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丙の巻 草原の群狼
参ノ肆 狼の子、運命を知らずに背負わされる
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倭吽陀(わんだ)のすすり泣きが治まるのを待っている、その間。
「ヒッ、ヒヒィィーーーン!!」
土砂崩れに巻き込まれず、無事だった斗羅畏(とらい)の馬が、怯えるようにいなないた。
「しまった!」
斗羅畏が慌てて走り寄るが、ときすでに遅し。
「怯えて、逃げたか……」
慌てていたせいで木などに繋ぎ止めていなかった馬が、倭吽陀の白馬が死んでいるのを見て、恐慌を起こしたのだ。
ぱからっと蹄を鳴らしながら走り去る馬の尻を、斗羅畏が呆然と見つめる。
「あ、あるいてかえらなきゃ、しかないのかー……」
片足を若干、引きずるようにして、倭吽陀も土手から上がって来た。
斗羅畏はその様子に目をくわっと剥いて聞いた。
「痛むのか」
「だ、だいじょうぶだよ、このくらいへっちゃらだい!」
ムンと胸を張って立つ倭吽陀だが、痛む片足を庇ってこらえている様子が、ありありと見えた。
「少し休むぞ。靴を脱げ。看てやる」
馬を二頭とも失った以上、慌てて行動しても事態が改善する可能性は低い。
陽が出ている温かいうちに休めるだけ休んで態勢を整え、気温の低くなった夜、徒歩で重雪峡に戻った方が良いと斗羅畏は判断した。
「いてて……」
やはりやせ我慢だったようだ。
素足を斗羅畏に触られると、弱音とともに倭吽陀は涙目になった。
良かった探しを敢えてするのであれば。
「折れてはいないか。だが腫れるかもしれんな」
しゅるる、と斗羅畏は自分の首巻を外し、水と雪で濡らし冷やして、倭吽陀の患部、足首やくるぶしにきつく巻いた。
基本的なアイシングとテーピングの応急処置である。
手持ちの道具でひとまずできることは、これくらいしかない。
「ご、ごめんな、とらい。おれがどんくさいから……」
「こうなったのは俺のせいだ。二度と謝るな」
厳しい顔で、厳しいことしか言わず。
しかし優しい手つきで、斗羅畏が傷の手当てをしてくれている。
両親である覇聖鳳(はせお)や邸瑠魅(てるみ)、その他の仲間である青牙部の旧臣たちとも違う、不思議な「大人の男」を、倭吽陀なりに斗羅畏から感じ取っていた。
「とらいは、おもしろいやつだなー」
何気なく放たれた、その言葉。
語彙の少ない倭吽陀だから、そういう表現しかできなかったのか。
いや、違うなと斗羅畏は思った。
「お前の父親にも、同じことを言われた」
たった一度きりの、覇聖鳳との邂逅と対決。
確かにそのときその場面で、覇聖鳳は斗羅畏を「面白い」と評したのだ。
こんなに不器用で、いつもしかめっ面で、可愛げの減ったくれもない自分を。
なぜかこの父子は、面白いと感じるのだろう。
冷却の甲斐があって痛みが引いて来たのか、倭吽陀はいつもの楽しそうな顔を取り戻して話す。
「とーちゃんはなー、とらいにやられたんだーって、はがぬけたのをみせてくれたぞ」
「歯?」
「うんうん。うではなー、べつのへんなやつにやられたっていって、とっちゃったんだけどな。とらいに、はがおられたってほうが、くやしそうだった。おとこまえがだいなしだー、って」
覇聖鳳との一騎打ちの際に自分が喰らわせた、肩による体当たりだろうか。
麗央那(れおな)に毒串を食らった覇聖鳳。
毒が回る前に自分で左腕を切断したという話は、斗羅畏も知っている。
そのことよりも、斗羅畏とのぶつかり合いで折れた歯の方を気にするというのは。
さすがの洒落ものと言おうか、傾奇者の伊達男と言おうか。
「く、くく……」
純粋なおかしさだけではなく、嬉しさも混じっているのだろう。
「はは、くく、ふっふふ……」
倭吽陀の足を治療し終えた斗羅畏は、こらえきれない笑い声を、目尻の涙とともに漏らし続けた。
変なところでツボにはまるのだなと、倭吽陀は余計に面白がって斗羅畏を見たのだった。
そして、陽が落ちる前、夕刻。
