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空を泳ぐ
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****
先輩、聞こえますか?
俺です。聞こえますか?
聞こえてたら、返事して。
聞こえますか?
聞こえますか?
聞こえないか。
**
「あれ佐々木先輩、こんな所で何やってんすか。」
聞き覚えのある声に、佐々木は驚いて顔を上げた。彼女の部活の後輩である宮本が、こちらを不思議そうに見ている。何故彼がこんな所に、とまで考えてから彼女は首を傾げた。
ここは、どこだ。
座った覚えのない白いベンチから立ち上がって周りを見れば、どこかの駅のホームのようだった。
「ええと、宮本君。ここがどこか知ってる?」
「どこって俺の最寄り駅っすよ、ほら……あれ?」
宮本はきょろきょろと辺りを見回して、困ったように頭をかいた。彼も、ここがどこか分からないようだった。
「どうしよ、さっき何してたかも覚えてない。夢っすかね?」
提示されたその案に、あぁなるほど、と佐々木は頷いた。夢。それならまぁ、確かに。
「でもじゃあ、これは私の夢なの?それとも君の夢?」
「どっちもじゃないすか。同じ夢見てるんすよ。」
「そんなことってある?」
「あります、あります。俺、そういうこと多いんで。話しませんでしたっけ。」
「あぁうん、聞いた。」
そういえば彼は以前、よく変な体験をする、なんて言っていた。あの時は冗談だと思っていたのだけれど。でもそうか。夢だと思えばいろいろと納得がいく。周りを見れば様々な年齢の、様々な服装の人達がいる。明らかに部屋着の人がいたり、とか、小さい子が一人だったり、とか。
ピンポンパンポーン。
気の抜けたチャイムの音がして、佐々木と宮本は同時に上を見上げた。なにやら放送が始まったが、ノイズがうるさくて何も聞き取れない。まるで、何人もの人が同時に話しているみたいだ。気味が悪くて、佐々木は隣の彼の腕を掴んだ。
「なんすかね、あれ。」
「分かんない……すごくたくさんの、人の声みたいな。」
「うーん、多すぎて聞き取れないなぁ。」
聖徳太子じゃないですもんね、と呑気に笑う彼を軽く叩く。なんでそんなに余裕なんだ、お前。文句のひとつでも言ってやろうかと思った瞬間、ホームにごうと風が吹いた。電車が来るらしい。
「こんなところにいても埒が明かないじゃないですか。適当になんか、乗ってみましょうよ。」
宮本はぐいと彼女の手を掴んで、ホームに並ぶ人の列に加わった。青い電車がホームに滑り込んでくる。
「ほら、行きますよ。」
腕が引かれるが、佐々木は何だか……酷くその電車が恐ろしいものに思えて、その腕を払った。
「下手に動かない方がいいんじゃ、」
ないの。彼女の言葉は途中で切れて、人の波に押されるままに宮本は車内へ押し込まれた。なんとかホームから離れまいと自分が踏ん張るのが精一杯で、佐々木は慌てて人の波の外に出る。彼は、出てこない。名を呼ぼうと息を吸った瞬間、電車のドアはゆっくりと閉まった。
***
はっと目を覚ますと、白い天井が目に入った。宮本は体を起こそうと身動ぎして、腕に点滴が刺さっていることに気がつく。
(病院……?)
