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第1話
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目が覚めた瞬間、視界に飛び込んできたのは見飽きた豪華な天蓋と、鏡に映る若かりし日のソフィ──つまり、私の姿だった。
そして隣には、後に私を裏切り、実家の財産を食いつぶして私を奈落へと突き落とす男、デミウスが安らかな寝息を立てている。
普通ならここで、裏切りの記憶に震えてナイフを握るか、あるいは静かに復讐の炎を燃やす場面なのだろうけれど。
「……やってられないわ、そんな面倒なこと」
私は迷わずベッドを抜け出し、宝石箱から換金できそうなものを手当たり次第にバッグへ詰め込んだ。
復讐なんて、憎しみに割くエネルギーがある人間がやればいい。今の私にあるのは、あのクソったれなデミウスがどの賭けで大穴を当て、どの剣闘士が勝ち残ったかという、オタクゆえの最低で最高な記憶だけだ。
前世の私は、デミウスに尽くしてすべてを失い、最後は独りぼっちで死んだ。
けれど、死の間際まで私の心を支えていたのは、デミウスへの愛などではなく、彼が権威のために使い潰した推したちの輝きだった。
「悪いわね、デミウス。あなたの幸運、全部私が先にいただくわ」
私は夫を起こさないよう、夜明け前の静寂を縫って屋敷を出た。
行き先は、後に帝国最強の騎士となりながら、デミウスの策略によって泥の中で命を落とした私の最推し──アイオーンが戦う、地下闘技場だ。
受付の男は、ドレスを纏った私を見て鼻で笑った。
こんな場所に貴族の女が何用だ、と言いたげに。
私は手持ちの宝石をすべて机に叩きつけ、今日一番の負け馬と目されている男の名を指差した。
「全額、あのアイオーンに賭けるわ」
男の顔が引き攣る。
アイオーンは片腕を怪我した奴隷剣士。誰もが今日の試合で無残に死ぬと思っているはずだ。
けれど私は知っている。
彼はこの試合で、絶望の淵から覚醒する。
そして、その強すぎる力を恐れたデミウスによって、最後は毒を盛られて使い潰されるのだ。
「悪いけど、今回はあんな男の所有物にはさせない。前世からずっと画面越しに応援していた一番の推しの悲惨な運命は、私がこの手で全力回避させてみせるわ」
熱気に満ちた観客席の隅で、私はこれから始まる奇跡を、ただ静かに見守っていた。
試合終了の合図とともに、闘技場は静まり返った。
誰もが見放していたボロ雑巾のような男──アイオーンが、立ち塞がる巨漢を地に沈めたのだ。
狂乱した観客たちが叫び声を上げる中、私は手元の配当チケットをひらつかせ、優雅に立ち上がる。
賭け率は百倍。
ただの指輪一つが、城を一つ買えるほどの大金に化けた瞬間だった。
薄暗い控え室に向かうと、血と泥にまみれたアイオーンが、床に這いつくばって荒い息を吐いていた。
その瞳には、初めて自分を信じて大金を賭けた、正体不明の貴婦人への戸惑いと、どこか狂信的な色が宿っている。
「……なぜ、私にすべてを賭けたのですか」
傷だらけの彼が、震える声で問いかけてくる。
前世、冷たい戦場で孤独に死んでいった彼。その彼が、今は目の前で体温を持って生きている。
私はしゃがみ込み、黙って彼の汚れにまみれた頬に触れた。
愛おしい推しを間近で眺める感動に胸を震わせながら、できる限り慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
「理由は一つ。あなたが勝つと分かっていたから。……今日から、私があなたのパトロンになってあげる。だからもう、誰にも都合よく使い潰されたりしないで」
アイオーンが目を丸くした後、その大きな体をごつごつとした床に投げ出し、深く跪いた。
そして、私の靴の先に、祈るような熱い誓いのキスを落とした。
「俺の命も剣も……すべて、あなたに捧げます」
これだけでもファンとしては感無量だけれど、私の推し活計画は始まったばかりだ。
