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第七章 答え合わせ
五十二話 さようなら、もう一人の私
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後宮の北区画。
戌族(じゅつぞく)の暴徒集団が去り、麻耶(まや)さんは禁軍の人たちに引っ立てられていった。
重要な首謀者の一人である麻耶さんの身柄を禁軍に預けたのは、彼らの面目を多少なりとも立てなければならないという、姜(きょう)さんの差配だろう。
私が仕掛けた火計の残骸は、どうやら他の建物に延焼せずに済んだ。
敵の侵入は防げたものの、塀には無惨に穴が開き、その内側には触らない方がいい残骸が散らかっている。
「あ、あの。翠(すい)さま、大丈夫でしたか?」
今更のように、どのツラ下げて、白々しく。
私はいっとき人質に取られて手荒な扱いを受け、命の危機が目の前に迫っていたご主人さまの安否を尋ねる。
ぶん殴られても仕方のないことを色々とした気がするので、キツく歯を食いしばり、コォッ、と両足を踏ん張って構えたけど。
「あ、あ……」
翠さまはよろよろと私の元へ力無く駆け寄り。
「央那(おうな)~~! 生きてるのよね!? あたしたち生きてるのよね!! もうダメかと思ったわ~~~~!!」
私に抱きついて、周囲の目ももはばからずに、号泣された。
「なんなのよ! 戌族の連中がいきなり来るなんて聞いてないわよ! どうして麻耶(まや)が裏切ったりするのよ! あたしが悪かったっての!? ねえ教えてよ央那! あんたならわかるでしょ!?」
子供のように泣きじゃくる翠さまを、私はぎゅうっと強く抱きしめる。
翠さまの体、あったかいなあ。
一つ、気になることを質問してみた。
「翠さま、最近、麻耶さんとゆっくりお話ししたこと、なかったですよね?」
「え」
私に言われて翠さまは、ひっくひっくとしゃくりあげながらも、中空を眺めて沈思黙考する。
「ないわ。麻耶は後宮から姿を消す前は忙しそうにしてたし話そうとしても間が悪かったりで……」
それだ。
勘が良く人を見る目がある翠さまなら、じっくり話せば麻耶さんがなにかを企んでいたのを、見抜いただろう。
二人が席を同じくしなかったのは偶然ではなく、麻耶さんがわざと、翠さまを避けていたのだ。
ちゃんと話し合えてなかったのだから、わからなくて当然だよな。
「ごめんなさい、翠さま。私にもなにがなんだか、わからないんです。怖い思いをさせて、ごめんなさい」
いろいろ勉強して、調べて、考えて。
でも結局、わからないことばかりだ。
麻耶さんがこのタイミングで後宮を、翠さまを、昂国(こうこく)を裏切る決め手になった要素がなんであるのか。
覇聖鳳(はせお)がなぜここまでの大きなリスクを冒して、自分の武名を高めようとして、昂国(こうこく)に執拗な襲撃を企てるのか。
お宝の中でも特に、神剣と呼ばれるアイテムにこだわったのはなぜなのか。
根本的、本質的な部分は、私にもわからない。
でも、私たちは生きている。
生き延びたのだ。
わからないことを抱えたまま、これからも、生きて、進んで行かなきゃいけないのだ。
「あたしのせいで玉楊(ぎょくよう)があいつらに連れて行かれちゃったわ。あたしが間抜けなせいで捕まったのに! 玉楊がどうして連れて行かれなきゃならないの!? こんなのってないわよ!」
玉楊というのは、環(かん)貴人の下の名前だ。
普段、翠さまを中心とした後宮(こうきゅう)西苑(さいえん)の女性たちは、疑似的な家族、姉妹であるという意識から、親しみを込めて下の名前で呼び合う。
しかし東苑の統括である環貴妃を名前で呼びつけるのも失礼だろうということで、弁えて環貴人と呼ぶ。
翠さまもきっと、いつか親しく「玉楊」「翠蝶(すいちょう)」と呼び合える関係に、なりたかったのだろうか。
「環貴人がおっしゃった通り、翠さまは後宮に必要な人です。自分が行けばよかった、なんて思わないでください。それは環貴人の尊い決断を無下にする言葉です」
普段はお姉さんであり雇い主である翠さまを、今は私がなだめ、諭している。
私の説諭に翠さまは泣きながらも、うん、うん、と自分自身を努めて納得させるように頷いた。
「後宮を……」
ひっくひっくと呼吸を乱しながら、翠さまが私に問う。
