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26 嫌な再会で過去を吹っ切る
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海の家から移動して15分後、私はビーチバレーのコート上で恥じらいもなく課長から借りていたパーカーを脱ぎ捨てていた。
「暑いっ、動きづらい!」
「おいコラ、人のパーカーを!」
「雄々しいわね、陸」
「川瀬はバレーすると人が変わるな」
目の前にコートとボールがあってレシーブ・トス・アタックを求められたら多少の競技の違いは気にならない。やるからには楽しむ。楽しむからには本気。本気となれば手加減妥協一切なし。
「森さん! 男ならもっとちゃんとボール拾って下さいよ」
「いやぁ、川瀬が強過ぎなんだよ。取れる気がしない」
「私に至ってはアンタのボールが怖くて近づけないわよ。競技用のボールじゃなくてレジャー用の柔らかいのに交換しない?」
「えー、あんなフワフワしたボールじゃバレーしてる気分になれないじゃん」
「手加減くらいしてやれよ川瀬」
「じゃあ美香と課長交代! ちゃんとボール受けて下さいよ」
「……おう」
やり出したらもう夢中で、上司とか部下とかそういうのはあまり気にしないでバレーに没頭していた。
それに、以前同様課長が持ち前の運動神経を発揮して、美香と交代してからというもの結構良い勝負になったので私はかなり楽しくなっていた。課長は元サッカー部だったので、何度か足でボールを拾う技を見せ、その度に皆で騒いだ。
コートを借りてから30分ほど経過したとき、森さんと美香が体力面で音を上げた。
一方私と課長には余力がある。
旅行に来ている他の一課の面々を探し出して相手をさせようかと、課長と相談し少し離れた人ごみを眺めていたのだが、思わぬものが目に入って私は固まった。
「どうした?」
そんな私の変化に気がついたのか、横で課長が私の視線を追ったのがわかった。
課長に見られたら気まずい。
私はすぐに視線を逸らして見ていたものを誤魔化そうとしたのだが、時すでに遅し。
そして見られていた方もこちらの存在に気がついたらしく、こちらに向かってくる足を止めた。
「……陸」
「あれぇ、川瀬先輩」
良也とその彼女が仲睦まじく腕を組んだ状態のまま声を掛けてきた。
良也と付き合っていたことなんてすっかり忘れて、最近では虚しい失恋も自分の中で笑い話に出来るくらいにはなっていると思っていたのに、不意打ちで見るカップル姿は私の古傷に少しばかり爪を立てた。
それでも変に意識するほどの事ではないと思い直し、私は如何にも気にしてない風で笑顔を作った。
「杉浦と、木野さんだっけ? 2人とも社員旅行参加してたんだ。全然気がつかなかった」
良也は僅かに眉間に皺を寄せた。
私に苗字で名前を呼ばれたことに違和感を持ったのか、全然気づかなかったとちょっぴり嫌味を込めて言ったのが上手い具合に刺さったのか。
「川瀬先輩も参加されてたんですね。私達人ごみに疲れちゃってちょっと散歩のつもりで歩いてきたんですけど、こんなところにビーチバレーのコートがあったんだぁ」
人懐っこい笑顔で何を悪びれることなく話しかけてきた木野さんはそのまま私の隣に立っていた課長に目を向けた。
「あっ、営業一課の榊課長ですよね。私、総務2年目の木野由香里です。今までお話したこと一度もなかったのでこんなところでお会いできて嬉しいです。一課の方達でビーチバレーしてらっしゃったんですか?」
「いや」
課長の返事が異様に素っ気ない。恐らく興味がないのだろう。
「あと、一課の森さんと美香と遊んでたの。木野さんと美香は同じ部署だから結構親しいんじゃない?」
「別に親しくなんかないわよ」
「わっ」
突如後ろから腕を回され腰を抱きしめられ、普段の可愛らしい声とは似ても似つかないドスの利いた声が耳に響く。
「同じ部署だから多少のやり取りはあるけど滅多に話もしないしね。この子は女子社員より男子社員と仲良くしている方が楽しそうだし」
「……美香」
明らかに敵意むき出しで美香は私を抱きしめる腕に力を込める。
