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憂鬱な転生【カノンの場合】
38.一段ずつ
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「お邪魔します」
「うん、どうぞ上がって」
長い廊下の先、重厚な扉の奥にあった部屋にもまた吃驚してしまった。
玄関を入ったところだというのに、何故か下に降りる螺旋状の階段があったからだ。
「あぁリビングは下だよ。どうぞ」
「は、はい」
階段を降りた先は、大きな吹き抜けのある広々としたリビングルームだった。壁面は作り付けの本棚になっており、所狭しとCDやレコードが並べられている。
そして中央にはチェロとピアノ。
大きな窓からは、街並みが一望できる。
濃い板色の寄木のフローリングと、壁紙の薄水色に合わせて同じ色調の家具が揃えられており、どう考えても一人暮らしにしてはスケールがおかしい。
急に自分の持っている手土産の菓子や自分自身がちっぽけに思えて、促された大きなソファに座っても、そわそわと落ち着くことができない。
「どうしたの? 緊張してる?」
「あ、え、はい。あの、先輩が一人暮らしなことと、しかもあのこんな大きなお部屋なんで驚きました……」
「あぁ」
そう正直に告げたカノンに、オープンキッチンの向こう側で、お湯を沸かしながら城野院は苦笑しているようだった。カノンは窓を望んだ位置に座っていたので、表情ではなく声音を拾うことしかできなかったけれど。
「夏休みは、父に随分と振り回されたからね。その報酬として一人暮らしを要求したんだ。ようやく先月引っ越したばかりなんだけどね」
「そう、なんですね」
(ゲームでは普通に実家から通ってたよね……?)
そう考えて首をかしげるが、ゲームの中では、家の中まで入ることもなかったし、実際の所まではわからない。そしてぼんやりとゲームのことを考えていると、城野院が紅茶を持って現れた。
それに気が付き、カノンは手土産の菓子を慌てて取り出した。
ぎゅっと握りしめていたので、持ち手の部分が少し湿っているようで恥ずかしい気持ちになって、その部分を伸ばすように撫でてから手渡す。
「すみません、先にお渡しするつもりが。これお土産です」
「ありがとう。これは?」
そう言うと城野院は嬉しそうに笑って受け取ってくれた。その笑みに、ドキリと鼓動が高鳴るのを感じた。普段の眉目秀麗を地で行くような整った顔が、カノンに接する時だけ、無邪気な笑みを浮かべることがある。カノンはその瞬間を見ると、すごく嬉しくなる。
「先輩がお好きかわからないんですけど、パウンドケーキ焼いてきました」
「あぁ、僕パウンドケーキ好きなんだ。嬉しいよ、ありがとう」
そうして視線が交差すると、城野院はカノンのすぐ隣に腰を下ろした。お互いの太ももが触れるくらいにすぐ近くに。
そして鼻先がつきそうなくらいの距離でカノンの顔を覗き込んだ。
目の前にあるその整った城野院の顔にカノンの肩がビクッと跳ねる。
「緊張してる?」
「う……、す、こし」
「……キス、してもいい?」
「は、はい! もちろん、喜んで!」
ムードなんてない、勢いのいい返事を返して、カノンは力をこめてぎゅっと瞼を閉じた。
ふ、と城野院が笑ったような吐息を感じると同時に、あたたかいふんわりとしたものが唇に触れた。カノンは唇にもぎゅっと力を込めていたので、唇の先に少しだけ。
キスをするのはこれが初めてではない。3回目だった。
城野院はいつもキスの前に、こちらに確認をとってくれる。
初めての時は、「はい」の一言がなかなか出ず、その内妙な雰囲気になってしまって、唇の先に触れるだけのキスをするまでに30分近くもかかってしまった。
あの時はとにかく焦ってしまい、先輩は慣れてるんでしょうけど、なんて言わなくてもいいことを言って、ますます城野院を困らせてしまった。
おかげでその日の晩は、初めてのキスに浮かれることよりも自己嫌悪の大反省会になった。
一度言った言葉はどうやっても戻らない。分かっているはずなのに。
中身はアラサーなのに。城野院よりも10歳近く年上なのに。なのに、こんなに情けない。
ゲームの印象だと、こちらの都合はお構いなしの強引なヤンデレキャラだと思っていたが、城野院はカノンの気持ちを慮って、カノンの意思をいつでも優先してくれている。