カーテンに仕切られたスペースからは外の様子は伺えない。スペースの中で、ベッド、棚、小さなテレビ、備え付けのクローゼットと目線を動かして、宮本はやっぱり病院かな、と結論づけた。じゃあさっきのは夢か、と思った瞬間、記憶がフラッシュバックする。
部活の合宿、移動バス、衝撃、赤、暗転。
思い出すにはあまりに凄惨な景色がよぎって、思わず宮本は口元を抑えた。
「あ、宮本さん!目が覚めましたか!」
低い声にノロノロと顔を上げれば、二十歳中頃に見える青年がカーテンを開けていた。
「あの、他の、子は。」
彼の聞きたかったことは上手く言葉にならなかったけれど、看護師には十分伝わったらしい。さっと彼の顔が曇る。ほとんどみんな元気ですよ、と彼はその顔のまま告げた。
「君みたいに脳震盪を起こしたり、怪我の手術のために麻酔をかけられて寝ている子はいるけどね。ただ、一人危ない状態の子がいて。」
告げられた名前に、宮本は思わず頭を掻き毟った。
(佐々木先輩のこと、俺が置いてきちゃったからだ。手を放さずに、一緒に青い電車に乗れれば。)
窓から差した光の中で、小さな魚の影が彼のシーツの上を泳いだ。
*
「あれ、腕の痣どうしたの?」
「げ、まだ残ってる。」
部活中に袖から覗いた宮本の手に、手形みたいな痕を見つけて佐々木は眉を寄せる。これねぇ、と彼は困ったように笑った。
「先輩、俺ね、霊感体質ってやつなんすよ。これも実際に掴まれたんじゃなくて、夢の話なんすよね。」
「え?夢の中で掴まれたのに、実際に痕がつくの?」
「そー。変な話でしょ。」
へらへら笑う後輩に、てっきり何か言いにくい理由があるのかと思って彼女は口を噤んだ。丸ごと信じるには些か突飛な話であった。
「いつ連れてかれるか分かったもんじゃないですよ。色んなのから頑張って逃げてきましたけど。佐々木先輩も気をつけてね、俺、他の人巻き込むこともあっから。巻き込まれちゃダメっすよ。」
「じゃあ君が連れていかれそうになったら、私が手を引いてあげようか。」
何気なく、冗談に冗談を返すつもりでそう答えた。彼の目がまんまるに見開かれた。けれどもそれは一瞬で、すぐに宮本はニッといつもの笑顔を浮かべる。
「いいっすね。任せました。」
たかだか後輩との戯れと、彼の手首の痕の心配はあれど、その会話自体は佐々木の記憶にたいして残らなかったのだが。
*****
駅構内にいた。
いつからここにいたかは分からない。
覚えていない。
はたと気がついた時には、構内のベンチに座っていた。
まぁるい、白い、背もたれのついたベンチ。
何をしていたかも思い出せぬので、兎角そのまま、ぼぅと座っていた。
周りを忙しなく人が行き交っていた。
いつから彼らがいたかは分からない。
覚えていない。
はたと気がついた時には、たくさんの人がホームを行き交っていた。
子ども、大人、年齢様々な人。
電車が来るわけではないから、兎角そのまま、増える人々を眺めていた。
電車が到着していた。
いつから止まっていたかは分からない。
覚えていない。
はたと気がついた時には、そこに玩具のような電車が止まっていた。
ホコリを被った、オレンジの、懐かしく思うような電車。
乗る用があるわけでもなく、兎角そのまま、乗り込む人々を見つめていた。
ピンポンパンポーン。
先輩、聞こえますか?
俺です。聞こえますか?
聞こえてたら、返事して。
このままでも良いような気がする。
ここに座って、ぼぅとしていたところで誰もこちらを見ないから。
どこに行きたい訳でなく、どこに帰りたい訳でもなし。
このままでも良いような気がする。
良いような。良いような。
聞こえますか?
聞こえますか?
聞こえないか。
何故ここにいたのだったか、と彼女は考える。さっきから砂嵐みたいな不快な音を立てる放送に少し耳を澄ませてみた。ダメだ、分からない。やけに心細い。さっきは一人じゃなかったはずなのに、と考えた瞬間、佐々木ははっとした。
(そうだ、宮本君は?)
彼は何処に。さっき一緒にいて、それから。宮本のことを思い出した瞬間、たくさんの人の声が混じった放送の中から彼の声が聞こえた気がした。
先輩、聞こえますか?
俺です。聞こえますか?
聞こえてたら、返事して。
「き、聞こえてる!聞こえるよ!」
聞こえますか?
聞こえますか?
聞こえないか。
「聞こえてるってば!」
立ち上がって叫ぶ。周りの視線が集まって、すぐ興味なさげに逸らされた。佐々木はもう一度、必死で叫んだ。
「聞こえてるよ!」
*****
退院した宮本は、許可を取って佐々木の病室に見舞いに来ていた。家族でも、特別親しいわけでもない。ただの先輩と後輩だ。それでも。
宮本は、佐々木が目を覚まさないのは、あの時自分が彼女の手を離したせいだと思っていた。それに、二度と佐々木に会えないなんて、嫌だった。気味の悪い話をした宮本を拒まなかったどころか、助けてあげるなんて言ってくれたのは、例え冗談だったとしても彼女だけだ。そんな人を見捨てる訳にはいかない。
彼はいつも奇妙なものに好かれていた。人と夢を共有することも珍しくない。だからもしかしたらと思って宮本は、佐々木の手を握ってずっと頭の中で念じ続けていた。
先輩、聞こえますか?
俺です。聞こえますか?
聞こえてたら、返事して。
聞こえますか?
聞こえますか?
