上 下
23 / 39

第二十二話『力の差』

しおりを挟む
 黒づくめが俺達目掛けて襲いかかってきたのと同時に、俺は意識をカチリと切り替え、そして一気に駆け出した。
 彼我の距離が一瞬で狭まる中、俺は思い切り地面を蹴りつける。
 次の瞬間、耳元で風切り音が聞こえた。

「――オヤ?」

 黒づくめが目の前に現れる。いや、違う。俺が間合いを食らい尽くしたのだ。
 明らかにこれまでとは一線を画す速力なのだが、俺の感覚は遅れることなく付いてきている。
 突如目の前に現れた俺に間の抜けた声を出す黒づくめの脇腹目掛けて、俺は一閃を繰り出す。
 俺の剣は吸い込まれるように黒づくめの脇腹を切り裂いた――かのように見えたが、気づけば奴は元いた場所に平然と立っていた。
 今の速度でも触れることは出来ないのかと、俺は歯噛みする。

「フムフム、これは中々興味深いねぇ」

 そう言いながら自分の脇腹に手をやる黒づくめ。
 よく見ると、全身を覆っているローブの脇腹部分が少しだが切り裂かれたように破れていた。
 ダメージを与えることは出来なかったが、奴に触れることは出来たらしい。

「ウン、やはり君は面白そうだねぇ。
 ローブ一枚分とはいえ、このボクに触れることが出来る人間なんてそうそう居ないよ?
 どうやら以前とは違うようだねぇ」

 暢気な口調で喋りながら、黒づくめはしきりに頷いているが、放たれている威圧感は依然として強い。
 ミルノはどうか分からないが、少なくともエルザやエルリックでは太刀打ち出来ないだろう。
 出し惜しみして勝てる相手ではないのだし、【限界突破】を使うしかない。
 俺は視線を黒づくめに向けたまま、皆に声をかける。

「皆、こいつは今までの敵とは明らかに強さの質が違う。
 【限界突破】で一気にケリをつけるから、手出しは無用だ」
「カーマインっ。私達も戦うわ!」
「エルザ、気持ちは嬉しいが、【限界突破】を使っている間は手加減が出来ない。
 そうなると皆を巻き込んでしまう可能性がある。
 済まないがここは俺に任せてくれ」
「……分かったわ。でも、いつでも援護は出来るように準備だけはしておくわよっ。
 それくらいはいいでしょ?」
「ふっ。あぁ、もちろんだ!」

 そう言って俺は、一歩前に踏み出して、黒づくめを睨みつける。

「ウーン、イチャついてるところ申し訳ないんだけどねぇ」
「イチャついてなんていないっ!」
「どう見てもイチャついてるようにしか見えなかったんだがねぇ。
 ――まぁ、それはいいとして。
 彼女達もただ見物というのはつまらないだろう?」
「……どういう意味だ?」

 黒づくめの表情はフードに隠れている為、窺い知ることは出来ないが、その口調に俺は頭の片隅に引っかかりを覚えていた。
 眼前の黒づくめに気をやりつつも、周囲を見るが特に変わった様子はない。
 ないはずなのだが、徐々に警戒の度合いが引き上げられていくのが分かる。
 ふと、黒づくめが笑みを浮かべたような気がした。

「なぁに、ちょっとした余興をしようと思ってだねぇ」

 黒づくめが楽しそうに言った言葉と同時に、エルザ達の直ぐ後ろから魔物が音も立てずに出現する。
 これは――転移かっ。
 現れた魔物は全部で六体。
 インプが五体にもう一体は――ミノタウロスだっ!

 インプは体長一メートルほどの小型の悪魔だ。
 全身が黒く、尖った耳と充血した目をしており、膨れた腹と鉤のある長い尻尾を持った姿をしている。
 頭からは二本の角を生やしており、背中には蝙蝠のような翼を持つ。
 戦闘力はオークより若干下というところなので、エルザ達であれば特に問題はない。
 問題があるとすればやはりミノタウロスだろう。

「さてさて、せっかくだから見物といこうじゃないか。
 あぁ――手出しはダメだからねぇ?」
「くッ!」

 皆のもとへ行こうとする俺を威圧で牽制する黒づくめ。
 何が何でもエルザ達だけで戦わせるつもりのようだ。
 
「ヴゥウウウウウウウウウッ!」

 狂牛は獰猛な殺気を放ち、赤く染まった双眸でエルザ達を睨みつけた。
 エルザとエルリックは、目を大きく見開いている。
 二人は突然現れた魔物、特にミノタウロスを前に硬直してしまっているようだった。
 ミルノの方は――よし、二人よりは冷静なようだな。
 だったら! 