「やっぱ、たべちゃうのかー……」
死んでしまった倭吽陀の馬の腹を、小刀で裂く斗羅畏。
その様子を見て、友であった愛馬をこれから食わねばならないことに対する、倭吽陀の哀しみが言葉になって出た。
「食えるときに食っておかねば、先の道行きもどうなるかわからん」
これから、約20キロメートルほどは離れた重雪峡に、徒歩で帰らなければならないのだ。
しかも倭吽陀は足を怪我しており、斗羅畏が背負って行く形になる。
目の前に新鮮で上質な肉があるのだから、食わないという選択肢はない。
「ごめんな、いいごしゅじんじゃなくて」
涙で顔をべしょ濡れにさせながら、倭吽陀は馬の顔を優しく撫で続けた。
それを見た斗羅畏は。
「いずれまた良い馬を用意してやる」
と言いかけて、やめた。
大事な友との別れの時間に、次の新しい替わりの話をされるなんて、まっぴらお断りだろうと思ったからである。
感傷に浸る時間は、前を向くためにも必要なことなのだ。
別の話をしようと斗羅畏は考えをまとめて、訥々と語った。
「……こいつは、死んでもお前の血肉になる。命を終えても、お前の、倭吽陀の中でこの逞しく勇ましい白馬は生き続けるんだ。寂しいことなど、ありはしない」
決して話し上手ではない斗羅畏が、自分のために、一生懸命に話してくれている。
言っている内容は、騎馬の氏族で生きていれば当たり前の、通り一辺倒のことでしかない。
万物は循環するという沸教(ふっきょう)の理念は、薄くではあるが広く、戌族(じゅつぞく)の地にも伝わっているのだ。
しかしその気持ちに感じ入るところがあったのか、ほー、と倭吽陀は素直な驚きの顔で感嘆した。
「そっかー、ずっといっしょかー」
「心は、心の臓に宿ると聞く。それはお前が食うと良い」
「だめだぞ、ちゃんとおれととらい、ふたりでわけてくうんだぞ」
子どもに説教された斗羅畏はふふっと柔らかく笑い。
「そうだな。ありがたくいただくとしよう」
心臓や肝臓の生ミンチを小刀で作り、二人で一緒に頬張った。
同じ獣の血をすするのは、自分たちが仲間であるという証の儀式。
この日、倭吽陀をはじめとする覇聖鳳の縁者と斗羅畏は、本当の意味で分かちがたき同胞となったのだった。
「そろそろ、行くか」
休憩と食事を終えて、日が暮れた。
彼らの暮らす北方はまだまだ雪の残る晩冬であり、夜には急激に気温が下がる。
野営の準備がない以上は、温かい時間帯に休んで、寒くなった夜に歩いた方が良い。
冬の夜に外で眠ったら、人は死ぬのである。
「ごめ……じゃなくて、いくぞー!」
斗羅畏の背中で、元気良く倭吽陀が吠えた。
二人の間に、謝罪の言葉は要らない。
満月が照らしてくれるおかげで、来た道を帰るだけの道のりに不安はないように思われた。
斗羅畏を元気付けるためか。
それとも、自分がこの貴重で希少な夜の体験に、眠ってしまわないためか。
背に負われた倭吽陀は、いろいろなことを斗羅畏に話し、斗羅畏からも聞いた。
「とーちゃんはなー、とらいとけっちゃくがつかなかったって、すっごいブチブチ、しつこくいってた! ほんとうに、ひきわけだったのかー?」
「どうだろうな。途中で邪魔が入ったのは確かだ。それさえなければ、俺か覇聖鳳、どちらかはあの場で死んでいただろう」
「おとこどうしのしょうぶをじゃまするなんて、ろくでもないやつがいるなー! おんなのくさったようなやつだ!」
「……そうだな」
おかしな女二人に邪魔をされた、とは正直に言えなかった斗羅畏であった。
「でもなー、とらいもつよいけど、とうちゃんはもっとつよいからな! きっと、とうちゃんがかってたとおもう!」
息子として、そこは譲れないのだろう。
強く断言する倭吽陀に、斗羅畏は苦笑いで答える。
「お前の言う通りだろう。あのまま続けていれば、俺が負けていた。認めるのは腹に据えかねるがな」
力の差、とは言いたくない。
斗羅畏もそれなりに鍛えて過ごし、修羅場をくぐって来た。
武人として自分と覇聖鳳の間にそこまでの差があったとは思っていない。
しかし、あのとき自分は冷静ではなかった。