何度も何度も、呼びかける。佐々木はピクリとも動かなくて、ああやっぱり聞こえないか、と諦めにも似た気持ちが湧いた時。
一瞬だけ、彼女の手が握り返してきた。
******
青ですよ先輩、青色の電車です、
僕はそれに乗って、帰ってこられました!
スピーカーから叫ばれる声はそこで途切れて、またザーザーと不快な音と、何人もの声が溢れる。佐々木は力が抜けたようにベンチに座り込んだ。
青色の電車。
彼女が乗りたくない、と思った電車だ。本当に、あれが正解なのだろうか。さっき見たオレンジ色の電車の方が、嫌悪感はなかった。むしろそちらには懐かしさを覚えたくらいだ。
ただはっきり言えるのは、宮本は青色の電車に乗って、どこかに辿り着いている、ということ。そしてもし佐々木がここでオレンジ色の電車に乗り込んだら、彼とはもう会えないだろう、ということ。
巻き込まれるな、と以前彼は言った。自分だけ、助かったほうがいいのだろうか。彼女は眉を寄せて、手を強く握った。オレンジ色の電車には、もう彼は乗れない。選べるのは自分だけ。手を引いてあげるといったのに、彼の手を払ってしまったのだ。手を引けなかったのならば、彼に手を引かれるべきだったのではないか。手を引かれるままに、青に。
青色の電車が、ホームに滑り込んでくる。
青ですよ先輩、と呼びかける声が繰り返し響く。佐々木は震える足を叱咤して、電車の方へ踏み出した。
*******
誰かが手を握っている。
「佐々木先輩!」
あぁ彼の声だ。目を開けて周りを見れば、至って普通の病院の景色。涙ぐむ彼をぼんやり見つめて、杞憂だったか、と息をついた。日常に帰って、きたのだろうか。窓際のベッドからは、目に痛いくらい青い空がよく見えた。ふ、と影が落ちて、彼も窓の方を向いた。
「先輩……見て、魚が飛んでる。」
大きな大きな魚が、空を悠々と泳いでいく。窓に影が落ちて、部屋が暗くなる。すぐにまた差した光を浴びながら、私は口を開いて、言葉を探して、また閉じた。そして後輩の方を見て、ただ一言、ごめん、と呟いた。
手を引けなくてごめん。青に乗る君を止められなくてごめん。巻き込まれてごめん。
ねぇ、先輩が一緒で良かったと笑う君は、何処まで気がついているの。
先輩、聞こえますか?
俺です。聞こえますか?
聞こえてたら、返事して。
聞こえますか?
聞こえますか?
聞こえないか。
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「あれ佐々木先輩、こんな所で何やってんすか。」
聞き覚えのある声に、佐々木は驚いて顔を上げた。彼女の部活の後輩である宮本が、こちらを不思議そうに見ている。何故彼がこんな所に、とまで考えてから彼女は首を傾げた。
ここは、どこだ。
座った覚えのない白いベンチから立ち上がって周りを見れば、どこかの駅のホームのようだった。
「ええと、宮本君。ここがどこか知ってる?」
「どこって俺の最寄り駅っすよ、ほら……あれ?」
宮本はきょろきょろと辺りを見回して、困ったように頭をかいた。彼も、ここがどこか分からないようだった。
「どうしよ、さっき何してたかも覚えてない。夢っすかね?」
提示されたその案に、あぁなるほど、と佐々木は頷いた。夢。それならまぁ、確かに。
「でもじゃあ、これは私の夢なの?それとも君の夢?」
「どっちもじゃないすか。同じ夢見てるんすよ。」
「そんなことってある?」
「あります、あります。俺、そういうこと多いんで。話しませんでしたっけ。」
「あぁうん、聞いた。」
そういえば彼は以前、よく変な体験をする、なんて言っていた。あの時は冗談だと思っていたのだけれど。でもそうか。夢だと思えばいろいろと納得がいく。周りを見れば様々な年齢の、様々な服装の人達がいる。明らかに部屋着の人がいたり、とか、小さい子が一人だったり、とか。
ピンポンパンポーン。
気の抜けたチャイムの音がして、佐々木と宮本は同時に上を見上げた。なにやら放送が始まったが、ノイズがうるさくて何も聞き取れない。まるで、何人もの人が同時に話しているみたいだ。気味が悪くて、佐々木は隣の彼の腕を掴んだ。
「なんすかね、あれ。」
「分かんない……すごくたくさんの、人の声みたいな。」
「うーん、多すぎて聞き取れないなぁ。」
聖徳太子じゃないですもんね、と呑気に笑う彼を軽く叩く。なんでそんなに余裕なんだ、お前。文句のひとつでも言ってやろうかと思った瞬間、ホームにごうと風が吹いた。電車が来るらしい。
「こんなところにいても埒が明かないじゃないですか。適当になんか、乗ってみましょうよ。」
宮本はぐいと彼女の手を掴んで、ホームに並ぶ人の列に加わった。青い電車がホームに滑り込んでくる。
「ほら、行きますよ。」
腕が引かれるが、佐々木は何だか……酷くその電車が恐ろしいものに思えて、その腕を払った。
「下手に動かない方がいいんじゃ、」
ないの。彼女の言葉は途中で切れて、人の波に押されるままに宮本は車内へ押し込まれた。なんとかホームから離れまいと自分が踏ん張るのが精一杯で、佐々木は慌てて人の波の外に出る。彼は、出てこない。名を呼ぼうと息を吸った瞬間、電車のドアはゆっくりと閉まった。
***
はっと目を覚ますと、白い天井が目に入った。宮本は体を起こそうと身動ぎして、腕に点滴が刺さっていることに気がつく。
(病院……?)