「エルザ! それに兄さんはインプを倒すんだっ。
 ミルノは大変だろうが、【静寂する捕縛】を使いながら、ミノタウロスの相手をしてくれ!
 くれぐれも無理はするな!」
「わ、分かったわ!」
「了解だっ!」
「畏まりました」

 眼前のミノタウロスに呼吸を奪われていたエルザとエルリックは、俺の言葉を受けて覚悟を決める。
 怯えをはらんでいた表情は引き締まり、インプを睨む。
 震えが収まった手で剣を握り直しながら、二人は一気に踏み出しインプ目掛けて剣を振り下ろすと、目の前にいたインプの身体を真っ二つにした。
 
 残り三体となったインプにエルザとエルリックが斬りかかる頃、ミルノがミノタウロスと相対する。
 ミノタウロスは荒い鼻息を吹き出しつつ、強靭な体躯を怒張させ、蹄を踏みしめた。
 雄々しく反り立つ角を誇示するようにして、ミルノを見下ろす。

「ヴゥォオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!」

 狂暴な雄叫びを発し、ミノタウロスは眼前のミルノを敵と認識したようだ。
 ミノタウロスの雄叫びを目の前でモロに浴びたミルノだったが、流石に戦い慣れているようで戦意を失ってはいない。
 スイッチを切り替えたように瞳を鋭く冷徹なものに変え、長剣の柄を鞘から引き抜き、ミノタウロスに突きつけた。

「――来なさい」
「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」

 間髪入れずに思い切り地面を蹴りつけ、駆け出したミノタウロスは両刃斧を振り上げる。
 巨牛の双眸が赤くギラつき、ミルノ目掛けて両刃斧が振り下ろされた。
 次の瞬間――がくんっ、とミノタウロスの動きが一瞬停止する。
 ミルノの【静寂する捕縛】だろう。
 だが、オーガのように完全に自由を奪うことは出来ないようだ。

「ヴゥォオオオオオオオオオオオオオオオオウッッ!」

 雄叫びを上げてミノタウロスが再び動き出そうとする。
 だがミルノにとっては、その一瞬の停止で充分だった。
 動き出そうとしたミノタウロスに正面から、ミルノが高速の一閃を放つ。

「ヴオゥッッ!?」

 横凪の斬撃が狂牛の腕を捉え、衝撃が走る。
 両手斧を持っていた両手の内の右手を斬り裂き、両手斧とともに右手が地面に落下した。
 血飛沫を撒き散らすミノタウロスに対して、ミルノは懐から短剣を取り出す。
 右手には長剣、左手に短剣を握り締め、突き刺すような視線でミノタウロスを捉えるミルノ。

「ヴォオオオオオオオオオオオオオオオオオッッ!!」

 猛牛は吠声を上げながら、調子に乗るなと言わんばかりに全身を怒らせ、残っている左手でミルノを殴りつける。
 轟音が鳴り響き、硬い地面には抉れたような跡が出来るが、そこにミルノの姿はない。

「遅い――!」
「ヴオゥッッ!?」

 攻撃後の硬直を見逃すことなく、神速をもって、ミルノが斬りかかる。
 一瞬にして夥しい数の斬撃がミノタウロスの身体を埋め尽くす。
 熟練度が二になり、【英雄領域】を発動した状態の俺の目からも、全てを追い切れない斬撃の嵐は、ミノタウロスに一切の反撃を許さず、その筋肉質な身体へダメージを叩きこんでいった。

「ヴグッ、ヴウゥッ、ヴウウゥッ!?」

 ミノタウロスの呼吸は徐々に荒くなっていく。
 腕を振り回す余力すらないのか、狂牛の動きは酷く緩慢だ。

「これで――終わりです」

 再度【静寂する捕縛】使用したのだろう、弱っているミノタウロスの動きが完全に停止する。
 最後に横一閃の斬撃を首に打ち込まれたミノタウロスは、薄皮一枚で頭と首と繋がった状態になった。
 もはや言葉を発することなど出来なくなったミノタウロスは、後退し、よろめき、血飛沫を上げながら背中から倒れこみ、その身体が完全に沈黙する。

