モリウサギ

高村渚

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第四章 刑事の元へ、仲間が集う

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 一方通行のはずの盗聴アプリから、恭士の爆笑する声が返ってきそうだ。
 そしてしばらくして、可愛らしいオルゴールのメロディが鳴り始めた。リビングのインターフォンの呼び出し音らしい。みはやが手元のタブレット端末で受ける。
「はーい岩城さん? あ、そうなんですね。はいはい、ありがとうございます」
 そのまま上機嫌にハミングしながら画面に指を滑らせ、どや、と自慢げに那臣に見せつけてきた。
「俺にまかせとけ、だそうですよ」
 うさんくさげに受け取って目を落とす。
 と、見覚えのある新宿中央署近くの通りをバックに、あからさまなカメラ目線で親指を立ててにやりと笑う恭士の姿があった。
 これはどうみても、街角の防犯カメラの画像だ。
「岩城さんが朝の『お散歩』ついでに拾ってきてくれました。なかなかいいチームワークが築かれてきましたね、正義の味方の秘密基地はこうでなければ!」
「秘密基地の入り口に『火気土足ハッキング厳禁』と書いて貼っておけ!」
 というか何故恭士は見られていることを前提に行動しているのか。
 どうやら自分の知らないところで、違法行為がほのかにまかり通った協力体制が構築されつつあるようだ。
 どうにもよくない傾向である。秘密基地の黒幕みはやは、相変わらず素知らぬ顔だ。
「違法は重々承知しておりますが、決して悪用したりしませんから、事件解決までのしばらくの間だけ見逃してやってくださいな。岩城さんのお散歩中、たまたま通りがかりに、倉田さんが熱心すぎるファンにつきまとわれていましたら通報していただきますので。
 あなたの街のお散歩パトロール、いたって健全な地域住民同士の絆、ですよ」
 事件の全貌ぜんぼうを探るには、警察組織の力を利用したほうが間違いなく効率的だ。
 進め方次第では、組織の空気の流れを、河原崎に有利な方向にむけないようコントロールすることもできよう。
 この作戦の有用性はおそらく非常に高い。加えて仕掛け人となる恭士の身の安全は是非とも確保したい。だがしかし。
 苦虫が何匹か口の中に入り込んできたようだ。那臣ともおみは大きく息をつくと、烏龍茶を一気にぐっと飲み干した。
 深い溜息と少し長めの沈黙の後、やおら口を開く。
「……みはや」
「はい、なんでしょう那臣さん」
 両手をちょこんと膝の上に揃えて、みはやが那臣に向き直る。那臣の沈黙を怒りと受け取ったか、いつもより少し肩のあたりを緊張させている。
 つい那臣は表情を緩ませ、人差し指でぷに、とみはやの頬を小突いた。
「まあ、その、なんだ。ほどほどにしておけよ。お前もそうだが、あの岩城って男も、我が社のホテルに泊まらせたくはねえからな。俺なんぞの逮捕で同僚に調書書かせる手間をかけたくもない」
「那臣さんのお名前なんか絶対出したり……」
「馬鹿、お前ら突き出しといて、のんびり炬燵こたつで読書なんてわけにいかねえだろうが」
 わざと軽めの口調でさとし、そのまま手を開いて、ぽんぽんとみはやの頭を叩く。
 みはやはなんともいえない表情をつくって、はふぅ、と口をすぼめた。
 自分と、それからみはやの分も烏龍茶を湯飲みに注ぎ、改めて部屋を見渡す。立地といい、所有するにはかなり金がかかるのだろう。
 夕べのことを思い出す。あの言葉の示す意味が、ふいに脳裏にひらめいた。
「みはや」
「はい、なんでしょう」
 こちらを仰いだみはやは、まだしょんぼりと眉を下げている。しょげた様子がまた小動物のようで愛らしい。思わず頭を撫でてやる。
「……もう怒ってないからそんな顔するな。違う話だ。
 さっきちらっとお前言ってただろう? 世界負け犬同盟とか。もしかしてこのマンションもそいつらの所有物なのか?」
 頂点を勝ち取り栄華を誇るものと、その対岸で影を潜めるもの。あのホテルは後者に属する人間たちが所有しているのだとみはやは言った。
