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14.捨てた名前
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その顔を見ながら、やはりアデリーは笑った顔が一番可愛らしいと思う。
「そっか……ごめんね、セリスは悩んでなんてなかったのに。新婚さんのお邪魔をすることなんて言って」
「大丈夫だ。アデリーの気持ちは嬉しかったし、閨指南もどんな書物よりも参考になったよ」
「ふふふ」
まだ涙に濡れる睫毛を瞬きながら、ふとアデリーは遠くを見つめた。
アデリーにハンカチを差し出すと、セリスが羨ましいとぽつりとつぶやいた。
「わたしも、そんな風に大事にしたいと思えるひとに出会いたいな……」
「アデリーならいくらでも出会えるだろう。黒猫亭に行く客はみんなアデリー目当てじゃないのか」
「ううん……わたしのことを大切に想ってくれるひとになんて、出会ったことないわ」
「そんなことなんてないだろう、ん……アデリー?」
「え?」
「おい、お前アリィーサじゃねぇか」
セリスがアデリーの名を呼んだ、その時。
アデリーの背後に現れた男が、アデリーのことを知らぬ名で呼び、そして肩を掴んだ。
「え……、え、エド……?」
アデリーから表情が消える。
その男の姿を認めた途端、頬は色を失い、怯えたように肩を縮こませ、小刻みに震えだした。
小奇麗な格好をした男だ。
少し神経質そうな印象を受ける目元を洒落た眼鏡で飾り、アデリーがその男の名を呼んだことに、片頬をあげて満足そうな笑みを浮かべている。
その笑みに、ひぃっと小さくアデリーは肩を震わせた。
「アリィーサ、久しぶりじゃないか。こんなところに居たなんてねぇ、心配していたんだよ。いやあ、元気そうでよかった」
「……い、いや」
「ははっ、やっと見つけたのに逃がす訳ねーだろ」
「! やめろ!」
セリスの制止もかまわず、エドはアデリーを椅子から無理やり引きずり下ろすようにして腕を引っぱりあげた。
くぐもった悲鳴をあげたアデリーは、さっきまでと一転してその表情を失い、呆然としてその場に膝をつきなすがままになっている。
突然振るわれた暴力に、穏やかな休日の広場の様子が一変した。朗らかに過ごしていた周囲の客たちはこちらに視線を遣り、足早に立ち去っていく。
「――、その手を放せ」
「あぁん? この女は借金して逃げやがったんだよ。ようやく見つけたんだから、これからはまた稼いでもらわないとな」
『前に悪い男に騙されて――』
過去のことを話したがらないアデリーが、一度だけ前に口にしていたことが脳裏によぎった。
美しく年若いアデリーが、街娼まがいのことをしていたことには理由がある。
王都で知り合った男に、田舎から王都に出る時に持っていた財産も、描いていた未来も全てが奪われたのだと。だから仕方がなかったのだと。
あの過去を捨てる為に、それまでの名も捨てたのだ。
そしてその理由がこの目の前の男だということをセリスは瞬時に理解した。
「そんなことをアデリーは望んでいないだろう」
「あぁん? お前に何がわかるってんだよ!」
恫喝と共に、セリス達が座っていたテーブルを蹴り上げられる。
載っていたグラスが空を舞い、大きな音を立てて破片となって地面に散らばった。
気が付くと、エドと呼ばれた男の後ろには、数人の破落戸のような男たちが数人いた。
――分が悪いな。
セリスは小さく舌打ちをした。平素のセリスであれば、こんな破落戸数人の相手ではない。
だが、今日は帯刀をしていないどころか、ピタリとしたラインのドレスにそぐわないという理由で、いつもなら身に着けている暗器の類も置いてきてしまった。
体術を使うにもこの格好だ。
衆目があるから誰かが警備隊を呼んできてくれるとは思うが……。この場でアデリーを助けつつ逃げ出すにはいささか分が悪い。
現状把握のために周囲に視線を走らせながら立ち上がったセリスの姿に、エド達は鼻を鳴らした。
「なんだよ、どっかのご令室かと思いきや、男みてぇな女だな。気持ちわりぃ。なんなら、お前も一緒に来てアリィーサの借金一緒にかえしてくれよ。お前みたいなのでも好事家相手には金になるぞ」
「おーお前が稼いで可愛いアリィーサの借金を返してくれるんでもいいぞー」
それともそのお綺麗な宝石の一つでも恵んでくれるかー。男たちは下卑た笑いを浮かべながら、なおもセリスを嘲笑ってくる。
「セリス……ごめんなさい……私なんかいいから逃げて……」
アデリーは両腕を後ろにまわして拘束され、涙を零しながらセリスに謝罪した。
この期に及んで『私なんか』という友人にも腹が立つ。
あなたは大切な友人だといくら言っても、アデリーにはなかなかわかってもらえないようだ。
――夫殿の用意してくれたドレスのことは、後で謝るとするか。
あと多少の怪我も大目にみてもらうことにしよう。
「お、なんだ、やるのか奥様ー」「逃げろ逃げろ、怪我するぞー。帰ってご主人様に泣きつけよ」
尚も罵てくる男たちに向けて睨みをきかせると、一つ深呼吸をした。そして覚悟を決めたセリスは足元にまとわりつくドレスを破り捨て、エド達に向かおうと身構えたそのときだった。
セリスの背後で空気が動いた。
いや、正確には空気ではない。