「後宮を焼いたのはあんたなの? 央那がそんな大それたことをしたの? 主上と宮妃の安らぐ神聖な家である後宮にあんたが火を点けちゃったの?」
「はい、私なんです。私が、後宮を焼きました」
私が少しのごまかしもなく、真っ直ぐにそう答えると。
あうあう、と翠さまは口をパクパクさせて。
「壊れた塀の奥で燃えて燻ってるあの残骸が央那の仕業なの? 塀の前で倒れて唸ってる戌族の輩どもはいったいどうしたの?」
「たっぷり毒気を含んだものを大量に燃やして、いつだかのネズミの子のように、戌族を悶絶させたんです。火の勢いは弱ったけどまだ煙が出てるので、近寄らないでくださいね」
火だけではなく、毒まで出しました。
それらすべては明白に、疑いようもなく、私、央那の仕業です。
堂々とそれを告白すると、翠さまは顔面をみるみる蒼白に変化させて。
「ウーン」
そのまま、卒倒あそばされた。
翠さまも、ギリギリのいっぱいいっぱいだったんだよな。
気を失った翠さまの体を抱え、私は銀月太監に言伝(ことづて)る。
「どんな理由があろうと、後宮を焼いた大罪人である私は、ここにはもう居られないと思います」
「いや、それは、なんとも、古来からの前例があるかどうか、いや、こんな前例、あるわけもなく、しかし、御宮(おんみや)を守ろうとしたゆえのことで……」
目に見えて銀月太監は狼狽、混乱していた。
そりゃそうだ。
いくら異賊の撃退のためとはいえ、後宮を燃やして毒ガスをまき散らした侍女なんか、いるわけない。
前例がないということは、私を裁く法律は整っていないということ。
罪を負うかどうか、全く予測がつかないと言うしかない。
日常の実務方面に強い反面、文献の解釈や過去の記録整理が苦手な銀月太監では、パッとわからないだろう。
それでも私は、後宮を去る。
もともと、そのつもりだったのだ。
「頭がおかしくなった侍女が、どこへと知らず消えた。そういうことにしてくださいますか。どうか翠さまたちに罪科が及ばないように取り計らってください。心から、お願いします」
私は深々と頭を下げ、昏倒している翠さまを銀月太監に預けた。
後宮を、皇城を去る前に、もう一人二人、話しておきたい人がいる。
そのうちの一人は、環貴人という尊いあるじを失って悲しみに暮れている、巌力(がんりき)宦官だ。
「巌力さん」
私が声をかけると、地面にうずくまり泣き濡らした顔の巌力さんが、ぬうっと顔を上げた。
意識すればするほど、牡牛である。
「麗女史……奴才(ぬさい)は、この手で、環貴人を賊に、渡してしまった。なにも、なにも力を尽くせずに」
心から慕っていたあるじを失った辛さ。
今まさに、私もあるじとの別れを決断したので、その気持ちは痛いほどわかる。
巌力さんは私と翠さまが過ごしたよりも、もっと、ずっと長く濃密な時間を、環貴人に捧げていただろう。
筆舌に尽くしがたい、生木を裂くような思いのはずだ。
彼のその大きく、重い心を、少しでも分けてもらおうと、私はそっと手を握る。
「巌力さん、私、環貴人に会いに、戌族の根城まで、行きます。まだご自慢の琵琶も、ゆっくり聴いていませんし」
「な、なにをおっしゃるか」
当然、驚かれる。
バカなことを言うな、頭がおかしいのか、という顔をしている。
でも残念。
すでに私の頭は、おかしくなって極まっているのだ。
「後宮を出たら、邑も焼かれた私が行くところなんて、他にないんです。私、今度は覇聖鳳の家を焼きに行きます。あいつを火でも毒でも溺死でも、崖から落とすでもなんでもいいから、殺すために、あいつの寝起きしてる家まで、行かなくちゃならないんです」
「無茶も大概になされよ。今度こそ、本当に、冗談ではなく、命がありませぬぞ」
巌力さんは誠実な人だ。
こんな狂った女の私を、本気で心配してくれている。
もちろん、私なんかにできっこないという気持ちもあるだろうけど。
私はその言葉を、明るく、爽やかに否定する。
「大丈夫、仲間がいるから」
後宮を守れたのも、宦官、お妃さま、侍女さんたち、みんなの力があったからだ。
私は、一人じゃない。
後宮を出ても、それは変わらない。
最高の仲間が、友だちがいるんです。
「環貴人にも会って、上手く行けば、昂国に連れ帰ります。待っててください」