それが嬉しくて、申し訳なくて、少しだけ、ほんの少しだけ歯痒い。
嬉しいのと同じくらい、カノンの中で先を急く気持ちが高ぶって、弾けそうだった。
「ん……」
「家に着いたばかりなのにせっかちで、ごめんね。ガラにもないんだけど、君が来たいって言ってくれて、……昨日は眠れなかった」
「先輩が、ですか?」
「うん、こんな風に待ち遠しくて眠れなくなるのなんて初めてだ」
眉を下げて苦笑しながら「あぁ、でも君の心の準備ができるまで、これ以上のことをするつもりはないよ? 安心して」そう言って城野院は微笑んだ。
その言葉は本当だろう。きっとここでカノンのことを押し倒したりなんて絶対しない。
(でも、)
映画でも観ようか? そう言って、ソファから立ち上がろうとしたその時、カノンは思わず城野院の服の端を引っ張った。
城野院の視線を感じるが、顔を上げることができない。カノンの鼓動は激しく早鐘を打ち、酸欠でクラクラしてきた。それでも、なんとかカラカラに渇いた口を開いた。
「あ、の……っ、先輩」
「うん?」
「私、城野院先輩のことが、好きです。……あの、」
「うん」
「今日、あの、もっと先輩のことが、知りたく、て。あの、だから、大丈夫なんで、これ以上のこと、したい、と思ってるん、です」
(い、言った……!)
昨日のシミュレーション通りになんとか、そう告げたものの、そこからどうしたらいいかわからない。
これ以上のことをするつもりはないと言っていたから、本当にその気がないのにわがままを言ってしまっているのかもしれない。
でも言ってしまった言葉を飲み込むことはできない。恥ずかしさに視線をさ迷わせながら、言葉を繋げた。
「あの、でも、私じゃその、先輩がつまらないかもしれない、ですけど、あの」
そう言うと同時に、城野院の服の端を強く握りしめすぎて、皺になるかもしれない。そう気が付いて、パッと手を離した。
「……うーん」
「せんぱい?」
言い淀んだような城野院の声に、カノンは慌てて顔を上げた。
間違ってしまったのかもしれない。だが、見上げた城野院の顔は何かに堪えているかのように眉根を寄せている。その表情がどういう感情を抱いているか、今のカノンには見当もつかない。
「……えーと、先に誤解のないように言っておくけど、否やは全くないんだ。全くないんだけれど……」
「……?」
「あぁ、ごめんそんな不安そうな顔しないで! ……それで、うーん、なんていうか、君に悪いところは何一つなくて、うーん……。僕はこの部屋を選んだのを後悔してるところなんだ」
「? 後悔ですか?」
視線をリビングルームにやるが、入ってきた時と変わらず素敵な部屋だという印象しかない。今何故部屋の話が始まったのかわからず、カノンはもう一度城野院の顔を見つめた。
「この部屋がね……、寝室は上なんだ。中二階っていうんだけど、玄関に入ったところの右手に階段があって、少し上がるんだよね」
「はぁ」
「本当はね、今すぐ君を抱き上げて、寝室に運びたいところなんだ。もう今すぐ」
「! は、ひゃい」
「だけど……あの階段だろ? 君を抱き上げて運ぶのが難しくて……」
城野院は視線をちらりと、先ほどの螺旋階段にやった。
螺旋階段はアイアンでできていて、蹴込の部分が空いている、階下が階段の間から見下ろせるタイプだ。
結構な急こう配になっていることもあって、あそこを何かを抱えて上り下りするのは実際怖そうだ。
「……」
「なんでこんな作りの部屋を選んだんだろう! ……って、こんな間がそもそも白けるよね、くそっ! いや、実は少し、いや結構期待をしていたんだけど、いや、初めてはここよりも、もっといいホテルかどこかでの方が……。や、でも高校生らしくないかな、でも僕が予約するから改めて……」
「……ぷ! あははは、先輩ってば」
思わずカノンはそんな城野院の様子に噴き出した。
眉根を寄せて真剣な表情でそんなことを真面目に考え込んでいる様子がたまらなくおかしい。
学園や他のひとに見せる彼は、顔を赤らめたりすることもない、いつだって涼しい顔で何でも完璧にこなすひとなのだ。
――それが、今
悩んでいるのはスマートなベッドへの移動。
「くっ、本当ごめん、もうこの間がありえないよね。こんな僕に幻滅す、……」
