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第六章 蚕でも蜂でもなく
四十六話 後宮、燃ゆ
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朱蜂宮(しゅほうきゅう)の北側を守る塀の一部が、音を立てて崩壊し、大きな亀裂を生じた。
「おっしゃあ、空いたぜお頭ァーッ!」
「俺が一番乗りだってーの!!」
多くの戌族(じゅつぞく)たちがその穴に群がり、瓦礫を除去して隙間を広げ、後宮の中に、侵入していく。
覇聖鳳(はせお)がハッキリと、笑みを浮かべた。
本当に、癇に障る貌だった。
思わず汚い言葉が出てしまう。
「クソ野郎が。楽しそうにしやがってよ」
後宮を破り、奪い、焼く。
その過程で、どれだけ損失を負っても、女房である邸瑠魅(てるみ)を失ったとしても。
昂国(こうこく)皇城(こうじょう)、その後宮を侵し、荒らし尽くしたという風評と伝説こそが、覇聖鳳の真に欲しいものなのだ。
その伝説は恐怖を呼び、覇聖鳳の存在感はますます大きくなる。
戌族内部での立場の向上もあるだろうし。
きっと昂国の子供たちの間にも、覇聖鳳をモチーフにした唄が流行るかもね。
旧王族の傍流にして、同氏同族の反乱を容赦なく平定した首切り軍師、除葛(じょかつ)姜(きょう)さんのように。
「でも、残念でした。覇聖鳳、あんたに後宮は、奪わせないし、焼かせない」
私は破壊された塀から戌族が侵入しようとするのを見届けて、塀の向こうにいる、頼もしい仲間、宦官さんたちに、叫ぶ。
「やっちゃってくださーーーーい!!」
はいなー、と反応が返って来た。
もう、ここに用はない。
北の塀が破れるこのタイミングで、戌族の兵士も大多数はこの現場に集まって来た。
ここから奴らはとにかく時間との勝負で、後宮の内部を荒らし、金品を奪い、余裕があればお妃さまをさらうつもりだろう。
荒らすと同時に、後宮に火をかけて、混乱のうちに逃げる。
そのためには人手が、人数が要るんだ。
「翔霏! もうそんなの相手にしなくていいから、私と一緒にここを離れて!」
「ん。わかった」
私の言葉に素直に従い、翔霏は走り出す。
地べたにはいつの間にか虫の息になって、白目で血を吐きながらピクピクと痙攣している邸瑠魅。
「あ……ウゥ、エゥアぁ、うぶッ」
見たところ邸瑠魅は手足を散々に打ち据えられて、顎も割られ、喉も潰されているようだ。
結果から見るほど邸瑠魅がザコなわけではなく、むしろ戌族の中でもかなりの使い手なのだろう。
翔霏と向かい合って戦って、これだけの時間を死なずに生き延びることができた生物を、私は邸瑠魅の他に知らなかったから。
相手が悪すぎただけなのだ。
トドメを刺すまでもなく、再起不能だろうな。
それでもあの状態で生きているんだから、人の生命力というのは凄い。
私の仕掛けで、こいつらみんな、死んでくれるかどうか。
「な、な」
「嘘だろ」
塀に空いた穴、亀裂から後宮の中に入った戌族兵士の、絶望の声が聞こえた。
直後。
ゴオオオォオォウウウゥゥゥゥ……!
炎が、巨大な火柱が、後宮の中で燃え盛る音が響いた。
油もおがくずも炭もあるから、どんど焼きのように、よく燃えるね!
これが私のできる、最後の仕掛けだ。
私は正体を明かして塀の上に登る前、巌力さんや宦官さんたちに作戦を残していた。
「塀に穴が開いいたらここに積んで構えてある資材を燃やして戌族を迎え撃ってやりなさい。点火したらすぐに離れるのよ」
そう、塀を破ったその先に待ち構えるのは。
宦官さんたちが命を賭して必死に築いてくれた、いくばくかのバリケードと。
「な、なんだこの煙!? くっせえ!!」
「目、目が痛ェよ、開かねえ……」
大量に周囲に積まれた、毒性可燃物の、山。
発せられる煙が、侵入者たちを無慈悲に包み込む。
「覇聖鳳ーーーー! 悔しいだろーーーー!? ねえ今どんな気持ちーーーーー!?」
後宮北苑が、燃えている。
塀より高い火柱を生み出して、轟々と音を立てて。
「後宮を焼いたのは、お前じゃない! 頭のおかしい侍女、神台邑の生き残り、この麗央那だーーーーッ!!」
毒の煙がおまけに出るぞ。
二酸化硫黄とか、おしろいに使うヒ素ガスとか、蒸気水銀とか、他にもちろん一酸化炭素も二酸化炭素も。
仕掛けた私でも、いったいなにが発生してるのかわからないくらい、たちの悪い毒気が、わんさと撒き散らされているぞ!
