不可視の糸 ～剣を持たない田舎娘が皇太子の護衛を目指した結果の革命譚～

第一章 護衛になりたい田舎娘

3.招かれざる客

　店に入って来たのは大柄で筋肉質な男が三人。明らかに店を貶し、女を軽視した発言にレオーナの椅子から離れかけた腰も舞い上がった気分も見事にすとんと落ちる。

　剣呑な雰囲気に自然と視線は常日頃世話になっているジフの妻と娘であるカロナとホリーに移動する。ジフは店のキッチンで調理中のようで、給仕を忙しくこなしていた二人は青くなってその場に固まっていた。

　触らぬ神に祟りなし。他の客は気配を消すように黙り込み、賑やかだった店内は一瞬にして葬式のように静かになった。

　そんな店の雰囲気をものともせず、男達は我が物顔でテーブル席に腰を下ろす。次いで、三人の中で態度も体も一際大きな男が乱暴な動作で足をテーブルの上に投げ出した。

「席に着いたっていうのにメニューも持って来ねぇ。やっぱりこの店は質が悪いなぁ、お前等」

「その通りだなバルック」

「兄貴が来るにはこの店は貧相過ぎるんじゃねぇですか？」

　薄笑いを浮かべる取り巻き二人とバルックと呼ばれた男はひとしきり店を貶し、ふんぞり返ってぎょろりとホリーに視線を向けた。

　遠目に見てもビクリと体を震わしたホリー。その顔色は一層青くなった。レオーナは助けに入った方がよいかを確認するためにホリーとカロナに視線を向ける。それに気がついたカロナは首を小さく横に振った。レオーナはその行いからここ三か月でリッカーリアでそれなりに有名になってしまっている。事を大きくしたくないのだろう。

　小さく頷くと、カロナは視線を奥にあるキッチンに向けた。ジフを呼んできて欲しい、そんな意図をしっかりと汲み取ったりレオーナはさり気なく指で了解の意を伝えた。

　カロナは緊張した面持ちのままカウンターのメニューを手に取り、三人が座る席に歩み出した。

「レオーナは下手に動いて目を付けられない方がいい。俺がジフを呼んでくるから、大人しく座ってな」

　レオーナが動き出そうとした直前、テッドが音を立てることなく低い姿勢のまま椅子から離れ、奥のキッチンにするりと移動してしまう。男達に気配を悟られない早業に目を丸くしたレオーナだったが、直ぐに頭を切り替えた。今はカロナとホリーが心配だ。

　バルックも取り巻き二人も一見武器を携帯しているようには見えなかった。それでも、レオーナは注意深く三人を観察する。いつもの癖で手首のバングルに触れながら。

　カロナが青ざめた顔にどうにか笑顔を張り付けてメニューを渡す。するとバルックは碌に見もせずにそれをぞんざいに床に放り投げた。

「ババアが働く店じゃ食欲が湧かん。何を飲み食いしても不味そうだ」

「そんなっ」

　勇気を振り絞って気丈に振舞ったカロナが短く声を上げる。震えるそれを面白がるように、三人の男達はカロナを仰ぎ見た。

「アンタ、いい年したババアのくせに店に出て働くなんて恥ずかしくないのか？ 天下の帝都リッカーリアに店を開いてるっていうのに、自分が生き遅れの売れ残りだってことか店が貧乏だっていう看板に掲げてるようなもんだぜ」

「なんなんだアンタらは。馬鹿にするために来たのなら帰ってくれ」

　酷い言われようにレオーナの手に力が入るとほぼ同時、奥からテッドによって呼ばれたジフが出てきた。毅然とした態度でやって来たジフは三人の男達に負けず劣らず大柄だ。性格は温厚だが、気が小さい訳ではない。悪質な客から店と家族を守るくらいの心の強さはしっかりと持ち合わせている。ぴしゃりと言い放たれ三人の男達は一瞬黙り込んだ。しかし、ジフがカウンターから進み出ると、その姿を見たバルックが腹を抱えて笑い出した。