 視線をエルザとエルリックへ向けると、二人もインプを倒し終わったようで、ミルノの傍へ近づく。
 俺は視線を黒づくめに戻し、睨みつける。

「余興とやらはこれでおしまいか?」
「そうだよ。いやはや、君のお仲間も中々に強いじゃないかねぇ。
 ――特にミノくんを倒した子の能力は実に興味深い」

 黒づくめのおどけた物言いの中には、底知れぬ不気味さを感じた。
 俺は気を引き締め直して、黒づくめに相対する。 
 奴から感じる威圧感が一段と膨れ上がっていく。

「面白い余興も見れたことだし、そろそろ続きを始めるとしようかねぇ」
「そうだな。――但し」
「但し?」
「――直ぐに終わるけどなっ!」

 瞬間、俺は目を見開き【限界突破】を発動させる。

「ふッッ!」
「ぉお!?」

 剣を右手に持ち突貫してくる俺に、黒づくめは無詠唱で火属性魔法【火炎球ファイア・ボール】を繰り出す。
 正面から迫り来る火炎球を、俺は剣で真っ二つに切り裂いた。

「魔法を斬るなんて随分と非常識じゃないかねぇ!?」
「斬れると思えば何でも斬れるもんさ、っと!」

 俺は勢いそのままに黒づくめに斬りかかる。
 すんでのところで黒づくめに回避されるが、打ち込んだ左足を軸にして、回避した方へ回転。
 右足を地面に蹴り出し、黒づくめに肉薄すると剣で攻撃すると見せかけて、左足で蹴りを繰り出した。

「ぐぅッ!」

 只の蹴りとはいえ、【限界突破】で、限界以上に引き上げられた俺の身体から繰り出された蹴りだ。
 その破壊力は凄まじく、黒づくめを腹部を正確に捉え、その身体を壁際まで吹き飛ばす。
 壁に身体をぶつけた黒づくめは、衝撃で地面に横たわる。
 少しはダメージが通っていればいいんだが……。

「――フフッ。アハハハハ! どういう理屈かは分からないけど、奥の手を隠していたとはねぇ。
 本当に君は興味深いねぇ」

 何事も無かったかのようにスッと立ち上がる黒づくめ。
 声色からは判断しにくいが、ダメージを与えることは出来ていないようだ。

「ウン。君のその力に敬意を表して、ボクも少し本気を出そうかねぇ。
 ……本気を出すなんて数百年ぶりのことだよ、君は運がいいねぇ」
「本気、だと? それに数百年ぶり?
 ……お前の正体はもしかして!」
「あ、分かっちゃうかねぇ?
 つまりは、こういうことだねぇ」

 黒づくめは、全身を覆っていたローブに手を掛けて剥ぎ取り、隠していた姿をあらわにする。
 その姿とは――。

「フゥ。やっぱりこの格好が一番だねぇ。
 隠すっていうのは性に合わないんだよねぇ」

 黒づくめの正体は、女魔族だった。
 ウエーブがかった紫水晶アメジストの長い髪に、頭からは山羊のような角が生えている。
 眠たそうな瞳の色は髪と同じく紫水晶アメジストで輝いており、耳は尖っていた。
 だが、女魔族の姿で一番目を惹くのは、胸と服装だ。
 その双丘は今まで見てきた誰よりも大きく、もはや魔乳といって差し支えない。
 そんな魔乳に対して、目の前の女魔族の服装は胸と下腹部のみを黒く薄い生地で覆っているだけで、細くくびれた腰に濃艶な褐色の肢体は、全て剥き出しになっていた。
 魔族といえど、正直言って目のやり場に困る。
 遠目から見ているエルザ達も目を見開き、呆然としていた。

「ん? 何をそんなに――って、あぁボクの格好に見蕩れてるのかい?」
「そんなわけがあるかっ! ……あまりの格好に驚いただけだ」
「? この格好がそんなにおかしいかねぇ? ボクは気に入ってるんだけどねぇ。
 ――まぁいいや、そろそろおしゃべりはこれくらいにしようじゃないか」

 ――その一言で空気が変わった。
 眠そうにしていた目が一転、獲物を捉えたかのような威嚇めいたものへと変化する。
 それは凶眼。
 心臓を握りつぶす物理的圧力さえ兼ね備えたような鋭い眼光が俺を射抜く。
 ゴクリと俺の喉が大きく動き、溜まっていた唾を飲み込む。
 目が動き、剣を構えたまま、意識が女魔族に釘付けになる。