「昼休みなんか、いつも彼氏とこれ見よがしに食堂でランチしてるしね。羨ましい限りだわ。ねえ杉浦」
「何だよその言い方……」
眉を歪める良也を美香は鼻で笑う。
「別にぃ。ただ私は羨ましいって言ってるだけよ。浮気男が新しい女と周囲の目も気にせずイチャコラランチデートできる図太い神経なんて私は持ち合わせていないから、欲しいくらいだわ」
むき出しどころかダダ漏れの敵意ある言葉と肌から直接伝わってくる怒りのオーラに何故か当事者の私の方が冷や汗をかく。
美香は私と良也が分かれた件について報告した際かなりご立腹だった。
それはもう、打ち明けた私が気持ちいいもんだと思えるほどに。
そもそも美香は同部署の木野さんと折り合いが悪かったらしくそれが余計に癪に触ったらしい。
でもって、私はこの3カ月間仕事が忙しかったり誰かに振り回されたりで別れたことなどほとんど頭になかったのだけれど、美香にとってはまだこの話は風化していないようである。
このままでは喧嘩になり兼ねない。
折角の旅行なのに今更良也達を意識して気まずくなるのは避けたいところだったので、私はどうにか争い事を回避しようと頭を回転させた。しかし、答えが出る前に先ほどとは打って変わった明るい笑い声が耳元で弾けた。
「あはっ、嘘うそ。何皆で本気にしちゃってんの。冗談に決まってんじゃない。こんなところでも見せつけてくれちゃってくるからちょっとからかってやろうと思っただけよ。木野とも仲が悪い訳じゃないしぃ。杉浦が本気の顔するから思わず笑っちゃったじゃない」
「あんたねぇ……」
口では非難しつつ内心安堵で力が抜けた。良也の方はというとポカンと口をあけた後にからかわれたことに赤くなって一言二言美香に文句を放った。
美香はそれも軽く笑っていなす。
「みんな単純なんだから。そもそも陸自身がもう引きずってないのになんで私が蒸し返すようなことしなくちゃいけないのよ。それに今の陸には杉浦なんか屁でもない超イイ男が側にいるからねぇ」
あんた何かのことなんて気にする必要はまるでないのよ、と美香が良也に明るくかつ辛辣に意味深なことを言い放つ。
これは気にしてないって言ってはいるけど確実に相手への攻撃を意識している。
末恐ろしい女である。
まあ、自分のことを思ってくれているからのこその行動なので悪い気はしないのだけれど。
それでも一点どうしても気になって問いただそうとすると、私より先に木野さんが同じ疑問を口にした。
「超イイ男って誰ですか?」
「あらこの状況見てわからない?」
美香は私に絡めていた腕を緩めると、今度は力任せに横に突き飛ばしてきた。
「ひゃ」
「おっと」
バランスを崩すとその先に居た課長に軽く支えられる。
水着姿だったので直に課長の手が私の腕に触れた。
その感覚を妙に意識してしまい慌てて離れようとしたのだが、美香によって私の身体は力任せに押され、ぎゅーっと課長の胸に押し付けられるような体勢になる。
あまりにも近い距離に私が言葉を失っていると、とんでもない宣言がなされる。
「超が付くほどイイ男って言ったら榊課長しか陸の周りであてはなる人はいないでしょ。ねえ、榊課長?」
「ちょっと、何言って――」
再び大慌てで体を離そうとするが、今度はがっしりした腕に肩を強めに抱かれてしまう。
「ああ」
「ああって、何色々まとめて全肯定しちゃってるんですか!?」
私は勢いよく私の肩を抱く課長の腕を払い除けようと体を動かした。
けれども、さらに強い力が腕に籠ってより強く引き寄せられる。その上、至近距離から見下ろされる。
「何だよ、俺がイイ男じゃないって言いたいのかお前は」
「いや、そんな事は言いませんけどそれを自分で肯定するってどんだけですかっ。というかその前に違うところを否定するべきじゃないですか!?」
「へえ、川瀬は俺のことイイ男って思ってくれてるのか」
「なっ。そんなことは置いといて――」
「山本の言ってることの何を否定する必要があるんだ? 現に今これでもかっていうくらい側にいるじゃないか」
「なっ何言って」
余裕のある笑みで見下ろされ、私は茹蛸のように全身から湯気が出そうになる。
この人本当に心臓に悪い。タチが悪い。巡り巡って健康にも悪そうだ。
それより何より肌が触れ合う距離がどうしても居心地悪くて私はどうにか逃げようとする。