怒りと油断から片目を塞がれて、明確に不利な状態から勝負を再開しても。
きっといずれ、打ち合っている間に、覇聖鳳の大刀の餌食になっていただろう。
今だからこそ、斗羅畏はそれを率直に認めることができるのだった。
「そっかー、とうちゃんはやっぱり、つよかったんだなー」
「今やれば、俺が勝つ。あいつに両の腕が揃っていてもだ」
心残りと負け惜しみの混じった台詞。
斗羅畏は情けないと自覚しながらも、敢えて吐いた。
倭吽陀を相手に虚勢を張る必要も、良い格好をする必要もない。
自分がそう思うこと、それを愚直に言葉にしたのだ。
その意気を知ってか知らずか。
子どもならではの、純粋で簡単なことを、倭吽陀は語る。
「じゃあ、とうちゃんのかわりにおれ、もっとつよくなるから! そのときはまた、しょうぶな!」
「ああ、待っている。早く強くなれ。俺よりも、お前の父親よりも、天下の誰よりもな」
その日はいつか来るだろう。
予感ではなく、確信が斗羅畏にあった。
誰よりも強い、なにものにも負けず縛られぬ、気高き草原の狼に。
この子を、必ず育てなければならない。
あの日、覇聖鳳と付けられなかった決着の未練を、倭吽陀に肩代わりさせるためではなく。
今、数奇な縁あって治めることとなったこの大地から、最強の勇者を生み出す責任が、頭領の自分にはあるのだから。
自分が最強でなくても、自分の土地から最強のものが現れれば。
そのとき、頭領としていい仕事ができたのだと、きっと自分を褒めることができるだろう。
「俺には俺の天下がある。突骨無(とごん)とも、親爺とも違う、俺だけの天下が」
「なんのはなしだー? わかんねーぞ?」
「今は気にしなくていい。いずれわかる」
楽しい未来の話を交わしながら、大小の狼が先を往く。
まだまだ、目的の場所へは道半ば。
だがしかし、その道中も楽しめるのだと、斗羅畏は爽やかな気持ちで悟っていた。
「へへ、獲物がいたぜ」
そんなとき、間が悪いことに。
よせばいいのに、最強を夢見る獰猛な獣に、ちょっかいを出そうとする小物たちがいた。
「ガキと、兵士一人か」
「大した稼ぎには、ならなそうだなあ」
ならずものたちが、斗羅畏の背後に忍び寄る。
重雪峡まで帰りの一本道も、障害がまったくないわけでは、なさそうだった。
「ヒッ、ヒヒィィーーーン!!」
土砂崩れに巻き込まれず、無事だった斗羅畏(とらい)の馬が、怯えるようにいなないた。
「しまった!」
斗羅畏が慌てて走り寄るが、ときすでに遅し。
「怯えて、逃げたか……」
慌てていたせいで木などに繋ぎ止めていなかった馬が、倭吽陀の白馬が死んでいるのを見て、恐慌を起こしたのだ。
ぱからっと蹄を鳴らしながら走り去る馬の尻を、斗羅畏が呆然と見つめる。
「あ、あるいてかえらなきゃ、しかないのかー……」
片足を若干、引きずるようにして、倭吽陀も土手から上がって来た。
斗羅畏はその様子に目をくわっと剥いて聞いた。
「痛むのか」
「だ、だいじょうぶだよ、このくらいへっちゃらだい!」
ムンと胸を張って立つ倭吽陀だが、痛む片足を庇ってこらえている様子が、ありありと見えた。
「少し休むぞ。靴を脱げ。看てやる」
馬を二頭とも失った以上、慌てて行動しても事態が改善する可能性は低い。
陽が出ている温かいうちに休めるだけ休んで態勢を整え、気温の低くなった夜、徒歩で重雪峡に戻った方が良いと斗羅畏は判断した。
「いてて……」
やはりやせ我慢だったようだ。
素足を斗羅畏に触られると、弱音とともに倭吽陀は涙目になった。
良かった探しを敢えてするのであれば。
「折れてはいないか。だが腫れるかもしれんな」
しゅるる、と斗羅畏は自分の首巻を外し、水と雪で濡らし冷やして、倭吽陀の患部、足首やくるぶしにきつく巻いた。
基本的なアイシングとテーピングの応急処置である。
手持ちの道具でひとまずできることは、これくらいしかない。
「ご、ごめんな、とらい。おれがどんくさいから……」
「こうなったのは俺のせいだ。二度と謝るな」
厳しい顔で、厳しいことしか言わず。
しかし優しい手つきで、斗羅畏が傷の手当てをしてくれている。
