2 / 5
第2話
しおりを挟む
アイオーンという最強の護衛を従えた私は、翌日にはもう、次の目的地へと馬車を走らせていた。
昨日、闘技場での大勝ちで得た金貨は、すでに信頼できる商会を通じていくつかの小切手に姿を変えている。
隣に座るアイオーンは、磨き上げられた剣のように鋭い気配を放ちながら、じっと私の横顔を見つめていた。
「……ソフィ様、次はどのような戦場へ向かわれるのですか」
彼の低い声に、私はくすりと笑って答えた。
「戦場じゃないわ。もっと地味で、けれどこの国の未来を左右する、書類の山の中よ」
行き先は、王都の隅にある薄汚れた官庁街。
そこには、前世でこの国の財政を立て直し、冷徹な守銭奴と恐れられた未来の宰相、エドウィン・ラングレーが埋もれている。
今の彼はまだ、没落寸前の実家の借金を返すために、安い給料で死ぬほど働き、無能な上司の嫌がらせに耐えながら書類整理に追われている身だ。
「見つけたわ。エドウィン・ラングレー」
高く積み上がった書類の山の隙間から、私は彼を見つけ出した。
銀縁の眼鏡の奥に驚きを秘めた、驚くほど整った、けれど酷くやつれた顔立ち。
彼は顔を上げ、私と、私の背後に控える圧倒的な威圧感を放つアイオーンを交互に見て、不機嫌そうに眉を寄せた。
「……どちら様でしょうか。私は見ての通り、取り込み中なのですが。苦情ならあちらの受付へどうぞ」
冷ややかな拒絶。けれど、私はその態度が大好物だ。
前世で、彼が完璧な策を弄して敵対勢力を破滅させていた時の、あの冷酷な美貌を思い出し、胸が高鳴る。
私はバッグから、彼の年収の数十年分に相当する額面が書かれた小切手を取り出した。
そして、彼が書きかけの書類の上に、無造作にそれを置いた。
「これを受け取って、今すぐその安っぽい仕事を辞めてちょうだい。今日からあなたは、私の専属の財務官兼、二番目のお気に入りよ」
彼は呆然として、小切手の数字と私の顔を何度も往復させた。
「なっ……正気ですか? 僕は名もない下級貴族で、家には莫大な借金が……。こんな不審な金、受け取れるはずがありません」
「ええ、知っているわ。あなたの家の借金なんて、その小切手の一枚分にも満たないでしょう? 後の分は、あなたの当面の研究費と、あなたの美しい頭脳を私が独占するための契約金よ」
「……独占、ですか」
「ええ。断る理由は、どこにもないはずよ。あなたの才能を、こんな埃っぽい場所で腐らせるなんて、ファンとして許せないもの」
混乱するエドウィンの細い手を取り、私は無理やり契約の印を押し付けた。
彼の指は驚くほど冷えていて、やはり今すぐにでも救済が必要だったのだと再確認する。
ふと、背後でアイオーンが凄まじい殺気を放つのを感じた。
野性味あふれる剣闘士と、繊細で冷徹な未来の宰相。
私の推しコレクションが、また一つ素晴らしい彩りを増したわ。
「あ、そうだわ。屋敷に帰る前に、新しい服を仕立てに行きましょう。ボロを着ているあなたも素敵だけど、最高級のシルクを纏った姿も見たいもの」
エドウィンを引きずるようにして馬車へ押し込む。
その光景を、たまたま通りかかったデミウスの部下が見ていたことなんて、私は微塵も気づいていなかった。
いえ、正確には、気づく価値さえないと思っていたのだけど。
一方、その頃。
豪華な屋敷の寝室で目を覚ましたデミウスは、空っぽになった宝石箱と、テーブルに置かれた一枚の紙片を前にして、顔を真っ青にしていた。
その紙片には、彼が裏で作っていた多額の借金のリストと、私の署名が入った別居合意書が添えられていたからだ。
もちろん、彼が私を探し出そうとするのは分かっている。
けれど、今の私の隣には、帝国最強の剣と、帝国最恐の頭脳が揃っているのだ。
「……ソフィ様、お嬢様? 聞いていますか? 僕はまだ承諾した覚えは……」
馬車の中でなおも抗議を続けるエドウィンに、私はとびきりの笑顔で答えた。
「大丈夫。すぐに慣れるわ。私の愛は、少しだけ重いかもしれないけれど」
昨日、闘技場での大勝ちで得た金貨は、すでに信頼できる商会を通じていくつかの小切手に姿を変えている。
隣に座るアイオーンは、磨き上げられた剣のように鋭い気配を放ちながら、じっと私の横顔を見つめていた。
「……ソフィ様、次はどのような戦場へ向かわれるのですか」
彼の低い声に、私はくすりと笑って答えた。
「戦場じゃないわ。もっと地味で、けれどこの国の未来を左右する、書類の山の中よ」
行き先は、王都の隅にある薄汚れた官庁街。
そこには、前世でこの国の財政を立て直し、冷徹な守銭奴と恐れられた未来の宰相、エドウィン・ラングレーが埋もれている。
今の彼はまだ、没落寸前の実家の借金を返すために、安い給料で死ぬほど働き、無能な上司の嫌がらせに耐えながら書類整理に追われている身だ。
「見つけたわ。エドウィン・ラングレー」
高く積み上がった書類の山の隙間から、私は彼を見つけ出した。
銀縁の眼鏡の奥に驚きを秘めた、驚くほど整った、けれど酷くやつれた顔立ち。
彼は顔を上げ、私と、私の背後に控える圧倒的な威圧感を放つアイオーンを交互に見て、不機嫌そうに眉を寄せた。
「……どちら様でしょうか。私は見ての通り、取り込み中なのですが。苦情ならあちらの受付へどうぞ」
冷ややかな拒絶。けれど、私はその態度が大好物だ。
前世で、彼が完璧な策を弄して敵対勢力を破滅させていた時の、あの冷酷な美貌を思い出し、胸が高鳴る。
私はバッグから、彼の年収の数十年分に相当する額面が書かれた小切手を取り出した。
そして、彼が書きかけの書類の上に、無造作にそれを置いた。
「これを受け取って、今すぐその安っぽい仕事を辞めてちょうだい。今日からあなたは、私の専属の財務官兼、二番目のお気に入りよ」
