1 / 32
第十八章 雪解けと若芽
百五十一話 夢の中では蝶か蛾か
しおりを挟む
気が付くと、いつの間にか芋虫になっていた。
私は視界一面を埋める巨大な若葉のお布団で目を覚まし、自分に手足がないことを知る。
もぞもぞと体を蠕動(ぜんどう)させた結果。
「葉っぱを食べる以外、なにもできねえ」
そう理解して、目の前の瑞々しく、美味しそうな葉、これは桑だな、それを一心不乱にもっちゅもっちゅと齧り、お腹へ入れて行く。
うめ、うめ、お代わりもあるぞ、と調子良くお食事を続けていたら。
「体が、熱い」
無性に、胸の奥から湧き上がるエネルギーを感じて。
「ぶぶぶ」
私は、口ではない謎の穴から細い糸を一生懸命に吐きだして、全身の周囲を覆っていく。
蝶か蛾かわからないけれど、とりあえず繭糸を吐く芋虫が、今の私の正体であるらしい。
一心不乱に吐いた繭は、いずれ私の身体をすっぽりと覆う、快適なカプセルベッドとなった。
ああ、狭いけれど、外の光がぼんやりと透けて繭の中に入り込み、とても落ち着く。
この中で眠り、一度、どろどろにすっかり溶けてしまって、私は新たに生まれ変わる。
美しい蝶か、毒を持った蛾か。
それとも、繭のままに煮て殺される蚕(かいこ)なのか。
「せっかくだから、翠(みどり)色の可愛い蝶になりたいもんだ」
願いながら、私は眠りに就く。
次に目を覚ますときは、せめてあの蒼い大空の彼方を。
――――
「……麗央那(れおな)、寝てるのか? 起きてるのか?」
「ふえぇ」
呼びかけられて、私は現実に戻って来る。
私の顔を覗き込む翔霏の顔の、向こう側には。
「綺麗な空」
夢の中で願った光景が見られて、私は小さな、だけれど大事な幸せを感じた。
「ん、そうだな。良い天気だ。起こして悪かった。まだまだ寝ていても大丈夫だぞ」
「ううん。気分爽快。絶好調」
んー、と私は伸びをして、目をぱっちり見開く。
今、私たちは馬車に乗り、斗羅畏(とらい)さんの統治する白髪左部(はくはつさぶ)へ向かっている。
昂国(こうこく)の皇太后さまから頼まれた用事、そのお遣いである。
斗羅畏さんの頭領就任をお祝いするため、皇太后さまの親書と、食料燃料、その他の品々を届けるのだ。
荷馬車だけで八両、プラス私たち、使者や護衛が乗る馬車が二両という、大所帯である。
これらすべて、皇太后陛下のポケットマネーから出されているのがヤバい。
「私、どれくらい寝てた? 今どのあたり?」
夢の中で芋虫から繭になるほどの時間が過ぎたくらいだ。
数分の居眠りではないだろうと思って、翔霏に聞いたのだけれど。
「どうだろうな。なにかぶつぶつ言っていたから、起きているものかとばかり思っていた」
「やだわ、また寝言かましてた。恥ずかちい」
「慣れたから気にしてないぞ。そしてまだ、国境を過ぎてからそれほど進んでもいない」
寝言に慣れてもらっても、乙女としては複雑である。
幌を半分外してある客車から、太陽を見上げる。
確かに寝入る前の空の様子とさほどの変化はなかった。
長くてもせいぜいが数十分、夢の中で桑を食っていたくらいのものか。
「不思議だね。随分と長い間、夢を見てた気がするのに」
夢のタイムテーブルには謎が多い。
五分しか寝ていないのに夢の中では五時間くらいの経過を体験する、ということがままある。
「どんな夢を見ていたんだ? 身体をくねくねさせていたが」
だから恥ずかしいってば、言わないであげて。
私は薄れゆく夢の記憶を再び脳から引きずり出し、翔霏に伝える。
「蚕になってた気がする。私は幼虫で、葉っぱをもぐもぐ食べて」
「ほう。たらふく食える夢は、良い夢だ。起きたときに切なくなるが」
翔霏らしい感想であった。