両親である覇聖鳳(はせお)や邸瑠魅(てるみ)、その他の仲間である青牙部の旧臣たちとも違う、不思議な「大人の男」を、倭吽陀なりに斗羅畏から感じ取っていた。
「とらいは、おもしろいやつだなー」
何気なく放たれた、その言葉。
語彙の少ない倭吽陀だから、そういう表現しかできなかったのか。
いや、違うなと斗羅畏は思った。
「お前の父親にも、同じことを言われた」
たった一度きりの、覇聖鳳との邂逅と対決。
確かにそのときその場面で、覇聖鳳は斗羅畏を「面白い」と評したのだ。
こんなに不器用で、いつもしかめっ面で、可愛げの減ったくれもない自分を。
なぜかこの父子は、面白いと感じるのだろう。
冷却の甲斐があって痛みが引いて来たのか、倭吽陀はいつもの楽しそうな顔を取り戻して話す。
「とーちゃんはなー、とらいにやられたんだーって、はがぬけたのをみせてくれたぞ」
「歯?」
「うんうん。うではなー、べつのへんなやつにやられたっていって、とっちゃったんだけどな。とらいに、はがおられたってほうが、くやしそうだった。おとこまえがだいなしだー、って」
覇聖鳳との一騎打ちの際に自分が喰らわせた、肩による体当たりだろうか。
麗央那(れおな)に毒串を食らった覇聖鳳。
毒が回る前に自分で左腕を切断したという話は、斗羅畏も知っている。
そのことよりも、斗羅畏とのぶつかり合いで折れた歯の方を気にするというのは。
さすがの洒落ものと言おうか、傾奇者の伊達男と言おうか。
「く、くく……」
純粋なおかしさだけではなく、嬉しさも混じっているのだろう。
「はは、くく、ふっふふ……」
倭吽陀の足を治療し終えた斗羅畏は、こらえきれない笑い声を、目尻の涙とともに漏らし続けた。
変なところでツボにはまるのだなと、倭吽陀は余計に面白がって斗羅畏を見たのだった。
そして、陽が落ちる前、夕刻。
「やっぱ、たべちゃうのかー……」
死んでしまった倭吽陀の馬の腹を、小刀で裂く斗羅畏。
その様子を見て、友であった愛馬をこれから食わねばならないことに対する、倭吽陀の哀しみが言葉になって出た。
「食えるときに食っておかねば、先の道行きもどうなるかわからん」
これから、約20キロメートルほどは離れた重雪峡に、徒歩で帰らなければならないのだ。
しかも倭吽陀は足を怪我しており、斗羅畏が背負って行く形になる。
目の前に新鮮で上質な肉があるのだから、食わないという選択肢はない。
「ごめんな、いいごしゅじんじゃなくて」
涙で顔をべしょ濡れにさせながら、倭吽陀は馬の顔を優しく撫で続けた。
それを見た斗羅畏は。
「いずれまた良い馬を用意してやる」
と言いかけて、やめた。
大事な友との別れの時間に、次の新しい替わりの話をされるなんて、まっぴらお断りだろうと思ったからである。
感傷に浸る時間は、前を向くためにも必要なことなのだ。
別の話をしようと斗羅畏は考えをまとめて、訥々と語った。
「……こいつは、死んでもお前の血肉になる。命を終えても、お前の、倭吽陀の中でこの逞しく勇ましい白馬は生き続けるんだ。寂しいことなど、ありはしない」
決して話し上手ではない斗羅畏が、自分のために、一生懸命に話してくれている。
言っている内容は、騎馬の氏族で生きていれば当たり前の、通り一辺倒のことでしかない。
万物は循環するという沸教(ふっきょう)の理念は、薄くではあるが広く、戌族(じゅつぞく)の地にも伝わっているのだ。
しかしその気持ちに感じ入るところがあったのか、ほー、と倭吽陀は素直な驚きの顔で感嘆した。
「そっかー、ずっといっしょかー」
「心は、心の臓に宿ると聞く。それはお前が食うと良い」
「だめだぞ、ちゃんとおれととらい、ふたりでわけてくうんだぞ」
子どもに説教された斗羅畏はふふっと柔らかく笑い。
「そうだな。ありがたくいただくとしよう」
心臓や肝臓の生ミンチを小刀で作り、二人で一緒に頬張った。
同じ獣の血をすするのは、自分たちが仲間であるという証の儀式。
この日、倭吽陀をはじめとする覇聖鳳の縁者と斗羅畏は、本当の意味で分かちがたき同胞となったのだった。
