モリウサギ

高村渚

文字の大きさ
3 / 95
序章 刑事、獣と出会う

3(挿絵あり・表紙イラスト)

しおりを挟む
 品川駅の新幹線乗り換え口は、今日も乗降客であふれかえっている。
 午前十時五十分。そそくさと通り過ぎるビジネスマンや、大きなキャリーを引いた観光客らから少し離れた待合コーナーに、制服姿の少女たちの小さな集団があった。
 よほど慎み深くしつけられたのだろう。そこかしこで会話を交わすものはあったが、総じて、この年頃の少女たちとしては驚くほど静かで、他の客の邪魔にならぬようこぢんまりと固まって、列車の到着に備えていた。
 まだ少し汗ばんでいる。山手線というのは、どうしてあんなにも連結が長いのだろう。
 うっかり端の車両に乗ってしまった少女は、クラスメイトとの約束の時間に間に合わせるため、三泊分の重い荷物と土産を抱えて、ホームを全力疾走するはめになったのだ。
 手元のスマートフォンには、先程出会った男の画像が表示されていた。
 警視庁の今年度の人事記録データから引っ張ってきた男の写真は、三十一歳という年齢より若い印象を受ける。
 整った顔立ちと言えなくもないが、まずは親しみやすさ、素朴な人の良さを感じさせる容貌である。
 書店で目の当たりにした、無精髭ぶしょうひげに覆われ憔悴しょうすいしきった顔貌がんぼうは、年齢より何歳も彼を老けさせ、陰鬱いんうつな人物に見せていた。
 スクロールすると、彼の警察官としての詳細な経歴が流れていく。もっとも彼は、業界では時の人であったので、少女は調べるまでもなく、すでに彼についてのほとんどのデータを把握していた。
 そんな彼と、まさかあのようなシチュエーションで出会うとは思わなかった。
 と同時に、妙に合点がいった。
(ヴァルナシア旅行団のガチな信者でしたかあ……それはそれは。あんな事件を引き起こしても当然ですよねえ……)
 まるで粕漬けを相手に話しているようだった。口惜しさともどかしさにもだえながら自棄やけ酒をあおった様子が、手に取るように判る。少女はつい吹き出しそうになるのを必死でこらえた。
 己のことをおじさんと呼びながら、たぶん一番根元の部分は、ヴァルナシア旅行団とはじめて出会った少年の頃のままなのだろう。
 おもしろい人間だと思った。
 自分と同じもので出来た、自分ではない他人。
(危なかったです……うっかり『契約ちぎり』を結んでしまうところでした)
 あと少し言葉を交わしていたら、彼に『名前』を預けていたかもしれない。
 自分がこの世界にとって危険な存在であることを、彼女は十分に理解していた。
 自身はいたって温厚な平和主義者で、時間が許せばいつまでも図書館に引きこもり、本屋に居座る、読書オタクの十四歳でしかないと思っている。
 だが同時に、『主人あるじ』が使い方を誤れば、自分は世界にとってむべきものでしかなくなる。
 主人は慎重に選ぶべきだ。
 主人の命令が、主人自身をも滅ぼすかもしれないのだから。
 一人のクラスメイトが少女に近寄ってきた。
 耳元に口を寄せ、声を潜める。
「森戸さん、おうちの用事は無事済んだの?」
 少女は画面から視線を上げ、微笑ほほえんでみせた。
「うん、ありがとう。みんなが協力してくれたおかげだよ」
 さすがに小説家のサイン本が欲しかったからとは言えず、急な家の用事と誤魔化したのだが、純朴なクラスメイトたちは、全く疑うこともなく送り出してくれたのだ。
「よかった。ごめんね、体、大丈夫? 荷物持って走るの大変だったでしょう……やっぱり預かってあげればよかったねって、みんなで言ってたの」
「ううん、間に合うかどうかわからなかったから……こっちこそ心配かけて本当にごめんね」
 突然切り出した内緒の企みに、皆進んで協力し、『普段から病弱で学校を休みがち』という設定にしてある少女の体を気遣ってくれる。
 いい友人たちだ。彼女たちとの約束を破りたくなかった。電車の運行時間を考えたら、あの瞬間、いとまを請うしかなかった。彼と『契約』を結ぶことなく分かたれたのは、必然だったのだ。
 そう自分に言い聞かせ、元いたあたりへと去っていくクラスメイトに、笑顔で手を振ってみせた。
 彼との別れをこんなにも残念と感じている自分に、少女は正直驚いていた。
 改札上の運行表示に目をる。そろそろホームへと移動する時間だった。
 見るともなく、在来線乗り換え通路の方に顔を向けた少女の瞳に、ありえない人物の姿が飛び込んできた。
「……お兄さん……!」
 つぶやくと同時に駆け出す。
 那臣ともおみは少女の姿を認めると、その場でがっくりと崩れ前屈みになった。
 激しく肩で息をしながら、膝に手を突っ張らせ、ようやく立っている。駆けつけた少女は、那臣を支えるようにしゃがみ、顔を覗き込んだ。
「大丈夫ですか?」
 心配そうに揺れる少女のまなざしに、那臣は荒い息の混じった苦笑で応えた。
「……心配無用、ただの重度の二日酔いだ……」
「それはとっても心配です。それよりどうしてここへ?」
「おう……これをな」
 ぐいと、紙の包みを少女に向けて差し出す。
 あの書店のロゴが入った淡く優しい色使いの包装紙に、鮮やかな紅薔薇色のリボンが結ばれていた。
 あまりの展開に混乱し、少女は手渡されたものと那臣の顔へ、交互にせわしなく視線をうろつかせる。
「え? まさか……あの本ですか?……え? わたしのためにわざわざここまで……え?」
「仲間に一人だけカッコよく決められちゃ、団員の名折れだからな。俺にも言わせろよ」
 那臣は親指を立て、にやりと笑ってみせた。
「『我らの旅路に幸多からんことを!』」
(どうしよう)
 少女は破顔した。
(これはもう、運命でしょう!)
 抱きしめた包みの中には、なにより確かな彼とのつながりが記されている。
「ありがとう! すっごくすっごくすっご~く嬉しいです! ありがとうございます!」
 少女の満面の笑みを受け取って、那臣も満足そうに微笑んだ。
「わたし、森戸もりとみはやといいます」
 俺は、と那臣が名乗ろうとしたその時、少女みはやの声が重なる。
たち那臣ともおみさん」
「え?」
 先程自分は、無意識に少女に名乗っていただろうか。何故俺の名前を、と、尋ねようとした声も、みはやの謎の台詞に掻き消された。
「わたしは今から、あなたの『守護獣まもりのけもの』です。末永くよろしくお願いしますね」
「…………はあ?」


しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

罪悪と愛情

暦海
恋愛
 地元の家電メーカー・天の香具山に勤務する20代後半の男性・古城真織は幼い頃に両親を亡くし、それ以降は父方の祖父母に預けられ日々を過ごしてきた。  だけど、祖父母は両親の残した遺産を目当てに真織を引き取ったに過ぎず、真織のことは最低限の衣食を与えるだけでそれ以外は基本的に放置。祖父母が自身を疎ましく思っていることを知っていた真織は、高校卒業と共に就職し祖父母の元を離れる。業務上などの必要なやり取り以外では基本的に人と関わらないので友人のような存在もいない真織だったが、どうしてかそんな彼に積極的に接する後輩が一人。その後輩とは、頗る優秀かつ息を呑むほどの美少女である降宮蒔乃で――

後宮の胡蝶 ~皇帝陛下の秘密の妃~

菱沼あゆ
キャラ文芸
 突然の譲位により、若き皇帝となった苑楊は封印されているはずの宮殿で女官らしき娘、洋蘭と出会う。  洋蘭はこの宮殿の牢に住む老人の世話をしているのだと言う。  天女のごとき外見と豊富な知識を持つ洋蘭に心惹かれはじめる苑楊だったが。  洋蘭はまったく思い通りにならないうえに、なにかが怪しい女だった――。  中華後宮ラブコメディ。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

ママと中学生の僕

キムラエス
大衆娯楽
「ママと僕」は、中学生編、高校生編、大学生編の3部作で、本編は中学生編になります。ママは子供の時に両親を事故で亡くしており、結婚後に夫を病気で失い、身内として残された僕に精神的に依存をするようになる。幼少期の「僕」はそのママの依存が嬉しく、素敵なママに甘える閉鎖的な生活を当たり前のことと考える。成長し、性に目覚め始めた中学生の「僕」は自分の性もママとの日常の中で処理すべきものと疑わず、ママも戸惑いながらもママに甘える「僕」に満足する。ママも僕もそうした行為が少なからず社会規範に反していることは理解しているが、ママとの甘美な繋がりは解消できずに戸惑いながらも続く「ママと中学生の僕」の営みを描いてみました。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

屈辱と愛情

守 秀斗
恋愛
最近、夫の態度がおかしいと思っている妻の名和志穂。25才。仕事で疲れているのかとそっとしておいたのだが、一か月もベッドで抱いてくれない。思い切って、夫に聞いてみると意外な事を言われてしまうのだが……。

処理中です...