「なぜ、なぜそこまでしようとなさる。たった数度会っただけの、二言三言を交わしただけの環貴人のために、そこまで麗女史が難を背負う必要が、どこにある!?」
最後の方は、厳しく問い詰めるような口調だった。
覇聖鳳を殺したいのは私の個人的な事情と感情だけど。
環貴人に会って救い出すという、いわば余計な労苦を、わざわざ買って出ようとする、その理由。
それはすごく、単純なことだった。
「環貴人は、こんな私と『友だちになりたかった、もっと仲良くしたかった』と言ってくれました」
「確かに、その通りでござる。親しく交際できなかったことを、大いに悔やんでおられた」
「私もそう思ってたんです。素敵な人だなあって。だから、私と環貴人はもう、お友だちなんです。後宮の侍女も辞めるし、昂国も出て行くから、身分や立場の差もありません」
「れ、麗女史、あなたという人は……」
そう、単純な話なんだ。
私は満面の笑顔で言い切った。
「遠くに行ってしまった友だちに、会いに行きます。ついでに覇聖鳳も殺します。それで十分でしょう?」
私の言葉に巌力さんは、ようやく少し笑って。
やれやれ、と言ったふうに顔を振った。
バカにはなにを言っても無駄だ、と諦めてくれたのかもしれない。
「環貴人にもしも会えたなら、奴才は変わらず健勝だと、よろしくお伝え下され。道中、ご無事であることをお祈りいたしまする」
「はい。巌力さんも、お元気で!」
私は後宮がまだ混乱の状態から回復しきらないうちに、どさくさ紛れで姿をくらまして、河旭(かきょく)の街中へ消える。
翠さまを、毛蘭さんや先輩侍女のみなさんたちを思うと、涙が出そうになる。
けれど、別れを惜しんで時間を使ってしまったらきっと、後宮を出て行く決意が鈍るだろう。
私が朱蜂宮(しゅほうきゅう)の思い出として持ち出すことができたのは、翠さまへ変身するために着せられた、裾の破れた絹の服と。
「よし、折れてない。まだ十分に使える」
袖に隠していた八本の、猛毒の串だけだ。
神台邑(じんだいむら)の形見である、恒教(こうきょう)と泰学(たいがく)の二冊を、置いて出て来たのは心残りだけど。
「邑のみんなには会えたし、いいや。内容もだいたい頭に入ってるもんね」
こうして、侍女の央那(おうな)は後宮から消え去って。
ただの麗央那(れおな)が、次の道を往く。
私の道を、誰にも、邪魔はさせないぞ。
戌族(じゅつぞく)の暴徒集団が去り、麻耶(まや)さんは禁軍の人たちに引っ立てられていった。
重要な首謀者の一人である麻耶さんの身柄を禁軍に預けたのは、彼らの面目を多少なりとも立てなければならないという、姜(きょう)さんの差配だろう。
私が仕掛けた火計の残骸は、どうやら他の建物に延焼せずに済んだ。
敵の侵入は防げたものの、塀には無惨に穴が開き、その内側には触らない方がいい残骸が散らかっている。
「あ、あの。翠(すい)さま、大丈夫でしたか?」
今更のように、どのツラ下げて、白々しく。
私はいっとき人質に取られて手荒な扱いを受け、命の危機が目の前に迫っていたご主人さまの安否を尋ねる。
ぶん殴られても仕方のないことを色々とした気がするので、キツく歯を食いしばり、コォッ、と両足を踏ん張って構えたけど。
「あ、あ……」
翠さまはよろよろと私の元へ力無く駆け寄り。
「央那(おうな)~~! 生きてるのよね!? あたしたち生きてるのよね!! もうダメかと思ったわ~~~~!!」
私に抱きついて、周囲の目ももはばからずに、号泣された。
「なんなのよ! 戌族の連中がいきなり来るなんて聞いてないわよ! どうして麻耶(まや)が裏切ったりするのよ! あたしが悪かったっての!? ねえ教えてよ央那! あんたならわかるでしょ!?」
子供のように泣きじゃくる翠さまを、私はぎゅうっと強く抱きしめる。
翠さまの体、あったかいなあ。
一つ、気になることを質問してみた。
「翠さま、最近、麻耶さんとゆっくりお話ししたこと、なかったですよね?」
「え」
私に言われて翠さまは、ひっくひっくとしゃくりあげながらも、中空を眺めて沈思黙考する。
「ないわ。麻耶は後宮から姿を消す前は忙しそうにしてたし話そうとしても間が悪かったりで……」
それだ。
勘が良く人を見る目がある翠さまなら、じっくり話せば麻耶さんがなにかを企んでいたのを、見抜いただろう。
二人が席を同じくしなかったのは偶然ではなく、麻耶さんがわざと、翠さまを避けていたのだ。