「はっ離して下さい」
「何恥ずかしがってんだ」
「恥ずかしがってなんか――――いえ、やっぱり恥ずかしいです! これでもかっていうくらい恥ずかしいので離して下さい」
「どうしようかな?」
「もうっ、からかうのは止めて下さい、課長ぅ」
もう、何がなんだか分からなくなってパニックで涙が出そうだ。
進退窮まって思わず弱気になり、見下ろしてくる瞳を見上げて心の底からのお願いをする。
すると課長が目を丸くして急に腕の力を解き、バツが悪そう目を逸らす。
心なしか顔が赤い。
私は解放されたことに安堵してホッと胸を撫で下ろす。
ふと横を見ると、いつから近くにいたのか森さんが美香の隣に立って異様なほどに目を見開いて課長を見ている。そしてポカンと口を開けた。
「えっ、マジで、何、えっ? おい、榊?」
何にそんなに驚いているのだろうか。
その驚きように私が逆に驚いていると、森さんは勢いよく課長の肩を抱き少し離れたところに強引に引っ張って行く。そして、その場で森さんが無理やり課長をしゃがませて再びがっしり肩を掴むようにして話し込む。
何事だろうかと思ってその背中を見つめていると、同じように二人の背中を見つめていた美香が満足気に頷く気配がする。
「ああいうリアルなところ見せつけられちゃうと、もうただの冗談じゃ済まされないわねぇ」
「えっ、どういうこと?」
「アンタが相当隅に置けないってことよ」
意味が分からない。私はただからかわれただけなのだ。
首を傾げる私を横目に美香は改めて良也と木野さんを振り返った。
「ということで、ご両人は今まで通りいつどこでイチャイチャしてようと何の問題もないから安心して」
「「………」」
二人も唖然としている様子。
自分だけがこの場の情報弱者のようだったので、少しでも状況を理解しようと二人の驚いた顔を不躾に観察する。すると良也と目が合った。
「ん?」
「いや……」
どこか気まずげな良也。居たたまれない雰囲気が漂ってきて私は改めて明るく接してみた。
「もう、全部冗談なんだからそんなに驚かなくてもいいのに。二人きりの散歩の途中なんでしょ? この先は岩場みたいだから散歩向きじゃないみたいだよ」
「あ、ああ」
「美香、コートレンタルの時間もあとちょっとだしもうちょっと付き合ってよ」
「ん、いいわよ~。何かさっきより元気出てきたわ」
美香はにっこり微笑むと、課長と森さんに向かって声を掛けた。
私はここ数分間の奇妙なやり取りを忘れるためにバレーに集中しようと、砂の上に転がっていたボールを拾いにいく。
腰を曲げてボールを取り、体を起こす。
「川瀬先輩」
いつの間に背後に来たのか、木野さんが大きな目を少し伏せた表情で手を所在なさげにすり合わせて立っている。
改めてその姿を見ると、1つしか歳が変わらないにも関わらずとても可愛らしく見える。
水着もピンクの如何にも女の子らしいもので、スタイルもいい。身長も小さくて本当に私とは正反対。
自分の持ってないものを持った女の子。
良也は本当はこういうタイプの子が好きだったんだな。
感傷に浸りかけた私を現実に引き戻したのは木野さんだった。
「あの、私、その……」
「どうしたの?」
何かを言い淀んでいる様子だったので、首を傾げて問う。
すると意を決したように木野さんは伏せていた目を上げる。
「あの、私、川瀬先輩には色々酷いことをしたままで、それで、その、いつかお詫びを言おうと思っていたんですけどそんなチャンス中々無くて……。川瀬先輩から良也、あっ、杉浦さんを奪うような真似をして――」
「あはは、やめてやめて。もう全然気にしてないし。恋愛感情ってコントロールしづらいものだからね。私とは正反対の可愛い木野さんの方を杉浦が選ぶのも今ならなんか分かる気がする。だから私のことなんか気にしないで気軽に付き合ったらいいよ」
「正反対なんて……」
「杉浦には私みたいな体育会系のデカい女よりカワイイ子の方が似合うって、二人が並んでる姿を見ると思うもん。だから未練もないし、過ぎたことだし、今更謝らないでほしい」
本音と強がりとちょっぴり意地悪な気持ちを込めて発言するとチクリと僅かに胸が痛んだ。
その痛みは私の未練だ。
けれど、そんなもの後生大事に取っておいても何の意味もない。