「こりゃひでぇっ！ ババアが働いているだけじゃなくて、怪我人までいんのかよ！」

　カウンターから出てきたジフは杖を突いていた。以前従軍していたジフは最後に赴いた戦地で脚を負傷した。それ以降、支えのない歩行が困難になったのだ。

　その脚を見て笑い飛ばすバルックに反吐が出る思いだったが、レオーナは前に飛び出しはしなかった。酔いがそれなりに回っている頭は普段と比べて感情的になりやすい。体内で沸き上がる怒りは無視できなくなる直前まで膨らんできているが、感情を爆発させるべきは自分ではない。

「ああ、俺は見ての通り怪我人だ。妻と娘の助けがなけりゃ店も回せない。それでもこの俺の店を、俺達の店を選んで来てくれる客はいる。ここはそんなお客さんのために俺が親から継いだ店だ。用がないなら帰ってくれ」

　ジフはレオーナの何倍も嫌な気持ちになっているだろうに、冷静に三人に帰って欲しいと願った。

　するとバルックはゆっくりと立ち上がり、にやけた表情のままジフの前に進み出た。

「弱者が偉そうに命令するんじゃねぇよ」

　弱者という言葉にピクリと反応したのは恐らくレオーナだけではない。けれども、誰も何も言わずに黙っている。そんな店内の様子を見まわしてバルックは勝ち誇った顔をして大声を張った。

「俺はなぁ、十年前のカサドラ戦で敵兵を三十人は殺したぜ。軍人のように高価で切れ味のいい武器に頼らず、なまくらな剣で全員叩き斬ってやったのよ。俺は強ぇんだ。つーことは、どういうことかわかるか？」

　踏ん反り返ってさらに一歩踏み出したバルックは手近にあったテーブルにのっていた酒瓶を勝手に手に取る。次いでジフの頭上にそれを掲げた。何をされるのか悟ったジフはとっさに避けようとする。しかし、不自由な右脚に容赦なく足をかけられ転倒。カロルとホリーが悲鳴を上げた瞬間、ジフの頭に琥珀色の酒が降り注がれた。

「今この店で誰も俺に逆らわねぇ。それは俺がここで一番の強者だからだ。デューアは力こそ全て。力ある者が上位であり、力ない弱者は下位。俺の魂はお前等より高等であり、お前等弱者の魂は劣悪だ。前世の行いを謹んで詫びろよ、なぁおい？」

　デューア社会の縮図。繰り広げられたそんな光景に誰もが黙り込み動かない。カロルとホリーですら固まってしまっている。例外はバルックとその取り巻き――――だけではなかった。

「今時、強者主義で強者信仰なんて時代遅れなんじゃない、おじさん？」

　誰に認識されるより素早く移動したレオーナが、バルックを睨み上げながらまだ中身の残る酒瓶に自らの手で蓋をした。

　バルックは怪訝な顔をしてレオーナを見下ろした。

「時代遅れであるわけがねぇ。ここは帝国デューア。戦うことで繁栄し、敵国を倒すことでここまでデカくなった強者主義国家だ。強者がいなければ今のデューアは存在しねぇ」

「強者ってそもそもどんな人間？ 貴方みたいな脳みそにまで筋肉が詰まったイカれたおじさんのこと？」

「んだとクソガキ！」

　顔を真っ赤にして眉を吊り上げたバルックが酒瓶をレオーナの頭部目掛けて振りぬく。瞬間手を離したレオーナは自ら床に倒れ込んで瓶をかわす。勢い余って体勢を崩したバルック。その手元の力が緩んだその隙に、レオーナは体勢そのまま酒瓶を握る手を蹴り上げる。

「ッ！？」

　酒瓶がバルックの手から滑り落ち、鈍い音を立てて床に転がり落ちた。レオーナはジフに少しでも後ろに下がるように素早く指示を出し、バルックの前に立ち上がる。

　蹴られた手を擦りながら痛みに眉を顰める巨漢をレオーナは鼻で笑った。

「ああ、ごめんね。物騒な物だけ離して欲しかったから痛くないように加減したつもりだったけど、痛かった？」

　挑発的なもの言いはわざとだ。

　強者に歯向かってはならない。

　そんなデューアの常識は、非常識娘の辞書には当然載っていない。