「でも私は、空を飛びたくて。繭の中から、青空を望んで、目が覚めたとき、空が綺麗に見えて」
うん、だから。
とても目覚めの気分が良い。
私と翔霏の話すのを、同じ馬車で向かいの座面にいる宦官の銀月(ぎんげつ)さんが、興味深そうに聞いて。
「それはまるで、昔から伝わる『飛ぶ蚕』のおとぎ話のようでございますな」
なにやら面白そうな話を教えてくれた。
「どんな話なのですか? 翼州(よくしゅう)ではあまり耳にしませんが」
翔霏の質問に、まるで孫に聞かせるように、にこやかに銀月さんは話した。
「蚕は飛ばぬもの、人はそう思い込み、逃げぬだろうと甘く見て飼っておりまする。しかしその蚕は、己は飛べると信じ込み、とうとう繭を破って大空に羽ばたいたのです」
奇妙に哲学的と言うか、示唆に富んだ言い伝えだな。
飛ばぬと思っていた蚕が、強い一念のもとに大空へ旅立つ、なんて。
「思い込むことの落とし穴と、信じ込む力の強さか……」
翔霏もその裏表の意味に考えを廻らし、神妙な顔つきになった。
強く意識することに対する、悪い面と良い面を同時に教えてくれる物語だ。
銀月さんは都の人なので、河旭(かきょく)の周辺で広まっている訓話なのかもしれないな。
「もっとも、蚕だと思って飼っておった中に、他の芋虫が紛れ込んでおった、と考えるのも自然でありましょうか。人には思い違いや手抜かりが必ずあるという、簡単な話かもしれませぬな」
このように、銀月さんは気の利いた話をいろいろと聞かせてくれる。
私たちは様々な楽しい昔話を聞きながら、斗羅畏さんがいるであろう白髪左部の奥地まで、のんびり焦らず進むのだった。
念のために翔霏をボディガードとして連れたけれど、道中で悪いやつらがちょっかいをかけてくることはなかった。
「こ、こりゃあ、えらいことじゃ。それに、嬢ちゃんらが来るとはのう」
比較的に大きい邑へ到着したとき、私たちを迎えてくれたのは、顔馴染みの老将さんだった。
斗羅畏さんの副官にして相談役のような、ベテランの武人だ。
「またお会いできて嬉しいです。先に伝令のお役人さんから、お話は通っていると思いましたけど」
私は挨拶しながら、斗羅畏さんがいるかどうか、きょろきょろと周囲を見渡す。
昂国から荷物が届くことは、もちろん前もって知らせてある。
老将さんは額の汗を拭き拭き、申し訳なさそうに言った。
「ま、まさか、国母(こくぼ)さまから、こんなに大層な頂きものが来るなんてのは、思いもよらんかった。殿(との)はもっと奥の宿で用向きを済ましとるところなんじゃ。ワシが受け取れば十分かと思っとったが、こりゃあ、いかん」
慌てて、老将さんは自分で馬を飛ばし、斗羅畏さんを呼びに行った。
走って行く方向から察するに、重雪峡(じゅうせつきょう)あたりに斗羅畏さんはいるのだろうか。
ならば半日から一日くらい、私たちは待つことになるな。
「斗羅畏さんも、忙しそうだね」
「今や一国のあるじだからな、楽な仕事ではないだろう」
私と翔霏を含めた使者一行は、あてがわれた包屋(ほうおく)で人目につかないように、大人しくする。
この地域には、青牙部(せいがぶ)前頭領の覇聖鳳(はせお)の縁者がたくさん住んでいる。
私や翔霏は、彼らと顔を合わせない方が良いのだ。
建前上、覇聖鳳の死因は雪崩による凍死ということになっているけれど、本当は私たちが殺したのだという事実を、いずれ彼らも知るかもしれないし、すでに何人かは知っている可能性もある。
斗羅畏さんがべらべら言いふらすことはないと信じているけれど、人の口に戸板は立てられないのだ。
ただでさえ今いるこの邑は、覇聖鳳を殺した地点のすぐ傍だからね。
「国事(こくじ)でないというのにこの大荷物ですからな。相手さまが驚かれるのも無理はありませぬか」