「さて。それじゃあ、遊びを再開しようかねぇ」
「ッッ!?」

 次の瞬間、両者は一気に飛び出した。
 俺は剣を、女魔族はどこからともなく取り出した大鎌を手に持ち振り上げ、衝突させる。
 衝撃をものともせず、女魔族は紅い唇を吊り上げた。
 交差する互いの武器の奥で笑みを浮かべる女魔族に、俺は軽く舌打ちする。
 快音を響かせながら得物を弾き合い、次第に激しさを増しながら斬り結ぶ。

「アハハハハッ! 良いねぇ! キミは【本物アタリ】のようだねぇッ!」

 額に汗を滲ませながら相対する俺に対して、女魔族は大笑した。
 部屋中に響く激突音と火花を散らせ、縦横無尽に刃を走らせながら、腹の底から歓喜している。

「こんなに楽しいのは四百年ぶりだねぇ!」
「うおおぉッッ!!」

 歓喜の声を上げながら大鎌を振り下ろす。
 地面の岩盤を容易く粉砕するその膂力に任せた一撃に、俺もまた雄叫びを上げて剣を振り返した。
 一進一退の攻防が続いていたのだが、徐々に女魔族の攻撃が俺の身体に届き始める。

「グゥッ!?」
「オヤ? せっかく楽しくなってきたのに、もう終わりなのかねぇ?」

 【限界突破】の効果が後少しで切れる。
 せめて、あと一撃。
 そう思って最後の力を振り絞ろうと眼前を見据えた時。
 魔力が膨れ上がっていくのを感じた。
 女魔族の大鎌の先には、さっきとは比べ物にならないほどの大きさの大火球。
 回避しようと試みるが――後ろを思いだしハッと踏みとどまる。
 アレを避ければ確実にエルザ達が巻き添えを食らってしまうだろう。
 ――斬るしかない!
 俺は腰を据えて剣を構える。

「ウンウン。良い瞳だねぇ。四百年前にも見た事があるよ。
 ボクはそういう瞳を見るとさ――滾ってきちゃうんだよねぇ」

 ゾッとするような蠱惑的な視線に、俺の肌が泡立ち、顔の色をなくしてしまう。

「フフフ。守ってみせておくれよ」

 そして前方、女魔族が大鎌を地に振り下ろす。

「『焦熱炎獄ヘル・ファイア』」

 大鎌の先から放たれた、直径二メートルはあろうかという大火球。
 全てを焼き尽くす地獄の炎のような塊が、地面を抉りながら俺に向かって一直線に近づいてくる。
 巨大な大火球に対して、俺はミスリルの剣を強く握り締め魔力を込めた。
 そして――俺は四肢に力を込めて、ミスリルの剣を振り抜下ろす。
 
「ぐっっ! うおおおおおおおおおおおおッッ!?」

 部屋中が真っ赤な閃光に包まれる。
 轟音とともに大火球は爆砕した。

「いやはや、アレを本当に消し飛ばすとは。
 規格外にも程があるねぇ」

 己の魔法を見事に粉砕した俺に、女魔族は嬉しそうな笑みを浮かべる。
 弾け飛んだ大火球の爆風は凄まじく、俺はその衝撃に耐えるので精一杯だ。
 そして何よりも――。

「ぐぅッッ!?」

 【限界突破】の効果が切れてしまった。
 俺は倒れそうになる身体を、地面に突き立てた剣で支えようとするが耐えきれず、片膝をついてしまう。
 
「フム。どうやらその能力には何かしらの制限があるようだねぇ。
 まあ、それだけ強力な能力だ。
 当然といえば当然なのかねぇ」

 興味深そうに俺の状態を観察する女魔族。
 もう一度攻撃を仕掛けられたら、次は防ぎようがない。
 諦めかけていたその時。

「……ウン。楽しかったし、今日はこれくらいにしておくとするかねぇ」
「っな、何だ……と?」
「ン? 最初に言わなかったかねぇ?
 少し遊んであげようって」
「なっ!?」
「君が良い研究対象になると分かったし、このまま続けると君が壊れちゃうだろうからねぇ。
 それはもったいないし、今日のところはこれで帰るとするよ。
 ――そうそう、ボクの名前はマモン。覚えていてくれると嬉しいねぇ」

 そう言うとマモンと名乗った女魔族は、転移を使い、本当に俺達の前から姿を消した――。
しおりを挟む

処理中です...