バイト先は後宮、胸に秘める目的は復讐 ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第一部~

西川 旭

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第六章 蚕でも蜂でもなく

四十八話 翅のない蚕と翠の蝶

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 いかなる犠牲を払おうとも。
 必ずこの場で、敵の全員を殺し尽くすという強烈な意志が、玄霧(げんむ)さんたちの肉体と武器に宿っている。
 百人足らずの部隊が、まるで一つの生き物であるかのように、迷いなしに戌族の群れへぶち当たる。

「こ、こいつら、強ぇっ!!」
「お頭、これは無理だァ。逃げられねえよォ……」

 幾人かは、武器を地に捨てて馬を下り、両手を上げた。

「待て! 降参だ! 降るから命だけは!」
「俺たちはもう、抵抗しねえよ! 殺さなくてもいいだろ!?」
 
 そんな戌族の懇願は、しかしなにひとつ聞き入れられなかった。
 聞き入れられるわけが、ないのだ。

「貴様らがその言葉を、口に出すなああああぁぁぁぁッ!!」
「神台邑(じんだいむら)への行いを、悔やみながら死んで行けィ!!」

 荒ぶる玄霧さんと部下たちは、怖気づいた戌族の郎党を打ちのめして進む。
 ゴリゴリゴリゴリッ、と、文字通りに音を立てて、無数の戌族の命が、削り取られて行く。
 まるで工事や解体をしているのかと思うほど、無慈悲に圧倒的に、戌族の残党を「壊して」いるかのようだった。
 玄霧さんがここまで獰猛苛烈な武人だと、私はこのときに初めて知るのだった。

「す、すごい」

 戌族の兵士一人一人は、決して弱いわけではない。
 実戦経験も豊富で、血気盛んな荒武者たちの集まりのはずだ。
 しかし両者は明らかに、士気と統率の面で差があった。
 覇聖鳳が退却を指示した瞬間に、戌族の一団は気持ちが緩んでしまったのだろう。
 私の毒劇物燃焼作戦も、戌族の気持ちを萎えさせる多少の影響はあったかもしれない。
 そこに思いがけずに、逃げるはずの道から現れた玄霧さんたちを見て。

「狗(いぬ)の兵どもは、恐怖と驚きで体が竦んでいるな。動きが固い」

 翔霏が小声で評した通りの状態に陥っているのだ。
 あえて遠回りになってでも、戌族の逃げる方向を予測してそこに回り込んだ軍師、姜さんの采配の勝利だろうか。
 生き延びるため、逃げるために気持ちのスイッチを切り替えてしまった戌族と。

「決して一人も漏らすな! ここですべての禍根を断つ!」

 なにがなんでも敵を殺す、一人たりとも逃がさない、それ以外はなにも考えていない玄霧さんたちとの。
 気合いの、気迫の差が、目に見えていた。
 私も経験済みだから痛いほどにわかる。
 逃げたい、生き延びたいという考えと、闘うための強固な意志を同時に持ち続けることは、極めて難しいんだ。
 人数で言えば玄霧さんたちの方がやや少ないけれど、それでも、勝負になるわけはなかった。

「やるな、あの隊長。勢いで既に相手を呑んでいる」

 その見事な戦いぶりに翔霏も感心し、見入っていた。
 戌族の強みは、散開した軽装の騎馬弓兵によるヒット&アウェイの繰り返しである。
 突っ込んで闘うというよりは、機動力を活かしたタチの悪い嫌がらせを、執拗に継続するという戦術だ。
 それに対して玄霧さんとお仲間たちは、部隊全員が一匹の巨大で獰猛な獣であるかのように統率のとれた、矢印型の集団突撃を敢行している。
 あの形は、錐行(すいこう)の陣、と言うんだっけ。
 防御や逃走を全く考えない、攻撃特化の突撃陣形で、常に敵の数が薄い所を集中攻撃しているのだ。
 全体の兵数で負けていても、敵に攻撃を仕掛けるときは、必ず数的有利になるように。
 同じ騎馬部隊と言っても、その関係はじゃんけんのパーとチョキのように、まるで別物である。
 巨大で強靭なチョキである玄霧さんたちが、薄く広いパーである戌族の散兵を、悉く切り刻んでいた。

