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夏休みの宿題@アリンコ

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 水曜日の放課後、小学校から下校途中の僕には、誰にも言えない秘密がある。そう、それは人生初の夏休みという、世界中の小学生が欲してやまない、今年最大のビッグイベントの情報を手に入れたからだ。

「ねぇ」
「なんだよ」
「もうすぐ夏休みらしい」
「……えっ?」

 やはり驚いているな。それもそうだろう、この情報は昨日の夜に母ちゃんから聞いた最重要きみつであり、安易に流してはいけない小学生の至宝なのだ。

 一緒に下校している友達に突然言うなんて、すこしマナー違反だったかもしれない。

「きのう母ちゃんが言ってた」
「……おう」

 彼がうつむいてしまった。……少し功を急ぎすぎたな、これではせっかくのイベントを満足に活かし切れないかもしれない。きっと、自分の力で答えを見つけようとしていたであろう彼には、悪い事をした。よし、もうちょっと冷静にいこう。

 しかしそれにしても、母ちゃんは学校に行っていないハズなのに、何でこの情報を知っていたんだろう。やはり最近の情報もうはあなどれないな、インターネットの時代というやつか。

 ちなみに、僕が彼に教えてあげたのは、この情報を独り占めするのは友達きょうてい違反だと理解しているからだ。だから友達であるつよしくんにも教えてあげるし、いざっていうときには教えてもらったりもする。将来はフェアな大人を目指しているから、とうぜんの行いだな。

「というかお前、知らなかったの?」
「そうだぞ」

 今日は普通に学校があったし、土曜日になってしまえば夏休みに入っても気づきにくい。あくまでも個人的にだけど、これは学校側による高度ないんぺい作戦だと感じている。休みだと悟られれば授業に集中しにくいし、このタイミングまで学校側が黙っていたのも頷ける。

 ああ、でも心配しないで欲しい。普段の僕はちゃんと宿題もしているし、勉強にも熱心だ。サボるのはちょっとだけだ、これはほんとう。

 それに剛くんだって、僕に言われるまでは気づいていなかったはずなのに、こういう風に見栄をはるのはよくない。素直にならないと、成績は伸びないぞ。

「まあでも、気持ちはわかる」

 きっと、夏休みの日をしくじるなんて男としての失態だと感じたのだろう。実のところその気持ちは分かるから、許すよ。

「なんでドヤ顔なんだ」
「(ニヤッ)」
「なんだか知らないけど、何かに負けた気分だぜ」

 まあ、さすがにこちらの手札が強すぎた。

「でも、夏休みに入ったらアレがめんどくせぇよなぁ、アレが」
「ああ、アレね。こっちは既にアレを進めているよ、ちょうたいさくを作るつもりだ」
「なにぃっ!? お前、もう自由研究はじめてるのかよっ!?」

 僕の自由研究はズバリ、アリンコの観察である。既に研究を始めてから2日が経過しており、実は母ちゃんから夏休みの連絡を受ける前に行動に移していたのだ。

 6歳になるまで長年収集した情報によると、自由研究というのはどの小学校にも必ず出現する強敵らしいので、時期を見計らって策を練り続けていたのが功を奏した。負ける気がしない。

「まあそういう事だから、きょうていは守ったよ。それじゃっ!」
「えっ!? おい、協定ってなんだっ!?」

 友達きょうていのことだぞ。

 なにはともあれ、まずは家に帰ってから「アリンコ観察午後の部」を開始せねばなるまい。やつらは夜になると活動を停止するので、時間との勝負だ。これは実体験に基づく、正確な情報である。





 家に帰り、さっそく裏庭までやってきた。まだ夜になるまでかなりの時間があるので、たくさんの研究を行うことが出来る。それでは、調査といこう。

 まずは耐久チェックからだ。棒で軽くつつき、奴らの反応を伺う。

「つんつん」

 …………。……あれ?

「うごかなくなった」

 おかしい、その辺の枝でつついただけなのに、動かなくなってしまった。もしかして人間に恐れをなして、身動きがとれないのだろうか。うむ、その可能性もあるな。

 通じるかは分からないけど、安心させるために声を掛けてみる事にする。こういうのは気持ちが大事だ。

「だいじょうぶだ、僕は君たちのことを知りたいだけだからね」
『…………』
「うごいたか」

 やはり動かなくなったのは、ビックリしただけだったらしい。裏庭のアリンコはいろいろと芸達者なので、行動を読み取るのもたいへんだな。だが今回の推理が当たったのも、2日間に渡る膨大な研究成果ともいえるので、そこらへんはちょっとだけ満足している。

 それでは、引き続きターゲットをつついてみる事にしよう。つんつん。

『ぷちっ』
「えっ!?」

 あれっ!? なんかいま、ぷちって音がした。なんでだ、どうしたんだアリンコっ!!