最低な事を二人にされた自覚はあるけれど、終わった恋を引きずるなんて馬鹿なことはしたくない。忙しさにかまけて良也の寂しさに気が付けなかった私に落ち度が無かったわけでもない、と今なら思える。ぶっちゃけてしまえば、今更二人の事などどうでも良いと言えばどうでも良いし。
だから、心の底から良也と木野さんのことを認めようと私は決心した。
「……川瀬先輩」
俯いてしまった木野さんの表情はよく見えなかった。私はそんな木野さんに笑顔を向けた。
「本当にもう気にしないで。ほらデートしてたんでしょ。杉浦が待ってるよ」
木野さんの後ろの方で良也が不安気な表情でこちらを窺っている。
私は良也にも声を掛けた。
「何ぼおっとしてんの。さっさと彼女連れて旅行を堪能しなさい。私達はもう少しここでバレーしいてくから」
じゃあね、と言って木野さんの背中を押してやると浮かない表情のまま彼女は良也の許へ歩いて行った。
私はもうこれ以上2人のことを気にしていても仕方がないと割り切り、ボールを持って既にコートでスタンバイをしてくれている美香達のところへ向かう。
残りの時間で精一杯バレーを楽しんだら、モヤモヤした気持ちもきれいさっぱりなくなって、何だか今このとき初めて全てが吹っ切れたような気がした。
コートの向こうにいた課長が少し大人しくなっていたので、先ほど受けた辱めの分の仕返しをしてやろうと強烈なアタックを何度か打ち込んでみたりもした。
すると、すぐにむきになって対抗しようとする。
そんな少し子供っぽい姿がなんだかとっても微笑ましかった。
「暑いっ、動きづらい!」
「おいコラ、人のパーカーを!」
「雄々しいわね、陸」
「川瀬はバレーすると人が変わるな」
目の前にコートとボールがあってレシーブ・トス・アタックを求められたら多少の競技の違いは気にならない。やるからには楽しむ。楽しむからには本気。本気となれば手加減妥協一切なし。
「森さん! 男ならもっとちゃんとボール拾って下さいよ」
「いやぁ、川瀬が強過ぎなんだよ。取れる気がしない」
「私に至ってはアンタのボールが怖くて近づけないわよ。競技用のボールじゃなくてレジャー用の柔らかいのに交換しない?」
「えー、あんなフワフワしたボールじゃバレーしてる気分になれないじゃん」
「手加減くらいしてやれよ川瀬」
「じゃあ美香と課長交代! ちゃんとボール受けて下さいよ」
「……おう」
やり出したらもう夢中で、上司とか部下とかそういうのはあまり気にしないでバレーに没頭していた。
それに、以前同様課長が持ち前の運動神経を発揮して、美香と交代してからというもの結構良い勝負になったので私はかなり楽しくなっていた。課長は元サッカー部だったので、何度か足でボールを拾う技を見せ、その度に皆で騒いだ。
コートを借りてから30分ほど経過したとき、森さんと美香が体力面で音を上げた。
一方私と課長には余力がある。
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「どうした?」
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課長に見られたら気まずい。
私はすぐに視線を逸らして見ていたものを誤魔化そうとしたのだが、時すでに遅し。
そして見られていた方もこちらの存在に気がついたらしく、こちらに向かってくる足を止めた。
「……陸」
「あれぇ、川瀬先輩」
良也とその彼女が仲睦まじく腕を組んだ状態のまま声を掛けてきた。
良也と付き合っていたことなんてすっかり忘れて、最近では虚しい失恋も自分の中で笑い話に出来るくらいにはなっていると思っていたのに、不意打ちで見るカップル姿は私の古傷に少しばかり爪を立てた。
それでも変に意識するほどの事ではないと思い直し、私は如何にも気にしてない風で笑顔を作った。
「杉浦と、木野さんだっけ? 2人とも社員旅行参加してたんだ。全然気がつかなかった」
良也は僅かに眉間に皺を寄せた。
私に苗字で名前を呼ばれたことに違和感を持ったのか、全然気づかなかったとちょっぴり嫌味を込めて言ったのが上手い具合に刺さったのか。
