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嬉しい転生【彩音の場合】
8.夢なら覚めないで 3
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それからそんなことを話してからも、神崎さんとはなんの接点もないまま、月日が流れていった。
陽射しが焼けるように熱い。今年の夏はことさらひどい暑さだ。
そんな暑さが続く中、エアコンが付いているとはいえ、授業中に気分を悪くしてしまった生徒がいた。
俺は委員だったので、保健室まで送っていき、教室に戻ろうとした時に、通りかかった教室から、ピアノの音が響いた。
(この音は――?)
歌い上げるような、楽しくて楽しくて仕方ないというような音色。でもこのタッチには聞き覚えがある。思わず教室をのぞきこんだ。
「神崎さん…!」
普段の彼女からは想像もつかないくらい楽しそうに、口許には微笑みさえ浮かべてピアノを弾いている。
(君はこんな、こんな風にも弾ける人だったんだ…)
胸の奥がぎゅっと痛くなる。思わず、胸に手を当て、制服のワイシャツを握りしめた。スランプなんて感じさせないくらい高らかに歌い上げるような音色だった。
確かな技術に情緒がのって、更に素晴らしくなっていた。
「やっぱり…力になりたいだなんて、おこがましかったな」
自嘲気味に呟くと、その音色が止むのを待って、その場を離れた。
◇◇◇◇◇
「ふぅ…」
いつもの自習室につき、ピアノの前に腰かける。
今日彼女が奏でていたショパン…。今日は一日中、彼女の姿が、彼女の音が脳内に繰り返し再生されていた。あぁ、もう自分自身を騙せない。
彼女のことが好きだ。
でも一度も話したことも、ないのに。いきなり言っても、迷惑だよな…。
彼女のことを何も知らない。もっと知りたい。
指先は愛の夢を奏でていた。
視線を感じ、ふと視線を上げた先に、赤い髪が見えた。
「え…」
とうとう幻を見たかと一瞬呆けたけど、神崎さんだ――。
その後彼女の口から語られた台詞は、夢を見てるのかと、とうとう拗らせた思いがどうにかなって、頭が狂ったのかと思うようなものだった。
◇◇◇◇◇◇
(つい、い、家に誘ってしまった……!)
俺、大丈夫かな?頭がおかしくなったのかな?いやいやいや、そう、家の!ベヒシュタインを弾いてほしくて!
それで、今日の神崎さんのショパンを聞かせてもらって、それで、俺の得意な曲、いや彼女の好きな曲を弾いて…っ!
『一度でいいんで、抱いてください…!』
え、抱くって抱き締める方じゃなくて、せ、セックスの方だよな…?
街路樹沿いの道を歩きながら、隣にいる神崎さんをチラリと覗き見た。まだ陽射しの高い中、街路樹の葉越しに差し込む陽光に照らされ、赤い髪が透き通ってキラキラと輝いている。
(宝石みたいだな…本当に綺麗だ)
こんな間近で見られるなんて、足元がフワフワとして、現実感がまるでない。
「あ」
彼女が髪をかき上げた時に、白い細い首元にうっすら汗が滲んでいるのが見えた。
「はい?」
彼女がこちらを見上げて、微笑んだ。
「~~ッ、いや、なんでもない」
見てはいけないものを、盗み見している気持ちになって、微笑む彼女の笑顔が眩しくて、俺は顔を背けた。
◇◇◇◇◇◇
「シャワー浴びる?とか、言っちゃったよ…………」
洗面所からは水音が聞こえてきた。
混乱を落ち着ける為に、楽譜を手にするが、もちろん頭に何も入ってこない。
あ、神崎さんの為に出したアイスコーヒー、俺が飲んじゃった…。
はああああ、と大きくため息をついて、ソファーで頭を抱えた。
「なんだ、これ…、マジで夢か…?」
咄嗟に余裕のあるフリとかしちゃったけど、俺、大丈夫だったかな…?なんかあんな態度、神崎さんに失礼だったんじゃ…。今からでも仕切り直しを…、いやでも、シャワー…。神崎さんが俺の部屋で、シャワー…。
神崎さんがあんなこと突然言うなんて、慣れてるの、かな…。音楽しかしてこなかった俺と違って、彼氏とかいたんだろうか。いや、でも10年前から俺のこと、好きだったって…。
『姉は家で大河内先輩の話ばかりしてますよ』
奏君の言ってたこと、本当だったんだ…!どうしよう、うれしい。嬉しすぎる。顔がにやけるのが止まらない。でも、神崎さんの俺の印象ってどうなんだろ…?
クール、クールに!無様に慌てる姿なんて見せて、幻滅されたくない。
もう一度、手に楽譜を握り直し、楽譜に視線を落とした。目はすべり情報は何も入ってこないが、それを続ける。平常心!無表情に!
『先輩がこんな人だったなんて…』とか言われたらマジで立ち直れない!
ビークール!ビークール!!
そしてこんな!身体から始めるみたいなことは、良くない!
汗はかいてたから、シャワーを浴びるのはいい、そうだ、汗をかいてシャワー、雪山で遭難して山小屋で抱き合うみたいな!そうだ、仕方ないことだ、人として!
そう!あれだ、不可抗力だ!
きっと神崎さんも制服で戻ってくるだろうから、ピアノ弾いて、俺の気持ちを伝えて、またゆっくりと始めよう!
確かに留学とかあるけど、それも含めて、神崎さんとはゆっくりと…!?
