戯曲「サンドリヨン」

黒い白クマ

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第二幕

第九場面:サンドリヨンの屋敷、エントランス

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「サンドリヨン、私たちそろそろ出るわね!」

 見覚えのある景色が目に入ってきた。屋敷のエントランスに、夫人と姉が立っている。二人とも、常よりも豪華な服を身にまとっていた。

「水まぁだ?喉乾いちゃったんだけど!」

 廊下に向かって姉が声をあげる。姿は見えないが、少し遠くからサンドリヨンの声が返事をした。

「今お持ちしますわ!少々お待ち下さいね。」

 グラスの乗ったトレーを持って、サンドリヨンが駆けてくる。

「どうぞ、お姉様。」
「あら、ありがと。」

 微笑んで、姉がコップを持ち上げる。碌にそれを見もせずに、彼女はケラケラと笑い出した。

「嫌だ!ゴミが入っているわ!」
「えっ、お姉様何を仰って……」

 どう見ても綺麗な水だ。しかし、そんなことは姉にとって関係がないのだろう。サンドリヨンに言い掛かりがつけられるのならば、きっかけはなんだっていいはずだ。そう、今までと同じように。

「見えないって言うの?馬鹿にしないで。こんなの要らないわよ!」

 姉が思い切りサンドリヨンを突き飛ばした。グラスが転がり、床に倒れたサンドリヨンの顔と服に水がかかる。敷物のお陰か、幸いグラスは割れなかった。

「まぁ、乱暴はよしなさい。」

 夫人が笑いを含んだ声で窘めた。それを姉は鋭く睨む。

「……別に乱暴なんてしてないわよ。あーあ、水が零れちゃった。」

 服にかかったらどうするの、と姉は冷たく言い放つ。その姿は、今までよりも余程「様」になっていた。

「もう時間よ、行きましょう。」
「零れた水の掃除よろしくね、サンドリヨン。」

 サンドリヨンは返事をせず、黙って頷いた。髪から水が落ちる。

「日付を超えても舞踏会は続くらしいから、遅くなるわ。夕食はいらないからね。」
「はい、お気をつけていってらっしゃいませ……」

 こたえたサンドリヨンを置いて、二人は屋敷を出ていく。閉じたドアをしばらく睨んでから、サンドリヨンはため息をついて立ち上がった。服の裾で乱暴に髪と顔を拭って、落ちたグラスを爪先で軽く蹴る。

「最悪。さっさと着替えて、馬車を拾わなきゃいけないって言うのに。いつだって面倒事ばかり増やすのよ、あの人たちは。」

 鋭い目線は、先ほど水をかけられた時と同じ娘と思えないほど剣呑だ。

「あんな顔するのなら、しなきゃいいのに……」

 誰が聞いている訳では無いからか、サンドリヨンは吐き捨てるように呟いた。誰が聞いている訳では無い、はずだった。

「着替える必要も、馬車を探す必要も無いわ。」

 返事はないはずのサンドリヨンの言葉に、誰かの声が返事を寄越した。サンドリヨンが息を呑む。

「舞踏会になら、私が連れていってあげる。」

 サンドリヨンははじかれたように声がした方を振り返った。足音一つしなかったと言うのに、サンドリヨンのそばにはいつの間にか人影があった。ついさっきまで確かに誰もいなかったはずの場所。微笑んでいる人の形をした何かは、ジョン――いや幼い頃の王子、に魔法使いと名乗ったそれだった。

「えっ……あ、貴方誰?いったいどこから入ったの!」
「名乗る名前はないわ。そうねぇ、魔法使いとでも呼んで頂戴。」

 王子が少年であった頃と、その姿は全く変わらない。と言うより、変わらずその姿はしかと捉えにくい。音もなく近づいて、魔法使いはサンドリヨンにずいと詰め寄った。

「貴方ドレスが欲しいんでしょう、違う?」
「あ、えっと……」
「私知っているわよ。さっきの話、聞いていたんだもの。昔なら、ぱぱっとなんでも出してあげたんだけど、今はさすがにそんな芸当も出来ないし。ちょっと待って頂戴。服は貴方の着ているものでいいとして、他にはそうね、馬車と使用人が、ええと何人くらい必要かしら。何か馬車と人間のもとに出来るようなものを探さないとね……」

 ペラペラと捲し立てるその喋り口は、王子と話していた時とは随分と様子が違う。何かに追い詰められているのかと思うほど落ち着かず、焦っているような口調だった。それに、妙に馴れ馴れしい。