「川瀬先輩も参加されてたんですね。私達人ごみに疲れちゃってちょっと散歩のつもりで歩いてきたんですけど、こんなところにビーチバレーのコートがあったんだぁ」
人懐っこい笑顔で何を悪びれることなく話しかけてきた木野さんはそのまま私の隣に立っていた課長に目を向けた。
「あっ、営業一課の榊課長ですよね。私、総務2年目の木野由香里です。今までお話したこと一度もなかったのでこんなところでお会いできて嬉しいです。一課の方達でビーチバレーしてらっしゃったんですか?」
「いや」
課長の返事が異様に素っ気ない。恐らく興味がないのだろう。
「あと、一課の森さんと美香と遊んでたの。木野さんと美香は同じ部署だから結構親しいんじゃない?」
「別に親しくなんかないわよ」
「わっ」
突如後ろから腕を回され腰を抱きしめられ、普段の可愛らしい声とは似ても似つかないドスの利いた声が耳に響く。
「同じ部署だから多少のやり取りはあるけど滅多に話もしないしね。この子は女子社員より男子社員と仲良くしている方が楽しそうだし」
「……美香」
明らかに敵意むき出しで美香は私を抱きしめる腕に力を込める。
「昼休みなんか、いつも彼氏とこれ見よがしに食堂でランチしてるしね。羨ましい限りだわ。ねえ杉浦」
「何だよその言い方……」
眉を歪める良也を美香は鼻で笑う。
「別にぃ。ただ私は羨ましいって言ってるだけよ。浮気男が新しい女と周囲の目も気にせずイチャコラランチデートできる図太い神経なんて私は持ち合わせていないから、欲しいくらいだわ」
むき出しどころかダダ漏れの敵意ある言葉と肌から直接伝わってくる怒りのオーラに何故か当事者の私の方が冷や汗をかく。
美香は私と良也が分かれた件について報告した際かなりご立腹だった。
それはもう、打ち明けた私が気持ちいいもんだと思えるほどに。
そもそも美香は同部署の木野さんと折り合いが悪かったらしくそれが余計に癪に触ったらしい。
でもって、私はこの3カ月間仕事が忙しかったり誰かに振り回されたりで別れたことなどほとんど頭になかったのだけれど、美香にとってはまだこの話は風化していないようである。
このままでは喧嘩になり兼ねない。
折角の旅行なのに今更良也達を意識して気まずくなるのは避けたいところだったので、私はどうにか争い事を回避しようと頭を回転させた。しかし、答えが出る前に先ほどとは打って変わった明るい笑い声が耳元で弾けた。
「あはっ、嘘うそ。何皆で本気にしちゃってんの。冗談に決まってんじゃない。こんなところでも見せつけてくれちゃってくるからちょっとからかってやろうと思っただけよ。木野とも仲が悪い訳じゃないしぃ。杉浦が本気の顔するから思わず笑っちゃったじゃない」
「あんたねぇ……」
口では非難しつつ内心安堵で力が抜けた。良也の方はというとポカンと口をあけた後にからかわれたことに赤くなって一言二言美香に文句を放った。
美香はそれも軽く笑っていなす。
「みんな単純なんだから。そもそも陸自身がもう引きずってないのになんで私が蒸し返すようなことしなくちゃいけないのよ。それに今の陸には杉浦なんか屁でもない超イイ男が側にいるからねぇ」
あんた何かのことなんて気にする必要はまるでないのよ、と美香が良也に明るくかつ辛辣に意味深なことを言い放つ。
これは気にしてないって言ってはいるけど確実に相手への攻撃を意識している。
末恐ろしい女である。
まあ、自分のことを思ってくれているからのこその行動なので悪い気はしないのだけれど。
それでも一点どうしても気になって問いただそうとすると、私より先に木野さんが同じ疑問を口にした。
「超イイ男って誰ですか?」
「あらこの状況見てわからない?」
美香は私に絡めていた腕を緩めると、今度は力任せに横に突き飛ばしてきた。
「ひゃ」
「おっと」
バランスを崩すとその先に居た課長に軽く支えられる。
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「超が付くほどイイ男って言ったら榊課長しか陸の周りであてはなる人はいないでしょ。ねえ、榊課長?」
「ちょっと、何言って――」
再び大慌てで体を離そうとするが、今度はがっしりした腕に肩を強めに抱かれてしまう。
「ああ」
