花束のアスター

たーりー

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月桂樹の花を抜く

もどかしくて

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「リリーが来てるなら早く行かなきゃ! あぁ、でもちゃんと化粧しないと……!」

 あざみはスマホの通知を見た瞬間、再度しっかり洗顔するために洗面所へ移動する。いつも使っている何処でも買えるような洗顔料ではなく、スクラブ入りのお高目な洗顔料で顔全体の角質を落としていく。特に鼻は少しでも黒ずみを落とそうと念入りに。擦ってはダメだと理解はしているものの、今回だけだから、と誰に宛てるでもない言い訳を考えながら。
 次に化粧水と乳液もドラッグストアで買った大きなボトルの物ではなく、化粧品店で買った有名スポーツ選手が使う少量しか入っていないもの。買ったは良いが勿体なくて使用していなかったそれを、少々惜しみながらも肌にしみこませていく。
 せっかくだからと、ファンデーションもパウダーではなくリキッドとフェイスパウダーを使い、おでこのニキビ跡もコンシーラーで上書き。アイメイクは少々悩んだものの、普段と同じ程度に留めておく。リップはいつものカラーリップではなく、無色のリップクリームとリップグロスを使用する。
 いつもより気合が入ったメイクを、テキパキといつもより素早く終えた時点で既に19:30。あざみは最後に手鏡で顔全体を入念にチェックすると、コートを着て鞄を掴み家を出た。

『ごめーん、牛乳買ってきてー。今から出勤にするから(はぁと)』
「あぁぁ、もう!!」

 家の鍵を閉めた後、何気なくスマホを見るとたんぽぽからこのようなメッセージ。
 スマホなんて見るんじゃなかった、気づかないふりしてお店に行きたい! 一瞬そのような事を考えるも、仕方なくたんぽぽへスタンプ一つ返して歩き出す。普段なら少し遠回りしてスーパーに寄って行くところだが、今日は最寄りのコンビニで済ますことにする。スーパーへ寄って行くと10分以上は時間をロスするためだ。

「いらっしゃいませー」

 コンビニに入ると客も疎らでレジ待ちも並んでおらず、店員もレジにいるため直ぐに買えることを確認する。これがレジ待ちで並んでいたり、店員の姿が見当たらなかったりするなら直ぐに踵を返す心積もりだった。コンビニ自体はお店までの道すがらにあと2件ほどあるため、ここに拘る必要もない。ただしその2件のうち1件は、喫茶店や本屋など様々なお店が入った雑居ビルの横にある、あざみが普段バイトしているコンビニだ。そのため出来れば使いたくない。
 雑誌コーナーの前を通ったとき、ふと大きな見出しが目に入った。

『愛され女子になるための7つの習慣』
「……。」

 一瞬、足を止めて見てしまう。
 自分には関係ない、この先一人で生きると決めたところじゃないか。
 あざみは頭を軽く振り気を取り直すと、いつもより100円高い牛乳を2本と、無香タイプのボディシートを購入しコンビニを後にした。

「化粧くずれてないかな……」

 お店の入ったビルの前に到着したあざみは、手鏡で化粧をチェックするも、どうやら大丈夫なようで胸を撫でおろす。今が冬で良かった、心底そう思うあざみ。夏だったら汗や皮脂で間違いなく化粧が崩れているところだ。
 時刻は既にほぼ20時、ビルの階段を上りお店の前に到着したあざみは、入口のベルが鳴らないようにゆっくりと扉を開け、静かに中に滑り込む。そしてお店の中を見渡すと、一番奥のカウンターでかずみさんと話すリリーの姿を見つけ、思わず口角が上がってしまうことを自覚する。
 何となく、特に理由は無いがリリーに気づかれないよう静かにカウンターの奥へと向かい、牛乳をしまう。