彼は呆然として、小切手の数字と私の顔を何度も往復させた。
「なっ……正気ですか? 僕は名もない下級貴族で、家には莫大な借金が……。こんな不審な金、受け取れるはずがありません」
「ええ、知っているわ。あなたの家の借金なんて、その小切手の一枚分にも満たないでしょう? 後の分は、あなたの当面の研究費と、あなたの美しい頭脳を私が独占するための契約金よ」
「……独占、ですか」
「ええ。断る理由は、どこにもないはずよ。あなたの才能を、こんな埃っぽい場所で腐らせるなんて、ファンとして許せないもの」
混乱するエドウィンの細い手を取り、私は無理やり契約の印を押し付けた。
彼の指は驚くほど冷えていて、やはり今すぐにでも救済が必要だったのだと再確認する。
ふと、背後でアイオーンが凄まじい殺気を放つのを感じた。
野性味あふれる剣闘士と、繊細で冷徹な未来の宰相。
私の推しコレクションが、また一つ素晴らしい彩りを増したわ。
「あ、そうだわ。屋敷に帰る前に、新しい服を仕立てに行きましょう。ボロを着ているあなたも素敵だけど、最高級のシルクを纏った姿も見たいもの」
エドウィンを引きずるようにして馬車へ押し込む。
その光景を、たまたま通りかかったデミウスの部下が見ていたことなんて、私は微塵も気づいていなかった。
いえ、正確には、気づく価値さえないと思っていたのだけど。
一方、その頃。
豪華な屋敷の寝室で目を覚ましたデミウスは、空っぽになった宝石箱と、テーブルに置かれた一枚の紙片を前にして、顔を真っ青にしていた。
その紙片には、彼が裏で作っていた多額の借金のリストと、私の署名が入った別居合意書が添えられていたからだ。
もちろん、彼が私を探し出そうとするのは分かっている。
けれど、今の私の隣には、帝国最強の剣と、帝国最恐の頭脳が揃っているのだ。
「……ソフィ様、お嬢様? 聞いていますか? 僕はまだ承諾した覚えは……」
馬車の中でなおも抗議を続けるエドウィンに、私はとびきりの笑顔で答えた。
「大丈夫。すぐに慣れるわ。私の愛は、少しだけ重いかもしれないけれど」
0
あなたにおすすめの小説
お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます
菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。
嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。
「居なくていいなら、出ていこう」
この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし
【完結】あなたに知られたくなかった
ここ
ファンタジー
セレナの幸せな生活はあっという間に消え去った。新しい継母と異母妹によって。
5歳まで令嬢として生きてきたセレナは6歳の今は、小さな手足で必死に下女見習いをしている。もう自分が令嬢だということは忘れていた。
そんなセレナに起きた奇跡とは?
三十年後に届いた白い手紙
RyuChoukan
ファンタジー
三十年前、帝国は一人の少年を裏切り者として処刑した。
彼は最後まで、何も語らなかった。
その罪の真相を知る者は、ただ一人の女性だけだった。
戴冠舞踏会の夜。
公爵令嬢は、一通の白い手紙を手に、皇帝の前に立つ。
それは復讐でも、告発でもない。
三十年間、辺境の郵便局で待ち続けられていた、
「渡されなかった約束」のための手紙だった。
沈黙のまま命を捨てた男と、
三十年、ただ待ち続けた女。
そして、すべてを知った上で扉を開く、次の世代。
これは、
遅れて届いた手紙が、
人生と運命を静かに書き換えていく物語。
【完結】捨て去られた王妃は王宮で働く
ここ
ファンタジー
たしかに私は王妃になった。
5歳の頃に婚約が決まり、逃げようがなかった。完全なる政略結婚。
夫である国王陛下は、ハーレムで浮かれている。政務は王妃が行っていいらしい。私は仕事は得意だ。家臣たちが追いつけないほど、理解が早く、正確らしい。家臣たちは、王妃がいないと困るようになった。何とかしなければ…
妻からの手紙~18年の後悔を添えて~
Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。
妻が死んで18年目の今日。
息子の誕生日。
「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」
息子は…17年前に死んだ。
手紙はもう一通あった。
俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。
------------------------------
愛していました。待っていました。でもさようなら。
彩柚月
ファンタジー
魔の森を挟んだ先の大きい街に出稼ぎに行った夫。待てども待てども帰らない夫を探しに妻は魔の森に脚を踏み入れた。
やっと辿り着いた先で見たあなたは、幸せそうでした。
【完結】精霊に選ばれなかった私は…
まりぃべる
ファンタジー
ここダロックフェイ国では、5歳になると精霊の森へ行く。精霊に選んでもらえれば、将来有望だ。
しかし、キャロル=マフェソン辺境伯爵令嬢は、精霊に選んでもらえなかった。
選ばれた者は、王立学院で将来国の為になるべく通う。
選ばれなかった者は、教会の学校で一般教養を学ぶ。
貴族なら、より高い地位を狙うのがステータスであるが…?
☆世界観は、緩いですのでそこのところご理解のうえ、お読み下さるとありがたいです。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる