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第二章の12
破れた冊子
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「ちょっと混乱していてうまく言えないけど。でも、そう言われれば、おかしいな、と思ったことはいくつかあったんです。母さんが時々もらす言葉とか、書斎の本のコレクション内容とか」
聡が呆然とした顔で、ぽつりぽつりと言葉をしぼりだしている。
「話はまだあるのだろうが、少し休憩してからにするか?」
気遣って声をかける文子にならって、真名も声をかけずにはいられない。
「大丈夫ですか?」
「ああ、ええ、はい。この年齢ですから、育ての親が生みの親ではなかったと知ったところで『そうだったのか』くらいしか思いません。ただ、それなら尚更今の母にもっとお礼を言わなければならなかったとか、知っていればこんなことができたんじゃないかということをいろいろ考えてしまって」
それを聞いて、剛が素直に頭を下げる。
「すまん。いつ言うべきなのかタイミングが分からんかった。成人した時とも思ったがまだ学生だったし、家を出て一人暮らしする時とも思ったが仕事を始めたばかりでバタバタしていたから落ち着いてからとも思ったし、結婚した時はもう言ってもいいだろうと思ったが家に帰ってくる時は必ず嫁も一緒でそのうち子どももできて、一対一で話し合う機会というものが持てなかった」
「なるほど」
加えて聡は父親を煙たがっていたから、何か話しかけられてもあえて逃げていたところもある。何パーセントかは話しにくい壁を作り出していた自分の責任でもあるから、何とも言えない。
「だったら、僕たちが車で向かっていた先は本当の母さんのお墓?」
「そうだ」
「へえ。けっこう遠くにあるんだね。その割りに、親父が通っていたなんて気づかなかったよ」
「通っていない。あの場所は、わし自身四〇年ぶりだからな」
「行ってないのか? そういうもの?」
「今の妻に悪いだろう」
「う」
頑固一徹だった親父像が、ただの不器用なかわいい親父に変わってしまい、聡は戸惑っている。
「あたしとしては、破れた本の存在が気になるのだが。聡の記憶にある書斎の本を破った事件は本当に存在したのか?」
文子が、忘れかけていた謎を提示してくれた。
「ああ、そんなことがあったな」
剛はあっさり肯定する。
「そうだった。親父、本を破ってしまって悪かった。貴重な本だったんだろう? 普通じゃないほど怒られて普通じゃないほど腹が立ったけど、悪かった」
「破れたのは、般若心経の冊子だ。蛇腹状に開くようになっていて、一度開くと戻すのがたいへんだ。伸びてしまった本をあわてて戻そうとして、破ってしまったようだ。何カ所も。問題は、破れた一部分を、証拠隠滅のつもりか、ゴミ箱に捨ててしまったことだ。一見折りたたまれた状態で本棚にねじ込まれていたから、発見が遅れた」
「じゃあ、人間に例えたら、腕をもがれて捨てられてしまったようなものかしら」
真名の例えに、誰もが嫌な顔をする。
「ご、ごめんなさい。どうしたらいい?」
「どうしようもできない。般若心経そのものは、わしが紙を接いで治した。同じ材料、昔ながらの製法の、勝手知ったる紙だったからな。だが、ないものを修理することはできない」
「修理といっても、一部分が抜けてるんですよね? そんなの治せるものなんですか?」
ハッとした表情で真名を見つめる聡。
「般若心経そのものは、わしにとってはどうでもいい品物だ。実はあの中に、結婚前に妻からもらった手紙を挟み込んでいて、捨てられたのはその手紙なんじゃ。封筒から出して中の便せん一枚だけじゃったし、明らかに般若心経の紙とは違ったから、中から出てきたものとは思わず片付けたのかもしれんが」
「そ、そうだったのか。ぜんっぜん覚えてない」
聡が改めてショックを受けている。
「破ったことではなく、覚えていないことがショックなのか?」
独り言をつぶやいている文子に、真名はこっそり教えてあげた。
「知らなかったとは言え、実の母親の大切な手紙を自らの手で捨ててしまったことがショックなのよ」
その声が聞こえてしまって、聡はさらに青くなっている。