空気より重いその毒性ガスは、中々天に昇って行かず、地面を這うように広がる。
お宝と美女を求め、浮かれて後宮になだれ込むお前の手下を、じわじわと、殺し尽くしてやる。
「お、お頭、だめだァ! 火と煙が立っちまって、入って行けねえ……!」
弱音を吐いた哀れな戌族の男が、覇聖鳳の元に力無く戻って具申する。
立ち昇る火柱と縦横無尽に舞い散る火の粉。
歩行を邪魔する障害物の数々。
さらに視界を遮り、目と鼻を不快に刺激する悪臭の煙。
それがどれだけ厄介で、人の心をくじくのか。
私は、この身をもって知っている!
知っているということは、力であり、武器であるのだ!!
しかし、それを知らない覇聖鳳は。
「チッ」
と舌打ちして、弱音を吐いた男の首を、大刀を一振りし、刎ねた。
血が飛び散るより早く、男の頭が地面に転がった。
「少しの火なんざ突っ込め! お宝は目の前なんだぞ! なにがなんでも神剣だけは獲って来い!!」
今まで常に冷静を保っていた覇聖鳳が、明らかに激している。
わかるよ、その気持ちが、私には。
後宮を滅茶苦茶にするというお前の伝説は、半分はこの私が奪ってしまった。
私のせいで伝説と風評を満足に得られないお前は、せめてお宝の少しでも、高貴な宮妃の何人かでも、持ち帰らなきゃ割に合わない。
今日この日の計画のために、いっぱい投資したんだろうからね。
私は知らないけど、ずいぶん貴重な剣が後宮にあるらしいな。
それがお前の、第一目標だったのかな?
損益の分岐点までは、最低限の投資は回収しないと気が済まないというのは、悪いギャンブラーの習性だ。
しかもその煙には猛毒が潜んでいることなど、覇聖鳳には詳しくわからないだろうし。
「あ、ぐうぅ、苦しい」
「いてぇ、頭が、体がいてぇよぉ、お頭ぁ……」
「お、おぅ、おぶろろろろろ」
「し、しっかりしろ、べっぴんたちが奥に、山ほど……」
もがき、苦しみ、嘔吐し、倒れて行く戌族の兵士たち。
毒が致死性なのかどうか、試すわけにもいかないからわからないけど。
とりあえず嫌がらせとしては、大、成、功!
宦官の皆さんが爆音のさなかでも、せっせと障害物のバリケードを設置してくれていたのが、本当にありがたい。
せっかく苦労して塀に穴を空けることに成功したと言うのに、毒煙と炎と障害物のトリプルコンボで、奥まで足を踏み入れられる奴はほとんどいないだろう。
「ここは朱蜂宮、朱い蜂の宮だ! 私たちが飛ぶことも戦うこともできないカイコだとでも思っていたのか!?」
覇聖鳳を煽り、私は逃げる。
まさか後宮の内部の人間が火を放ち、毒を撒くとは思ってもいなかっただろう。
朱いスズメバチ、よく知られた名ではヒメスズメバチ。
普段は大人しい性質だけど、巣にちょっかいをかけられたら獰猛に反撃する、美しくも恐ろしい、肉食の蟲。
知らずにうかつに手を出した、自分の愚かさを悔いるがいい。
覇聖鳳にトドメを刺せないのは残念だけど。
思う存分、出来る限り、嫌がらせをしてやったぞ!
