星の軌跡の描く未来で

美月藍莉

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第1章 A-Side 成瀬奏汰

Episode.5 「失われた記憶」

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   逃げるって.....そもそもどこに逃げればいい?

   人通りの少ない住宅街で息をひそめるようにして身を隠すか、それとも人通りの多い繁華街の方へ行ったほうがうまく隠れられる?

   どこに逃げてもいいかわからないままとにかく俺は、自分の家から遠ざかるように闇雲に走って逃げ続けていた。

   もうなんか、バカなんじゃねえのって言いたくなるくらい訳のわからない事に巻き込まれまくって、もしかしてこれからもこんな事が続くんじゃないのか?って考えたらちょっと不安になる。

   さっきの化け物は天界のルビーの敵だったから恐らく、今までの話を整理するとすれば多分、『魔神なんちゃら』の奴だ。
   そんな奴が俺を襲ってきて、あと何日生き残れる?

    俺、ただの25歳フリーターだぜ?

   そんなわけのわからない奴らの相手なんて、出来るわけがない。

   もうどれだけ走っただろうか、多分そんなには経っていない。
   まだ見慣れた近所の住宅街を俺はがむしゃらに走っていて、けれどそこで俺は急停止した。
   せざるを得なかった。

   なぜなら、先ほど俺とルビーを襲った化け物が、目の前の道を先回りして塞ぐようにして立っていたから。

   そいつはルビーが俺の部屋で足止めしているはずの化け物で...。

   なのになぜかもう俺に追いついて行き先を塞いでいる。

   それに、考えたくはないが嫌な予感がする。

   身震いがする。

「ルビーは......あのバカ精霊は!?」

   それに、化け物はその両耳まで裂けた大きな口から、細長い蛇の様な舌をペロッと出して、これまたその醜い外見にそぐわない綺麗な女性の声で

「殺しちゃったァァァア」

   なんて、口にする。

   それに、恐怖で身体が震える。

   逃げたいのに、身体が動かない。

   こんな訳のわからないまま、こんな訳のわからない化け物に殺されて、人生終了するのか?

   結局なにもかもから逃げ続けて、現実からも目を背けて、フリーターでダラダラと過ごして、25歳。
   おまけに、彼女いない歴イコール、年齢。

   ほんと、大した人生だよ。

   情けない。

   どう考えてもこれから殺されるっていう状況なのに、俺はなぜかそんなことを考えてしまう。

   そんな、人生の後悔が頭の中を巡ってしまう。

   きっと、もし仮にこのまま生きていても俺の人生は変わらないだろう。

   きっと、死ぬまでフリーター。

   現状維持でいいや、結婚も彼女もいい。
   めんどくさい、後回し。
   責任だって負いたくない。

   全部全部後回しで、逃げて逃げて逃げて、そんな人生で。

   でもそれでも、バカな俺はそれでも、まだ生きたいなんて考えてしまう。

   こんな無価値のどうしようもない俺は、愚かにもそんなことをまだ考えてしまう。

「死にたくない...。俺はまだ...。」
   そんなことを、声を震わせながら呟いていたと思う。
   恐怖で顔を歪ませ、涙を流していたと思う。

   そして次の瞬間、化け物は右手をこちらに向けてきてまた、あの聞き取れない妙な発音で呪文のようなものを唱えてくる。

   それに俺は、必死に逃げる。

   背を向けて、逃げる。

   しかし、化け物が先程放ったのと同じその衝撃波は、多少離れたくらいじゃ完璧には避けられない。

   アスファルトの地面が吹き飛ばされ、俺はその風圧で情けなく吹っ飛ばされて転んで、すぐに化け物の方を向き直して尻餅をつきながら、情けなく後ろに後ずさる。

(ダメだ...コイツからは逃げられない...。)

   ルビーは、俺を守るために命懸けで戦って、この化け物に殺されてしまった。

   俺は、何もできない。

   せっかく守ってもらったのに、何もできない。

   この状況が、酷く胸を締め付ける。


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   前にも、こんなことがあった気がする。
   
   思い出せない......まるで頭の中から、記憶から、すっぽりと抜けてしまったように。

   こんな大変な時だって言うのに、頭の中に浮かぶのは、まるで、主役のいない風景。

   今日と同じ、澄み渡った夜空。

   星の煌めく、綺麗な夜空の風景。

   そこはここからそう離れてはいない、駅前の繁華街で、辺りにはクリスマスシーズン真っ只中全開の装飾が施されていて。

   人々で賑わい、行き交い、まるでなんでもないようなクリスマスシーズンの1ページのようにしか見えないのだが...それにひどく違和感を覚える。

   本当はそこに誰かがいたような、まるでそこには、誰かが写っていたような。
   
   そんなただの街の風景のような映像が、断片的に頭の中を駆け巡る。

   なぜだろうか......。

   正体不明のひどい罪悪感が全身を硬らせ、心臓の鼓動が早まり、息苦しい。

   ひどく、ひどく苦しい記憶。


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    恐らく、それはほんの一瞬で、頭の中を巡った映像だった。

「走馬灯.....ってやつなんか......?なんも覚えてねえけど......こんななんもねえ記憶を思い出すくらい俺の人生、どうしようもねえってことかよ...。」