 貼り付けた笑顔で話す魔法使いに、サンドリヨンは明らかに動揺していた。そもそも知らぬ者がどこからともなく家に現れたのだから、困惑するのは当たり前なのだが。魔法使いが言葉を切って考え込み始めたので、サンドリヨンはおずおずと口を開いた。

「あ、あの、」
「ああ、ごめんなさい。私ったら、一人でペラペラと。話が先走っちゃったわね。」

 ようやく相手の戸惑いに気がついたのか、魔法使いは口を抑えた。一息ついてから、一言一句区切るように続きを口にする。

「ねぇ、私が貴方のお願いを叶えてあげたら、貴方は私のお願いを叶えてくれない?」

 提案が予想外だったのだろう、サンドリヨンは眉を寄せた。明らかに人でない振る舞いをしておいて、ただの人である自分に何を求めるのか、といったところか。サンドリヨンは眉を寄せたまま、首を横に振る。

「私には、そんな……何かを叶えてあげられるような力は何もないですよ?貴方の願いは、魔法使いである貴方にも叶えられないようなことなんでしょう?私に出来るとは思えないけれど。」
「大丈夫、簡単よ。私の願いは綺麗なお嬢さん、貴方にしか叶えられないことだから。」
「え?」
「王子に顔が知られていなければそれだけでいいの。」

 両の手を取られて、サンドリヨンは呆気に取られたように魔法使いを見つめた。

「話だけでも、聞いてくれない?」

 サンドリヨンは魔法使いのその勢いに気圧されるように数度首を縦に振る。魔法使いはほっとしたように笑って手を離した。

「よく聞いて頂戴。私は昔、今の王子に騙されて自分の魔法の杖を盗まれたの。その杖の魔法によって、あいつは名無しの農民の孤児から王子になったのよ。」

 演説でもしているのかというほど大きく腕を振って、魔法使いは朗々と王子の愚行を告発する。

「この国に王子なんて本当はいないのよ!皆、盗人のあいつに騙されているの。」

 狂気の滲んだ魔法使いの目に、サンドリヨンは唇を舐めた。迷うように彼女の目が泳ぐ。

「ねえお願いサンドリヨン。王子から杖を取り返して。」

 その呼びかけに、サンドリヨンは目を大きく見開いた。サンドリヨン。それは彼女の名ではない。きっと夫人や姉がそう呼ぶのを聞いたのだろう。

 一度目を伏せてから、彼女はゆっくりと、確認するように問う。

「私が王子から杖を取ると言えば……そうすれば、私を、舞踏会に連れていってくれるということですね。」
「えぇ!もちろん、約束するわ!」
「でも私、こんな姿じゃ舞踏会にはいけないわ。それにこんな靴じゃ、踊るどころか走るのも大変なんです。」

 悲しそうな声だが、サンドリヨンの目の奥は笑っていた。必死な様子の魔法使いは、サンドリヨンの様子を気にすることなく声を上げる。

「その襤褸を貴方のために素敵なドレスに、そのブカブカの靴を貴方にしか履けないような素敵な靴に変えてあげる。踊り慣れていない貴方でも、脱げて困ったりしないわ。」

 堪えきれない、といった様子でサンドリヨンが小さく笑い声を零した。もうその表情に困惑の色は残っていない。

「良いですよ。私で良ければ、杖を王子から奪うお手伝いをしますわ。」
「本当に?」

 子どものように魔法使いが顔を明るくする。ぴょんと跳ねて、魔法使いは弾む声で説明を続けた。

「じゃあ王子から杖を奪って、あいつが少しの間動けなくなりますようにって魔法をかけて。私が杖を奪われた時にかけられた、忘れもしない魔法よ。」
「その魔法を、いつまでに王子にかければいいのですか?」

 すっかり落ち着いた様子でサンドリヨンが尋ねた。魔法使いは楽しげな声でこたえる。

「そうね……日付が変わる、十二時までに。魔力は少なくなってしまったけど、その時間なら王子が城にかけた魔法を破って入ることが出来るはずなの。城に入って貴方に合流出来るはずよ。」
「分かりました。どうやって魔法を使うのか私にも教えて下されば、そのお願いを叶えますわ。」

 お手本のような笑み。いつも通りの、人あたりの良い笑顔。微笑むサンドリヨンに、魔法使いは頷いた。

「道中教えてあげる、さぁおいで!何も無いところから物を出せる様な力は、今はもうないの。早く材料を集めましょう!」

 二人が屋敷から庭に出ていく。バタンとドアが閉まり、重い鍵の音が響く。それと同時に、あたりは真っ暗になった。
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