戯曲「サンドリヨン」

黒い白クマ

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第二幕

第十場面:城、庭

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 城が見えてくると同時に、遠くに舞踏会の音楽が聞こえる。窓から見える城の広間には、多くの客がいるのが見えた。近づいた音は広間から遠ざかると共に徐々に小さくなり、城の庭に辿り着く頃にはすっかり音は聞こえなくなった。

 城の庭では、噴水のまわりを王子が一人行ったり来たりしている。不意に顔を上げて、彼は小さな声で嘆いた。

「あぁ……結婚なんて出来ない。いつ僕が、ただ幻で飾り上げただけの偽物だってばれるのか、今だって分からないのに。結婚してしまったら?父上や母上よりも近しい相手が出来るんだ、相手にこの杖のことがばれるかもしれない。」

 彼はぐるぐると落ち着かなげに歩き続ける。その手は常にソードベルトに掛けられた例の杖に触れていた。

「無理だ、僕には舞踏会に顔を出す権利なんてないんだ。大体何だって、あの時の僕はこんな物騒な杖を魔法使いから奪ってきちゃったんだろ……いや、でもなぁ、これがなきゃ、僕は死んでいただろうし。ここでも生きてこられなかった。間違いじゃなかったはずだ。」

 声量も勢いも、大きくなったり小さくなったり。ころころと表情を変えて、結局王子は眉を下げて困りきった顔でため息をついた。

「ああ、何で僕はこんなにも気が弱いんだろう。そればっかりはあの頃のままだ。」

 不意に、足音が聞こえた。誰かが王子のほうに近づいてきているようだ。王子の顔色が一層青ざめる。

「ひぃ、誰か来た!どうしよう、城の者だったら連れていかれちゃうかも。頼むからどうか、こっちに来ませんように!」

 王子の願いも虚しく、足音はどんどん庭に近づいてくる。王子は諦めたように入り口を凝視した。

 庭の入り口から現れたのは、王でも部下でもなく、サンドリヨンだった。先ほどまでの襤褸ではなく、舞踏会に相応しいドレスを身にまとっている。汚さぬよう持ち上げられた彼女のドレスの裾から足元が見えた。よく見れば、片方の靴が脱げている。

 王子は見知らぬ相手に驚いたのか、腰を抜かしかけて噴水のへりに手をついた。

「あら、誰かいらっしゃったのね。」
「え、あの……失礼ながら、お名前を伺っても?どなた、ですか?王宮の方ではありませんよね。」

 王子が尋ねれば、サンドリヨンは微笑んだ。

「人がいたのでしたら助かりましたわ。お聞きしたいことがありますの。」

 王子の質問にはこたえず、ほっとした顔をしてサンドリヨンは王子に一歩近づいた。王子が半歩下がる。サンドリヨンは王子の様子を気にする様子もなく、続けて尋ねた。

「お城の入口は何処でしょうか。私、舞踏会に参加するためにお城に来たのですが、迷ってしまったみたいで。」

 まわりを見渡して、サンドリヨンは首を傾げる。

「せめてここがどこかだけでも、分かればよいのですが。」

 困り顔のサンドリヨンに、王子はようやく落ち着いて一つ咳払いをした。

「ここは城の庭ですよ。しかしまぁ、どうしてこんなところに?城の入り口は反対側ですよ。」
「連れから遅れて来てしまったんです。皆と合流するつもりでしたので従者とは別れて、一人で馬車から降り、お城の入り口を探していたのですが……反対側でしたか、道理で見つからないわけだわ。」

 頬に手を当てて首を振るサンドリヨンに、王子は何か言おうとして少し迷いを見せた。決心したように顔を上げる。

「あの、案内しましょうか。」

 今城に近づきたくはないのだろう。それでも客人が迷っているのを放っておくよりは、手を貸すことにしたらしい。

「城には慣れています。入り口まで……は行けませんが、その近くまでなら案内出来ますよ。」
「ありがとうございます。でも、まだ舞踏会に行くわけにはいきませんの。」

 サンドリヨンはちらりと自分の足元を見た。王子に見えるよう、降ろしていたドレスの裾を再び少し持ち上げる。片方だけの靴に気がついたのか、王子が眉を持ち上げた。サンドリヨンが苦笑いを浮かべる。

「慌てていたからか、先ほど靴を落としてしまったんです。こちらの方に転がったように見えたのですが……」

 照れたようにサンドリヨンは視線を逸らした。王子がその様子を見て、なるほどと頷く。

「靴を探してこちらに来たんですね。こうも暗い中では、見つけにくいでしょう。」

 サンドリヨンも頷いて、それから首を小さく傾げた。

「貴方こそ、何故ここに?お城に慣れていると仰っていましたし、貴方は王宮の方なのでしょう?」
「ああ、その。言いにくいんですが……これ、私の結婚相手を探す舞踏会なんですよ。」

 王子はふいと顔を上げて城の明かりに目を向けた。サンドリヨンがその目線を追った後、王子を見て目を見開く。

「あら、じゃあ貴方が王子様?」

 王子は気まずそうに頷いた。サンドリヨンはしばらく言葉を失っていたが、おずおずと尋ねた。

「でもそれならなおさら、何故ここに?舞踏会にいなくてはいけないのでは?」

 サンドリヨンの問いに王子は頷く。己の足元で目線を彷徨わせたまま、彼はこたえた。

「お恥ずかしながら、私にはこの舞踏会で結婚相手を探す気がないんです。両親への反抗とでも言いますか。私がここにいれば、花嫁を選ばせることも出来なかろうと。」

 そこまでこたえてから、王子は顔を上げて肩を竦めた。

「改めて言葉にすると、我ながら子供のような我儘ですね。」
「まぁ。」

 王子は少しの間言葉を探しているようだったが、それ以上は何も言わなかった。少しの間の後、サンドリヨンの足元に目を向けて片眉を上げる。

「あぁ、そういえば貴方は靴を落としたんでしたよね。裸足では庭の石が痛いでしょう、私も探すお手伝いをしますよ。」

 話題を変えようとしたのか、王子が威勢の良い声で手伝いを申し出た。

「まぁ、ありがとうございます。」

 サンドリヨンは微笑んで礼を言う。

「お城に慣れた方がいらっしゃると、助かりますわ。」
「しかし御客人を裸足で歩き回らせる訳にはいきませんね。少しお待ちください、どこか座れる所があるかと……」
「良いのに、そんな。」