「銅鑼の音が遠くに聞こえるな。やっと軍が来たか」
私の身をかばいながら、流れる煙と反対方向へ移動している中で、翔霏が言った。
え、私には聞えないんだけど。
どんだけ耳がいいんだよ、翔霏は。
禁軍が到着するなら、もう覇聖鳳は、時間切れだ。
装備も充実し、訓練も行き届いている正規軍は、都督(ととく)検使(けんし)ほど甘くないぞ。
苦虫を噛み潰したような覇聖鳳の顔を見て、私は。
「第二ラウンドは、私の勝ちだ! ざまーみろ!!」
たまらない達成感で、蒼天に向かって戦勝の喜びを報告した。
あの無様な負け方をした初夏の日が第一ラウンドで。
今日はまだ、第二ラウンド。
私も、覇聖鳳も、生きている。
戦いはまだまだこれからも、続くのだ。
「おっしゃあ、空いたぜお頭ァーッ!」
「俺が一番乗りだってーの!!」
多くの戌族(じゅつぞく)たちがその穴に群がり、瓦礫を除去して隙間を広げ、後宮の中に、侵入していく。
覇聖鳳(はせお)がハッキリと、笑みを浮かべた。
本当に、癇に障る貌だった。
思わず汚い言葉が出てしまう。
「クソ野郎が。楽しそうにしやがってよ」
後宮を破り、奪い、焼く。
その過程で、どれだけ損失を負っても、女房である邸瑠魅(てるみ)を失ったとしても。
昂国(こうこく)皇城(こうじょう)、その後宮を侵し、荒らし尽くしたという風評と伝説こそが、覇聖鳳の真に欲しいものなのだ。
その伝説は恐怖を呼び、覇聖鳳の存在感はますます大きくなる。
戌族内部での立場の向上もあるだろうし。
きっと昂国の子供たちの間にも、覇聖鳳をモチーフにした唄が流行るかもね。
旧王族の傍流にして、同氏同族の反乱を容赦なく平定した首切り軍師、除葛(じょかつ)姜(きょう)さんのように。
「でも、残念でした。覇聖鳳、あんたに後宮は、奪わせないし、焼かせない」
私は破壊された塀から戌族が侵入しようとするのを見届けて、塀の向こうにいる、頼もしい仲間、宦官さんたちに、叫ぶ。
「やっちゃってくださーーーーい!!」
はいなー、と反応が返って来た。
もう、ここに用はない。
北の塀が破れるこのタイミングで、戌族の兵士も大多数はこの現場に集まって来た。
ここから奴らはとにかく時間との勝負で、後宮の内部を荒らし、金品を奪い、余裕があればお妃さまをさらうつもりだろう。
荒らすと同時に、後宮に火をかけて、混乱のうちに逃げる。
そのためには人手が、人数が要るんだ。
「翔霏! もうそんなの相手にしなくていいから、私と一緒にここを離れて!」
「ん。わかった」
私の言葉に素直に従い、翔霏は走り出す。
地べたにはいつの間にか虫の息になって、白目で血を吐きながらピクピクと痙攣している邸瑠魅。
「あ……ウゥ、エゥアぁ、うぶッ」
見たところ邸瑠魅は手足を散々に打ち据えられて、顎も割られ、喉も潰されているようだ。
結果から見るほど邸瑠魅がザコなわけではなく、むしろ戌族の中でもかなりの使い手なのだろう。
翔霏と向かい合って戦って、これだけの時間を死なずに生き延びることができた生物を、私は邸瑠魅の他に知らなかったから。
相手が悪すぎただけなのだ。
トドメを刺すまでもなく、再起不能だろうな。
それでもあの状態で生きているんだから、人の生命力というのは凄い。
私の仕掛けで、こいつらみんな、死んでくれるかどうか。
「な、な」
「嘘だろ」
塀に空いた穴、亀裂から後宮の中に入った戌族兵士の、絶望の声が聞こえた。
直後。
ゴオオオォオォウウウゥゥゥゥ……!
炎が、巨大な火柱が、後宮の中で燃え盛る音が響いた。
油もおがくずも炭もあるから、どんど焼きのように、よく燃えるね!
これが私のできる、最後の仕掛けだ。
私は正体を明かして塀の上に登る前、巌力さんや宦官さんたちに作戦を残していた。
「塀に穴が開いいたらここに積んで構えてある資材を燃やして戌族を迎え撃ってやりなさい。点火したらすぐに離れるのよ」
そう、塀を破ったその先に待ち構えるのは。
宦官さんたちが命を賭して必死に築いてくれた、いくばくかのバリケードと。
「な、なんだこの煙!? くっせえ!!」
「目、目が痛ェよ、開かねえ……」
大量に周囲に積まれた、毒性可燃物の、山。
発せられる煙が、侵入者たちを無慈悲に包み込む。
「覇聖鳳ーーーー! 悔しいだろーーーー!? ねえ今どんな気持ちーーーーー!?」
後宮北苑が、燃えている。
塀より高い火柱を生み出して、轟々と音を立てて。
「後宮を焼いたのは、お前じゃない! 頭のおかしい侍女、神台邑の生き残り、この麗央那だーーーーッ!!」
毒の煙がおまけに出るぞ。
二酸化硫黄とか、おしろいに使うヒ素ガスとか、蒸気水銀とか、他にもちろん一酸化炭素も二酸化炭素も。
仕掛けた私でも、いったいなにが発生してるのかわからないくらい、たちの悪い毒気が、わんさと撒き散らされているぞ!