待つしかないのだと割り切って、花札に似たシンプルなカードゲームを絨毯に広げながら銀月さんが言った。
そう、私たちが今回に派遣されたのは、国としての正式な行事、外交交渉ではない。
あくまでも、皇太后さまが個人的に、私費で斗羅畏さんにプレゼントを贈りましたという体裁を保たなければならないのだ。
組織ではなく、個人間交際の範疇なのである。
だから物品やお手紙の授受にも、かしこまった祭壇とかを作らないし、調印しなければならない重要な書類とかもない。
せいぜい、物品リストの写しに斗羅畏さんの受け取りサインを貰って、お役人さんが皇太后さまの下へ持ち帰る程度である。
「政治のことは私にはわからないが」
そう前置きして、翔霏が話す。
「昂国としては、斗羅畏の自立を正式に承認しがたいという問題があるのだろうかな」
「そうだねえ。白髪部の本家で大統やってる突骨無(とごん)さんが、国として、自治領としての斗羅畏さんの統治をまだ公式に承認してないから、うちの国が勝手に斗羅畏さんを認めるわけにもいかないみたい」
皇太后さまや偉い宦官の馬蝋(ばろう)さんに聞いた解釈を、私は翔霏にそのまま伝える。
斗羅畏さんと突骨無さんの間に跨る政治状況を私も詳しく把握はできていないけれど、少なくとも両者が緊張状態にあるのは確かだ。
「その中でもなにかできることはないかと、心を砕かれた母后(ぼごう)さまのご深慮に、拙(せつ)はただただ頭が下がる思いでございます」
銀月さんに私も同意して頷く。
建前はどうであっても、斗羅畏さんの領土は昂国の翼州(よくしゅう)や角州(かくしゅう)と、広く境界を接している。
隣人とは上手に付き合って行かなければならないという現実が、目の前に横たわっているのだ。
まだまだ統治も経済状況も混乱している斗羅畏さんたちに、挨拶とお土産を贈るのは、お互いにとって良いことだと、私は思う。
「単純そうな男だったからな。物資が手に入ると知れば素直に喜ぶだろう」
「そうだと良いねえ」
「お二人は既に、斗羅畏どのを詳しく知っておられるのでしたな」
私たちは車座で話しながら、数字や絵を合わせる札遊びをして斗羅畏さんを待ち続ける。
夕方前、日の沈むギリギリに、待ち人来たりの報(しらせ)せがあった。
「殿が到着しました。長くお待たせして申し訳ござらん」
老将さんが笑って言う。
私たちは包屋に並んで座って帰還した斗羅畏さんを迎える。
すす、と音を極力立てずに包屋の幕を手で退け。
屋内に入った斗羅畏さんは、両掌を胸の前で重ねて深く一礼した。
「こ、このたびは、寒風厳しきかような土地に、お足もとも悪い中わざわざお越しいただき、まことに、まことに……」
あは、緊張してるっぽい口調で可愛いじゃないのさ。
座礼で顔を伏せてその口上を受ける私たち。
少しずつ、両者が顔と視線を上げて。
私と斗羅畏さんの眼が合った。
「どうも、斗羅畏さん」
「久しぶりでもないか。元気そうだな?」
つい、くだけた口調で再会の挨拶を述べてしまった私と翔霏。
本来はそれほどかしこまった場ではないはずなので、良いでしょ、多分。
斗羅畏さんは、銀狐の毛皮で作られた外套の中に、昂国のものとは似て非なる絹の衣を着ている。
おそらく戌族にとっての最高の一張羅なんだろうな、お洒落でカッコいいですよ、などと思いながら、ニコッと私は笑みを見せる。
「あ、あがが……」
このように、極めて友好的な私たちの顔を見るなり、斗羅畏さんは口を金魚のようにパクパクさせて。
「なぜ、なぜ貴様らが、ここに居る!!」
怒りに叫び、かぶっていた毛織物の帽子を脱いで、床に全力でばちぃんと叩きつけたのだった。
うーん、ディスコミュニケイション!
