翠の蝶と毒の蚕、万里の風に乗る ~泣き虫れおなの絶叫昂国日誌・第四部~

西川 旭

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第十九章 翠の翅を得た毒蚕

百六十九話 青春の影と光

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 葬儀への道行きを、慎重に進める私たち。

「足取りは重いが、その分だけ収穫もあったな」

 急がない、と胎を決めた斗羅畏(とらい)さんが、納得した顔で言った。
 各地の勢力と丁寧に折衝を交わし、決して無理押しで突き進むことはしない。
 まさに函谷関を攻めたときの劉邦陣営、そのやり口に通じるものがある。
 東都を超えて大都へ向かう途中の邑(むら)で、有力者の一人から面白い話も聞けた。

「斗羅畏は短気で大変だろう」

 生前の阿突羅(あつら)さんに古くから付き従っていたという、とある重鎮さん。
 彼の大包屋(だいほうおく)にお邪魔した私たちは、斗羅畏さんが別の人たちへの挨拶回りで席を立ったときに、楽しげな口調でそう問われたのだ。

「いえそんな、情熱的で、頼もしい人ですよ」

 ウソではないコメントで、誰も傷つけないようにと気配りをする私。
 カカッと笑った重鎮さんは、世間話と思い出話を続ける。

「情熱的か、良い言葉だ。確かに斗羅畏の情は炎や熱湯みたいなもんだ。下手に触ると火傷をするくらいのな。たとえ話じゃあねえぞ。実際、あいつに痛い目に遭わされたやつは、仲間だけでも指の数じゃ足りんくらいだ」

 私たちも見ていたから知っている。
 斗羅畏さんは我を通そうとするあまり、頭に血が昇って仲間を傷つけることも少なくない。
 私たちは曖昧に苦笑しながら、重鎮さんの話すのを聞く。

「斗羅畏がまだガキの頃、ダチの新しい靴が盗まれたってんで取り返しに行ったことがあった。悔しがって泣くそいつに加えて、仲間を数人連れてな。しかし盗んだほうも子分を引き連れて待ち構えてやがる。そこで斗羅畏はどうしたと思う?」
「相手が何人いようと、あの男なら当初の目的を完遂しようとするでしょうな」

 翔霏(しょうひ)が言った答えに、重鎮さんはにこにこして頷く。

「その通りだ。周りの仲間は腰が引けちまって、もう帰ろうと斗羅畏に言った。しかしあいつは『つべこべ言わずに盗まれたものを取り戻んだ! 怖気づくやつは俺の友だちじゃない!』と暴れまくってな。結局その喧嘩で、靴どころか服も帽も双方合わせて十なんぼは滅茶苦茶になっちまったらしい。もちろん怪我人もわんさか出たって落ちがついてな。たった一足の靴を取り返すための喧嘩のはずなのによ。まったく帳尻が合いやしねえ」
「斗羅畏さんらしいです」

 それ以外の感想などない、シンプルに完成されたエピソードである。
 重鎮さんにしては、よほど鉄板のすべらない話なのだろう。
 目尻に涙を滲ませてケタケタと笑う彼の中では、斗羅畏さんはいつまでも「たった一足の靴を取り返すために、自分も仲間もボロボロに傷付くことをためらわない、計算のできない少年」なのだろうな。
 
「商売人の俺が言うのも、なんだが」

 しみじみと前置きした椿珠(ちんじゅ)さんがその逸話にコメントする。

「斗羅畏にとってそこで意地を通すことは、負った傷、破れた服以上の価値があったんだ。そろばんを弾いて勘定するだけでは計れない大きなもんを、ダチの涙や盗まれた新品の靴に、斗羅畏は見出していたってことなんだろうよ」
「イイ話はやめてよ椿珠さん、また泣いちゃうから」

 鼻の奥にツンと来るものをこらえて、震える私がクレームを出し。

「まあ私ならかすり傷ほども負わずに、なんだって取り返してやれるが?」

 翔霏が空気を読まない発言で、可愛らしい思い出をドヤ顔とともに台無しにした。
 軽螢(けいけい)だけは少し疑問がある顔で、重鎮さんに尋ねる。

「孫ちゃんが別の悪ガキどもにこてんぱんにされたんなら、阿突羅さまが黙ってなかったんじゃねーの?」

 その質問を待ってましたとばかりに、重鎮さんはなおも楽しそうな明るい顔で答えた。

「ウチの親分は、子や孫の喧嘩に手出し口出しするような男じゃねえ。むしろ『勝てるまで帰って来るな』と言うようなタマさ。だから斗羅畏もその喧嘩相手も、後ろにいる親分のことは気にせず思う存分にやんちゃをして育ったもんだ。今も斗羅畏の周りを固めてる連中は、ガキの時分からの仲間か、もしくは喧嘩相手ばっかりよ」

 場にいる斗羅畏さんの部下のうち何人かが、気まずそうに苦笑いして頬をかいたり、ぷっと失笑して反応した。
 少人数ながら斗羅畏さんの勢力は一枚岩で、お互いの信頼はかなり頑強である。
 そっか、子どもの頃から一緒に遊んで過ごした仲間が、そのまま大人になってチーム斗羅畏を形成しているのか。

「その、靴を盗んだってガキのな、そいつの親父が、今の斗羅畏の副官をやってるあいつだよ。嬢ちゃんらも知ってんだろう」
「ああ、いつも私たちに良くしてくれる、あの老将さんですか」