「ああって、何色々まとめて全肯定しちゃってるんですか!?」
私は勢いよく私の肩を抱く課長の腕を払い除けようと体を動かした。
けれども、さらに強い力が腕に籠ってより強く引き寄せられる。その上、至近距離から見下ろされる。
「何だよ、俺がイイ男じゃないって言いたいのかお前は」
「いや、そんな事は言いませんけどそれを自分で肯定するってどんだけですかっ。というかその前に違うところを否定するべきじゃないですか!?」
「へえ、川瀬は俺のことイイ男って思ってくれてるのか」
「なっ。そんなことは置いといて――」
「山本の言ってることの何を否定する必要があるんだ? 現に今これでもかっていうくらい側にいるじゃないか」
「なっ何言って」
余裕のある笑みで見下ろされ、私は茹蛸のように全身から湯気が出そうになる。
この人本当に心臓に悪い。タチが悪い。巡り巡って健康にも悪そうだ。
それより何より肌が触れ合う距離がどうしても居心地悪くて私はどうにか逃げようとする。
「はっ離して下さい」
「何恥ずかしがってんだ」
「恥ずかしがってなんか――――いえ、やっぱり恥ずかしいです! これでもかっていうくらい恥ずかしいので離して下さい」
「どうしようかな?」
「もうっ、からかうのは止めて下さい、課長ぅ」
もう、何がなんだか分からなくなってパニックで涙が出そうだ。
進退窮まって思わず弱気になり、見下ろしてくる瞳を見上げて心の底からのお願いをする。
すると課長が目を丸くして急に腕の力を解き、バツが悪そう目を逸らす。
心なしか顔が赤い。
私は解放されたことに安堵してホッと胸を撫で下ろす。
ふと横を見ると、いつから近くにいたのか森さんが美香の隣に立って異様なほどに目を見開いて課長を見ている。そしてポカンと口を開けた。
「えっ、マジで、何、えっ? おい、榊?」
何にそんなに驚いているのだろうか。
その驚きように私が逆に驚いていると、森さんは勢いよく課長の肩を抱き少し離れたところに強引に引っ張って行く。そして、その場で森さんが無理やり課長をしゃがませて再びがっしり肩を掴むようにして話し込む。
何事だろうかと思ってその背中を見つめていると、同じように二人の背中を見つめていた美香が満足気に頷く気配がする。
「ああいうリアルなところ見せつけられちゃうと、もうただの冗談じゃ済まされないわねぇ」
「えっ、どういうこと?」
「アンタが相当隅に置けないってことよ」
意味が分からない。私はただからかわれただけなのだ。
首を傾げる私を横目に美香は改めて良也と木野さんを振り返った。
「ということで、ご両人は今まで通りいつどこでイチャイチャしてようと何の問題もないから安心して」
「「………」」
二人も唖然としている様子。
自分だけがこの場の情報弱者のようだったので、少しでも状況を理解しようと二人の驚いた顔を不躾に観察する。すると良也と目が合った。
「ん?」
「いや……」
どこか気まずげな良也。居たたまれない雰囲気が漂ってきて私は改めて明るく接してみた。
「もう、全部冗談なんだからそんなに驚かなくてもいいのに。二人きりの散歩の途中なんでしょ? この先は岩場みたいだから散歩向きじゃないみたいだよ」
「あ、ああ」
「美香、コートレンタルの時間もあとちょっとだしもうちょっと付き合ってよ」
「ん、いいわよ~。何かさっきより元気出てきたわ」
美香はにっこり微笑むと、課長と森さんに向かって声を掛けた。
私はここ数分間の奇妙なやり取りを忘れるためにバレーに集中しようと、砂の上に転がっていたボールを拾いにいく。
腰を曲げてボールを取り、体を起こす。
「川瀬先輩」
いつの間に背後に来たのか、木野さんが大きな目を少し伏せた表情で手を所在なさげにすり合わせて立っている。
改めてその姿を見ると、1つしか歳が変わらないにも関わらずとても可愛らしく見える。
水着もピンクの如何にも女の子らしいもので、スタイルもいい。身長も小さくて本当に私とは正反対。
自分の持ってないものを持った女の子。
良也は本当はこういうタイプの子が好きだったんだな。
感傷に浸りかけた私を現実に引き戻したのは木野さんだった。
「あの、私、その……」
「どうしたの?」
何かを言い淀んでいる様子だったので、首を傾げて問う。