 遠吠えが意味するものが勝者への抵抗なら、負け犬たちは密かに施設や人材を揃え、いつか訪れる反撃の時を待つのではないか。品野や岩城、そしてみはやも、そんな戦いのために集った精鋭たちなのではないだろうか。
 那臣の推理に、みはやは満足そうに、にこりと笑った。
「さすが那臣さんですね、六十八点を差し上げましょう」
「まだ六十点台か。ちなみに配点を聞いてもいいか?」
「冗談ぽくごまかしたはずのわたしの言葉を覚えていた。このマンションと先程のホテル、お金に糸目をつけない施設のつながりに気付いた。そのお金の出所は非主流派、で推論を進めた。本来ならもっと日の当たる場所で活躍していい逸材が、地下に身を潜めている、その意味を理解した。百点満点の推理です。
 ただしですね、減点もけっこう大きいのですよ。まずこのマンションは土地を含め一棟まるごと、わたし、森戸みはや個人の所有物です。ちなみに両隣とその裏手もマイ不動産です」
「…………はあぁあっっっ?」
 みはやはしれっとした顔でお茶をすする。
「お金さんはさみしがりやで、ちょっぴり遊ばせておくと次々とお友達を連れてくるのです。まあ、一種の税金対策というやつですね」
 港区の駅前一等地である。いったい何十億、いや何百億の資産価値だというのだろう。どうやら投資で稼いでいるらしいが、古閑の退職金をあっさり補填ほてんできるわけだ。
「……庶民には一生理解できない話だな。うらやましい限りだ」
「那臣さんがお望みなら、いつでもいくらでも喜んでご用立てさせていただきますよ? お支払いは那臣さんの変わらぬ愛で、生涯分割払い希望です」
「レート不明の取引はやらないことにしておくよ。で、減点理由はそれだけか?」
 半ば自棄やけに投げた台詞に、思いがけずひやりとした静かな声が応える。
「それから最重要減点ポイントです。守護獣まもりのけものは彼らの同志でも使用人でもありません」
 みはやが口の端をわずかに上げる。それはいつものいたずらっぽい微笑ではなかった。
 みはやの淡く黒い瞳が、あの生気に充ちた銀の光を消す。
 妖しくたゆたう闇の奥底が、刹那、その姿をのぞかせた。
「守護獣は、彼らの執念が生んだ作品、なのですよ」
「作品……だって?」
 ふっ、と、目を伏せ顔を上げると、みはやはもういつもの快活な愛らしい少女に戻っていた。
「おっと、もうこんな時間です。あと少ししたら登校しなければ。那臣さんもご出勤ですよね? お着替えお手伝いしましょうか?」
「結構だ」
「まさか夕べから着たきり雀でそのままご出勤ですか? ダメですよ、男子力が激減します。妻の女子力も問われちゃいます」
「誰が誰の夫だ」
 洗面所で顔を洗って口をゆすぐ。
 みはやは那臣の隣でハミングしながら、脱衣スペースの壁にはめ込まれた大きな姿見に映して、ツインテールを結わえ直しはじめた。
「みはや」
「はい、なんでしょう那臣さん」
 鏡に映ったみはやの顔を見据える。
「……俺の守護獣まもりのけものだと言ったのは、『誰かの作品』か、それともみはや、お前自身か」
 みはやは一瞬大きく目を見開いた。
 そしてすぐ洗面台の上の鏡に映った那臣を、しっかりと見つめ返し、誇らしげに微笑む。
「もちろん、わたしです。わたし、森戸みはや、ですよ」
 その笑顔に嘘はない、那臣はそう信じた。
 それは理屈ではなく、そして希望でもなかった。ただ、信じたのだ。
 一緒に過ごすようになってまだ二週間足らずの相棒だが、もう何年もともに過ごしたように、那臣という人間の奥底にあるものが、みはやという人間をあるがままに受け入れはじめている。
「ならいい」
 『守護獣まもりのけもの』がどんな意図を持って生み出された存在であろうと、那臣にとってはどうでもよいことだ。
 那臣が先に立ち、玄関のドアを開ける。
「さて、行くか」
「はい!」
 みはやも元気よく応え、並んで歩き出す。ひょっこり揺れるツインテールが後を追った。

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