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第六章 蚕でも蜂でもなく

四十話 自由

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 物品庫から組み立て式の長梯子を運び、私と巌力さんは後宮南西の端にある塀の前へ。
 騒ぎの声は遠い。
 この塀の向こうがいきなり修羅場、ということは、まずないな。

「気付いてますよね、巌力(がんりき)さんは」

 私が翠さまのモノマネ、成り済ましをしていることは、バレているだろう。
 言葉にしなくても、彼の視線や表情、細かい動作の雰囲気から伝わった。

「いかにも。いったいどうして麗女史が司午(しご)貴人の振りをしておるのか、はじめはそう思いましたが」
「ずいぶん滑稽に見えたでしょう。貧相なちんちくりんが貴妃さまの真似をしてるなんて」

 巌力さんと私はそれなりに話したりもする仲だ。
 翠さまの化粧をしていても、その奥に「麗(れい)央那(おうな)」がいる、ということをすぐ見破ったに違いない。
 特別に鋭い人でなくても、長く一緒の時間を過ごした相手に違和感を持たれるのは、当然だった。

「奴才(ぬさい)は、麗女史の行動は正しいと考えまする。多くの妃、宦官たちを納得させるためには、司午貴人に成りすますのが、あの場では最も良かったのだと」
「わかっていただいて嬉しいです。よし、できた」

 梯子を組み立て終わり、塀に立て掛ける。
 
「やはり、奴才が登って見た方がよろしくありませぬか」

 下で抑える役目の巌力さんが、表情を変えずに言う。
 見た目は似ても似つかないんだけど、なんか巌力さんは、翔霏(しょうひ)と同じ雰囲気があるんだよなあ。
 会話が無くても、一緒にいて心が休まると言うか。
 きっと彼は心配して言ってくれているのだろうけど、私は首を振った。

「自分で見るのが一番早いし、情報の解像度も高いので」
「難しいことをおっしゃる」
「あと巌力さんは、塀から顔を覗かせただけでも、大きいので目立っちゃいます」
「確かに……」

 そう言われて、巌力さんはシュンと肩をすぼめた。
 ちょくちょくカワイイんだよな、この人。
 私は梯子をうんしょと登って、塀の頂上に到達する。
 毛蘭(もうらん)さんの治療のために邪魔くさい衣服の裾をちぎって、身軽になっておいてよかった。
 後宮の塀の外側、そこに私が見たものは。

「あ、ああ、中書堂が」

 木造五階、叡智の集積地、中書堂。
 一階に火を付けられ、煙を吐いて炎上していた。
 私もすっかり常連になったガリ勉の塔が、賊徒に火を付けられ、燃やされている。
 建物から逃げまどい、都督(ととく)検使(けんし)に保護されている書生さんたち。
 入り口でみんなに声をかけているのは、いつぞやに本の貸し借りを手伝ってくれた、ヒゲの若仙人だ。
 あの建物は、本ばっかり山のように収蔵している。
 火の手が回りはじめたら、逃げるのなんて間に合わない。
 階段は急だし、狭いし。

「あ、でも」

 私は気付き、思い出す。
 しっかりした欄干(ベランダ)と、そこに出入りする扉、壁に開いてる窓は、広いことを。
 逃げられる、そこからいくらでも、逃げられるぞ。
 はああああ。
 静かに、長く息を吐く。
 ひゅううう。
 大きく、深く息を吸う。
 小さな体の、肺活量いっぱいに空気を貯め込み、私は。

「飛び降りてーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 あらん限りの大声を、中書堂に向かって張り上げた。

「階段からじゃ無理ーーーーーーー―!! 欄干から下に飛んでーーーーーーー!!」

 届け、中書堂までの距離、南東100メートルちょっと。
 デカい声の使いどきは、ここだ!
 私の声よ、届け!
 叫べ、麗央那!!

「本なんかどうでもいいからーーーーーーー!!」

 喉の奥がガサつく。
 大声出し過ぎて、どこか痛めたかな。
 鉄臭い血の味を口の中に感じながら。
 それでも私は、全身全霊で、叫ぶんだ。 

「みんな、生き延びてーーーーーーーーーーーーーーー!!」

 中書堂では、意を決して三階四階の高さでも、飛び降りて脱出する人が出てきた。
 あれま、いつだったか私をナンパしようとした、青びょうたんの書生もいるぞ?
 混乱の中で私の声が聞こえたのか、それはわからないけど。
 ひとまず、よし。
 生き延びてくれさえすれば、次が、繋がる。
 せっかく拾った命なんだ、これからもしっかり勉強しろよ、名前も知らないお兄さん。