「そろそろ、行くか」
休憩と食事を終えて、日が暮れた。
彼らの暮らす北方はまだまだ雪の残る晩冬であり、夜には急激に気温が下がる。
野営の準備がない以上は、温かい時間帯に休んで、寒くなった夜に歩いた方が良い。
冬の夜に外で眠ったら、人は死ぬのである。
「ごめ……じゃなくて、いくぞー!」
斗羅畏の背中で、元気良く倭吽陀が吠えた。
二人の間に、謝罪の言葉は要らない。
満月が照らしてくれるおかげで、来た道を帰るだけの道のりに不安はないように思われた。
斗羅畏を元気付けるためか。
それとも、自分がこの貴重で希少な夜の体験に、眠ってしまわないためか。
背に負われた倭吽陀は、いろいろなことを斗羅畏に話し、斗羅畏からも聞いた。
「とーちゃんはなー、とらいとけっちゃくがつかなかったって、すっごいブチブチ、しつこくいってた! ほんとうに、ひきわけだったのかー?」
「どうだろうな。途中で邪魔が入ったのは確かだ。それさえなければ、俺か覇聖鳳、どちらかはあの場で死んでいただろう」
「おとこどうしのしょうぶをじゃまするなんて、ろくでもないやつがいるなー! おんなのくさったようなやつだ!」
「……そうだな」
おかしな女二人に邪魔をされた、とは正直に言えなかった斗羅畏であった。
「でもなー、とらいもつよいけど、とうちゃんはもっとつよいからな! きっと、とうちゃんがかってたとおもう!」
息子として、そこは譲れないのだろう。
強く断言する倭吽陀に、斗羅畏は苦笑いで答える。
「お前の言う通りだろう。あのまま続けていれば、俺が負けていた。認めるのは腹に据えかねるがな」
力の差、とは言いたくない。
斗羅畏もそれなりに鍛えて過ごし、修羅場をくぐって来た。
武人として自分と覇聖鳳の間にそこまでの差があったとは思っていない。
しかし、あのとき自分は冷静ではなかった。
怒りと油断から片目を塞がれて、明確に不利な状態から勝負を再開しても。
きっといずれ、打ち合っている間に、覇聖鳳の大刀の餌食になっていただろう。
今だからこそ、斗羅畏はそれを率直に認めることができるのだった。
「そっかー、とうちゃんはやっぱり、つよかったんだなー」
「今やれば、俺が勝つ。あいつに両の腕が揃っていてもだ」
心残りと負け惜しみの混じった台詞。
斗羅畏は情けないと自覚しながらも、敢えて吐いた。
倭吽陀を相手に虚勢を張る必要も、良い格好をする必要もない。
自分がそう思うこと、それを愚直に言葉にしたのだ。
その意気を知ってか知らずか。
子どもならではの、純粋で簡単なことを、倭吽陀は語る。
「じゃあ、とうちゃんのかわりにおれ、もっとつよくなるから! そのときはまた、しょうぶな!」
「ああ、待っている。早く強くなれ。俺よりも、お前の父親よりも、天下の誰よりもな」
その日はいつか来るだろう。
予感ではなく、確信が斗羅畏にあった。
誰よりも強い、なにものにも負けず縛られぬ、気高き草原の狼に。
この子を、必ず育てなければならない。
あの日、覇聖鳳と付けられなかった決着の未練を、倭吽陀に肩代わりさせるためではなく。
今、数奇な縁あって治めることとなったこの大地から、最強の勇者を生み出す責任が、頭領の自分にはあるのだから。
自分が最強でなくても、自分の土地から最強のものが現れれば。
そのとき、頭領としていい仕事ができたのだと、きっと自分を褒めることができるだろう。
「俺には俺の天下がある。突骨無(とごん)とも、親爺とも違う、俺だけの天下が」
「なんのはなしだー? わかんねーぞ?」
「今は気にしなくていい。いずれわかる」
楽しい未来の話を交わしながら、大小の狼が先を往く。
まだまだ、目的の場所へは道半ば。
だがしかし、その道中も楽しめるのだと、斗羅畏は爽やかな気持ちで悟っていた。
「へへ、獲物がいたぜ」
そんなとき、間が悪いことに。
よせばいいのに、最強を夢見る獰猛な獣に、ちょっかいを出そうとする小物たちがいた。
「ガキと、兵士一人か」
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