   そう、奏汰は自嘲するような笑みを浮かべる。

   そんな情けない人生を送っていたからだろうか。

   逃げて逃げて逃げて、こんな状況でも逃げて、ルビーは俺を命張って守ってくれたのに逃げて。

   化け物はまた、尻餅をついたままの俺に、聞き取れないようなよくわからない妙な発音で呪文のようなものを詠唱し始めて。

   それは恐らく、先程から放ってきている衝撃波みたいなやつを生み出す魔法の類。

「なんでだろう......なんでだろうな......ここで逃げたら俺......もう戻れない気がするんだよ.....。」
   そう呟いて立ち上がり、咄嗟に周りを見渡す。

   ここは俺の家からもそう遠くはない、至って平凡な柏橋かしわばし市の、何処にでもある閑静な住宅街。
   辺りを照らすのはちらほらと一定間隔で設置された街灯と、住宅から漏れる照明、そして空一面に広がる星屑。
   道路幅は6mほどと決して広くはない。そんな住宅街の脇に、自転車が停まっているのに目をつける。

「......悪い誰のか知らねえけど違法駐輪してんなら借りるぞ!!」

   そう言って俺は、その違法駐輪か、はたまた、不法投棄か、そんな自転車を抱えたまま、呪文のようなものを詠唱している化け物の方へ走っていく。

   そして、そのまま全力でその自転車のハンドル部分を両手で掴んで、化け物へと振るった。

   だがその瞬間、化け物は魔法を放つ。俺の振るった自転車は衝撃波と共に吹き飛ばされ、それを掴んで振るっていた俺の身体も、その場から吹き飛ばされる。
   
   今までに感じたことのないほどの強い痛みを感じながら、俺は情けなくその場で3回ほど転がって、道の端の塀に叩きつけられる。

「がはぁっ......!?」

   視界が暗転し、平衡感覚が無くなる。きっと、強く後頭部を打ちつけたのだろう。

   自分が一体、今どうなっているかは全く把握出来ていない。
   
   ただ跪き、両手をつく地面には真っ赤な血が広がっており、それが自分のものを理解するのに、そう時間はなからなかった。
   
   けれど、全身を打ちつけてひどい痛みに襲われ、ところどころ感覚がなくなり、自分がどこをどう負傷しているかまでは、分からない。

「.....はぁ......はぁ......クソ......どうすりゃいいのかなあ......これ、俺絶対殺されるやつじゃん......?」

   全身薄紫の魚鱗のようなものに覆われた気味の悪い化け物は、ゆっくりと俺の目の前まで歩を進めてくる。

   それに俺は少し疑問を持った。なぜだ、なぜ俺のことを殺さないんだ?と。
    これだけの力の差があるのなら、多分あの化け物は殺そうと思えばいつだって俺を殺せるはずだった。なのにそれをしない。ということは、俺を殺せない理由があるのだ。それなら.....。

「おい...おい待てよ化け物......!」

   しかし、化け物は止まらない。こちらの言うことなどまるで興味がないかのように、一歩一歩、近づいてきて。

「なにが目的だよ...なにが......なんで俺を襲う?俺がお前らに何をしたってんだよ!」



   化け物は、自分の言葉にまるで耳を傾けない。ただ、一歩一歩近づいてきて、その度に一歩一歩、自分の死が目の前まで迫ってきているのをただ、感じる。

「どっちにしても.....俺もう...。」

   そんなことを考えている間にも全身の至る所を負傷して、出血が止まらない。はやく血を止めないと、多分やばい。
   だんだんと意識も朦朧とし始めて、身体に力が入りづらくなってくる。 

    だが俺は、その場から跪いたまま動くことはできない。その化け物がゆっくりとこちらへ手を伸ばしてきて、それから逃げることはできない。

   逃げることが......。

   ルビーは.......俺を命懸けで助けてくれたのに......。

「俺、〝また〟なにもできないのかよ.....。」



   〝あの時〟と同じだ。




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   俺はまた何もできなくて、ただ見ていることしかできなくて。

   それは、多分まだ俺が高校生だった頃。

   俺は大好きな人が......大切な人が俺を守るために戦っているのを......傷ついているのをただ見ていることしか出来なかった。

   バカで力のない俺は、なにも成長していないまま、ただ無駄に時間だけが過ぎて───。


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『きっと俺たちは何度も生まれ変わってその度に出会って、だからきっと今度は、君と結ばれる人生に生まれ変わったら、今度は必ず君を迎えに行く。』

   そんな俺の馬鹿な戯言が、頭の中を巡る。

   へらへらと責任感のない俺は、そんなことを言った。

   彼女は、前世でも来世でもない、今の自分を好きでいてくれたのに─────。

「......大好きだよ、奏汰。」


   彼女の最期の言葉。

   彼女の最期の言葉が、脳内に直接響いてくる。

   それは、忘れてはならない記憶。

   自分の、1番大事な記憶。

   沈んでいた記憶の欠片が、水面に一枚一枚ぼんやりと浮き上がりはじめ、自分の中の欠けていたなにかが、少しづつ埋まっていくのを感じる。

   
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「セシ...リア.......?」







   ずっと、頭の中の奥深くに眠っていた記憶が、徐々に戻り始める。



   失われた記憶が、徐々に浮かび上がってくる。



   俺には、昔好きな人がいたんだ。



   大好きな子が、いた。


   
   彼女の名前は、セシリア・コルネベルチェ。
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