空気より重いその毒性ガスは、中々天に昇って行かず、地面を這うように広がる。
お宝と美女を求め、浮かれて後宮になだれ込むお前の手下を、じわじわと、殺し尽くしてやる。
「お、お頭、だめだァ! 火と煙が立っちまって、入って行けねえ……!」
弱音を吐いた哀れな戌族の男が、覇聖鳳の元に力無く戻って具申する。
立ち昇る火柱と縦横無尽に舞い散る火の粉。
歩行を邪魔する障害物の数々。
さらに視界を遮り、目と鼻を不快に刺激する悪臭の煙。
それがどれだけ厄介で、人の心をくじくのか。
私は、この身をもって知っている!
知っているということは、力であり、武器であるのだ!!
しかし、それを知らない覇聖鳳は。
「チッ」
と舌打ちして、弱音を吐いた男の首を、大刀を一振りし、刎ねた。
血が飛び散るより早く、男の頭が地面に転がった。
「少しの火なんざ突っ込め! お宝は目の前なんだぞ! なにがなんでも神剣だけは獲って来い!!」
今まで常に冷静を保っていた覇聖鳳が、明らかに激している。
わかるよ、その気持ちが、私には。
後宮を滅茶苦茶にするというお前の伝説は、半分はこの私が奪ってしまった。
私のせいで伝説と風評を満足に得られないお前は、せめてお宝の少しでも、高貴な宮妃の何人かでも、持ち帰らなきゃ割に合わない。
今日この日の計画のために、いっぱい投資したんだろうからね。
私は知らないけど、ずいぶん貴重な剣が後宮にあるらしいな。
それがお前の、第一目標だったのかな?
損益の分岐点までは、最低限の投資は回収しないと気が済まないというのは、悪いギャンブラーの習性だ。
しかもその煙には猛毒が潜んでいることなど、覇聖鳳には詳しくわからないだろうし。
「あ、ぐうぅ、苦しい」
「いてぇ、頭が、体がいてぇよぉ、お頭ぁ……」
「お、おぅ、おぶろろろろろ」
「し、しっかりしろ、べっぴんたちが奥に、山ほど……」
もがき、苦しみ、嘔吐し、倒れて行く戌族の兵士たち。
毒が致死性なのかどうか、試すわけにもいかないからわからないけど。
とりあえず嫌がらせとしては、大、成、功!
宦官の皆さんが爆音のさなかでも、せっせと障害物のバリケードを設置してくれていたのが、本当にありがたい。
せっかく苦労して塀に穴を空けることに成功したと言うのに、毒煙と炎と障害物のトリプルコンボで、奥まで足を踏み入れられる奴はほとんどいないだろう。
「ここは朱蜂宮、朱い蜂の宮だ! 私たちが飛ぶことも戦うこともできないカイコだとでも思っていたのか!?」
覇聖鳳を煽り、私は逃げる。
まさか後宮の内部の人間が火を放ち、毒を撒くとは思ってもいなかっただろう。
朱いスズメバチ、よく知られた名ではヒメスズメバチ。
普段は大人しい性質だけど、巣にちょっかいをかけられたら獰猛に反撃する、美しくも恐ろしい、肉食の蟲。
知らずにうかつに手を出した、自分の愚かさを悔いるがいい。
覇聖鳳にトドメを刺せないのは残念だけど。
思う存分、出来る限り、嫌がらせをしてやったぞ!
「銅鑼の音が遠くに聞こえるな。やっと軍が来たか」
私の身をかばいながら、流れる煙と反対方向へ移動している中で、翔霏が言った。
え、私には聞えないんだけど。
どんだけ耳がいいんだよ、翔霏は。
禁軍が到着するなら、もう覇聖鳳は、時間切れだ。
装備も充実し、訓練も行き届いている正規軍は、都督(ととく)検使(けんし)ほど甘くないぞ。
苦虫を噛み潰したような覇聖鳳の顔を見て、私は。
「第二ラウンドは、私の勝ちだ! ざまーみろ!!」
たまらない達成感で、蒼天に向かって戦勝の喜びを報告した。
あの無様な負け方をした初夏の日が第一ラウンドで。
今日はまだ、第二ラウンド。
私も、覇聖鳳も、生きている。
戦いはまだまだこれからも、続くのだ。
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