「…………しんだか」

 さっきまで元気だったアリンコが、今度は本当に沈黙してしまった。……僕は、なんて事をしてしまったんだ。本当はこんなつもりじゃなかったのに、これではアリ社会に多大な影響を与えてしまうかもしれない。なにより、一匹のアリンコの命が、失われてしまった。

「やめよう、今日の実験はおしまいだ。もう二度と、こんなひげきは繰り返してはいけない」

 絶対にだ。


──翌日の放課後。


「今日、先生から連絡があったね」
「おう、明日で学校終わりだってな」
「金曜日で終わりにすれば土曜日から夏休みが始まるし、やはりこれは高度ないんぺい作戦だね」
「よくわかんねぇや」

 昨日と同じく、クラスメイトのつよしくんと下校していた。彼の手には自由帳が握られているので、きっと僕が教えてあげた最重要きみつが役に立ったのだろう。いち早く自由研究をしている僕が夏休みの到来を知らせることで、彼の男としてのプライドと使命感をあおったのだ。

「まあそれはそれとして、ちょっと今日も自由研究があるから、先に帰るね。時間との闘いなんだ」
「あ、ちょっ! ……足めちゃくちゃ速いなあいつ」

 徒競走ではまだ負けたことが無いから、速さには自信がある。

 そして全力の猛ダッシュをすること5分、いつもの裏庭へとやってきた。

「よし、きょうもかんさつを続けるぞ」

 とりあえず、昨日みたいにつんつんするのはダメだ、今日はオブラートにいく。理由はかんたんだ、アリンコは一生懸命働いているのに、邪魔をすればえいぎょうぼうがいに繋がるからである。

 えいぎょうぼうがいはアリンコの皆が困るし、自分の身になって考えれば、ダメだって事に気づく。
父ちゃんにいつも言われていることだ。

「だから、今回はお前たちの絵をかく事にした」

 絵ならアリンコたちに迷惑はかからないし、自由研究もはかどる。実に完璧な作戦だ。僕は天才かもしれない。

 それにしてもアリンコの絵は難しいな、一匹一匹の動きも早く、なによりちょっとずつ大きさも変わっている。たまに色が濃いやつとか薄いやつもいるし、なかなかどうして、個性にあふれている奴らだ。

 それにそんな個性にあふれるアリンコたちではあるけど、お互いに協力しあって大きな食料を運んでいたりもする。当然、サボる奴もいるし力が足りなくて小さいのしか運べないやつもいるけど、それでもみんな、必死だ。

「お前たちには、お前たちの人生があるんだな」

 やはり、つんつんはもうやめよう。あれは非道なおこないだ、かなしみの連鎖は僕がくいとめる。

 それからしばらくすると、絵を描き見守っていた平和なアリ社会に、突如として襲撃者が現れた。裏庭に小さな巣を作っていた弱小アリとは違う、どこからともなく表れた大型アリだ。相手の数は一匹だが、いかんせん体格差がありすぎる。これはまずい。

 ……どうする、助けるか?

「いや、ダメだ。ここで僕に助けられているようでは、今後の生存競争に負けて、結局滅びのみちをたどる」

 結局は自分の力でまずは戦ってみないと、なにもはじまらないのだ。がんばれ裏庭アリ。

『……キチキチ』
『ギチギチ』
「そうだ、臆するな。集団で戦えば勝機はある、かならずだ」

 巨大アリに捕獲されそうになった裏庭アリだが、向こうが攻めてくると同時に周りのやつらが一斉に取り囲み、戦闘態勢に入った。一対一では勝てなくても、こうやって力を合わせれば自分たちの未来を守れるはずなのだ。これも父ちゃんがいつも言っていることなので、間違いない。

「いいぞっ! そこだっ! 奴は後ろがガラ空きだ、そこを重点的にせめろっ!」

 そして戦闘状態に入ってから1分後、ついに戦いの均衡が崩れ、裏庭アリたちの勢力が逆転を始めた。これはイケるかもしれない、やはり父ちゃんの言っていたことは正しかった。

「今だ、いけ、いけーっ!」

 さあ、相手の体力は残りわずかだ、押しきれっ!

『……ギ、ギチ』
『キチキチキチ!』
「……やったかっ!!? ……勝った、勝ったぁーーっ!!」

 数分間の死闘が終わり、多少の犠牲を出しながらも裏庭アリは勝利した。これが、仲間を思いやる絆というやつなのだろうか。僕はいま、強大な敵を打倒した彼らから、とても大切な事を学んだきがする。

「ありがとう。そして、今日の研究はここで終わりだ」

 夜になってきた。


 ◇


 巨大アリと裏庭アリの死闘から1ヶ月とちょっとが経った。現在は夏休みの集大成である自由研究も終わり、研究成果をもって学校に向かうところである。

 僕が研究した内容は、「アリの活動時間」「アリの絵、アリの歌」「集団戦における戦略と知略」「アリ社会を模した人生の歩き方」「規則正しい生活によるエネルギーの運用法、アリンコの法則」などなど、その他にも多岐に渡る。正直言って、今年の自由研究の発表会は、僕の優勝で間違いないだろう。