すると意を決したように木野さんは伏せていた目を上げる。
「あの、私、川瀬先輩には色々酷いことをしたままで、それで、その、いつかお詫びを言おうと思っていたんですけどそんなチャンス中々無くて……。川瀬先輩から良也、あっ、杉浦さんを奪うような真似をして――」
「あはは、やめてやめて。もう全然気にしてないし。恋愛感情ってコントロールしづらいものだからね。私とは正反対の可愛い木野さんの方を杉浦が選ぶのも今ならなんか分かる気がする。だから私のことなんか気にしないで気軽に付き合ったらいいよ」
「正反対なんて……」
「杉浦には私みたいな体育会系のデカい女よりカワイイ子の方が似合うって、二人が並んでる姿を見ると思うもん。だから未練もないし、過ぎたことだし、今更謝らないでほしい」
本音と強がりとちょっぴり意地悪な気持ちを込めて発言するとチクリと僅かに胸が痛んだ。
その痛みは私の未練だ。
けれど、そんなもの後生大事に取っておいても何の意味もない。
最低な事を二人にされた自覚はあるけれど、終わった恋を引きずるなんて馬鹿なことはしたくない。忙しさにかまけて良也の寂しさに気が付けなかった私に落ち度が無かったわけでもない、と今なら思える。ぶっちゃけてしまえば、今更二人の事などどうでも良いと言えばどうでも良いし。
だから、心の底から良也と木野さんのことを認めようと私は決心した。
「……川瀬先輩」
俯いてしまった木野さんの表情はよく見えなかった。私はそんな木野さんに笑顔を向けた。
「本当にもう気にしないで。ほらデートしてたんでしょ。杉浦が待ってるよ」
木野さんの後ろの方で良也が不安気な表情でこちらを窺っている。
私は良也にも声を掛けた。
「何ぼおっとしてんの。さっさと彼女連れて旅行を堪能しなさい。私達はもう少しここでバレーしいてくから」
じゃあね、と言って木野さんの背中を押してやると浮かない表情のまま彼女は良也の許へ歩いて行った。
私はもうこれ以上2人のことを気にしていても仕方がないと割り切り、ボールを持って既にコートでスタンバイをしてくれている美香達のところへ向かう。
残りの時間で精一杯バレーを楽しんだら、モヤモヤした気持ちもきれいさっぱりなくなって、何だか今このとき初めて全てが吹っ切れたような気がした。
コートの向こうにいた課長が少し大人しくなっていたので、先ほど受けた辱めの分の仕返しをしてやろうと強烈なアタックを何度か打ち込んでみたりもした。
すると、すぐにむきになって対抗しようとする。
そんな少し子供っぽい姿がなんだかとっても微笑ましかった。
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疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。
無愛想で冷静な上司・東條崇雅。
その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、
仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。
けれど――
そこから、彼の態度は変わり始めた。
苦手な仕事から外され、
負担を減らされ、
静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。
「辞めるのは認めない」
そんな言葉すらないのに、
無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。
これは愛?
それともただの執着?
じれじれと、甘く、不器用に。
二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。
無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。
※この物語はフィクションです。
登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。
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