この有り余る資金で、次は将来の経済を牛耳るはずのエドウィンを買い取りに行かなくては。
そして隣には、後に私を裏切り、実家の財産を食いつぶして私を奈落へと突き落とす男、デミウスが安らかな寝息を立てている。
普通ならここで、裏切りの記憶に震えてナイフを握るか、あるいは静かに復讐の炎を燃やす場面なのだろうけれど。
「……やってられないわ、そんな面倒なこと」
私は迷わずベッドを抜け出し、宝石箱から換金できそうなものを手当たり次第にバッグへ詰め込んだ。
復讐なんて、憎しみに割くエネルギーがある人間がやればいい。今の私にあるのは、あのクソったれなデミウスがどの賭けで大穴を当て、どの剣闘士が勝ち残ったかという、オタクゆえの最低で最高な記憶だけだ。
前世の私は、デミウスに尽くしてすべてを失い、最後は独りぼっちで死んだ。
けれど、死の間際まで私の心を支えていたのは、デミウスへの愛などではなく、彼が権威のために使い潰した推したちの輝きだった。
「悪いわね、デミウス。あなたの幸運、全部私が先にいただくわ」
私は夫を起こさないよう、夜明け前の静寂を縫って屋敷を出た。
行き先は、後に帝国最強の騎士となりながら、デミウスの策略によって泥の中で命を落とした私の最推し──アイオーンが戦う、地下闘技場だ。
受付の男は、ドレスを纏った私を見て鼻で笑った。
こんな場所に貴族の女が何用だ、と言いたげに。
私は手持ちの宝石をすべて机に叩きつけ、今日一番の負け馬と目されている男の名を指差した。
「全額、あのアイオーンに賭けるわ」
男の顔が引き攣る。
アイオーンは片腕を怪我した奴隷剣士。誰もが今日の試合で無残に死ぬと思っているはずだ。
けれど私は知っている。
彼はこの試合で、絶望の淵から覚醒する。
そして、その強すぎる力を恐れたデミウスによって、最後は毒を盛られて使い潰されるのだ。
「悪いけど、今回はあんな男の所有物にはさせない。前世からずっと画面越しに応援していた一番の推しの悲惨な運命は、私がこの手で全力回避させてみせるわ」
熱気に満ちた観客席の隅で、私はこれから始まる奇跡を、ただ静かに見守っていた。
試合終了の合図とともに、闘技場は静まり返った。
誰もが見放していたボロ雑巾のような男──アイオーンが、立ち塞がる巨漢を地に沈めたのだ。
狂乱した観客たちが叫び声を上げる中、私は手元の配当チケットをひらつかせ、優雅に立ち上がる。
賭け率は百倍。
ただの指輪一つが、城を一つ買えるほどの大金に化けた瞬間だった。
薄暗い控え室に向かうと、血と泥にまみれたアイオーンが、床に這いつくばって荒い息を吐いていた。
その瞳には、初めて自分を信じて大金を賭けた、正体不明の貴婦人への戸惑いと、どこか狂信的な色が宿っている。
「……なぜ、私にすべてを賭けたのですか」
傷だらけの彼が、震える声で問いかけてくる。
前世、冷たい戦場で孤独に死んでいった彼。その彼が、今は目の前で体温を持って生きている。
私はしゃがみ込み、黙って彼の汚れにまみれた頬に触れた。
愛おしい推しを間近で眺める感動に胸を震わせながら、できる限り慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
「理由は一つ。あなたが勝つと分かっていたから。……今日から、私があなたのパトロンになってあげる。だからもう、誰にも都合よく使い潰されたりしないで」
アイオーンが目を丸くした後、その大きな体をごつごつとした床に投げ出し、深く跪いた。
そして、私の靴の先に、祈るような熱い誓いのキスを落とした。
「俺の命も剣も……すべて、あなたに捧げます」
これだけでもファンとしては感無量だけれど、私の推し活計画は始まったばかりだ。
この有り余る資金で、次は将来の経済を牛耳るはずのエドウィンを買い取りに行かなくては。
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