「おや、なんだこれ?」

 自分の中のなにかに気付き、思わず声に出た。
 私、今、なにか胸にすっごいつかえてて、不愉快だったものが、消えた気がするぞ。
 常に私の体の中に留まってへばりついて、モヤモヤとした不快感をもたらしていた、謎のなにか。
 まるでおんぶお化けのようにべっとりと私の心にのしかかり、私をがんじがらめにしていた、正体不明の閉塞感が。
 綺麗さっぱり、消えてなくなった感覚。
 視界も思考も、かつてないほどクリアに澄み渡っている。

「ま、いいや、気にしてる場合じゃない。次だ次ィ!」

 見えている状況、私にできることが、まだある。  
 南門に面する広場では、どこから入り込んだのか、馬に乗った賊徒もいる。
 馬車で資材を運び込むように見せかけて、騎馬用の速い馬を持って来やがったな?
 手当たり次第に、目に入る建物に松明(たいまつ)を投げ込み火矢を打ちこみ、放火して回ってる奴もいるぞ。

 バアアアァァン!!
 
 激しい炸裂音がこだました。
 丸い容器を投げたやつが目に入った。
 あれはいわゆる、火炎瓶か、陶製爆弾か。
 器に火薬や油脂を詰めて、投げて壊れたときに種火から着火し、起爆させるタイプの兵器だろう。

「き、貴様ら、ここをどこだと思っている!」
「後宮の南門に集まれ! 狼藉者どもをひっ捕らえろ!」
「狼煙だ! 狼煙を焚け! 禁軍に連絡を入れるんだ!」

 皇城の警護任務にあたる検使さんたちが、各所からわらわらと集まっている。
 賊徒の鎮圧。
 消火、避難、救護作業。
 城外に駐屯している禁軍への連絡。
 そういった、諸々の同時進行をどうするべきか、統制が取れていないように見える。
 行動が散発的で、場当たりだ。
 私はそのうちの、賊を追いかけ回している都督検使の人に向かって。

「燃料庫に火を付けようとしてるやつがいるから、そいつをやっつけてーーーーーー!!」

 後宮内は東西南北の中庭に一つずつ、後宮の外は南門前広場に二つ、大きな燃料庫がある。
 賊が放火を行う手段は一つ二つだけではない。
 先に言った火炎瓶もそうだし、松明も火矢も、使える手段はなんでもかんでも、縦横無尽に飛ばしてやがる。

「弓を持ってる奴を優先に、ぶちのめしてーーーーーーーーーーーーーッ!!」

 私の声が届いているのかいないのか
 ともあれ検使たちの動きが、少しだけ変わった。
 火が点いても周囲に大きな影響がない箇所は、一旦は放置する。
 中書堂は学士さんたち自身が、自主的に避難誘導や消火活動、怪我人の保護を進めてくれている。
 そうして生まれた人的リソースで、飛び道具で放火して回っている賊を、優先的に制圧するようになった。
 しかしまだまだ、後宮周辺は混沌の状況から、抜け出せない。

「クソ狗(いぬ)どもが、流石に手慣れてんなあ」

 いつか見た光景が、ありありと脳裏によみがえって、私は翔霏よろしく悪態を吐いた。
 放火して、大きな音と叫びを上げて、現場を思う存分、混乱させて。
 そこから、殺せるだけ殺して、奪えるだけ奪って回る。
 ことが済んだら、風のような速さで逃げて消えるんだろう?
 知ってるよ、そのやり方は。
 お前たちお得意の、お家芸を、目の前で見て知ってる女が、ここにいるよ!

「てめえらのやり口は、こちとらしっかり予習済みなんだよーーーーーーーッ!!」

 どこかにいるであろう、あの男。
 もう嫌い過ぎて憎み過ぎて「アレ」としか表現したくない、あいつがどこかで聞いているかな。
 聞いているはずだし、この混乱の現場にいるはずだ。

「って、やばっ。狙われてるし!?」

 火薬仕掛けの弓矢を構えた敵が、こっちを狙っているのに、たまたま運よく気付いた。
 ロケット花火の先っぽの筒みたいなものが、矢の先端に付いてるな。
 私は梯子を飛び下りる。

「おっと」

 下で構えてこちらを注視してくれていた巌力さんが、落ちる私を力強く抱き止めてくれた。
 筋肉の厚みと弾力スゴっ。
 ちょっと、いやかなりキュンとしちゃったわ。
 私ってば乙女さん。

 ゴガァン!!

