モリウサギ

高村渚

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第五章 刑事たち、追い詰める

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 興奮気味で市野瀬がみはやににじり寄る。少し勿体もったいをつけて、みはやがこほんとせき払いをした。
 タブレットにプロフィール付きの顔写真を表示させ、テーブルの上、皆の前に、とん、と向ける。
「陽光ホールディング取締役、成瀬きよ志郎さん、です」
「成瀬だと……!」
 一同がざわめく。
 日本の経済界に大きな影響力を持つ企業グループの次期会長だ。
 篤志とくし家としても知られており、いくつものボランティア団体の顧問を勤めているはずだ。
「……こりゃまた……とんでもねぇもんが出てきたなぁ……」
 古閑こがの声がかすれている。
 名波も相当衝撃だったのか、目を見開いたままだ。
「確か成瀬清志郎は、河原崎のおっさんと懇意にしてたっけか」
「ええ、都内超有名お坊ちゃま高校同窓生繋がり。お互いなにかと持ちつ持たれつの関係のようです」
「テレビですましてコメント入れてやがる顔しか拝んだことはねえが、そんな大物が、なんだって一介のキャバ嬢莉愛ちゃんをわざわざ罠にハメて殺す必要があったんだ?
 それも河原崎親子の力を借りてまで」
 恭士の素朴な疑問に、那臣ともおみは眉をしかめ、鋭い視線をテーブルの一点に落とした。
 吐き気がするほど胸糞むなくその悪い推理だが、これはたぶん、真実に近い。
「それです。疑問に思いませんか? 恭さん達が徹底的に洗ったにもかかわらず原口莉愛の周辺に成瀬の影など浮かんでこない。
 怨恨どころか、おそらくは接点すらなかった原口莉愛一人に危害を加える目的のためだけに、河原崎親子は、随分と気前よく配下と労力と金を使っている。
 玉置結奈の殺害もそうです。
 行方不明になっている他の女性たちも同じように念入りに準備を整え、おびき出しているとすれば……犯行後の始末も込みなら相当な投資だ。
 いくら奴らが金には困らない階層の住人とはいえ、何のリターンもなくただ危険を冒して、己の財をつぎ込む理由は何か。
 ただ被害者を殺害するだけなら、もっと安直な手段をとれるはずです。
 それをせず、あえて複雑な状況を作りだし、女性たちをその状況に導いているということは……。 そして奴らの動くところでは必ず金がやりとりされている。知人のためといって、殺人のお膳立てをタダでしているはずがない」
 皆の背筋にぞくりと冷たいものが触れる。
 不快な静寂が支配した部屋に、階下から場違いなほど陽気な声援が侵略してくる。
 乾いた咽喉のどにむりやりつばを飲み込んで、市野瀬が問うた。
「え……? まさか……その、そのシチュエーションそのものが『商品』……?」
 静かに、そして怒りを込めて那臣はうなずく。
「そのまさかじゃないかと思う。
 かつて尚毅は自らの欲望を満たすため女性たちを拉致監禁し暴行し、殺害した。
 そして今度は、歪んだ欲望を持つ他者に対して、女性を様々な状況で暴行し、殺害する……その『舞台』を、奴らは売りさばいているんだろう。
 『主演女優』たちを『オーディション』で選び抜いてな」
 誰も一言も発しなかった。
 あまりのおぞましい予想図に、市野瀬は青ざめ、かすかに震えているようにも見える。
 最初に反応したのは、名波だった。
 ひとさし指の関節で眉間をえぐると、斜め前のみはやに、ついと視線を投げる。
「ご主人様にここまで確信持たせてるんだ。他の『舞台』の『買い手』もそのタブレットの中に入ってるんじゃないか?」
「とりあえず結奈さんの『舞台』を買った方は判明してます」
 にこりともせずみはやが答える。
「先日の高輪潮音荘の騒動を受けて、ご自分の悪行が詳らかにされはしまいか心配になった犯人さんは、河原崎パパに、ご自分の身バレは大丈夫か念を押したのでしょう。
 パパは犯人さんを安心させるため、そして、もしかすると再度のチケットご購入をお勧めするため、本日犯人さんを高級料亭にて接待することにしたようです。
 ……ちょっと寒いですが、窓、開けてよいですか? 
 まもなく到着されると思いますので」
「到着……?」
 みはやが山元屋二階の、黒ずんだ古いサッシの窓を開け放つ。
 表通りから角を曲がった、細い通りの入り口から数十メートル入るとここ山元屋、そしてさらに百数十メートル先には勢多せたの土塀が見える。
 一同が窓近くに寄り、階下の通りに注目すると、表通りから、一台の車がこちらへ折れて向かってくるところであった。
 ライトの逆光で乗客の姿は全く見えない。
 窓から身を乗り出したみはやの背後に立った那臣は、まぶしさに目を細める。
 刹那、足下、膝に接したみはやの身体に、びり、と電流のように闘気が走った。
 車が近づいてくる。
 みはやは、左手の親指をぴんと立て、ひとさし指をまっすぐにフロントガラスに向け、いままさにトリガーを引かんとする。
 そして那臣の目にも見えた。
 運転席の真後ろに座る、見覚えのある顔。
 都議会の重鎮、樋口嘉彦ひぐちよしひこだ。
 そして樋口の隣には、忘れようのない河原崎勇毅の顔があった。
 不敵に微笑む獣の瞳が、獲物を捕捉した。
「ターゲットロックオン、ファイヤー、です。ばん」




 勢多の女将おかみは慣れた手つきで、河原崎勇毅が差し出した猪口ちょこかんの酒を注いだ。
 それほどの美人ではないが愛想が良く、何より頭が良い。政財界の大物が贔屓ひいきにする料亭の女将としては最適の人物だ。
 今夜も出迎えの挨拶で、勇毅と一言二言、そして視線をを交わしたのみで、宴席の意図を過不足無く悟り、ひととおり酌をするとすぐ奥へと下がっていった。
 華やかな喧噪けんそうに満ちた大都会の一角にあって、ここはとても静かだった。
 座敷から漏れた灯りに、美しく造り込まれた日本庭園が映え、どこかから鹿威ししおどしの甲高い音が聞こえてくる。
 その静寂を、不似合いに陽気な、よく通る声が無造作に打ち破った。
「いや、僕はね、逆にちょっと安心したんだよねえ。桜望会六十年組のトップランナー、頭脳と行動力とを兼ね備えた俊才河原崎氏でも、たまには差配に手違いがある、とね。いやいや、君も人間なんだねえ」
 至って機嫌の良い口調で杯を傾けたのは、都議会議員、樋口嘉彦だ。
 勇毅と同じく政権政党に属し、都議会最大派閥の首領として長く都政を牛耳ってきた。
 元人気アナウンサーだけあって、七十歳の現在も、整った顔立ちと魅力的な声の持ち主で、特に中年以降の女性に絶大な人気を誇っている。
 相対した勇毅は、やや緊張した面もちで樋口の杯に酒を注いだ。銘柄は樋口がこよなく愛する宮城の大吟醸だ。
 勇毅は、接待ではいつも自分の出身地で選挙区である新潟の酒を勧める。
 だが今夜の勇毅の様子を読んで、接待相手である樋口の好みの酒を出してくるあたりは、さすが女将である。
「……このたびは誠に申し訳なく、樋口先生におかれましてはいかにご立腹のことか……お詫びのしようもございません」

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