「ううう、頑張れ、みんな、頑張って」

 私は手に汗を握ってその光景を見守る。 
 初夏のあの日、一緒に神台邑の遺体を弔った、翼州左軍のみんな。
 真面目で働きもののお兄さんたちが、生き延びた私や翔霏の目の前で神台邑の仇を、取ってくれるんだ。
 第三ラウンドは、ない。
 多くの馬と敵兵が、雑草のように薙ぎ刈られて、バタバタと倒れ、地に転がって行く。
 玄霧さんたちが覇聖鳳に肉薄するのも時間の問題だ。
 願わくば、玄霧さんが覇聖鳳の首を獲ってくれますように。
 そう思っていたら。

「なッ!? と、止まれ! 止まれーッ! 総員止まれーーーッ!!」

 先頭を往く玄霧さんが剣を振るう手を停め、馬に急ブレーキをかけて、叫んだ。
 なにが起きたのか、私は周囲の状況を見渡す。
 覇聖鳳の側に、屈強な戌族の男に守られた、見慣れた宦官服の人物がいる。

「麻耶(まや)さん、ここで出て来たか」

 後宮襲撃事件の影のディレクターにして、私の恩師である麻耶さんが、やっと姿を現した。
 戌族兵士の手を借りたその麻耶さんが、一人の女性を伴っている。
 女の人の上半身は、縄できつく縛られていて。
 顔は、嫌というほど見慣れた、鏡や水面によく映るもので。

「翠さま!!」

 私の顔に化けてお出かけしていた翠さまを、縄で縛って、覇聖鳳の前に突き出していた。

「お、央那!? これはなんなの!? どうなってるのよいったい!? なんで麻耶とこいつらが仲間なの!?」

 ああ、我らが愛しきあるじ、翠蝶(すいちょう)貴妃殿下。
 翠さまは、失踪した麻耶さんが裏切り者で、戌族と通じているだなんて、微塵も思っていなかったんだ。
 だから、お忍び遊びで街にいたところを、麻耶さんになにか上手いことホイホイ言いくるめられて、この場に引っ立てられて来ちゃったのだな。
 皇城の中から爆発音が鳴り響いていたんだから、冷静に判断できなくても、仕方ないか。

「麗央那(れおな)、あの人質は知り合いか?」

 事情を知らない翔霏が私に聞く。
 私はとても切ない感情を抱きながら、それに頷く。

「頭はいいのに仲間を疑うことを知らない、私の雇い主なの。凄く、優しい人なの。あの貴妃さまのおかげで、毎日、楽しかったの」

 そう、翠さまは、そういう人だったよ。
 聡明で勘がいいのに、それ以上に善意の塊で、優しい人なのだ。

「なら助けてやりたいが……」

 翔霏が棍を持つ手に力を籠め、飛び出せる機会を窺う。
 覇聖鳳は翠さまを乱暴に自分の元へ引き寄せて、大刀の峰を翠さまの首元に押し当てる。
 その視線はずっと翔霏の方を向いており、微塵の隙も見せないのが、本当に、憎たらしい。

「こんなちんちくりんが人質になるのか?」 
「は、まがりなりにも後宮に四人しかいらっしゃらぬ、貴妃殿下でございますので」

 覇聖鳳の質問に、冷静に麻耶さんが答える。
 ようやく、この騒乱は麻耶さんの裏切りでもたらされたものなのだと理解した翠さまが、怒鳴り散らす。

「麻耶! あんた玄兄さまやあたしの前でよくもこんな恥知らずなことができるわね!! あんたが死罪になりそうだったのを方々駆けずり回って減刑してくれたのはあのとき都督だった玄兄さまやお父さまなのよ!!」
「はっは、今更何をおっしゃる。若き正義感をお持ちの検使でいらした玄霧さまのおかげで、拙の姉婿の罪は暴かれたのでございます。出入りの業者が役人や宦官と結んで宮廷費用の上前をかすめる程度のこと、半ば習慣となっておりましたと言うのに」