「そろそろ登場してもいいかしら」
書庫の方から声がした。さっと全員が振り返ると、着物を着た女の人が立っている。
「お、おまえ」
剛が激しく動揺した。
聡が呆然とした顔で、ぽつりぽつりと言葉をしぼりだしている。
「話はまだあるのだろうが、少し休憩してからにするか?」
気遣って声をかける文子にならって、真名も声をかけずにはいられない。
「大丈夫ですか?」
「ああ、ええ、はい。この年齢ですから、育ての親が生みの親ではなかったと知ったところで『そうだったのか』くらいしか思いません。ただ、それなら尚更今の母にもっとお礼を言わなければならなかったとか、知っていればこんなことができたんじゃないかということをいろいろ考えてしまって」
それを聞いて、剛が素直に頭を下げる。
「すまん。いつ言うべきなのかタイミングが分からんかった。成人した時とも思ったがまだ学生だったし、家を出て一人暮らしする時とも思ったが仕事を始めたばかりでバタバタしていたから落ち着いてからとも思ったし、結婚した時はもう言ってもいいだろうと思ったが家に帰ってくる時は必ず嫁も一緒でそのうち子どももできて、一対一で話し合う機会というものが持てなかった」
「なるほど」
加えて聡は父親を煙たがっていたから、何か話しかけられてもあえて逃げていたところもある。何パーセントかは話しにくい壁を作り出していた自分の責任でもあるから、何とも言えない。
「だったら、僕たちが車で向かっていた先は本当の母さんのお墓?」
「そうだ」
「へえ。けっこう遠くにあるんだね。その割りに、親父が通っていたなんて気づかなかったよ」
「通っていない。あの場所は、わし自身四〇年ぶりだからな」
「行ってないのか? そういうもの?」
「今の妻に悪いだろう」
「う」
頑固一徹だった親父像が、ただの不器用なかわいい親父に変わってしまい、聡は戸惑っている。
「あたしとしては、破れた本の存在が気になるのだが。聡の記憶にある書斎の本を破った事件は本当に存在したのか?」
文子が、忘れかけていた謎を提示してくれた。
「ああ、そんなことがあったな」
剛はあっさり肯定する。
「そうだった。親父、本を破ってしまって悪かった。貴重な本だったんだろう? 普通じゃないほど怒られて普通じゃないほど腹が立ったけど、悪かった」
「破れたのは、般若心経の冊子だ。蛇腹状に開くようになっていて、一度開くと戻すのがたいへんだ。伸びてしまった本をあわてて戻そうとして、破ってしまったようだ。何カ所も。問題は、破れた一部分を、証拠隠滅のつもりか、ゴミ箱に捨ててしまったことだ。一見折りたたまれた状態で本棚にねじ込まれていたから、発見が遅れた」
「じゃあ、人間に例えたら、腕をもがれて捨てられてしまったようなものかしら」
真名の例えに、誰もが嫌な顔をする。
「ご、ごめんなさい。どうしたらいい?」
「どうしようもできない。般若心経そのものは、わしが紙を接いで治した。同じ材料、昔ながらの製法の、勝手知ったる紙だったからな。だが、ないものを修理することはできない」
「修理といっても、一部分が抜けてるんですよね? そんなの治せるものなんですか?」
ハッとした表情で真名を見つめる聡。
「般若心経そのものは、わしにとってはどうでもいい品物だ。実はあの中に、結婚前に妻からもらった手紙を挟み込んでいて、捨てられたのはその手紙なんじゃ。封筒から出して中の便せん一枚だけじゃったし、明らかに般若心経の紙とは違ったから、中から出てきたものとは思わず片付けたのかもしれんが」
「そ、そうだったのか。ぜんっぜん覚えてない」
聡が改めてショックを受けている。
「破ったことではなく、覚えていないことがショックなのか?」
独り言をつぶやいている文子に、真名はこっそり教えてあげた。
「知らなかったとは言え、実の母親の大切な手紙を自らの手で捨ててしまったことがショックなのよ」
その声が聞こえてしまって、聡はさらに青くなっている。
「そろそろ登場してもいいかしら」
書庫の方から声がした。さっと全員が振り返ると、着物を着た女の人が立っている。
「お、おまえ」
剛が激しく動揺した。
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