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第三幕
第十七場面:城、廊下
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山場が終われば、あとは物語が大団円を迎えるだけだ。
周囲が明るくなれば、広く長い廊下を並んで歩く姉妹の姿が見えた。目に入った二人の表情は、今まで見た中で一番穏やかなものに見える。
「お姉様、お部屋はお気に召した?」
「えぇ!私には勿体ないくらい。」
姉は笑って、それから少し肩を竦めた。
「顔も見たくないって言われる覚悟だったの。まさか侍女として城に呼ばれるとは思わなかったし……侍女にしては随分と好待遇に思えるけど?」
「だって、侍女として、とでも言わなければお姉様はお城に来てくれないと思ったのだもの。」
微笑むサンドリヨンに、姉は眉を下げて苦笑いを浮かべた。
「本当に呆れるほど良い子のね、お前は。」
「そんなことないわ、お姉様。」
くすくすと笑って、サンドリヨンは姉の手を引く。
「荷解きも終わったのだし、お茶にしましょうよ。」
「私も良いの?」
「もちろん!大勢の方が楽しいわ。お母様は、まだ落ち着かないようだけれど。」
残念、と眉を下げたサンドリヨンに姉は眉を寄せた。少し迷ってから、姉は口を開く。
「私が言えたことじゃないけれど、あの人のことはお城に呼ばなくったって良かったのよ。だって……」
足音。敷物のせいかあまり大きな音ではないものの、人の気配に二人は同時に音の方を向いた。見れば、夫人が壁に寄りかかるように歩いている。首元から肩の包帯が見えた。夫人は二人には気がついていない様子で、何かをブツブツと呟いている。
「あの灰被りが王子の花嫁なんて……私の可愛い娘の方がずっと相応しいに決まっているじゃない……」
「ほら、まだあんなことを言っている。」
聞こえた夫人の言葉に吐き捨てるように言い放って、姉はサンドリヨンを夫人から離そうと手を引いて歩き出した。
「踵を切ればよかったのよ、そうすれば……あの子が嫌がるからダメだったのよ……」
なお聞こえる夫人の声に姉は思い切り眉を顰める。馬鹿馬鹿しい、と姉が呟くとほぼ同時に足音が止まった。
「え?私は……私は今なんと……娘の……娘の足を……!なんてことを!」
「……は?」
聞こえた予想外の言葉に、姉は思わず足を止めた。振り返れば、こちらを見た夫人と目が合う。
「ダリ、」
「止まって!」
娘の名を呼ぼうとしたまま、夫人の動きがピタリと止まった。サンドリヨンの声で止まったことは明白だった。いや、声ではない。その手に握られた、あの杖。
姉はしばし夫人を見つめたまま呆然としていたが、振り返って震える声でサンドリヨンに呼びかける。
「ねぇ……なに、これ。」
「これは……これは、違うの、お姉様。」
握っていた手をゆっくりと離して、姉はサンドリヨンに問いかけた。彼女の目線が、杖とサンドリヨンを交互に見やる。
「もしかして、貴方だったの?私のことを、お母様に、傷つけさせようとしたのは。」
サンドリヨンは杖を握りしめて首を横に振る。姉はサンドリヨンの肩を掴んだ。いや、縋った、と言うべきか。
「どこから貴方の仕業なの。」
サンドリヨンはこたえない。姉の声はほとんど泣いていた。
「ねぇ、お願い、違うって言って。何もしていないって!なんとか言ってよ……ねぇ!」
サンドリヨンはもう一度首を横に振った。そのまま、手に持った杖を振る。姉が小さく呻いて、その場にしゃがみこんだ。
「それで、皆思い通りになるのね。貴方の思うままに人が動いて、それで……貴方は、楽しいわけ?」