 司午家と麻耶さんとの関係を、私はこのときようやく深く理解した。
 麻耶さんにとっては減刑の恩人である前に、玄霧さんこそが姉婿さんを捕まえて処刑した、仇なんだ。
 玄霧さん、若い頃は河旭で都督検使の任に当たっていたんだな。
 犯罪者の縁者と言えども、麻耶さんの関与は薄いと判断して、司午家の人々は彼の助命に奔走したのだろう。

「みんなやってるから自分もやっていいなんて通るわけないでしょ! 逆恨みって言葉を知ってる!?」
「翠さまのおっしゃることは、まことに道理でございます。されど、人は恩よりも恨みを長く深く抱くもの。拙が今こうしているのも、なにもおかしことではございますまい」

 世界を二分二極化し、はっきりと秩序を示す恒教(こうきょう)をあれだけ信奉していた麻耶さん。
 その彼が、道理よりも不確かな、恨みという情を、心を優先した。
 そうだよね、人間、そんなに簡単に善だの悪だの、正否だの、割り切れないよね。
 こんな状況でも麻耶さんは、私に大事なことを教えてくれたよ。

「なるほどねえ」

 麻耶さんと翠さまの話を面白そうに聞いていた覇聖鳳だったけど。
 突然、自慢の大刀を振るって、麻耶さんの両足の腱を、切り裂いた。

「おっふ! な、ここまでしたこの私に、私に!?」

 両足の力を失って地べたを舐める麻耶さん。
 まったく予兆も予備動作もなかったので、麻耶さんも避けることができなかった。
 覇聖鳳のやつ、後ろで威張ってるだけじゃなく、本人もいっぱしの武芸者だな。
 その頭上で、覇聖鳳は乾いた口ぶりで言った。  

「情であるじを裏切る奴は、いつかまたその情で、俺サマも裏切るだろうよ」
「こ、この匹夫の青二才が……! 利いた風な口をォ!!」
「そのときになって俺サマの家まで燃やされちゃかなわねえ。ここまで役に立ってくれたのは礼を言う」

 麻耶さんの利用価値は、人質として価値の高い翠さまを連れて来た時点でもう、なくなった。
 用済みなのでこの場で捨てたのだ。

「しょ、所詮は礼も法も知らぬ野良犬であったか……!!」

 砂を噛みながら麻耶さんが覇聖鳳を睨みつけて言った。
 麻耶さんも麻耶さんで、覇聖鳳たち戌族に対し、なにかしらの蔑む気持ちを持っていたのだな。
 その気持ちを覇聖鳳は見透かしていたのか。

「言ってろ。ここまで大ごとを仕掛けたんだから、どのみち無事に生きながらえる目なんて、てめえにはありゃしねえんだよ」

 無慈悲な覇聖鳳の言葉に、麻耶さんが地面を拳で叩いた。
 動けない状態でここに残せば、昂国の誰かが麻耶さんを無惨に殺すであろうと予測して。
 仲間を裏切るという行動をとった麻耶さんを、覇聖鳳は最初から信用していなかったのかもしれない。

「ぬ、ぐぐ……」

 部隊を突っ込ませようかどうか、玄霧さんが歯ぎしりして悩んでいた。
 血を分けた実のカワイイ妹が、人質に取られてしまったのだから。
 玄霧さんの懊悩を察して、翠さまが叫んだ。

「玄兄さま! あたしに構わずこいつらをやっちゃって!」
「す、翠蝶……」
「あたしだって武門の家に生まれたからには覚悟くらいできてるわ! こいつらをみすみす逃がしたら司午家の名に泥がかかるのよ!」

 そう叫んで翠さまは、自分の口を大きく開き。

「だ、ダメー! 翠さまぁーーーーッ!!」

 舌を噛み切ろうとしたのだ。
 私はそれを予感し、悲鳴にも似た声を上げた。

「いってぇ。やんちゃな貴妃さんだなおい」

 しかし、翠さまの舌は、無事だった。

「モガガッ! ムグムグゥ!!」

 覇聖鳳が翠さまの口に強引に指を突っ込んで、翠さまが舌を噛み切ろうとするのを防いだのだ。
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