 王子が座ることの出来そうな場所を探してサンドリヨンに背を向けた。サンドリヨンはその瞬間、王子が剣と共に下げていたあの杖に目線を合わせた。

 瞬きの間に、彼女はそれをソードベルトから抜き取る。王子が振り返った。

「あ、それは!」

 王子が慌てて杖に手を伸ばしたが、サンドリヨンは取り上げられる前に王子に向かって杖を振り上げた。途端に王子が頭を抱えてしゃがみ込む。

「う、あ……、な、何……を……」
「私、貴方が少しの間動けなくなりますようにってお願いしたの。」

 その言葉に、王子が目を見開く。魔法使いとの会話を、覚えていたのかもしれない。

「貴方は、まさ、か……!」
「この杖の本当の持ち主……魔法使いに、貴方からこの杖を取り戻すようお願いされていてね。」

 サンドリヨンは笑顔で杖を王子に見えるように持ち上げた。王子の顔が悔しげに歪む。鐘が大きく、一つ鳴った。

「その時にこうやって、貴方に魔法をかけるように言われたの。貴方が昔魔法使いにかけた魔法と、同じ魔法をね。」

 鐘が鳴る。八度目、九度目。

「十二時になったら魔法使いがここに来るわ。」
「そん、な、待って、」

 十一度目。

「ほら。もうすぐね!」

 サンドリヨンの弾んだ声に重なって、十二度目の鐘が鳴る。王子の目線の先で、空間がぐにゃりと歪んだ。気がつけば、庭に魔法使いが立っている。

「サンドリヨン、よくやったわ。さあ、その杖を私に渡して。」

 サンドリヨンは微笑んだ。それはそれは、お手本のように優美に。いつもの笑み。目の奥が冷たい。笑い声が庭に響く。

「私、約束はもう守ったわよ。」
「……え?」
「この通り、王子から杖は奪った。魔法もかけたわ。」

 わざとらしく芝居がかった動作で、サンドリヨンは杖を魔法使いに見えるように高く持ち上げた。魔法使いの表情が、喜びから恐怖に塗り変わる。

「ねぇ、貴方もしかして……」
「ええ、そのもしかしてよ。魔法使いさん……さようなら!」

 彼女は大きく杖を振り上げた。目を見開いて、口角を思い切り上げて、今までになく心底楽しそうに。魔法使いの身体が、倒れる。王子が息を呑んだ。

 魔法使いの身体は地面に叩きつけられると同時に、灰のように粉になり散った。吹いた風に灰が舞う。サンドリヨンは視界に入ったそれを、億劫そうに振り払った。

 服にかかった灰の粉をさして気にする様子もなく、サンドリヨンは次に王子に向かって杖を振った。王子がゆっくりと立ち上がる。サンドリヨンは、少し声を震わせながら王子を見つめた。

「ごめんなさい王子様。貴方を魔法使いから助けるには、一旦こうするしかなかったんです。」

 サンドリヨンは杖を持ったまま、いつも通りの笑顔で両の手を広げた。目に宿っていた愉悦は、もう見当たらない。

「魔法使いはもういません。貴方は自由ですよ!」
「いえ、その、本当にありがとうございます。」

 王子は心底ほっとした顔で、かぶりを振った。彼がサンドリヨンの持つ杖を見る。

「あの、その……もしよろしければ、その杖は貴方がお使いください。私には使いこなせぬ物なのです。私には出来ぬことを、貴方はやってのけた。貴方のほうが、それを上手く使えるでしょう。」
「そうですか?では、ありがたく頂いておきますわ。では王子様、ごきげんよう。」

 ドレスの裾を持って、サンドリヨンはお辞儀をしてから庭から出ようと王子に背を向けた。王子が慌てたようにその背に声をかける。

「あの!……貴方と、その、また会いたい……のですが……」

 サンドリヨンは振り返って何かを言おうとしたが、すぐにハッとしたように顔を上げて城の時計を見た。

「あら、大変、急がなきゃ!二人が帰ってきてしまう前に元通りにしなくては。」
「二人?」
「ごめんなさい王子様、さようなら!」
「あぁ、ちょっと待って下さい!」

 王子はサンドリヨンが庭から飛び出した後を慌てて追いかける。しかし庭の門から出たところで、既にサンドリヨンの姿は見えなくなっていた。落胆のため息をついてから、王子はふと道の脇に目をやった。

 何かが月明かりを受けて、輝いていた。

 王子がゆっくりと近づいてそれを拾い上げる。光を受けていたのは、革靴の金具だった。見事な装飾の施された革靴を王子はしばし惚けたように眺めていたが、次の瞬間、何かに気がついたのか目を見開く。彼はサンドリヨンが走り去った方に目線を投げた。

「落とした靴……!」

 小さく叫んでから、王子は靴を持ったままどこかに走り去った。誰もいない庭が、夜の闇に薄くなっていく。
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