カーテンに仕切られたスペースからは外の様子は伺えない。スペースの中で、ベッド、棚、小さなテレビ、備え付けのクローゼットと目線を動かして、宮本はやっぱり病院かな、と結論づけた。じゃあさっきのは夢か、と思った瞬間、記憶がフラッシュバックする。
部活の合宿、移動バス、衝撃、赤、暗転。
思い出すにはあまりに凄惨な景色がよぎって、思わず宮本は口元を抑えた。
「あ、宮本さん!目が覚めましたか!」
低い声にノロノロと顔を上げれば、二十歳中頃に見える青年がカーテンを開けていた。
「あの、他の、子は。」
彼の聞きたかったことは上手く言葉にならなかったけれど、看護師には十分伝わったらしい。さっと彼の顔が曇る。ほとんどみんな元気ですよ、と彼はその顔のまま告げた。
「君みたいに脳震盪を起こしたり、怪我の手術のために麻酔をかけられて寝ている子はいるけどね。ただ、一人危ない状態の子がいて。」
告げられた名前に、宮本は思わず頭を掻き毟った。
(佐々木先輩のこと、俺が置いてきちゃったからだ。手を放さずに、一緒に青い電車に乗れれば。)
窓から差した光の中で、小さな魚の影が彼のシーツの上を泳いだ。
*
「あれ、腕の痣どうしたの?」
「げ、まだ残ってる。」
部活中に袖から覗いた宮本の手に、手形みたいな痕を見つけて佐々木は眉を寄せる。これねぇ、と彼は困ったように笑った。
「先輩、俺ね、霊感体質ってやつなんすよ。これも実際に掴まれたんじゃなくて、夢の話なんすよね。」
「え?夢の中で掴まれたのに、実際に痕がつくの?」
「そー。変な話でしょ。」
へらへら笑う後輩に、てっきり何か言いにくい理由があるのかと思って彼女は口を噤んだ。丸ごと信じるには些か突飛な話であった。
「いつ連れてかれるか分かったもんじゃないですよ。色んなのから頑張って逃げてきましたけど。佐々木先輩も気をつけてね、俺、他の人巻き込むこともあっから。巻き込まれちゃダメっすよ。」
「じゃあ君が連れていかれそうになったら、私が手を引いてあげようか。」
何気なく、冗談に冗談を返すつもりでそう答えた。彼の目がまんまるに見開かれた。けれどもそれは一瞬で、すぐに宮本はニッといつもの笑顔を浮かべる。
「いいっすね。任せました。」
たかだか後輩との戯れと、彼の手首の痕の心配はあれど、その会話自体は佐々木の記憶にたいして残らなかったのだが。
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駅構内にいた。
いつからここにいたかは分からない。
覚えていない。
はたと気がついた時には、構内のベンチに座っていた。
まぁるい、白い、背もたれのついたベンチ。
何をしていたかも思い出せぬので、兎角そのまま、ぼぅと座っていた。
周りを忙しなく人が行き交っていた。
いつから彼らがいたかは分からない。
覚えていない。
はたと気がついた時には、たくさんの人がホームを行き交っていた。
子ども、大人、年齢様々な人。
電車が来るわけではないから、兎角そのまま、増える人々を眺めていた。
電車が到着していた。
いつから止まっていたかは分からない。
覚えていない。
はたと気がついた時には、そこに玩具のような電車が止まっていた。
ホコリを被った、オレンジの、懐かしく思うような電車。
乗る用があるわけでもなく、兎角そのまま、乗り込む人々を見つめていた。
ピンポンパンポーン。
先輩、聞こえますか?