でも確かに何か得体のしれない存在を感じ、咄嗟に振り返り、そして目を剝いた。
そこには遠目からも怒りに震える、ルーファスの姿があったのだ。
「そっか……ごめんね、セリスは悩んでなんてなかったのに。新婚さんのお邪魔をすることなんて言って」
「大丈夫だ。アデリーの気持ちは嬉しかったし、閨指南もどんな書物よりも参考になったよ」
「ふふふ」
まだ涙に濡れる睫毛を瞬きながら、ふとアデリーは遠くを見つめた。
アデリーにハンカチを差し出すと、セリスが羨ましいとぽつりとつぶやいた。
「わたしも、そんな風に大事にしたいと思えるひとに出会いたいな……」
「アデリーならいくらでも出会えるだろう。黒猫亭に行く客はみんなアデリー目当てじゃないのか」
「ううん……わたしのことを大切に想ってくれるひとになんて、出会ったことないわ」
「そんなことなんてないだろう、ん……アデリー?」
「え?」
「おい、お前アリィーサじゃねぇか」
セリスがアデリーの名を呼んだ、その時。
アデリーの背後に現れた男が、アデリーのことを知らぬ名で呼び、そして肩を掴んだ。
「え……、え、エド……?」
アデリーから表情が消える。
その男の姿を認めた途端、頬は色を失い、怯えたように肩を縮こませ、小刻みに震えだした。
小奇麗な格好をした男だ。
少し神経質そうな印象を受ける目元を洒落た眼鏡で飾り、アデリーがその男の名を呼んだことに、片頬をあげて満足そうな笑みを浮かべている。
その笑みに、ひぃっと小さくアデリーは肩を震わせた。
「アリィーサ、久しぶりじゃないか。こんなところに居たなんてねぇ、心配していたんだよ。いやあ、元気そうでよかった」
「……い、いや」
「ははっ、やっと見つけたのに逃がす訳ねーだろ」
「! やめろ!」
セリスの制止もかまわず、エドはアデリーを椅子から無理やり引きずり下ろすようにして腕を引っぱりあげた。
くぐもった悲鳴をあげたアデリーは、さっきまでと一転してその表情を失い、呆然としてその場に膝をつきなすがままになっている。
突然振るわれた暴力に、穏やかな休日の広場の様子が一変した。朗らかに過ごしていた周囲の客たちはこちらに視線を遣り、足早に立ち去っていく。
「――、その手を放せ」
「あぁん? この女は借金して逃げやがったんだよ。ようやく見つけたんだから、これからはまた稼いでもらわないとな」
『前に悪い男に騙されて――』
過去のことを話したがらないアデリーが、一度だけ前に口にしていたことが脳裏によぎった。
美しく年若いアデリーが、街娼まがいのことをしていたことには理由がある。
王都で知り合った男に、田舎から王都に出る時に持っていた財産も、描いていた未来も全てが奪われたのだと。だから仕方がなかったのだと。
あの過去を捨てる為に、それまでの名も捨てたのだ。
そしてその理由がこの目の前の男だということをセリスは瞬時に理解した。
「そんなことをアデリーは望んでいないだろう」
「あぁん? お前に何がわかるってんだよ!」
恫喝と共に、セリス達が座っていたテーブルを蹴り上げられる。
載っていたグラスが空を舞い、大きな音を立てて破片となって地面に散らばった。
気が付くと、エドと呼ばれた男の後ろには、数人の破落戸のような男たちが数人いた。
――分が悪いな。
セリスは小さく舌打ちをした。平素のセリスであれば、こんな破落戸数人の相手ではない。
だが、今日は帯刀をしていないどころか、ピタリとしたラインのドレスにそぐわないという理由で、いつもなら身に着けている暗器の類も置いてきてしまった。
体術を使うにもこの格好だ。
衆目があるから誰かが警備隊を呼んできてくれるとは思うが……。この場でアデリーを助けつつ逃げ出すにはいささか分が悪い。
現状把握のために周囲に視線を走らせながら立ち上がったセリスの姿に、エド達は鼻を鳴らした。
「なんだよ、どっかのご令室かと思いきや、男みてぇな女だな。気持ちわりぃ。なんなら、お前も一緒に来てアリィーサの借金一緒にかえしてくれよ。お前みたいなのでも好事家相手には金になるぞ」
「おーお前が稼いで可愛いアリィーサの借金を返してくれるんでもいいぞー」
それともそのお綺麗な宝石の一つでも恵んでくれるかー。男たちは下卑た笑いを浮かべながら、なおもセリスを嘲笑ってくる。
「セリス……ごめんなさい……私なんかいいから逃げて……」
アデリーは両腕を後ろにまわして拘束され、涙を零しながらセリスに謝罪した。
この期に及んで『私なんか』という友人にも腹が立つ。
あなたは大切な友人だといくら言っても、アデリーにはなかなかわかってもらえないようだ。
――夫殿の用意してくれたドレスのことは、後で謝るとするか。
あと多少の怪我も大目にみてもらうことにしよう。
「お、なんだ、やるのか奥様ー」「逃げろ逃げろ、怪我するぞー。帰ってご主人様に泣きつけよ」
尚も罵てくる男たちに向けて睨みをきかせると、一つ深呼吸をした。そして覚悟を決めたセリスは足元にまとわりつくドレスを破り捨て、エド達に向かおうと身構えたそのときだった。
セリスの背後で空気が動いた。
いや、正確には空気ではない。
でも確かに何か得体のしれない存在を感じ、咄嗟に振り返り、そして目を剝いた。
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