「ありがとー。」
「大丈夫です。あの、接客に入っても?」
「おっけー。かずみと話して決めてね。」

 奥に居たたんぽぽとそう会話を交わした後、荷物をしまい、コートを脱いで全身を確認する。特に崩れた様子は無いが改めて髪を縛りなおし、服を緩めてボディシートで首回りや腕、胸、脇の下と順番に拭いていく。その後改めて服装を整え、少しだけ香水を空中に吹いた後、その中を潜る。その後、消臭スプレーを同じ場所に吹いたら、消臭剤がかからないように少し避難して気持ちを落ち着かせる。
 何でこんなに、念入りに準備してるんだろう。普段のあざみならここまで入念に準備しない。ボディーシートで体を拭くなんて夏しかしないし、香水の付けなおしもしない。おかげで香水の香りが落ち着くまで少し時間を取る必要が出来てしまった。そもそも化粧だって、いつもはドラッグストアの化粧品を使った簡単メイクだ。男性相手にファンデーションを変えたところで気づく訳もないし、下地の違いなんか今日だけ変えたところで何の意味もない。
 何でこんなに、落ち着かないんだろう。お客様の接客なんて今更焦る必要もない。これじゃ、まるでこの仕事を始めて間もない頃のようだ。何にドキドキする必要が有るんだろう? ただ、リピートのお客様が来た、それだけ。ドキドキする理由なんて、何もない。
 何でこんなに、今すぐにでも接客に出ていきたいんだろう。先ほどチラッと見た様子だと、今日は接客も裏も回っている。キャストが付いていないお客様も居ないし、食材だってまだ手のついていない牛乳があった。今日の分は十分足りる。調理だって基本はたんぽぽが熟すし、もう一人得意なキャストも出勤している。……リリーにだって、かずみさんが付いている。
 ……それでも。何でこんなに、胸がチクリと痛むんだろう。
 今すぐリリーの所へ行きたいのに、行きたくない……。

「はぁ……。バカみたい。」

 あざみは軽く頭を振ると、接客するために、かずみの元へと向かうことにした。ドキドキする理由も、焦る理由も何もない。平常心で、いつも通り接客すればいい、そう決意して。


「リリー! 本当に来てくれたんだ!」

 それでも。それでも、リリーの姿を見た途端、リリーと話せると思った瞬間、先ほどの決意は露と消え、かずみの存在すら忘れ、思わず声を弾ませるあざみであった。



「こんばんは、あざみです。よろしくお願いします。」

 あざみは、リリーと話せると思ったのも束の間、かずみによって他のお客様の接客につかされた。夫婦だろうか、中年の男性と女性の2人組。先についていたキャストの口ぶりからするとこのお店は初めてと言う訳ではなさそうだが、あざみには覚えがない人達だ。
 リリーと話せないのは残念だが、少しほっとしている自分もいる。先程のリリーと会った瞬間の勢いのまま接客しては、またドリンクもフードも勧めず話してばかりになりそうだったから。それもあって、お客様の話題が今飲んでいるウイスキーの話だったので乗ってみる。

「アイリッシュよりもカナディアンの方が飲みやすいって言いますよねー」

 たんぽぽ含め、バーで飲むお酒といえばウイスキーというイメージを持っている人が一定数居るため、たんぽぽの趣味もあってこのお店は比較的ウイスキーを豊富に用意している。メニューには載せていないが、言われれば日本のお高めのウイスキーも出てくる。このように色々な種類のウイスキーの話題を出せば、次の話題にも持って行きやすい。ちゃんとお客様のことを考えながら、無理のない範囲でお酒を頼んでもらう接客を心がける。
 ただ、自分が他のお客様の接客をしているのをリリーに見られることにも居心地の悪さを感じるあざみ。極力気にしないように意識しながら、しかしついつい意識の半分はリリーとかずみの会話を聞き取ろうとしてしまう。
 私が他の人の接客しているのを見られるのも嫌だし、リリーがかずみとの会話に夢中であざみのことを気にしないのも嫌だ、そしてそんな事をいちいち気にして、目の前のお客様に集中出来ない自分も嫌だ。
 リリーと話せると思った時はあんなに嬉しくて、もどかしくて、早くお店にと思ったのに、今はお店にいる1秒1秒が酷く長いと感じてしまう。