姉の問いかけに、サンドリヨンは一瞬たじろいだように見えた。ひしゃげた笑みで、彼女はこたえる。
「ええ、楽しいわよ。少なくとも以前よりは!」
姉がゆっくりと顔を上げた。その顔が歪んでいるのは、痛みを耐えているからか、それとも。
「ねぇそんな顔しないで、お姉様。私に他にどうしろって言うの。お姉様が言うように、私は完璧な被害者だったはずなの。良い子だったはずなの!でもそのためには、貴方が完璧な加害者になってくれなきゃ困るのよ!」
サンドリヨンは杖を握りしめたまま、目を伏せた。
「でも貴方は、貴方は違った!なら悪役は誰よ!」
「……それで、お母様を、おかしくしたの。」
「そう、そうよ。貴方に私をいじめるように言ったのはあの人だと、私も知っているのだもの。」
姉はただ、サンドリヨンを見つめた。かける言葉を探しているようにも見えた。サンドリヨンも姉を見つめ返して、小さな声で尋ねる。
「ねぇ、お姉様。」
「何よ。」
「今動けるようにしてさし上げるから、先に言ってお茶の準備を手伝ってきてくれないかしら。それで、それで……何も無かった顔で、王子に挨拶するの。私もあとから行くわ。」
サンドリヨンの言葉に、姉は目を見開いた。彼女の願い、それはつまり、何も知らなかったことに、何も起きなかったことにしろということ。
「お姉様、お願い。」
「ふ、あはは、あははははははははは!」
姉は笑い始めた。段々とその自嘲じみた笑い声は大きくなって、ほとんど床に這うように彼女は笑った。ひとしきり笑ってから、姉は優しい表情でサンドリヨンを睨んだ。
「じゃ、もし無理って言ったら?」
サンドリヨンは自分が握っている杖を見た。ギュッと目を閉じてから、彼女は姉としかと目を合わせる。しばしの間。次にサンドリヨンが口にしたのは、一見場違いな、いつかの質問だった。
「砂糖を運んでいる蟻を踏み潰して殺すことと、砂糖を蹴って取り上げること。お姉様にとっては、どちらが残酷なの。」
姉は目を見開いて、束の間黙り込んだ。
「何度聞かれても、誰に聞かれても、私は同じ答えを返すんでしょうね。」
返答は、ひどく小さな、ひどく凛とした声だった。
「踏み潰して殺すことのほうが、残酷よ。」
「そう。なら……全部忘れて、お茶会に行って。」
サンドリヨンが杖を持つ手に力を込めた。泣きそうに、しかし笑顔で、彼女は杖を振ろうとする。姉がその表情を見て笑った。
「灰が似合いなんて、下手な嘘をついたわ。貴方、そうやって笑っている時が一番綺麗。名に恥じぬ美しい毒草ね。」
彼女の言葉に、サンドリヨンの目線が揺れた。笑顔を歪めながら、サンドリヨンは震える声でこたえる。
「またあとでね、お姉様。次会う時は私たち、偽物の砂糖を運ぶのよ。」
サンドリヨンが杖を振った。目を閉じてふらりと立ち上がった姉は、廊下の向こうに歩いていく。
サンドリヨンは彼女の姿が見えなくなるまで待ってから、夫人に向かって杖を振った。呆然と瞬いた夫人に、サンドリヨンは笑顔で話しかける。
「まぁ、お母様。お城にいらしてくれていたのね!」
「あ、ああ。もちろんだよ……それより、私の娘、お前の姉はどこだい?」
「お姉様?お姉様なら先にお茶会に向かったわ。お姉様はこれから私の侍女として一緒に暮らすんだもの、皆に紹介しなくちゃと思って。」
ニコニコと話すサンドリヨンに、継母は徐々に顔を赤らめた。
「侍女?……あの子が?」
「そうよ。お姉様が以前私に、王子の妃になったとしたらお前を侍女として連れていってあげる、って仰ってくれたの。だから私が妃になったら、お姉様を連れて来てあげるべきでしょう?貴方とあの屋敷にいるより、きっとお姉様も幸せよ!」