ちゃんと話し合えてなかったのだから、わからなくて当然だよな。
「ごめんなさい、翠さま。私にもなにがなんだか、わからないんです。怖い思いをさせて、ごめんなさい」
いろいろ勉強して、調べて、考えて。
でも結局、わからないことばかりだ。
麻耶さんがこのタイミングで後宮を、翠さまを、昂国(こうこく)を裏切る決め手になった要素がなんであるのか。
覇聖鳳(はせお)がなぜここまでの大きなリスクを冒して、自分の武名を高めようとして、昂国(こうこく)に執拗な襲撃を企てるのか。
お宝の中でも特に、神剣と呼ばれるアイテムにこだわったのはなぜなのか。
根本的、本質的な部分は、私にもわからない。
でも、私たちは生きている。
生き延びたのだ。
わからないことを抱えたまま、これからも、生きて、進んで行かなきゃいけないのだ。
「あたしのせいで玉楊(ぎょくよう)があいつらに連れて行かれちゃったわ。あたしが間抜けなせいで捕まったのに! 玉楊がどうして連れて行かれなきゃならないの!? こんなのってないわよ!」
玉楊というのは、環(かん)貴人の下の名前だ。
普段、翠さまを中心とした後宮(こうきゅう)西苑(さいえん)の女性たちは、疑似的な家族、姉妹であるという意識から、親しみを込めて下の名前で呼び合う。
しかし東苑の統括である環貴妃を名前で呼びつけるのも失礼だろうということで、弁えて環貴人と呼ぶ。
翠さまもきっと、いつか親しく「玉楊」「翠蝶(すいちょう)」と呼び合える関係に、なりたかったのだろうか。
「環貴人がおっしゃった通り、翠さまは後宮に必要な人です。自分が行けばよかった、なんて思わないでください。それは環貴人の尊い決断を無下にする言葉です」
普段はお姉さんであり雇い主である翠さまを、今は私がなだめ、諭している。
私の説諭に翠さまは泣きながらも、うん、うん、と自分自身を努めて納得させるように頷いた。
「後宮を……」
ひっくひっくと呼吸を乱しながら、翠さまが私に問う。
「後宮を焼いたのはあんたなの? 央那がそんな大それたことをしたの? 主上と宮妃の安らぐ神聖な家である後宮にあんたが火を点けちゃったの?」
「はい、私なんです。私が、後宮を焼きました」
私が少しのごまかしもなく、真っ直ぐにそう答えると。
あうあう、と翠さまは口をパクパクさせて。
「壊れた塀の奥で燃えて燻ってるあの残骸が央那の仕業なの? 塀の前で倒れて唸ってる戌族の輩どもはいったいどうしたの?」
「たっぷり毒気を含んだものを大量に燃やして、いつだかのネズミの子のように、戌族を悶絶させたんです。火の勢いは弱ったけどまだ煙が出てるので、近寄らないでくださいね」
火だけではなく、毒まで出しました。
それらすべては明白に、疑いようもなく、私、央那の仕業です。
堂々とそれを告白すると、翠さまは顔面をみるみる蒼白に変化させて。
「ウーン」
そのまま、卒倒あそばされた。
翠さまも、ギリギリのいっぱいいっぱいだったんだよな。
気を失った翠さまの体を抱え、私は銀月太監に言伝(ことづて)る。
「どんな理由があろうと、後宮を焼いた大罪人である私は、ここにはもう居られないと思います」
「いや、それは、なんとも、古来からの前例があるかどうか、いや、こんな前例、あるわけもなく、しかし、御宮(おんみや)を守ろうとしたゆえのことで……」
目に見えて銀月太監は狼狽、混乱していた。
そりゃそうだ。
いくら異賊の撃退のためとはいえ、後宮を燃やして毒ガスをまき散らした侍女なんか、いるわけない。
前例がないということは、私を裁く法律は整っていないということ。
罪を負うかどうか、全く予測がつかないと言うしかない。
日常の実務方面に強い反面、文献の解釈や過去の記録整理が苦手な銀月太監では、パッとわからないだろう。
それでも私は、後宮を去る。
もともと、そのつもりだったのだ。
「頭がおかしくなった侍女が、どこへと知らず消えた。そういうことにしてくださいますか。どうか翠さまたちに罪科が及ばないように取り計らってください。心から、お願いします」
私は深々と頭を下げ、昏倒している翠さまを銀月太監に預けた。
後宮を、皇城を去る前に、もう一人二人、話しておきたい人がいる。
そのうちの一人は、環貴人という尊いあるじを失って悲しみに暮れている、巌力(がんりき)宦官だ。
「巌力さん」