私は視界一面を埋める巨大な若葉のお布団で目を覚まし、自分に手足がないことを知る。
もぞもぞと体を蠕動(ぜんどう)させた結果。
「葉っぱを食べる以外、なにもできねえ」
そう理解して、目の前の瑞々しく、美味しそうな葉、これは桑だな、それを一心不乱にもっちゅもっちゅと齧り、お腹へ入れて行く。
うめ、うめ、お代わりもあるぞ、と調子良くお食事を続けていたら。
「体が、熱い」
無性に、胸の奥から湧き上がるエネルギーを感じて。
「ぶぶぶ」
私は、口ではない謎の穴から細い糸を一生懸命に吐きだして、全身の周囲を覆っていく。
蝶か蛾かわからないけれど、とりあえず繭糸を吐く芋虫が、今の私の正体であるらしい。
一心不乱に吐いた繭は、いずれ私の身体をすっぽりと覆う、快適なカプセルベッドとなった。
ああ、狭いけれど、外の光がぼんやりと透けて繭の中に入り込み、とても落ち着く。
この中で眠り、一度、どろどろにすっかり溶けてしまって、私は新たに生まれ変わる。
美しい蝶か、毒を持った蛾か。
それとも、繭のままに煮て殺される蚕(かいこ)なのか。
「せっかくだから、翠(みどり)色の可愛い蝶になりたいもんだ」
願いながら、私は眠りに就く。
次に目を覚ますときは、せめてあの蒼い大空の彼方を。
――――
「……麗央那(れおな)、寝てるのか? 起きてるのか?」
「ふえぇ」
呼びかけられて、私は現実に戻って来る。
私の顔を覗き込む翔霏の顔の、向こう側には。
「綺麗な空」
夢の中で願った光景が見られて、私は小さな、だけれど大事な幸せを感じた。
「ん、そうだな。良い天気だ。起こして悪かった。まだまだ寝ていても大丈夫だぞ」
「ううん。気分爽快。絶好調」
んー、と私は伸びをして、目をぱっちり見開く。
今、私たちは馬車に乗り、斗羅畏(とらい)さんの統治する白髪左部(はくはつさぶ)へ向かっている。
昂国(こうこく)の皇太后さまから頼まれた用事、そのお遣いである。
斗羅畏さんの頭領就任をお祝いするため、皇太后さまの親書と、食料燃料、その他の品々を届けるのだ。
荷馬車だけで八両、プラス私たち、使者や護衛が乗る馬車が二両という、大所帯である。
これらすべて、皇太后陛下のポケットマネーから出されているのがヤバい。
「私、どれくらい寝てた? 今どのあたり?」
夢の中で芋虫から繭になるほどの時間が過ぎたくらいだ。
数分の居眠りではないだろうと思って、翔霏に聞いたのだけれど。
「どうだろうな。なにかぶつぶつ言っていたから、起きているものかとばかり思っていた」
「やだわ、また寝言かましてた。恥ずかちい」
「慣れたから気にしてないぞ。そしてまだ、国境を過ぎてからそれほど進んでもいない」
寝言に慣れてもらっても、乙女としては複雑である。
幌を半分外してある客車から、太陽を見上げる。
確かに寝入る前の空の様子とさほどの変化はなかった。
長くてもせいぜいが数十分、夢の中で桑を食っていたくらいのものか。
「不思議だね。随分と長い間、夢を見てた気がするのに」
夢のタイムテーブルには謎が多い。
五分しか寝ていないのに夢の中では五時間くらいの経過を体験する、ということがままある。
「どんな夢を見ていたんだ? 身体をくねくねさせていたが」
だから恥ずかしいってば、言わないであげて。
私は薄れゆく夢の記憶を再び脳から引きずり出し、翔霏に伝える。
「蚕になってた気がする。私は幼虫で、葉っぱをもぐもぐ食べて」
「ほう。たらふく食える夢は、良い夢だ。起きたときに切なくなるが」
翔霏らしい感想であった。
「でも私は、空を飛びたくて。繭の中から、青空を望んで、目が覚めたとき、空が綺麗に見えて」
うん、だから。
とても目覚めの気分が良い。
私と翔霏の話すのを、同じ馬車で向かいの座面にいる宦官の銀月(ぎんげつ)さんが、興味深そうに聞いて。
「それはまるで、昔から伝わる『飛ぶ蚕』のおとぎ話のようでございますな」
なにやら面白そうな話を教えてくれた。
「どんな話なのですか? 翼州(よくしゅう)ではあまり耳にしませんが」
翔霏の質問に、まるで孫に聞かせるように、にこやかに銀月さんは話した。
「蚕は飛ばぬもの、人はそう思い込み、逃げぬだろうと甘く見て飼っておりまする。しかしその蚕は、己は飛べると信じ込み、とうとう繭を破って大空に羽ばたいたのです」
奇妙に哲学的と言うか、示唆に富んだ言い伝えだな。
飛ばぬと思っていた蚕が、強い一念のもとに大空へ旅立つ、なんて。
「思い込むことの落とし穴と、信じ込む力の強さか……」
翔霏もその裏表の意味に考えを廻らし、神妙な顔つきになった。
強く意識することに対する、悪い面と良い面を同時に教えてくれる物語だ。
銀月さんは都の人なので、河旭(かきょく)の周辺で広まっている訓話なのかもしれないな。
「もっとも、蚕だと思って飼っておった中に、他の芋虫が紛れ込んでおった、と考えるのも自然でありましょうか。人には思い違いや手抜かりが必ずあるという、簡単な話かもしれませぬな」