俺です。聞こえますか?
聞こえてたら、返事して。
このままでも良いような気がする。
ここに座って、ぼぅとしていたところで誰もこちらを見ないから。
どこに行きたい訳でなく、どこに帰りたい訳でもなし。
このままでも良いような気がする。
良いような。良いような。
聞こえますか?
聞こえますか?
聞こえないか。
何故ここにいたのだったか、と彼女は考える。さっきから砂嵐みたいな不快な音を立てる放送に少し耳を澄ませてみた。ダメだ、分からない。やけに心細い。さっきは一人じゃなかったはずなのに、と考えた瞬間、佐々木ははっとした。
(そうだ、宮本君は?)
彼は何処に。さっき一緒にいて、それから。宮本のことを思い出した瞬間、たくさんの人の声が混じった放送の中から彼の声が聞こえた気がした。
先輩、聞こえますか?
俺です。聞こえますか?
聞こえてたら、返事して。
「き、聞こえてる!聞こえるよ!」
聞こえますか?
聞こえますか?
聞こえないか。
「聞こえてるってば!」
立ち上がって叫ぶ。周りの視線が集まって、すぐ興味なさげに逸らされた。佐々木はもう一度、必死で叫んだ。
「聞こえてるよ!」
*****
退院した宮本は、許可を取って佐々木の病室に見舞いに来ていた。家族でも、特別親しいわけでもない。ただの先輩と後輩だ。それでも。
宮本は、佐々木が目を覚まさないのは、あの時自分が彼女の手を離したせいだと思っていた。それに、二度と佐々木に会えないなんて、嫌だった。気味の悪い話をした宮本を拒まなかったどころか、助けてあげるなんて言ってくれたのは、例え冗談だったとしても彼女だけだ。そんな人を見捨てる訳にはいかない。
彼はいつも奇妙なものに好かれていた。人と夢を共有することも珍しくない。だからもしかしたらと思って宮本は、佐々木の手を握ってずっと頭の中で念じ続けていた。
先輩、聞こえますか?
俺です。聞こえますか?
聞こえてたら、返事して。
聞こえますか?
聞こえますか?
何度も何度も、呼びかける。佐々木はピクリとも動かなくて、ああやっぱり聞こえないか、と諦めにも似た気持ちが湧いた時。
一瞬だけ、彼女の手が握り返してきた。
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青ですよ先輩、青色の電車です、
僕はそれに乗って、帰ってこられました!
スピーカーから叫ばれる声はそこで途切れて、またザーザーと不快な音と、何人もの声が溢れる。佐々木は力が抜けたようにベンチに座り込んだ。
青色の電車。
彼女が乗りたくない、と思った電車だ。本当に、あれが正解なのだろうか。さっき見たオレンジ色の電車の方が、嫌悪感はなかった。むしろそちらには懐かしさを覚えたくらいだ。
ただはっきり言えるのは、宮本は青色の電車に乗って、どこかに辿り着いている、ということ。そしてもし佐々木がここでオレンジ色の電車に乗り込んだら、彼とはもう会えないだろう、ということ。
巻き込まれるな、と以前彼は言った。自分だけ、助かったほうがいいのだろうか。彼女は眉を寄せて、手を強く握った。オレンジ色の電車には、もう彼は乗れない。選べるのは自分だけ。手を引いてあげるといったのに、彼の手を払ってしまったのだ。手を引けなかったのならば、彼に手を引かれるべきだったのではないか。手を引かれるままに、青に。
青色の電車が、ホームに滑り込んでくる。
青ですよ先輩、と呼びかける声が繰り返し響く。佐々木は震える足を叱咤して、電車の方へ踏み出した。
*******
誰かが手を握っている。
「佐々木先輩!」
あぁ彼の声だ。目を開けて周りを見れば、至って普通の病院の景色。涙ぐむ彼をぼんやり見つめて、杞憂だったか、と息をついた。日常に帰って、きたのだろうか。窓際のベッドからは、目に痛いくらい青い空がよく見えた。ふ、と影が落ちて、彼も窓の方を向いた。
「先輩……見て、魚が飛んでる。」
大きな大きな魚が、空を悠々と泳いでいく。窓に影が落ちて、部屋が暗くなる。すぐにまた差した光を浴びながら、私は口を開いて、言葉を探して、また閉じた。そして後輩の方を見て、ただ一言、ごめん、と呟いた。
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ねぇ、先輩が一緒で良かったと笑う君は、何処まで気がついているの。
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