 そういう繋がりで斗羅畏さんチームなのか。
 と、話を聞いている私たちが面白がっている横で。

「大人(たいじん)、その話はもう勘弁してくださいませんか。昔のことです」

 愉快に斗羅畏さんの可愛い過去を暴露し続ける重鎮さんに、精悍な武士が懇願した。
 
「なんだおめえ、いるならいるって早く言いやがれ。端っこで大人しくしてるから気が付かなかったぜ、がっはは」

 うわ、靴泥棒少年、今は斗羅畏さんの懐刀に成長して、この場にいたんだ。
 昨日の敵であった青牙部(せいがぶ)の郎党が、覇聖鳳(はせお)の死後に斗羅畏さんの仲間になったように。
 斗羅畏さんは子どもの頃から、喧嘩した相手と友だちになれる人だったんだな。
 って、うちの翔霏も斗羅畏さんとかなり激しくやり合ってましたからね。

「地元のツレと大人になって偉くなっても一緒に仕事してるって、良いよなあ」
「メエァ~」

 故郷大好き代表のような軽螢が言う。
 斗羅畏さんがどういう少年だったのかという過去と、斗羅畏さんがどういう首領であるかという現在は、密接に繋がっているのだ。
 人に歴史ありと言うか、積み重ねた日々がその人を支えるのだよな。
 私もそんな大人になりたいワよ。
 しかし、私たちがそんなほっこり昔話で癒されているとき。
 お酒が進んで来たこの席のホストである重鎮さんは、車座で飲食している私たちにだけ聞かせるように、声を潜めてこうも言ったのだ。

「突骨無(とごん)……いや、今は大統サマか。あいつはガキの頃に、喧嘩で負けても親父の阿突羅は助けてくれないということを早くから悟って、喧嘩をしねえ道を選んだ。身の回りで問題が起きれば、だいたいは口で、話し合いで大人を味方に付けて解決しちまった」
「話し合いは大事だよ。怪我するよりよっぽどいいじゃん」

 軽螢は突骨無さんの責任や立場にも理解できるところがあるようで、そう弁護した。
 神台邑(じんだいむら)でも毎日のように、なにか問題はないか、どうしたら解決できるだろうかを丁寧に話し合っていたからね。
 しかし重鎮さんは別のことを言いたいようで、軽く首を振って続けた。

「多くの連中は、突骨無は賢くて争いを嫌う、人の心がわかる子だと言ったもんだが、俺はそうは思わねえのよ。確かに言葉で丸め込まれた連中は、突骨無に心を掴まれた気になるだろうさ。しかしあいつが仲間のために、白髪部(はくはつぶ)の同胞のために自分の血や汗を流しまくったところを、俺は見たことがねえんだ」
「ふむ……」

 突骨無さんに会ったときのことを、翔霏は思い出しているように見えた。
 言われてみれば確かに、自分は危難から避けつつ物事を上手く運ぼうとしている様子が見受けられたかもしれない。
 大統選挙の段取りがあったのは事実としても、突骨無さんだって斗羅畏さんに協力し肩を並べて、覇聖鳳率いる青牙部の荒くれものたちに立ち向かっても良かったはずだ。
 口では、覇聖鳳にぶつかってみたかった、なんて言っていたけれど。
 それができる立場にありながら、突骨無さんは決してそうしなかった。
 重鎮さんは渋く厳しい顔つきで言う。

「今まで誰にも言わず秘密にしていたが、阿突羅の親分も生前に俺と同じ意見を持っていた。人の心が掴めることと、人のために血と汗を流すことは別なのだ、ってな。斗羅畏は他人のために自分の血を流せる。しかし突骨無は、他人を思いやってはいるんだろうが、決して自分の血は流さねえ。些細な違いだと思うか?」
「いえ、大きな違いだと、私は思います」

 重鎮さんに言われて、詳しく教えて貰えて、ようやく気付いた。
 私は突骨無さんにプロポーズされたとき、ノータイムでお断りしてしまったのだけれど。
 喪女の私がイケメンにプロポーズされたというのに、即断即決で拒否できた理由は、爽やかイケメンは私の趣味じゃないという以上に。

「この人は、決して私のために死んでくれない」

 そう直感したからだったのだ。
 私は夢見る乙女なので、結婚する以上は「この人のためなら死ねる」と思える相手を選びたい。
 もちろん相手にも「麗央那のためならいくらでも死んでやる」と思って欲しいよ。
 そうでない相手に人生を捧げるような虚無なことは、お断わりなのだ。

「ところで靴を盗まれた方の斗羅畏のダチ公はどうなった? 今も斗羅畏の幕僚にいるのか? よほど昵懇の仲なら、デカい部隊の隊長さんかなにかかね」

 夜も更けた。
 面白い話の幕引きに椿珠さんが、〆の質問を投げかける。
 重鎮さんはちびりと濃い蒸留酒を舐め、湿った息で言ったのだ。

「斗羅畏の初陣に付き添って、死んだよ。尾州(びしゅう)の乱の余波で白髪部の境界にも賊が出入りしてた頃だ。落馬した斗羅畏を敵から庇ってな」

 ぐぅ、と靴泥棒の青年武官が、俯いて涙を落とした。
 ああ、靴を盗まれて、取り返すぞと斗羅畏さんが怒ってくれた、名も知らぬその彼は。
 斗羅畏さんのために、死ぬことができたのだな。
 哀しいことなのに、私はそれを羨ましいと思ってしまうのだった。
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