 私を狙っていた矢は実に憎たらしいことに、正確に私が顔を覗かせていた塀の上っぺりにぶち当たり、爆轟を奏でた。
 後宮の外塀は煉瓦で覆われた土壁なので、引火しないのが頼もしい。

「ありがとうございます。おかげでいろいろと状況が見えました」

 ギリギリの命拾いをした私は、気持ちよく笑って巌力さんにお礼を言う。

「それはなにより。しかし、無茶をなさる。命がいくつあっても足りませぬぞ」
「無茶を通さないとできないことが、いっぱいあるんです。残念なことに、巌力さんのように大きくも強くもないもので」
「戯れを言う余裕がおありとは……」

 呆れたように巌力さんが微笑する。
 こんなときこそ、笑わないとね。
 中庭に戻るため、私は巌力さんと共に駆ける。
 その間も情報収集と、状況分析だ。

「巌力さん、北苑の塀には工事用の出入り口を仮設するために、穴を空けるって話でしたよね?」
「いかにも。すでに多くの工事資材などが、塀の外に配置されておりました」
「おそらく事前に搬入されたその資材が、火薬や燃料、あるいはあいつらの武器だったんでしょう。あいつら、工事の人の振りをして堂々と、後宮を燃やす段取りをしてたんです」

 バカな、と唖然とした表情の巌力さん。
 しかしなにかに思い当たるように、こう言った。

「……麻耶奴(まややっこ)が姿を消したことで、工事や運送に関わる出入りの者の対応に、混乱や抜け落ちがあったのは、確かでござる」
「ええ。麻耶さんは五年前に今の後宮が建設されたとき、当時の契約やお金の計算、段取り全般に関わっていたはずです。その麻耶さんが残した資料を参考にして、宦官のみなさんは業者の選定をしたり、物資を運ばせたはずですよね?」
「全くその通り。まるでお見通しなのには恐れ入る。奴才も書類の確認などで助っ人に駆り出され申した」

 大きな体でちまちまと書類の不備を確認している巌力さんを想像し、私は少し楽しい。
 
「それも全部、麻耶さんがいないことで発生したわけですよね」

 話していくうち、巌力さんも、哀しく、そして驚くべき一つの結論を理解し。

「まさか、よもやそのようなことが」

 それを口にするのを、ためらった。
 代わりに私は、残酷な、確信に近い推定を言い放つ。

「賊どもの侵入は、麻耶さんの手引きです」
「ああ、麻耶宦官が、なんとしたことか……」
「麻耶さんはどのように書類をごまかして、姿や服を偽装すれば賊が皇城の中に入って後宮を焼くことができるか考えて、みっちり戌族に教え込んだんでしょう」

 教えるのが、上手い人だった。
 頭も良く、仕事のできる人だった。
 だから尊敬していたし、もっともっと、彼から教えを請いたかった。
 麻耶さん。
 私を導いてくれた、かけがえのない恩師よ。
 あなたは長年培った叡智を、今、このために使いたかったんですね。
 今日この日の、この瞬間のために、あなたは生きていたんですね!

「れ、麗女史。なぜに、笑っておられる」
「え?」

 私は無意識に、笑っていた。
 ああ、私にはわかるからだ。
 いわれなき罪で男性にとって最も大切な下半身の宝物を切り取られ、書官の高みに登る夢を断たれた、哀しい人。
 麻耶という勉強熱心だった、中年の宦官。
 彼の気持ちが、動機が、思いの丈が。
 物理的にも精神的にも、自分から大事な宝物を奪った相手に。
 必ず復讐してやるのだという、彼の断固たる決意が、手に取るようにわかるのだ。
 だから私は、こう言うのだ。

「麻耶さんの授業がまだ続いていることが、嬉しいんです。これから教え子の私が、どうにかこうにかして、この局面を乗り切ります」
「なにを、こんなときに……」
「徹底的にやってやる。今回は思う存分、知恵と力と気合いの限り、やってやるぞ」

 今の私は、泣いていない。
 逃げてもいない。
 弱弱しく助けを呼びながら、立ち止まってもいない。

「ああ、くそう、ちくしょうめ。さっきまで後宮を、出て行こうとしてたのになあ!」
「れ、麗女史、あなたは、一体……」

 お別れのための心の整理を、していたはずなのになあ!
 この場所を守るために、走り回ってあれこれ考えてるのが、こんなにも楽しいだなんて!!

「負け犬の私は、くじけた泣き虫の私はどこにもいない!」

 昂国八州、その中心たる河旭城。

「見ているか、私の『運命』よ!! 残酷にして無情な隣人よ!!」

 小さな女が、朱蜂宮の一画で、高らかに叫ぶ。

「私は、私を奪い返す!! あの夏の日と同じだと思ったら、大間違いだぞ!!」

 すべてを奪った運命から、私自身を、取り戻すんだ。

「麻耶さんだろうが、覇聖鳳だろうが、なんでもかかって来いやァーーーーーーッ!!」
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