カノンは城野院の言葉を遮るように、その唇に触れた。
「うん、どうぞ上がって」
長い廊下の先、重厚な扉の奥にあった部屋にもまた吃驚してしまった。
玄関を入ったところだというのに、何故か下に降りる螺旋状の階段があったからだ。
「あぁリビングは下だよ。どうぞ」
「は、はい」
階段を降りた先は、大きな吹き抜けのある広々としたリビングルームだった。壁面は作り付けの本棚になっており、所狭しとCDやレコードが並べられている。
そして中央にはチェロとピアノ。
大きな窓からは、街並みが一望できる。
濃い板色の寄木のフローリングと、壁紙の薄水色に合わせて同じ色調の家具が揃えられており、どう考えても一人暮らしにしてはスケールがおかしい。
急に自分の持っている手土産の菓子や自分自身がちっぽけに思えて、促された大きなソファに座っても、そわそわと落ち着くことができない。
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「あ、え、はい。あの、先輩が一人暮らしなことと、しかもあのこんな大きなお部屋なんで驚きました……」
「あぁ」
そう正直に告げたカノンに、オープンキッチンの向こう側で、お湯を沸かしながら城野院は苦笑しているようだった。カノンは窓を望んだ位置に座っていたので、表情ではなく声音を拾うことしかできなかったけれど。
「夏休みは、父に随分と振り回されたからね。その報酬として一人暮らしを要求したんだ。ようやく先月引っ越したばかりなんだけどね」
「そう、なんですね」
(ゲームでは普通に実家から通ってたよね……?)
そう考えて首をかしげるが、ゲームの中では、家の中まで入ることもなかったし、実際の所まではわからない。そしてぼんやりとゲームのことを考えていると、城野院が紅茶を持って現れた。
それに気が付き、カノンは手土産の菓子を慌てて取り出した。
ぎゅっと握りしめていたので、持ち手の部分が少し湿っているようで恥ずかしい気持ちになって、その部分を伸ばすように撫でてから手渡す。
「すみません、先にお渡しするつもりが。これお土産です」
「ありがとう。これは?」
そう言うと城野院は嬉しそうに笑って受け取ってくれた。その笑みに、ドキリと鼓動が高鳴るのを感じた。普段の眉目秀麗を地で行くような整った顔が、カノンに接する時だけ、無邪気な笑みを浮かべることがある。カノンはその瞬間を見ると、すごく嬉しくなる。
「先輩がお好きかわからないんですけど、パウンドケーキ焼いてきました」
「あぁ、僕パウンドケーキ好きなんだ。嬉しいよ、ありがとう」
そうして視線が交差すると、城野院はカノンのすぐ隣に腰を下ろした。お互いの太ももが触れるくらいにすぐ近くに。
そして鼻先がつきそうなくらいの距離でカノンの顔を覗き込んだ。
目の前にあるその整った城野院の顔にカノンの肩がビクッと跳ねる。
「緊張してる?」
「う……、す、こし」
「……キス、してもいい?」
「は、はい! もちろん、喜んで!」
ムードなんてない、勢いのいい返事を返して、カノンは力をこめてぎゅっと瞼を閉じた。
ふ、と城野院が笑ったような吐息を感じると同時に、あたたかいふんわりとしたものが唇に触れた。カノンは唇にもぎゅっと力を込めていたので、唇の先に少しだけ。
キスをするのはこれが初めてではない。3回目だった。
城野院はいつもキスの前に、こちらに確認をとってくれる。
初めての時は、「はい」の一言がなかなか出ず、その内妙な雰囲気になってしまって、唇の先に触れるだけのキスをするまでに30分近くもかかってしまった。
あの時はとにかく焦ってしまい、先輩は慣れてるんでしょうけど、なんて言わなくてもいいことを言って、ますます城野院を困らせてしまった。
おかげでその日の晩は、初めてのキスに浮かれることよりも自己嫌悪の大反省会になった。
一度言った言葉はどうやっても戻らない。分かっているはずなのに。
中身はアラサーなのに。城野院よりも10歳近く年上なのに。なのに、こんなに情けない。
ゲームの印象だと、こちらの都合はお構いなしの強引なヤンデレキャラだと思っていたが、城野院はカノンの気持ちを慮って、カノンの意思をいつでも優先してくれている。
それが嬉しくて、申し訳なくて、少しだけ、ほんの少しだけ歯痒い。
嬉しいのと同じくらい、カノンの中で先を急く気持ちが高ぶって、弾けそうだった。
「ん……」
「家に着いたばかりなのにせっかちで、ごめんね。ガラにもないんだけど、君が来たいって言ってくれて、……昨日は眠れなかった」
「先輩が、ですか?」
「うん、こんな風に待ち遠しくて眠れなくなるのなんて初めてだ」
眉を下げて苦笑しながら「あぁ、でも君の心の準備ができるまで、これ以上のことをするつもりはないよ? 安心して」そう言って城野院は微笑んだ。
その言葉は本当だろう。きっとここでカノンのことを押し倒したりなんて絶対しない。
(でも、)
映画でも観ようか? そう言って、ソファから立ち上がろうとしたその時、カノンは思わず城野院の服の端を引っ張った。
城野院の視線を感じるが、顔を上げることができない。カノンの鼓動は激しく早鐘を打ち、酸欠でクラクラしてきた。それでも、なんとかカラカラに渇いた口を開いた。
「あ、の……っ、先輩」
「うん?」
「私、城野院先輩のことが、好きです。……あの、」
「うん」
「今日、あの、もっと先輩のことが、知りたく、て。あの、だから、大丈夫なんで、これ以上のこと、したい、と思ってるん、です」
(い、言った……!)
昨日のシミュレーション通りになんとか、そう告げたものの、そこからどうしたらいいかわからない。
これ以上のことをするつもりはないと言っていたから、本当にその気がないのにわがままを言ってしまっているのかもしれない。
でも言ってしまった言葉を飲み込むことはできない。恥ずかしさに視線をさ迷わせながら、言葉を繋げた。
「あの、でも、私じゃその、先輩がつまらないかもしれない、ですけど、あの」
そう言うと同時に、城野院の服の端を強く握りしめすぎて、皺になるかもしれない。そう気が付いて、パッと手を離した。
「……うーん」
「せんぱい?」
言い淀んだような城野院の声に、カノンは慌てて顔を上げた。
間違ってしまったのかもしれない。だが、見上げた城野院の顔は何かに堪えているかのように眉根を寄せている。その表情がどういう感情を抱いているか、今のカノンには見当もつかない。
「……えーと、先に誤解のないように言っておくけど、否やは全くないんだ。全くないんだけれど……」
「……?」
「あぁ、ごめんそんな不安そうな顔しないで! ……それで、うーん、なんていうか、君に悪いところは何一つなくて、うーん……。僕はこの部屋を選んだのを後悔してるところなんだ」
「? 後悔ですか?」
視線をリビングルームにやるが、入ってきた時と変わらず素敵な部屋だという印象しかない。今何故部屋の話が始まったのかわからず、カノンはもう一度城野院の顔を見つめた。
「この部屋がね……、寝室は上なんだ。中二階っていうんだけど、玄関に入ったところの右手に階段があって、少し上がるんだよね」
「はぁ」
「本当はね、今すぐ君を抱き上げて、寝室に運びたいところなんだ。もう今すぐ」
「! は、ひゃい」
「だけど……あの階段だろ? 君を抱き上げて運ぶのが難しくて……」
城野院は視線をちらりと、先ほどの螺旋階段にやった。
螺旋階段はアイアンでできていて、蹴込の部分が空いている、階下が階段の間から見下ろせるタイプだ。
結構な急こう配になっていることもあって、あそこを何かを抱えて上り下りするのは実際怖そうだ。
「……」
「なんでこんな作りの部屋を選んだんだろう! ……って、こんな間がそもそも白けるよね、くそっ! いや、実は少し、いや結構期待をしていたんだけど、いや、初めてはここよりも、もっといいホテルかどこかでの方が……。や、でも高校生らしくないかな、でも僕が予約するから改めて……」
「……ぷ! あははは、先輩ってば」
思わずカノンはそんな城野院の様子に噴き出した。
眉根を寄せて真剣な表情でそんなことを真面目に考え込んでいる様子がたまらなくおかしい。
学園や他のひとに見せる彼は、顔を赤らめたりすることもない、いつだって涼しい顔で何でも完璧にこなすひとなのだ。
――それが、今
悩んでいるのはスマートなベッドへの移動。
「くっ、本当ごめん、もうこの間がありえないよね。こんな僕に幻滅す、……」
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