半ば、己に言い聞かせているようにも見えた。笑うサンドリヨンに夫人が叫ぶ。
「あの子がサンドリヨンなんかの侍女になると、そう認めたのかい!」
叫んでから夫人は口元を抑えた。気にする様子もなく、サンドリヨンは笑い続ける。
「ええ、お姉様も嫌がっていたわ。最初は喜んでくれたのよ?けれど、私がお母様にしたことを知ってしまって。あぁ、貴方がここを通らなければ!」
夫人の顔に浮かんだ怒りは、段々と怯えの色に変わる。気味の悪いものを見るように、夫人はサンドリヨンを見つめた。
「でも、これがあればね。私は良い子のままでいることが出来るし、お姉様はお城で暮らすことが出来るし、王子様は王子様でいることが出来るのよ。」
サンドリヨンは楽しそうに杖を掲げる。
「それは、なんだい?」
「気になる?こう使うのよ、お母様。」
笑顔、笑顔。お手本のような笑顔。彼女はいつも、人前で笑みを絶やさない。
彼女は大きく杖を振り上げた。目を見開いて、口角を思い切り上げて、あの時と同じように、心底楽しそうに。
「こうなったのも、全て貴方のせい!」
サンドリヨンが杖を振った瞬間、夫人が喉を押さえた。数度ひどく咳き込んで、夫人は床に崩れ落ちる。そのまま魔法使いの時のように、灰となって散り散りになる。
廊下に開けられたガラスのない採光窓から風が吹き込んで、舞った灰がサンドリヨンの身体を撫でた。
サンドリヨンは杖を仕舞い、しばらく肩で息をしながらそこに突っ立っていた。目を見開いて、少し灰の残った絨毯を、ただ眺めて。
「あぁ、ここにいましたか!探しましたよ。」
振り返れば、王子が立っていた。サンドリヨンはほとんど反射的に口角を持ち上げる。
「あら、お待たせしてしまいましたか。」
「いえいえ、大丈夫ですよ。ただ貴方のお姉様が、貴方といつ別れたか思い出せないと首を捻っていたので少し心配になりまして。」
行きましょう、と微笑んだ王子の後に続いて、サンドリヨンは廊下を歩き出した。
「色々とバタバタしてすみませんね。結婚式が明日とは、父上と母上も無茶を言う。」
「大丈夫ですわ。きっと陛下は、貴方が可愛くて仕方ないのですよ。」
サンドリヨンは、本当は王子が王と王妃の息子ではないと知っているはずだ。それでも素知らぬ振りで、彼女は微笑む。
「……ねぇ、王子様。明日の結婚式、お姉様の結婚式も一緒に行うことは出来ますか?」
「おや、貴方のお姉様にはお相手がいるんですか?」
王子が足を止めて振り返った。サンドリヨンは服に隠した杖に触れながら、王子に笑いかける。
「えぇ。お祝いことが増えれば、きっともっと、素敵な日になりますわ。」
王子が頷いて、再び歩き出した。サンドリヨンは立ち止まったまま、しばし彼の背中を見つめた。
「愛し合っていると思えるなら、お姉様は私より幸せよね?」
サンドリヨンが誰かに確認するように尋ねる。誰もいない廊下から返事が返ってくることはなく、サンドリヨンはかぶりを振って王子の後を追う。
「……そういえば、私たちはお互い名乗ってもいませんね。」
王子が足を止めずに呟いた言葉に、サンドリヨンは束の間目を伏せた。足を早めて王子の横に立ち、彼の顔を見上げる。
「サンドリヨン、と。」
「え?」
サンドリヨン。灰まみれの娘。
それは、明らかな蔑称。王子が聞き間違いかとばかりに足を止めて聞き返す。サンドリヨンはその表情を気にすることなく、言葉を続けた。
「そうお呼びください、殿下。貴方が王子であるように。」
王子は一瞬、たいそう驚いたように目を見開いた。すぐに何か諦めたような顔で微笑んで、是とも非とも言わずにサンドリヨンの手を取る。