カタン…
「え…っ」
まとめ髪にバスタオルだけを纏った彼女の姿を見た瞬間、俺の思考は霧散した。
陽射しが焼けるように熱い。今年の夏はことさらひどい暑さだ。
そんな暑さが続く中、エアコンが付いているとはいえ、授業中に気分を悪くしてしまった生徒がいた。
俺は委員だったので、保健室まで送っていき、教室に戻ろうとした時に、通りかかった教室から、ピアノの音が響いた。
(この音は――?)
歌い上げるような、楽しくて楽しくて仕方ないというような音色。でもこのタッチには聞き覚えがある。思わず教室をのぞきこんだ。
「神崎さん…!」
普段の彼女からは想像もつかないくらい楽しそうに、口許には微笑みさえ浮かべてピアノを弾いている。
(君はこんな、こんな風にも弾ける人だったんだ…)
胸の奥がぎゅっと痛くなる。思わず、胸に手を当て、制服のワイシャツを握りしめた。スランプなんて感じさせないくらい高らかに歌い上げるような音色だった。
確かな技術に情緒がのって、更に素晴らしくなっていた。
「やっぱり…力になりたいだなんて、おこがましかったな」
自嘲気味に呟くと、その音色が止むのを待って、その場を離れた。
◇◇◇◇◇
「ふぅ…」
いつもの自習室につき、ピアノの前に腰かける。
今日彼女が奏でていたショパン…。今日は一日中、彼女の姿が、彼女の音が脳内に繰り返し再生されていた。あぁ、もう自分自身を騙せない。
彼女のことが好きだ。
でも一度も話したことも、ないのに。いきなり言っても、迷惑だよな…。
彼女のことを何も知らない。もっと知りたい。
指先は愛の夢を奏でていた。
視線を感じ、ふと視線を上げた先に、赤い髪が見えた。
「え…」
とうとう幻を見たかと一瞬呆けたけど、神崎さんだ――。
その後彼女の口から語られた台詞は、夢を見てるのかと、とうとう拗らせた思いがどうにかなって、頭が狂ったのかと思うようなものだった。
◇◇◇◇◇◇
(つい、い、家に誘ってしまった……!)
俺、大丈夫かな?頭がおかしくなったのかな?いやいやいや、そう、家の!ベヒシュタインを弾いてほしくて!
それで、今日の神崎さんのショパンを聞かせてもらって、それで、俺の得意な曲、いや彼女の好きな曲を弾いて…っ!
『一度でいいんで、抱いてください…!』
え、抱くって抱き締める方じゃなくて、せ、セックスの方だよな…?
街路樹沿いの道を歩きながら、隣にいる神崎さんをチラリと覗き見た。まだ陽射しの高い中、街路樹の葉越しに差し込む陽光に照らされ、赤い髪が透き通ってキラキラと輝いている。
(宝石みたいだな…本当に綺麗だ)
こんな間近で見られるなんて、足元がフワフワとして、現実感がまるでない。
「あ」
彼女が髪をかき上げた時に、白い細い首元にうっすら汗が滲んでいるのが見えた。
「はい?」
彼女がこちらを見上げて、微笑んだ。
「~~ッ、いや、なんでもない」
見てはいけないものを、盗み見している気持ちになって、微笑む彼女の笑顔が眩しくて、俺は顔を背けた。
◇◇◇◇◇◇
「シャワー浴びる?とか、言っちゃったよ…………」
洗面所からは水音が聞こえてきた。
混乱を落ち着ける為に、楽譜を手にするが、もちろん頭に何も入ってこない。
あ、神崎さんの為に出したアイスコーヒー、俺が飲んじゃった…。
はああああ、と大きくため息をついて、ソファーで頭を抱えた。
「なんだ、これ…、マジで夢か…?」
咄嗟に余裕のあるフリとかしちゃったけど、俺、大丈夫だったかな…?なんかあんな態度、神崎さんに失礼だったんじゃ…。今からでも仕切り直しを…、いやでも、シャワー…。神崎さんが俺の部屋で、シャワー…。
神崎さんがあんなこと突然言うなんて、慣れてるの、かな…。音楽しかしてこなかった俺と違って、彼氏とかいたんだろうか。いや、でも10年前から俺のこと、好きだったって…。
『姉は家で大河内先輩の話ばかりしてますよ』
奏君の言ってたこと、本当だったんだ…!どうしよう、うれしい。嬉しすぎる。顔がにやけるのが止まらない。でも、神崎さんの俺の印象ってどうなんだろ…?
クール、クールに!無様に慌てる姿なんて見せて、幻滅されたくない。
もう一度、手に楽譜を握り直し、楽譜に視線を落とした。目はすべり情報は何も入ってこないが、それを続ける。平常心!無表情に!
『先輩がこんな人だったなんて…』とか言われたらマジで立ち直れない!
ビークール!ビークール!!
そしてこんな!身体から始めるみたいなことは、良くない!
汗はかいてたから、シャワーを浴びるのはいい、そうだ、汗をかいてシャワー、雪山で遭難して山小屋で抱き合うみたいな!そうだ、仕方ないことだ、人として!
そう!あれだ、不可抗力だ!
きっと神崎さんも制服で戻ってくるだろうから、ピアノ弾いて、俺の気持ちを伝えて、またゆっくりと始めよう!
確かに留学とかあるけど、それも含めて、神崎さんとはゆっくりと…!?
カタン…
「え…っ」
まとめ髪にバスタオルだけを纏った彼女の姿を見た瞬間、俺の思考は霧散した。
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