私が声をかけると、地面にうずくまり泣き濡らした顔の巌力さんが、ぬうっと顔を上げた。
意識すればするほど、牡牛である。
「麗女史……奴才(ぬさい)は、この手で、環貴人を賊に、渡してしまった。なにも、なにも力を尽くせずに」
心から慕っていたあるじを失った辛さ。
今まさに、私もあるじとの別れを決断したので、その気持ちは痛いほどわかる。
巌力さんは私と翠さまが過ごしたよりも、もっと、ずっと長く濃密な時間を、環貴人に捧げていただろう。
筆舌に尽くしがたい、生木を裂くような思いのはずだ。
彼のその大きく、重い心を、少しでも分けてもらおうと、私はそっと手を握る。
「巌力さん、私、環貴人に会いに、戌族の根城まで、行きます。まだご自慢の琵琶も、ゆっくり聴いていませんし」
「な、なにをおっしゃるか」
当然、驚かれる。
バカなことを言うな、頭がおかしいのか、という顔をしている。
でも残念。
すでに私の頭は、おかしくなって極まっているのだ。
「後宮を出たら、邑も焼かれた私が行くところなんて、他にないんです。私、今度は覇聖鳳の家を焼きに行きます。あいつを火でも毒でも溺死でも、崖から落とすでもなんでもいいから、殺すために、あいつの寝起きしてる家まで、行かなくちゃならないんです」
「無茶も大概になされよ。今度こそ、本当に、冗談ではなく、命がありませぬぞ」
巌力さんは誠実な人だ。
こんな狂った女の私を、本気で心配してくれている。
もちろん、私なんかにできっこないという気持ちもあるだろうけど。
私はその言葉を、明るく、爽やかに否定する。
「大丈夫、仲間がいるから」
後宮を守れたのも、宦官、お妃さま、侍女さんたち、みんなの力があったからだ。
私は、一人じゃない。
後宮を出ても、それは変わらない。
最高の仲間が、友だちがいるんです。
「環貴人にも会って、上手く行けば、昂国に連れ帰ります。待っててください」
「なぜ、なぜそこまでしようとなさる。たった数度会っただけの、二言三言を交わしただけの環貴人のために、そこまで麗女史が難を背負う必要が、どこにある!?」
最後の方は、厳しく問い詰めるような口調だった。
覇聖鳳を殺したいのは私の個人的な事情と感情だけど。
環貴人に会って救い出すという、いわば余計な労苦を、わざわざ買って出ようとする、その理由。
それはすごく、単純なことだった。
「環貴人は、こんな私と『友だちになりたかった、もっと仲良くしたかった』と言ってくれました」
「確かに、その通りでござる。親しく交際できなかったことを、大いに悔やんでおられた」
「私もそう思ってたんです。素敵な人だなあって。だから、私と環貴人はもう、お友だちなんです。後宮の侍女も辞めるし、昂国も出て行くから、身分や立場の差もありません」
「れ、麗女史、あなたという人は……」
そう、単純な話なんだ。
私は満面の笑顔で言い切った。
「遠くに行ってしまった友だちに、会いに行きます。ついでに覇聖鳳も殺します。それで十分でしょう?」
私の言葉に巌力さんは、ようやく少し笑って。
やれやれ、と言ったふうに顔を振った。
バカにはなにを言っても無駄だ、と諦めてくれたのかもしれない。
「環貴人にもしも会えたなら、奴才は変わらず健勝だと、よろしくお伝え下され。道中、ご無事であることをお祈りいたしまする」
「はい。巌力さんも、お元気で!」
私は後宮がまだ混乱の状態から回復しきらないうちに、どさくさ紛れで姿をくらまして、河旭(かきょく)の街中へ消える。
翠さまを、毛蘭さんや先輩侍女のみなさんたちを思うと、涙が出そうになる。
けれど、別れを惜しんで時間を使ってしまったらきっと、後宮を出て行く決意が鈍るだろう。
私が朱蜂宮(しゅほうきゅう)の思い出として持ち出すことができたのは、翠さまへ変身するために着せられた、裾の破れた絹の服と。
「よし、折れてない。まだ十分に使える」
袖に隠していた八本の、猛毒の串だけだ。
神台邑(じんだいむら)の形見である、恒教(こうきょう)と泰学(たいがく)の二冊を、置いて出て来たのは心残りだけど。
「邑のみんなには会えたし、いいや。内容もだいたい頭に入ってるもんね」
こうして、侍女の央那(おうな)は後宮から消え去って。
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