二人が廊下の角を曲がって、その姿は見えなくなる。誰もいない廊下に、くすんだ色の粉が舞って視界を邪魔した。
周囲が明るくなれば、広く長い廊下を並んで歩く姉妹の姿が見えた。目に入った二人の表情は、今まで見た中で一番穏やかなものに見える。
「お姉様、お部屋はお気に召した?」
「えぇ!私には勿体ないくらい。」
姉は笑って、それから少し肩を竦めた。
「顔も見たくないって言われる覚悟だったの。まさか侍女として城に呼ばれるとは思わなかったし……侍女にしては随分と好待遇に思えるけど?」
「だって、侍女として、とでも言わなければお姉様はお城に来てくれないと思ったのだもの。」
微笑むサンドリヨンに、姉は眉を下げて苦笑いを浮かべた。
「本当に呆れるほど良い子のね、お前は。」
「そんなことないわ、お姉様。」
くすくすと笑って、サンドリヨンは姉の手を引く。
「荷解きも終わったのだし、お茶にしましょうよ。」
「私も良いの?」
「もちろん!大勢の方が楽しいわ。お母様は、まだ落ち着かないようだけれど。」
残念、と眉を下げたサンドリヨンに姉は眉を寄せた。少し迷ってから、姉は口を開く。
「私が言えたことじゃないけれど、あの人のことはお城に呼ばなくったって良かったのよ。だって……」
足音。敷物のせいかあまり大きな音ではないものの、人の気配に二人は同時に音の方を向いた。見れば、夫人が壁に寄りかかるように歩いている。首元から肩の包帯が見えた。夫人は二人には気がついていない様子で、何かをブツブツと呟いている。
「あの灰被りが王子の花嫁なんて……私の可愛い娘の方がずっと相応しいに決まっているじゃない……」
「ほら、まだあんなことを言っている。」
聞こえた夫人の言葉に吐き捨てるように言い放って、姉はサンドリヨンを夫人から離そうと手を引いて歩き出した。
「踵を切ればよかったのよ、そうすれば……あの子が嫌がるからダメだったのよ……」
なお聞こえる夫人の声に姉は思い切り眉を顰める。馬鹿馬鹿しい、と姉が呟くとほぼ同時に足音が止まった。
「え?私は……私は今なんと……娘の……娘の足を……!なんてことを!」
「……は?」
聞こえた予想外の言葉に、姉は思わず足を止めた。振り返れば、こちらを見た夫人と目が合う。
「ダリ、」
「止まって!」
娘の名を呼ぼうとしたまま、夫人の動きがピタリと止まった。サンドリヨンの声で止まったことは明白だった。いや、声ではない。その手に握られた、あの杖。
姉はしばし夫人を見つめたまま呆然としていたが、振り返って震える声でサンドリヨンに呼びかける。
「ねぇ……なに、これ。」
「これは……これは、違うの、お姉様。」
握っていた手をゆっくりと離して、姉はサンドリヨンに問いかけた。彼女の目線が、杖とサンドリヨンを交互に見やる。
「もしかして、貴方だったの?私のことを、お母様に、傷つけさせようとしたのは。」
サンドリヨンは杖を握りしめて首を横に振る。姉はサンドリヨンの肩を掴んだ。いや、縋った、と言うべきか。
「どこから貴方の仕業なの。」
サンドリヨンはこたえない。姉の声はほとんど泣いていた。
「ねぇ、お願い、違うって言って。何もしていないって!なんとか言ってよ……ねぇ!」
サンドリヨンはもう一度首を横に振った。そのまま、手に持った杖を振る。姉が小さく呻いて、その場にしゃがみこんだ。
「それで、皆思い通りになるのね。貴方の思うままに人が動いて、それで……貴方は、楽しいわけ?」
姉の問いかけに、サンドリヨンは一瞬たじろいだように見えた。ひしゃげた笑みで、彼女はこたえる。