「アイリッシュとカナディアン、両方のウイスキーあるので、飲み比べしてみますか? 私も気になります。」

 あざみは想定通りにお酒を勧め、了承を貰ったのでボトルを取りに一旦カウンターの中へと戻る。水割りならそこまで高いものではないし、先行してお代わりをしたと思ってもらえば良いだろう。自分や他のキャストも飲み比べをさせてもらうけど。
 ボトルが並んだ棚の前に立つとため息一つ。水と氷は出ているので、ウイスキーとコップを運ぶためのお盆を取り出して、果たしてどれがカナディアンウイスキーかを聴くためにたんぽぽと目を合わせる。

「大丈夫?」
「……何が? 全然、いつもと同じだよ。」
「本当かなー?」

 そんな強がりを返しながら、ウイスキーを教えてもらいお客様の元へと戻る。少しとはいえ身体を動かした事で気分を切り替えることが出来そうだ。
 あざみは気を改めて、新しい水割りを作るためにコップを手に取る。味を比べるためだから、さっきと同じくらいの濃さにしないといけないかな、そんな事を考えながらアイスペールの中を掻き回す。本当なら1オンス計るのだろうが、残念ながら最初の水割りの時点で正確には計量していないので、今回も目分量で。
 アイスペールの底の方に先ほどと同じくらいのサイズの氷を見つけ、それをアイストングで掴んでコップに移そうとしたところで、

「リリーちゃん、かわいいー!」

 かずみの大声が聞こえ、思わずそちらを振り向いた。
 すると、かずみの胸に顔をうずめ、抱きしめられたリリーの姿が目に入り、

「え、ちょ、かずみさん!?」

 体ごとそちらへ向き直った拍子に、トングがアイスペールの持ち手に引っかかり、中に入った氷ごと床にぶちまけられた。

「わー、すみません! ごめんなさい!」
「あざみちゃん大丈夫ー!?」
「氷踏まないで、滑るよー!」
「バケツー!」

 すぐにたんぽぽがバケツを持ってやってきて、他のキャストやお客様にも手伝ってもらい床に落ちた氷は回収された。まだ取り出したばかりの氷なので回収するだけで済んだが、もしこれがもう少し時間が経過した後だったら、床が水濡れになり拭き掃除も発生したところである。たんぽぽが確認したところ、多少濡れたところも雑巾で拭いたし、上を歩いても問題なく、接客も再開となった。しかし、あざみはとても再度今のお客様の前で接客という気持ちになれず、奥で少し休ませてもらうことにした。

「穴が有ったら入りたい……いや、ある意味入ったんだけど……。」

 あざみは奥の部屋で椅子の上に膝抱きの姿勢で顔をうずめる。昨日、今日とどうにも調子が出ない。お店にも迷惑をかけてばかりだし、他のキャストにも申し訳ない。

「あざみちゃん、大丈夫ー?」
「あ……、ごめんなさい。お客様怒ってなかったですか?」

 コントみたいって笑ってたよー、そう言いながら部屋の窓を開けるたんぽぽ。目の前には別の雑居ビル、眼下には小汚い路地裏が有るだけのなんの面白みもない風景だ。しかし、それでも冬の空気が部屋の中へと入ってきて、あざみの曇った思考は少しだけ晴れてくる。
 たんぽぽは電子タバコを取り出して一口吸うと、外へ向けて極力ゆっくりと吐き出した。細い煙はたんぽぽの口から出てすぐに見えなり、その匂いだけがかすかに部屋の中に流れてくる。

「かずみのことは思いっきり殴っておいたよー、あたまにたん瘤出来るくらい!」

 おかげで拳が痛いわ、すりこぎ使えばよかった。そう笑うたんぽぽ。あざみは苦笑するしかない。

「何か、私、昨日から変ですよね。思い通りいかないというか、空回りしちゃうって言うか。」

 昨日も裏だし、今日も遅刻したし、さっきも氷ぶちまけたし、迷惑かけてばっかりですね。そう続ける。
 たんぽぽは窓の外を向いているためその表情をうかがい知ることは出来ないが、肩を揺らして、笑っているような仕草をしている。

「ほんとだよー、もっとちゃんとお店のために稼いでくれなきゃ困るよー?」
「すみま――」
「そのために! もう一度ちゃんと話して、気持ちの整理してみたら?」

 あえて、誰がとも、何をとも言わない。それでも、その気遣いが、あざみには堪らなく嬉しかった。
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