モリウサギ

高村渚

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第六章 勝利の朝

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 警備室が事態に気付いたのは、すでに対象のエレベーターが十一階を過ぎたあたりだった。
 室内にずらりと並んだモニターには、無数のカメラからの画像が次々と切り替わりリアルタイムで映し出されている。
 物々しい空気をまとった二十数名の男たちの集団が、二基のエレベーターに分乗し、一気に上層階を目指していた。
 警備に雇われた者たちは、このビルの最上階で何が行われているのか、具体的に知らされている訳ではなかった。
 しかし雇い主とその客が何を警戒しているかは十分に承知していた。
 まさにその警戒対象である、警察の人間たちを乗せたエレベーターが、ミッドロケーションプランニングのオフィスがあり、最上階へ通じるルートのある二十九階に向かって、今、上昇していたのだ。
 本日の客はVIP中のVIPとのことで、警戒レベルも最高にするよう、雇い主から厳命されていた。
「……いつの間に……くっそ」
 男は腰を浮かせて、ヘッドセットのマイク越しに叫んだ。
「警察だ! もうすぐ二十九階に踏み込まれる!」
 その台詞の間にエレベーターは二十九階フロアへと到着していた。
 流れるように素速く全員がフロアへと降り立つ。
 エレベーターホール脇の受付ブースに、もう人影はなかったが、奥のガラスのドアの向こう、ミッドロケーションプランニングのオフィスには、まだ明かりが付いていた。この時間にもまだ何人かの社員が残っているようだ。
 恭士は、ドアの横に設置されたインターホンのコールボタンを押した。
「警察です。こちらのオフィスで犯罪行為が行われていると情報を得たんでね、開けてもらいましょうか」
 ややあって、相手の震えた声が応える。
「……捜索令状はありますか、なければお断りします。責任者はただいま不在です、弁護士を呼びますので……」
 万一の場合はそう言えと社内でマニュアル化されているのだろう。木で鼻をくくったような台詞に、恭士も咽喉のどの奥で笑ってみせた。
「そう言われると思いましてね」
 振り返ると、三基めのエレベーターがフロアに到着したところだった。
 降り立った中年の男が、ゆっくりとドア前に歩いてくる。
 足取りが少し危うげなのも、彼が置かれた状況を省みれば無理のない話だった。
 後ろから付き添う那臣が、気遣うようにその背に手を当てた。
 恭士がすいと場所を空ける。
 男が、インターホンから、中の社員に呼びかけた。
「私です、緑川寛嗣ひろつぐです。社の代表者として任意の捜査に応じました。ここを開けますよ」
「……しゃ……ちょう……?」
 インターホンの向こうのざわめきも構わず、ミッドロケーションプランニング代表取締役緑川寛嗣は、自らのIDで認証し、ドアのロックを解除した。
 開いた自動ドアから、捜査員たちがオフィスに踏み込む。  
 仕切りのない広いフロアには、一見して九人の社員が残っているのが見て取れた。
 寛嗣は、くまのくっきりと浮かんだ疲れ果てた表情で、それでも気丈に社員たちを見渡し、一人の社員を見つけて歩み寄った。
 紗矢歌さやかの率いるいくつかのプロジェクトチームで、紗矢歌の補佐を務める男だ。
「刈田くん。先程、帝都大の宮島教授が来社なさったはずです。誰が案内を?」
 刈田と呼ばれた男は、ごくりと生唾を飲み込んだ。うめくように返事を絞り出す。
「……紗矢歌さんですが……」
 寛嗣は、一瞬眼を閉じて、天井を仰いだ。
 愛妻の犯罪への関与を、自らの手で証明することになる。だが、頬を悲嘆に歪ませたのほんの一時で、彼はすぐに冷静な経営者の顔を取り戻した。
「皆はオフィスから出てください。警察の方の指示に従って」
 そしてちらりと那臣を見遣る。
 おそらくほとんど無関係だろう社員たちは、捜索の間、他フロアにある共用のミーティングルームに待機させる手筈となっていた。那臣は頷いて傍らの捜査員に誘導を任せた。
 そして刈田は、なんらかの事情を知っている。こちらは二人の捜査員をつけ、別室へと向かわせた。
 何が起こっているのか理解が追いつかず、放心状態の社員たちがぞろぞろと出口に向かって歩いてくる。その流れに逆らって、捜査員たちはデスクの島を縫い、中央付近にある三十階へつながる階段を駆け上がった。
 三十階にも数名の社員が残っていた。
 下階と同様に驚きで固まった社員たちを、捜査員が素早く下階へと誘導する。
 彼らの姿を横目に、他の捜査員たちは一気に最奥、最上階行きのエレベーターホールへと向かった。
 走る捜査員たちの耳が、鈍いモーター音を聴き取った。
 先頭を行く者がパーティションで仕切られた角を曲がる、と、エレベーターホールの手前に設置された金属製の自動扉が閉まっていくところだった。
 すでに左右の扉の隙間が、五十センチほどのところまで来ている。
 畜生、と、叫んで果敢に隙間へ滑り込もうとした捜査員を、恭士の声が止めた。
「待て!」
「しかし主任……!」
 必死の形相の部下を、ひらひらと手を振ってなだめ、後方の那臣を振り返った。
「おーい参事官どの、後方支援部隊は、ちゃんと仕事してるんですかね?」
 那臣は苦笑して、予想される反論に対して、耳を塞ぐ真似をしてみせた。
 直後に、かつて現場ではおなじみだった大音量の怒号が、インカム越しに飛んでくる。
「こちとら高齢者ボランティアだ! 若ぇのは大人しく待ってやがれ!」
「やべ、これじいさんも聞いてたわ」
 短い会話のうちに、あと数センチで完全に閉まる位置で扉の動きが止まり、逆にするすると開きはじめた。
 鉄壁のはずの警備システムの突然の反乱に焦ったのは、エレベーター前で余裕のせせら笑いを浮かべていた警備の男たちである。
「馬鹿野郎! 何で扉を開けた?」
「開けてない! 扉が勝手に……!」
 扉に手をかけ閉めようとする者もいたが止まらない。
「おい警備室! どうなってるんだ! 聞いてるのか!」
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