「ええ、楽しいわよ。少なくとも以前よりは!」
姉がゆっくりと顔を上げた。その顔が歪んでいるのは、痛みを耐えているからか、それとも。
「ねぇそんな顔しないで、お姉様。私に他にどうしろって言うの。お姉様が言うように、私は完璧な被害者だったはずなの。良い子だったはずなの!でもそのためには、貴方が完璧な加害者になってくれなきゃ困るのよ!」
サンドリヨンは杖を握りしめたまま、目を伏せた。
「でも貴方は、貴方は違った!なら悪役は誰よ!」
「……それで、お母様を、おかしくしたの。」
「そう、そうよ。貴方に私をいじめるように言ったのはあの人だと、私も知っているのだもの。」
姉はただ、サンドリヨンを見つめた。かける言葉を探しているようにも見えた。サンドリヨンも姉を見つめ返して、小さな声で尋ねる。
「ねぇ、お姉様。」
「何よ。」
「今動けるようにしてさし上げるから、先に言ってお茶の準備を手伝ってきてくれないかしら。それで、それで……何も無かった顔で、王子に挨拶するの。私もあとから行くわ。」
サンドリヨンの言葉に、姉は目を見開いた。彼女の願い、それはつまり、何も知らなかったことに、何も起きなかったことにしろということ。
「お姉様、お願い。」
「ふ、あはは、あははははははははは!」
姉は笑い始めた。段々とその自嘲じみた笑い声は大きくなって、ほとんど床に這うように彼女は笑った。ひとしきり笑ってから、姉は優しい表情でサンドリヨンを睨んだ。
「じゃ、もし無理って言ったら?」
サンドリヨンは自分が握っている杖を見た。ギュッと目を閉じてから、彼女は姉としかと目を合わせる。しばしの間。次にサンドリヨンが口にしたのは、一見場違いな、いつかの質問だった。
「砂糖を運んでいる蟻を踏み潰して殺すことと、砂糖を蹴って取り上げること。お姉様にとっては、どちらが残酷なの。」
姉は目を見開いて、束の間黙り込んだ。
「何度聞かれても、誰に聞かれても、私は同じ答えを返すんでしょうね。」
返答は、ひどく小さな、ひどく凛とした声だった。
「踏み潰して殺すことのほうが、残酷よ。」
「そう。なら……全部忘れて、お茶会に行って。」
サンドリヨンが杖を持つ手に力を込めた。泣きそうに、しかし笑顔で、彼女は杖を振ろうとする。姉がその表情を見て笑った。
「灰が似合いなんて、下手な嘘をついたわ。貴方、そうやって笑っている時が一番綺麗。名に恥じぬ美しい毒草ね。」
彼女の言葉に、サンドリヨンの目線が揺れた。笑顔を歪めながら、サンドリヨンは震える声でこたえる。
「またあとでね、お姉様。次会う時は私たち、偽物の砂糖を運ぶのよ。」
サンドリヨンが杖を振った。目を閉じてふらりと立ち上がった姉は、廊下の向こうに歩いていく。
サンドリヨンは彼女の姿が見えなくなるまで待ってから、夫人に向かって杖を振った。呆然と瞬いた夫人に、サンドリヨンは笑顔で話しかける。
「まぁ、お母様。お城にいらしてくれていたのね!」
「あ、ああ。もちろんだよ……それより、私の娘、お前の姉はどこだい?」
「お姉様?お姉様なら先にお茶会に向かったわ。お姉様はこれから私の侍女として一緒に暮らすんだもの、皆に紹介しなくちゃと思って。」
ニコニコと話すサンドリヨンに、継母は徐々に顔を赤らめた。
「侍女?……あの子が?」
「そうよ。お姉様が以前私に、王子の妃になったとしたらお前を侍女として連れていってあげる、って仰ってくれたの。だから私が妃になったら、お姉様を連れて来てあげるべきでしょう?貴方とあの屋敷にいるより、きっとお姉様も幸せよ!」
半ば、己に言い聞かせているようにも見えた。笑うサンドリヨンに夫人が叫ぶ。