「それじゃ、いってきまーす」
「いってらっしゃいゆう、ちゃんとアリの絵は持った?」
「持ってるよ、これは僕の切り札だ」

 母ちゃんも応援してくれているので、元気100倍である。ちなみにライバルは友達のつよしくんであり、最後には彼と僕の一騎打ちになるだろうと予測している。さて、それではさっそくアリの歌を歌いながら、学校へ向かうとしよう。

「アリンコいーな、なかなかいーな、あんなアリこんなアリいっぱいいる……、おろ?」

 歌を歌いながら歩いていると、いつもの登校ルートにつよしくんの姿が見えた。上級生である2年生の先輩もいっしょだけど、夏休みの間に友達になったのだろうか? しかし、なにやら険悪な雰囲気にも見える。

 ちょっと聞き耳を立ててみよう。

「きひひっ、おい剛、ちゃんと持ってきたんだろうなぁ?」
「…………」
「おいテメェ、何か言ったらどうなんだよ、あぁんっ!?」
「わ、渡さねぇよ。お、おれは渡さねぇっ!」
「……なんだとテメェ。ちょっと自由研究の成果を横取りされるくらいで、なに強がってんだぁ?」

 なんてことだ、友達のつよしくんが夏休みの集大成を込めた、全力の自由研究をカツアゲされそうになっている。これはいけない、2年生は1年生より体力があるし、まず勝てないだろう。

 ……僕が助けてあげなきゃ。今まで見て来たアリたちだって、みんなそうしてきた。

 それならまずは、アリたちから学んだ兵法その1、「加勢による威圧を最大限に活かす」だ。大声をあげて僕の存在を知らしめるっ!!

「わぁああああっ!!」
「な、なんだっ!?」
「アリスラッシュッ!!」
「……ぐほぉっ」

 僕の渾身のアリスラッシュが決まった。やっている事はただの砂かけなんだけど、ちょうど顔にヒットしたようで、悶絶している。だけどまだ油断はできない、この隙を利用してつよしくんを逃がさなきゃいけないんだ。

「お、おまえ、……どうして」
「仲間がピンチに陥っていたら、助けるのは当然だろ。それに、その自由研究は君の全力がこもった大切な物のはずだ。発表会まで、手放しちゃいけない」

 この宿題に1か月以上も取り組んだ僕たちだからこそ分かる。ここで折れてしまうという事は、自分の本気に嘘つくことになるんだっていう事を。

「時間は僕がかせぐから、君は逃げてくれ」
「…………」

 上級生の狙いは彼の研究成果だ。彼さえ逃がせれば、この戦いは僕たちの勝利に終わる。

「いや、それはできねぇ」
「なんでっ!?」
「決まってんだろ、お前も一緒に逃げるんだよっ!!」
「おわっ!?」

 覚悟を決めた僕の手をつよしくんが引っ張り、走り出した。いつもの彼らしからぬ、すごいスピードだ。でもそうか、確かに僕だけが取り残されれば僕の自由研究が狙われるんだし、これでよかったのか。

 ……あぶないところだった。

「……はぁ、はぁ、はぁ。ふー、ようやく学校についたか」
「なるほど、なるほど」
「はっ、またなんか考えてやがるのか。相変わらずお前は変な奴だ」

 失礼な。僕は変な奴なんじゃなくて、アリだったらどうしていたか考えていただけだ。剛くんの感性はちょっとズレていると思うね。だが、そんな彼の思い付きでお互い助かることが出来たんだし、こういうのも悪くない。結果オーライというやつだ。

「それじゃ、クラスで自由研究の発表をしよう。きっと僕と君の一騎打ちになるだろうけど、負けないよ」
「望むところだ。俺だってこの一ヶ月とちょっと、自由研究と算数の宿題を頑張ったんだ、負けないぜ」

 ……ん? 算数の宿題? なんだろうかそれは、確か宿題は一つだけだったはず。

「ねぇ、算数の宿題ってなに?」
「はぁ? お前何言ってんだ。先生から出された宿題は、算数の足し算10ページと、自由研究だろ? まあお前なら楽勝だろうが、いい勝負には持っていく自信はあるぜ」
「な、なんだってっ!?」

 ばかな、6年間の情報収集に、そんな情報はなかったぞ!? この僕の情報もうをすり抜けるなんて、いったいどういう事なんだ。ありえない。

「いや、でもこれも、人生ってやつかな」
「どうした急に」

 アリたちの生活も全てが計画通りじゃなかった。時に巨大アリに襲われ、時に豪雨に襲われ、時に僕にぷちっとされちゃったりもしていた。でもそんな彼らではあっても、結局は生きながらえ、次の日の朝にはケロッと行列を作っていたんだ。

 だからこそ僕もそれに倣おう、すべてはアリから学んだことだ。
 

 ──そう、名付けて「夏休みの宿題@アリンコ」ッ!!


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