていく絵に引き込まれていたのか、気がついたら彼の耳元まで顔を近づけていた。
「っ!」
 本当に大翔の存在に気がついていなかったのだろう。
 突然耳元で囁かれた声に湊はびっくりして振り返った、と同時に唇に何か柔らかい感触が一瞬触れた。
 湊の頬が唇に触れた、気がする。
 心臓が暴れるように脈打つ。
 固まっている湊は大きな瞳を見開いてから、それから徐々に眉間に皺を寄せた。
「い、いつからそこに……」
「さっきからいました」
 すんません、となぜか頭を下げて謝る。
「謝らなくてもいいけど……」
 湊は驚いた時に落としたスケッチブックと鉛筆を拾って膝の上に広げ直す。
「あの、えっと、絵すごいっすね!短い時間にどんどん描いてスケッチブックが埋まって入って!俺、感動しちゃいました」
 何か話さないと、と思ったことをそのまま口に出した。
「……」
「躍動感っていうんすかね!本当に動いてるみたいっす。こういうのも絵の勉強なんすね。俺美術の専攻とったことないし絵も漫画しか読まないから全然知らなくて」
 反応のない湊に対してどうしたらいいのかわからず口が勝手に滑るように動いていく。
「……きみ、名前なんていうの?」
 ようやく顔を上げて目を合わせた湊に、大翔は気持ちが昂る。
 その瞳は猫のように大きくて、緑と薄茶の混じったような不思議な色で吸い込まれそうなくらい綺麗だと思った。
「俺、大翔っす。大きく翔ぶって書いて『タイショウ』っす」
「そう」
 湊はそれだけ言うと、コートの方を指さした。
「さっきからすごい君の名前呼ばれてるけど」
「へ?」
 コートを見ると、颯真が鬼の形相で大翔の名前を呼んでいる。
 彼は一見優しそうに見えるが、怒ると誰よりも怖い。クドクドと説教が始まるし、怖いし怒らせたらいけないと暗黙のルールがバレー部にはある。
「やべっ」
 その颯真が怒ってる、と慌ててコートに向かう。
 今日の自主練メニューキツくなりそう、と怯えながらも湊と話せたこと、絵を描くところをまじまじと見れたことに心が浮かれていた。

「なーに、話してたんだよ」
 ギャンギャン怒る颯真を宥めながら、コートに戻って自分の定位置につく。セッターの位置の淳太はまたニヤニヤしながら聞いてきた。
「また無視された?」
「無視って言うかさ、前会ったの覚えてなかったぽい」
 唇を尖らせると、淳太は意外そうな顔をした。
「お前を忘れるってなかなかないだろ」
「そうかな」
「ばかうるせーじゃん、お前」
 にひひ、と笑う淳太の尻を軽く蹴る。
「痛って」
「おら、そこぉ!喋ってないで、始めるぞ」
 颯真が笛を吹いてゲームのスタートを知らせた。
 その音と共にコートの中の空気がピリッとひりついた。
 全員真剣な表情になる。
 大翔はその空気の中、チラッと視線を動かした。
 湊がもういない。
 体育館の出入り口を見ると、軽くお辞儀をして出ていくところだった。
(帰っちゃった)
 見えないはずなのに、さっきまで湊がいた場所は、まだ温もりがあるようにキラキラの粒子が残っている気がした。
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