「あの子がサンドリヨンなんかの侍女になると、そう認めたのかい!」
叫んでから夫人は口元を抑えた。気にする様子もなく、サンドリヨンは笑い続ける。
「ええ、お姉様も嫌がっていたわ。最初は喜んでくれたのよ?けれど、私がお母様にしたことを知ってしまって。あぁ、貴方がここを通らなければ!」
夫人の顔に浮かんだ怒りは、段々と怯えの色に変わる。気味の悪いものを見るように、夫人はサンドリヨンを見つめた。
「でも、これがあればね。私は良い子のままでいることが出来るし、お姉様はお城で暮らすことが出来るし、王子様は王子様でいることが出来るのよ。」
サンドリヨンは楽しそうに杖を掲げる。
「それは、なんだい?」
「気になる?こう使うのよ、お母様。」
笑顔、笑顔。お手本のような笑顔。彼女はいつも、人前で笑みを絶やさない。
彼女は大きく杖を振り上げた。目を見開いて、口角を思い切り上げて、あの時と同じように、心底楽しそうに。
「こうなったのも、全て貴方のせい!」
サンドリヨンが杖を振った瞬間、夫人が喉を押さえた。数度ひどく咳き込んで、夫人は床に崩れ落ちる。そのまま魔法使いの時のように、灰となって散り散りになる。
廊下に開けられたガラスのない採光窓から風が吹き込んで、舞った灰がサンドリヨンの身体を撫でた。
サンドリヨンは杖を仕舞い、しばらく肩で息をしながらそこに突っ立っていた。目を見開いて、少し灰の残った絨毯を、ただ眺めて。
「あぁ、ここにいましたか!探しましたよ。」
振り返れば、王子が立っていた。サンドリヨンはほとんど反射的に口角を持ち上げる。
「あら、お待たせしてしまいましたか。」
「いえいえ、大丈夫ですよ。ただ貴方のお姉様が、貴方といつ別れたか思い出せないと首を捻っていたので少し心配になりまして。」
行きましょう、と微笑んだ王子の後に続いて、サンドリヨンは廊下を歩き出した。
「色々とバタバタしてすみませんね。結婚式が明日とは、父上と母上も無茶を言う。」
「大丈夫ですわ。きっと陛下は、貴方が可愛くて仕方ないのですよ。」
サンドリヨンは、本当は王子が王と王妃の息子ではないと知っているはずだ。それでも素知らぬ振りで、彼女は微笑む。
「……ねぇ、王子様。明日の結婚式、お姉様の結婚式も一緒に行うことは出来ますか?」
「おや、貴方のお姉様にはお相手がいるんですか?」
王子が足を止めて振り返った。サンドリヨンは服に隠した杖に触れながら、王子に笑いかける。
「えぇ。お祝いことが増えれば、きっともっと、素敵な日になりますわ。」
王子が頷いて、再び歩き出した。サンドリヨンは立ち止まったまま、しばし彼の背中を見つめた。
「愛し合っていると思えるなら、お姉様は私より幸せよね?」
サンドリヨンが誰かに確認するように尋ねる。誰もいない廊下から返事が返ってくることはなく、サンドリヨンはかぶりを振って王子の後を追う。
「……そういえば、私たちはお互い名乗ってもいませんね。」
王子が足を止めずに呟いた言葉に、サンドリヨンは束の間目を伏せた。足を早めて王子の横に立ち、彼の顔を見上げる。
「サンドリヨン、と。」
「え?」
サンドリヨン。灰まみれの娘。
それは、明らかな蔑称。王子が聞き間違いかとばかりに足を止めて聞き返す。サンドリヨンはその表情を気にすることなく、言葉を続けた。
「そうお呼びください、殿下。貴方が王子であるように。」
王子は一瞬、たいそう驚いたように目を見開いた。すぐに何か諦めたような顔で微笑んで、是とも非とも言わずにサンドリヨンの手を取る。
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