このように、銀月さんは気の利いた話をいろいろと聞かせてくれる。
私たちは様々な楽しい昔話を聞きながら、斗羅畏さんがいるであろう白髪左部の奥地まで、のんびり焦らず進むのだった。
念のために翔霏をボディガードとして連れたけれど、道中で悪いやつらがちょっかいをかけてくることはなかった。
「こ、こりゃあ、えらいことじゃ。それに、嬢ちゃんらが来るとはのう」
比較的に大きい邑へ到着したとき、私たちを迎えてくれたのは、顔馴染みの老将さんだった。
斗羅畏さんの副官にして相談役のような、ベテランの武人だ。
「またお会いできて嬉しいです。先に伝令のお役人さんから、お話は通っていると思いましたけど」
私は挨拶しながら、斗羅畏さんがいるかどうか、きょろきょろと周囲を見渡す。
昂国から荷物が届くことは、もちろん前もって知らせてある。
老将さんは額の汗を拭き拭き、申し訳なさそうに言った。
「ま、まさか、国母(こくぼ)さまから、こんなに大層な頂きものが来るなんてのは、思いもよらんかった。殿(との)はもっと奥の宿で用向きを済ましとるところなんじゃ。ワシが受け取れば十分かと思っとったが、こりゃあ、いかん」
慌てて、老将さんは自分で馬を飛ばし、斗羅畏さんを呼びに行った。
走って行く方向から察するに、重雪峡(じゅうせつきょう)あたりに斗羅畏さんはいるのだろうか。
ならば半日から一日くらい、私たちは待つことになるな。
「斗羅畏さんも、忙しそうだね」
「今や一国のあるじだからな、楽な仕事ではないだろう」
私と翔霏を含めた使者一行は、あてがわれた包屋(ほうおく)で人目につかないように、大人しくする。
この地域には、青牙部(せいがぶ)前頭領の覇聖鳳(はせお)の縁者がたくさん住んでいる。
私や翔霏は、彼らと顔を合わせない方が良いのだ。
建前上、覇聖鳳の死因は雪崩による凍死ということになっているけれど、本当は私たちが殺したのだという事実を、いずれ彼らも知るかもしれないし、すでに何人かは知っている可能性もある。
斗羅畏さんがべらべら言いふらすことはないと信じているけれど、人の口に戸板は立てられないのだ。
ただでさえ今いるこの邑は、覇聖鳳を殺した地点のすぐ傍だからね。
「国事(こくじ)でないというのにこの大荷物ですからな。相手さまが驚かれるのも無理はありませぬか」
待つしかないのだと割り切って、花札に似たシンプルなカードゲームを絨毯に広げながら銀月さんが言った。
そう、私たちが今回に派遣されたのは、国としての正式な行事、外交交渉ではない。
あくまでも、皇太后さまが個人的に、私費で斗羅畏さんにプレゼントを贈りましたという体裁を保たなければならないのだ。
組織ではなく、個人間交際の範疇なのである。
だから物品やお手紙の授受にも、かしこまった祭壇とかを作らないし、調印しなければならない重要な書類とかもない。
せいぜい、物品リストの写しに斗羅畏さんの受け取りサインを貰って、お役人さんが皇太后さまの下へ持ち帰る程度である。
「政治のことは私にはわからないが」
そう前置きして、翔霏が話す。
「昂国としては、斗羅畏の自立を正式に承認しがたいという問題があるのだろうかな」
「そうだねえ。白髪部の本家で大統やってる突骨無(とごん)さんが、国として、自治領としての斗羅畏さんの統治をまだ公式に承認してないから、うちの国が勝手に斗羅畏さんを認めるわけにもいかないみたい」
皇太后さまや偉い宦官の馬蝋(ばろう)さんに聞いた解釈を、私は翔霏にそのまま伝える。
斗羅畏さんと突骨無さんの間に跨る政治状況を私も詳しく把握はできていないけれど、少なくとも両者が緊張状態にあるのは確かだ。
「その中でもなにかできることはないかと、心を砕かれた母后(ぼごう)さまのご深慮に、拙(せつ)はただただ頭が下がる思いでございます」
銀月さんに私も同意して頷く。
建前はどうであっても、斗羅畏さんの領土は昂国の翼州(よくしゅう)や角州(かくしゅう)と、広く境界を接している。
隣人とは上手に付き合って行かなければならないという現実が、目の前に横たわっているのだ。
まだまだ統治も経済状況も混乱している斗羅畏さんたちに、挨拶とお土産を贈るのは、お互いにとって良いことだと、私は思う。
「単純そうな男だったからな。物資が手に入ると知れば素直に喜ぶだろう」
「そうだと良いねえ」
「お二人は既に、斗羅畏どのを詳しく知っておられるのでしたな」
私たちは車座で話しながら、数字や絵を合わせる札遊びをして斗羅畏さんを待ち続ける。
夕方前、日の沈むギリギリに、待ち人来たりの報(しらせ)せがあった。
「殿が到着しました。長くお待たせして申し訳ござらん」
老将さんが笑って言う。
私たちは包屋に並んで座って帰還した斗羅畏さんを迎える。
すす、と音を極力立てずに包屋の幕を手で退け。
屋内に入った斗羅畏さんは、両掌を胸の前で重ねて深く一礼した。
「こ、このたびは、寒風厳しきかような土地に、お足もとも悪い中わざわざお越しいただき、まことに、まことに……」
あは、緊張してるっぽい口調で可愛いじゃないのさ。
座礼で顔を伏せてその口上を受ける私たち。
少しずつ、両者が顔と視線を上げて。
私と斗羅畏さんの眼が合った。
「どうも、斗羅畏さん」
「久しぶりでもないか。元気そうだな?」
つい、くだけた口調で再会の挨拶を述べてしまった私と翔霏。
本来はそれほどかしこまった場ではないはずなので、良いでしょ、多分。
斗羅畏さんは、銀狐の毛皮で作られた外套の中に、昂国のものとは似て非なる絹の衣を着ている。
おそらく戌族にとっての最高の一張羅なんだろうな、お洒落でカッコいいですよ、などと思いながら、ニコッと私は笑みを見せる。
「あ、あがが……」
このように、極めて友好的な私たちの顔を見るなり、斗羅畏さんは口を金魚のようにパクパクさせて。
「なぜ、なぜ貴様らが、ここに居る!!」
怒りに叫び、かぶっていた毛織物の帽子を脱いで、床に全力でばちぃんと叩きつけたのだった。
うーん、ディスコミュニケイション!
0
あなたにおすすめの小説
JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――
のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」
高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。
そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。
でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。
昼間は生徒会長、夜は…ご主人様?
しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。
「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」
手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。
なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。
怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。
だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって――
「…ほんとは、ずっと前から、私…」
ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。
恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
転生後はゆっくりと
衣更月
ファンタジー
貧しい集落で生まれたリリは、生まれた瞬間から前世の記憶があった。
日本人特有の”配慮”に徹した赤ん坊を演じていたことで、両親から距離を置かれた挙句、村人からも「不気味な子」として敬遠されることに…。
そして、5才の誕生日に遠くの町に捨てられた。
でも、リリは悲観しない。
前世の知識チートは出来ないけど、大人メンタルで堅実に。
目指すは憧れのスローライフが出来るほど、ほどほどの守銭奴としてリリは異世界人として順応していく。
全25話(予定)
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
短編)どうぞ、勝手に滅んでください。
黑野羊
恋愛
二度も捨てられた聖女です。真実の愛を見つけたので、国は救いません。
あらすじ)
大陸中央にあるルオーゴ王国で、国を守る結界を維持してきた聖女ロザリア。
政略のため王太子と婚約していた彼女は、突如『真の聖女』が現れたとして婚約を破棄され、聖女の座を追われてしまう。さらに、代わりに婚姻しろと命じられた聖騎士からも拒絶され、実家にも見捨てられたロザリアは、『最果ての修道院』へと追放された。
けれど彼女はそこで、地位や栄光、贅沢などとはほど遠い、無条件に寄り添ってくれる『真実の愛』と穏やかな日々を手にいれる。
やがて聖女を失った王国は、崩壊へ向かっていき――。
ーーー
※カクヨム、なろうにも掲載しています
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
王子を身籠りました
青の雀
恋愛
婚約者である王太子から、毒を盛って殺そうとした冤罪をかけられ収監されるが、その時すでに王太子の子供を身籠っていたセレンティー。
王太子に黙って、出産するも子供の容姿が王家特有の金髪金眼だった。
再び、王太子が毒を盛られ、死にかけた時、我が子と対面するが…というお話。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる